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※前話との間のエピソードをノクターンに追加しました。R18注意。
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また、前回最初の方にルーゼスの挿絵を追加しました。
第3章 魔狼たちの咆哮
32話 執事と剣客
 窓から差し込む陽の光。
 鳥のさえずる音とともに、さあっと小魚たちの影が部屋の中を通り過ぎた。

「ふわぁ……」

 あくびを一つすると、右腕に絡まったやわやわとした感触に意識をば。

『う……、ん……』

 アスピアは裸のまま、俺の右腕を抱きしめて眠っていた。
 背をこちらに向けているので、なんというか俺がアスピアを小脇に抱えているような体勢だ。
 俺の腕をふにょん、と包む大きな双丘の感触は、たとえこれが健康的な朝だろうが心地よいことに変わりない。
 アスピアの頭が乗っかる俺の肩には、心地よい重さと、さらさらした銀髪の感触。

 そしてその少し下には――すっきりとした、可憐な首。
 ほっそりしていて無防備なそれは、何か強い力が加わればあっという間に寸断されてしまいそうだった。ガラス細工のように儚げなものに感じられた。

 俺を信用して、自分の全てを預けることに何の疑問も持たないアスピア。

 ――ここがもし仮想世界で、アスピアが俺を懐柔する、あるいは弱みとなるため操作されて行動するAIだったら?
 そしたら俺は容赦なくこの首を折る気概を見せねばならない。この愛しい温もりを、柔らかでどこかあどけなさを残す命の息吹を止めねばならない。
 そう決めて彼女を受け入れたのだ。

 でも、――家族だと決めた人間を、いざというときに俺は本当に殺せるだろうか。
 俺はもともと、家族のためなら神だろうが世界中の人間だろうが平気で敵にしかねない人間だ。これは例え話じゃなく、前科がある。

 そんな俺にできるだろうか。
 アスピアをこの手にかけるなんて。
 悲劇からも必死に立ち直って健気に生きようとしている、愛しい命を奪うなんて。
 家族の命なら、人だろうがAIだろうが重みに変わりはない。

『う……。あ……おはようございます、アクトさまー……』

 体をくるんと回して、俺のほうに向き直るアスピア。
 彼女は俺の心中など疑いもせず、ふんわりと微笑んで俺の頬にくちづけをした。

『ちゅっ……』

 む、ムリじゃないかな。
 子犬のように甘える彼女を右手で抱き返しながら、人知れず不安になった。



   *



 なごやかな朝食を済ませ、いつもよりちょっぴり甘酸っぱい、食後のひととき。
 琴羽やクリュテがときどきニヤニヤした視線を向けてくるけど、気にしない気にしない。

 縁側というかオープンスペースというか、居間と外の中間的なところにソファを出して、俺は寛いでいた。
 陽射しはだんだんと温かくなってきている。
 もし東京だったら四月下旬くらいの陽気だろうか。

 ソファの傍らでは、アスピアがにこにこしながら寛いでいる
 アスピアと俺との境界は、すっかり消失してしまったように感じた。

 普通、たとえ親友だろうが片思いの女の子だろうが知らない人だろうが、近寄りすぎて自分のパーソナルスペースに入ってきた存在には何らかの違和感と注意が向けられる。
 でもアスピアがすぐ傍にいることは、もう当たり前になってしまったらしい。
 近すぎるという違和感がなくなってしまったのだ。

 むしろ吸い寄せられてしまうようで。
 無意識に腰へ手を回していてもおかしくなさそうで。

 これだけ感覚が変われば、一般に「あの二人デキてるよね」なーんて周囲にわかるのも当然の話だ。なんか納得。


 そんな風にのんびりとハーブティーを楽しんで「今日もやるぞっ!」とエネルギーを溜めていたときのことだった。

『御免ください。どなたか、おられますでしょうか』

 落ち着いた男性の声が、門の方から聞こえてきた。

 それにクリュテがすぐ反応して、門に駆け寄っていく。
 そして外の様子を、そおっと門の隙間から確認し――よしよし、慎重でいいぞ。

『はい。どちら様でしょうか』
『私、セバスチンと申します。先日、寺院の人材募集掲示で、こちらのお屋敷で執事を募集していることを知りましてね。ぜひとも、旦那様にお取次ぎ願えませんでしょうか』
『あ、執事候補の方ですか。少々お待ちくださいです』

 ほう。募集をかけてはいたが、執事候補者がついに現れたか。
 お人形のようにかしこまったクリュテがチラリと振り返ったので、頷いてやる。
 と、クリュテが門を開け、客人を招き入れた。

 見た目は40代くらいか。
 銀髪というか白髪の髪に、丸い眼鏡と白い口ひげが特徴的な紳士だった。

「あの募集要項を見て応じてくるなんて……。ただものではないと思うな……」

 少し驚いた様子の琴羽。
 俺は腰を上げながら、アスピアに客のためのハーブティーを用意してほしいと頼んだ。

「で、何で驚いたんだ? 琴羽」
「募集の条件は世間なみか、むしろしっかりしてると思うよ……? でも、最後の項目が……」
「項目が何か?」
「募集要項に『斬首』って項目みたら、フツーの人はまず来ないって……」
「でも、『うちの女の子に手を出そうとしたらコロシマス』ってちゃんと明記すべきだろ。知らなかったって叫んでるとこ斬ってもなんか悪いし。条件は明示するのが透明性というものだよ」
「フフ、優しいね、亜斗ってば……。私なら、採用してから脅すけどなぁ……」

 二人で顔を合わせ、のどかに笑いあう。
 留守を預けるかもしれないし、これは当然だよな。踏み絵なのだよ、うんうん。



 執事を募集した理由はいくつかある。

 魔狼退治では俺とアスピアが出かける上に、クリュテも同行したがっている。
 動物好きな彼女は、魔狼よりも空船に興味があるらしい。
 必要に応じて俺は空船を離れる機会もあるから、そんなときに空船のナマズたちをケアしてコントロールする琴羽の補佐がいたらありがたいのは確かだ。
 その間、家を見ている執事がいれば防犯上助かる。

 それに魔狼駆除部隊ルフトイェーガーの打ち合わせとなれば、やっぱりクリュテには家で待ってもらうことになる。
 あまり彼女一人で置いておくのは心配だし、もし彼女に同年代の友達が出来たら外にだって出かけたいだろうな、というのも理由。クリュテは大切な家族、義妹だしね。

 だから、留守を任せられる人間がいるとありがたい。
 どうせ金品は異次元の砂漠に埋めたりしているから、執事が裏切っても盗られる心配はない。



 というわけで応接間に案内。
 さっそく挨拶をすませると面談を始める。

「――そんなわけで、留守にしたり小さい子だけだったりではなんなので、男手も欲しいんだ」
『フム、委細承知いたしました。私、執事としてはベテランでございますし、だんな様のご要望に副えるかと存じます』
「以前はどこで?」
『シェルトーカの商家に仕えておりました』

 おお、なんと立派な執事さんっぷりだ。すっげー、なんか感動。
 と、琴羽が小首を傾げる。

「ねぇ、なんであんな物騒な募集要項でも来てくれたの……? 出しておいて何だけど……」

 その問いに、にこやかに答える紳士。

『ええ、何せ私、現実の女性にはね、とーんと興味がないのでして』
「へ……?」
『趣味で知人達とやりとりする絵の女性達にしか興味はございませんな』

 うわぁ。この世界にも真性二次オタがいたとはな。なんだか心配になってきた。
 俺はセバスチンを窓辺に招く。

「……こちらへどうぞ。窓から見えるあの子たちを見てどう思う?」

 そして、庭で馬のフィルと楽しそうにじゃれあうアスピアとクリュテの姿を見せた。

「失礼ながら、お二人とも年齢がいき過ぎていて、ビチクソ興味がわきませんな。ああ、もちろん、もっと若くても絶対に手を出したりはしませんよ。所詮現実など、絵に劣りますからな」

 言い切ったよ、この人! まさかクリュテが年増扱いされる日が来るとはな。
 この世界で暮らしててそんなになるなんて。レベル高えな、このおっさん。
 しかし初対面の人間にそんなことカミングアウトするとはな。どんどん心配になってきた。

「……へ、へー、そうなんだぁ……」

 あ、さすがの琴羽も引いている。すーっと遠ざかっている。
 琴羽をここまで引かせるとは大したおっさんだ。
 俺は努めて冷静に話を続ける。

「……そっか。ところで、ビチクソっていうのは表現がちょっと汚いと思うんだけどさ」
『ビチクソはクソの最上級でございます』
「んじゃ、弱いのは?」
『えーと、うんこ?』
「……実に有意義な面談だったよ。結果は後ほど」

 よし、つまみ出そう、こいつ。いろいろダメだ。

 と、動こうとする俺を琴羽が慌てて止めた。
 な、なんだよ、どうした琴羽。

「ちょっと待っててね、セバスチャン……」
『わたしゃセバスチンですが』

 ひとまず席を外し、部屋の外に出る。
 ドアの前。琴羽が真剣な目で力説する。

「彼は正直者だよ……。心拍も表情もまるで乱れない……」

 ある意味ウソであってほしかった。

「ド変態だけど、彼はすばらしく条件を満たしてる……。亜斗、彼ほどの適任者はおそらく今後も見つからないと思うの……」
「正気か」

 なんというチャレンジャーだよ、琴羽さん。
 でも冷静になれば、琴羽の言い分はわからなくもない。
 いくら性格が心配でも、情欲に押し切られてアスピアたちを襲う動機がないというのは、確かに魅力だ。

 長いキャリアがあるということは、それだけ公私をちゃんと分けて見せているということなのだろう。
 シェルトーカに行く行商人に依頼して彼のことをついでに調べてもらえば、ウソかどうかもわかるだろうし。
 ちょっと甘いかもしれないが、琴羽がいれば彼の一挙手一投足は全て分かる。

「……わかった。仮採用として、しばらく様子を見るか」
「うん……。さすが亜斗……」

 それからはトントン拍子に事が進んだ。
 月給が金貨2枚というのは少ない気もするけど、貨幣経済の発達していないここでは発展途上国の通貨価値で考えた方がわかりやすい。これでもそこそこの高給なのだ。
 ミクリヤ家の執事セバスチャン……、いや、セバスチンだったっけ? の誕生だ。



   *



 その日はまたルフトイェーガーの連中とつるみ、いつもの川原で稽古をしつつ魔狼に備える。

 今日はディエゴとクロードが先に稽古を始めている。
 俺は一人素振りをしていたルーゼス少年に、居合いの指導をすることにした。
 彼の愛刀は鋼の片刃剣だ。日本刀よりもっと分厚くて刃の研ぎが甘いところを見ると、ファルシオンが近いかもしれない。重量で鎧ごとブッタ切る、斧みたいなおっそろしい剣だ。


ファルシオン wikipedeiaより
挿絵(By みてみん)


 別に抜き打ちに拘らなければ、居合いは直刀でだってできるだろう。
 世間では『居合い(あるいは抜刀術)とは抜き打ちのことだ』としばしば誤解されがちだが、高速の抜き打ちなど技のほんの一つに過ぎない。

 例えば、正座して向かい合っているとき、門のすぐ向こうに刺客がいるとき、人ごみの中で向こうから敵が来るとき、前後や左右を挟まれ連行されているとき……。
 日常の具体的な場面から戦闘へ、いかにスムーズに切り替え、真剣をどう扱って先を制するか。
 そういったQ&A集のようなものが居合いといっていい。
 中には抜かずに柄や鞘を当てて対処する技や、柔術まがいの技まである。

 さすがに江戸時代のまんまじゃ風習は大いに異なるから、師匠のサナが『現代居合い術』というものにアップデートしたけどね。正座とかまずやらないし。

 地球上でも極めて特殊な技術『居合い』に、ディエゴたちもひどく興味を持ったようだった。
 日本史で言えば「戦国時代のやや平和バージョン」といったような群雄割拠のご時世、確かに有用だろう。だから親愛の証として彼らには伝えておくことにしたのだ。
 ディエゴは高名な剣客として狙われかねないし、クロードとルーゼスも元は貴族だから護身用に役立つ機会があるかもしれない。戦場は時と場所を選ばないのだ。



 そして。
 そんな俺たちを、近くで体育座りしつつ、ぼうっと眺めている男がいた。
 空賊団『暗闇の牙』の元頭領、リカルド・スタイロス。
 ちょっと鬱ぎみ。

 頭領、といっても、どうやら彼は雇われ頭領といった存在らしく、ここ一ヶ月で新たに加わった者らしい。それは他の空賊の証言とも一致している。
 貴重な高速型私掠船であったクロフネは、ドヴァールの南東、シェルトーカの南に位置する古豪イムニス王国のものであったことがリカルドの証言により明らかになったのだ。

 これは明らかな敵対的工作だ。
 だが、強力な軍事力を誇り、また貿易のお得意さんでもあるイムニスに対し、ドヴァールは穏便に済ませようとするので精一杯らしい。
 司教猊下もご苦労さんだよ、まったく。

 イムニス王国の企みが、ドヴァールとその友好国ニャグルーヨとの切り離し工作だと知って、ニャグルーヨ出身のクロードはかなり腹を立てていた。ま、当然の反応だよな。
 それでもクロードがリカルドを非難しないのはワケがある。

 イムニス出身の剣客であるリカルドは、若いころ名前を変えてニャグルーヨに長く滞在していたらしい。
 そのときの言語の訛りや地方風俗の知識から、この叩き上げの下級騎士は空賊の頭領となり工作するべく命令を受けたのだという。
 ニャグルーヨの手先と思わせるような痕跡を残せ、と。

 誇り高いリカルドは、その下劣な任務を強く拒んだ。
 だがその能力を政敵である『宰相』に高く評価された彼は、家族を人質に捕られてムリヤリ仕事に就かされたのだという。
 他のお上品な騎士では、荒くれ者たちを実力で従わせることなどできないと見たのだそうな。
 ただ――ドヴァールの諜報活動によると、残念ながら家族は既に殺されていたのだとか。

「……皮肉なものだ。それがしを最も評価する者が、あの卑劣な男であったとはな」 

 体育座りの似合う復讐鬼、リカルド。
 哀愁漂うその背中を経由すると、春風も木枯らしのように冷たく見える。

 扱いに困った挙句、猊下は彼をディエゴ預かりとし、懲役としてルフトイェーガーで強制労働という判決を下したのだった。
 俺たち、服役囚並みの仕事してたんかい。

 とはいえリカルドはあの一度しか襲撃に加わってなかったみたいだし、魔狼対策で強い武人を喉から手が出るほど欲しているドヴァールとしては吸収するのも悪い話じゃない。
 それがおとといの話で、今日ようやく釈放されてディエゴに連れられてきたわけだ。

 正直、リカルドの家族が殺されたってのも猊下のウソじゃね? って疑いたくなる。
 でも、人手があるのはありがたいから、結局俺たちもさらっと猊下の判決を了承したのだった。ディエゴが『大丈夫、拙者にまかせろ』って言ってるから大丈夫だろ、うん。

 しっかし、毒矢『ショットグラス』完成直前で運がよかったな、リカルドのおっさん。
 後だったら、こうもうまくはいくまい。

 そんなわけで、ディエゴは明日からリカルドとルーゼス少年を伴って、当分はラッカの村に逗留するつもりらしい。
 ラッカとしては用心棒は大歓迎だろうし、ディエゴたちにとっては俺たちより早く魔狼を狩る唯一の選択肢だったろう。





 ――そう、ディエゴの判断は正しかった。
 比較的、だが。

 なぜなら、この日『ショットグラス』の量産を俺とルファが決めてから、状況は急激に変わっていったのだから。

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