投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]

投稿募集! スレッド一覧

  1. バッカじゃないこの人! ロム男観察スレ(121)
  2. 創価のアホアホアホアホアホアホを観察するスレ(7)
スレッド一覧(全2)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ 無料ブログ ]

全3818件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

代行管理人さん

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2013年 4月 8日(月)00時09分48秒
返信・引用
  ありがとうございます。  

Re: はじめまして

 投稿者:代行管理人  投稿日:2013年 4月 7日(日)23時11分53秒
返信・引用
  > No.4273[元記事へ]

秋晴れさんへのお返事です。



Welcomeです。
ごゆっくりどうぞ。
 

はじめまして

 投稿者:秋晴れ  投稿日:2013年 4月 7日(日)23時00分51秒
返信・引用
  日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板という板から来ました。

あちらの板では、どうも嫌われてしまいました。

お見受けしたところ、こちらの板の方の方が常識的に思うのは私一人ではなさそうです。

現、日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板の創価学会員?ホントは創価学会員でないかも?
よく分からない人たちの書き込みをこちらの板から、拝見させて頂きたいと思っております。
 

予想されるロム男君の言い訳

 投稿者:ただのアホ  投稿日:2013年 4月 7日(日)15時49分15秒
返信・引用
  「卑怯版が写本の画像出したら屁理屈いうてゴマカシたるド~。エイ エイ オ~!」  

ロム男くんは…

 投稿者:ただのアホ  投稿日:2013年 4月 7日(日)15時37分8秒
返信・引用
  今必死で写本を捜索中!
写本見つけても黙秘か?

「真筆も写本もないのだー!無いでとーすぞ~!」ww (>_<)
 

ロム男さん、昨日言いましたがお忘れですか?

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 7日(日)10時55分1秒
返信・引用
  きのう言いましたが再度言います。

「あなたは書けば書くほどに墓穴を掘るのでお止めなさい。」

> 上代の写本があるのなら、誰の写本ですか?(笑)
>
> あると言うなら、示して頂きましょう。どなたの写本か御教示下さいな。(笑)

資料集めがお得意のロム男さん、またいつも手法、「知っているのに隠し持てり」でしょう。 いい加減に言い訳はお止めになることです。

遠く上代にありますし、近く安土桃山時代だったと推察致しますがあります。

ご自身で探して下さい。或いは隠し持てないでお出し下さい。
 

Re: (無題)

 投稿者:キンマンコ・池田バカセ  投稿日:2013年 4月 7日(日)10時37分23秒
返信・引用
  > No.4268[元記事へ]

岳州さんへのお返事です。

> >
> > 慌てないで下さい、岳州さん。

プッ
 

(無題)

 投稿者:岳州  投稿日:2013年 4月 7日(日)10時07分54秒
返信・引用
  > No.4267[元記事へ]

通りすがりさんへのお返事です。

> いまやただのアホに成られたロム男氏は、また向こうで一生懸命言い訳を 書かれていますが、結論を言いましょう。
>
> 「写本がない」と言われましたが写本はあるのです。
>
> 慌てないで下さい、ロム男さん!
>
>

その、あるという写本の筆者は誰ですか
 

ロム男氏は私の誘導尋問にうまくかかりました。

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 7日(日)07時46分6秒
返信・引用
  いまやただのアホに成られたロム男氏は、また向こうで一生懸命言い訳を 書かれていますが、結論を言いましょう。

「写本がない」と言われましたが写本はあるのです。

慌てないで下さい、ロム男さん!

 

アッホロム男

 投稿者:創価現役  投稿日:2013年 4月 6日(土)23時27分18秒
返信・引用
  アッホじゃないロム男って
新池御書がパッとできたんだってww
ただのアホじゃん

クスクス



 

ロム男さん

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 6日(土)22時11分19秒
返信・引用
  貴殿は書くほどに墓穴を掘られます。もうこれ以上、この件に関してお書きにならないことをお勧めいたします。  

相変わらず往生ぎはの悪い人です。

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 6日(土)21時56分45秒
返信・引用
  ロム男さん、あなた本当に頭脳的欠陥があるのではないでしょうか?

> 真筆が存在した形跡がなし、上代の写本も存在しない、文中に疑わしい記述が複数ある。
>
> 身延の坊さんが、どう言おうが関係ないのですよ。(笑)
> 遁走卑怯板の法華講さんよ。真筆だと証明してみ!(爆笑)


まず言っておきますが、真筆が存在したからこそ写本があるのではございませんか?

ロム男氏は真筆がない、写本がなかったと言われていますが、ではある日突然に新池御書という偽書が世間に出てきたのですか?

あなたが真筆なし、写本なしと言われるのであれば、一体どなたが偽書を作成されたのでしょう? ある日突然パッと空から出てきたのですか?

ロム男さんは言われましたよね、「ルーツは知っている」と..。

では真筆を隠したのは、また写本を作成したのは他でもない本満寺ではありませんか?ーあくまでも推察ですが…。



 

定義

 投稿者:キンマンコ・池田バカセ  投稿日:2013年 4月 6日(土)14時53分22秒
返信・引用
  「ただのアホ」の定義


アホ学会に所属し、かつ『「何が何でも法華講員に勝ちたい、日蓮正宗を貶めたい、学会を有利にしたい」、その為にはあちこちから資料を出す、でっち上げでも構わない等、ありとあらゆる手を使う』人物のこと。

現在、ただのアホに認定された人物

ロム男、Q太郎、アベヒ、宿坊。


新刊発行予定のお知らせ(笑)

書名:アホ進化論
内容:バカが進化するとアホになる。さらに進化すると「ただのアホ」になることを著者が身をもって示した真実の書。
著者:ただのアホのQ太郎

             
 

ロム男氏の言い分け

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 6日(土)14時45分22秒
返信・引用
  早速出ましたね、お得意の言い分けが。

ロム男氏、

> 私が、『新池御書』偽書説のルーツを知らないですって。(苦笑)

これで明らかなようにロム男氏は最初から新池御書偽書説のルーツをご存知だったご様子です。

従ってその当時のルーツを知り隠し「偽書、偽書」と本満寺の代弁をする欺瞞的確信犯と断定出来る訳であり、黒川氏、れきし氏に軍配が上がったは自然体です。

「真実を隠しても法華講員に勝ちたかった」

つまりただのアホと言われても言い訳無用ですね。

 

追伸

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 6日(土)11時46分24秒
返信・引用
  ようするにロム男氏の場合、都合のよいときは富士宗学要集には…、また都合のよいときは身延派の主張を論拠とする等、これが落ちぶれた今の学会の現状ではないでしょうか。  

どうやら円覚寺と新池御書の件は終わったようですね。

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 6日(土)11時31分38秒
返信・引用
  どうやら向こうではロム男氏が秋晴れ氏にクレームしておられるようです。「真書がないから偽書という理屈は成立しない..」と図星を言われたことに対して、いつもの通り彼なりの屁理屈を持って弁解されていますね。
件の新池御書を偽書としたのは遠くは豊臣秀吉の時代に遡るようです。

秀吉が京都に於いて大仏供養を各宗派に強要したことがあったそうですが、日蓮宗におきましては身延派の本満寺がそれを受け入れたのですが、当時教勢が大であった不受布施派がこれを拒んだのです。 理由は謗法厳戒を示された新池御書に準じるとしたのです。

一方、本満寺側は秀吉の弾圧をかわすため、不受布施派の論拠とする新池御書を偽書とした。…これが「新池御書偽書説」のルーツです。このーツが現代にまで尾を引いていることをロム男氏は知らなかったようです。

先日も言いましたが、ロム男氏の最大の欠点は「何が何でも法華講員に勝ちたい、日蓮正宗を貶めたい、学会を有利にしたい」、その為にはあちこちから資料を出す、でっち上げでも構わない等、ありとあらゆる手を使う..。ただそれだけが目的だと推察いたします。

結局は「バカからただのアホ」に進化したというところではないでしょうか

とんだ人間革命ですね。
 

ロム男がバカからただのアホに進化した理由

 投稿者:創価現役  投稿日:2013年 4月 5日(金)23時11分58秒
返信・引用 編集済
  ここにあるじゃん

http://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/t1/129
 

バカロム男観察スレ 更新

 投稿者:創価現役  投稿日:2013年 4月 5日(金)22時54分15秒
返信・引用
  バカじゃん

http://6730.teacup.com/tasakuikeda/bbs/t1/?
 

バカロム男

 投稿者:創価現役  投稿日:2013年 4月 5日(金)22時51分58秒
返信・引用
  バッカじゃないロム男って
新池御書って 身延派が 偽書って言ってんじゃんww
ロム男は身延じゃんかww
アホからただのアホに進化してんじゃん

クスクス

 

(無題)

 投稿者:白バラ応援団  投稿日:2013年 4月 5日(金)20時54分26秒
返信・引用
  「創価学会池田カルト一派の悪行シリーズ その31」でご紹介した創価学会池田カルト一派による「脅迫」としか考えられない事件について、その後の経過をお知らせします。

 現場写真をご覧になった大学の職員は「放火ですね。」と言われました。弁護士の生田暉雄先生は「しつこいな。」と言われました。現場を確認した私の友人は「つまらないことをしますね。」と言われました。

 事態を重く見た警察は、大学当局に被害届を出すようにと指示して下さいました。その結果、大学から被害届を出すことになりました。

 生田先生は「このままにして置くと事態がエスカレートするかもしれません。」と心配され、4月3日付で、私と生田先生との連名で、創価学会香川県本部に配達証明付き内容証明で「通告書」を発送致しました。

 今のところ、大学の研究室では脅迫行為はありません。しかし、警備員の巡回監視を強化して頂けることになりました。実にありがたいことです。

以下、省略。

http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Date/20130405/1/
 

一方的な勝利宣言ってか(笑)

 投稿者:れきし  投稿日:2013年 4月 5日(金)20時31分23秒
返信・引用
  皆さん、今まで長い文章をカキコしましたが結論がでました。

どうせ、一方的な勝利宣言というでしょうから先に書いておきます(笑)


この下の方のカキコの最後の太字を見ていただくと分かっていただけると思います。


かって、小樽問答で邪宗と言っていた身延派の主張にアホ学会員は同調しているのです。

そして、ロム男君は「アホ」から「ただのアホ」に進歩されました(笑)

ただのアホのロム男君は、あと一歩で、金魚の糞・ただのアホのQ太郎君と同じレベルになれます。

創価の皆さん、このようになる前に早く脱会しましょう。




ただのアホのロム男君、援軍はもうちょっとマシなのを頼んだ方がよいよ(笑)

ただのアホ達がまた騒ぐと思いますが、明日から所用で忙しくなりますので時間があれば、いじりたいと思います。(笑)

しかし、この下の方の山本守元創価学会員さんのカキコを見てると、アホ学会員の現状がよく分かります。
ロム男君の奮闘むなしく、脱会者は続出するのであった。
 

円覚寺の歴史について、(6)

 投稿者:れきし  投稿日:2013年 4月 5日(金)20時22分55秒
返信・引用
  まずは、金魚の糞・ただのアホのQ太郎君、君は外にするべきことがあるであろう。

君は、「バカが進歩したらアホになる。」という理論を体系化しなさい。
これは、「ただのアホ」にしか出来ない作業である(笑)


さて、本題に入りましょう。
例によりこちらの過去のカキコは>>印で、学会員のカキコは>印で表します。

おやおや、ロム男君にとって都合の悪い質問はスルーしていますね。また、すり替えが行われていますね。(笑)
相変わらず長いので肝心な部分だけ引用しましょう。


さて、あなたが結論とされた、↓

『結局ロム男君は、国と国の外交関係と捉えているのですがこちらはそうではないこと
を指摘している訳です。その認識の差が、今回の最大の問題でしょう。』

↑そうかも知れませんが、『鹿山略記』にある「弘安2年大宋国」と云う記述の正誤を
主張しあってるのです。

結論ではなくて、両者の認識の問題点を指摘したのですよ。


貴殿は、
>↑そうかも知れませんが、『鹿山略記』にある「弘安2年大宋国」と云う記述の正誤を主張しあってるのです。

と言いました。そのとおりですね。そこで幕府が認識したのが何時かという話になっている訳です。


ただし、それは「円覚寺」という表現が新池御書にあるから、偽書であるという貴殿の主張の根拠となった「鹿山略記」が正しいかどうかを判断するために言っているわけです。


ロム男君は、

>幕府は、弘安2年7月10日以降に宋国の滅亡を知ったことになりますので

とあくまで幕府が知ったのは弘安2年(1279年)7月10日以降と主張するわけです。
しかし、貴殿は、以下の通り1276年に宋朝の首都は陥落し元の支配下にあることは認めたのです。


貴殿は、>1276年首都陥落以降も、宋は、国力は皆無に等しいものの3年間も存続し、元号も、「景炎」(1276年~1278年)「祥興」(1278年~1279年)と改元されます。これが宋の国史であり、中国史なのです

このように、ともかく認めたことで一歩前進みました(笑)



このことを鎌倉幕府が知っていたかどうかですが、

ウィキペディアによりますと、日宋貿易の項に以下のようにあります。

平氏政権が滅亡した後の鎌倉時代には、日中間の正式な国交はなかったが、鎌倉幕府は民間貿易を認め、鎮西奉行が博多を統治して幕府からの御分唐船を派遣するようになった。貿易は南宋末期まで行われ、武士層が信仰した禅宗は北条得宗家も保護していたため、民間の渡来僧は貿易船に便乗して来日し、モンゴルによる南宋攻撃が本格化してからも往来は継続している。

南宋との経済交流は蒙古襲来(元寇)にも影響し、南宋の滅亡後も延長として元との日元貿易が行われているが、日宋貿易と比較して史料上にも乏しくなり、中国商人の日本居住が困難になっていたと考えられている。



また、日元貿易の項を見ますと、

日本と元の関係は2度にわたる元寇の発生によって両国間は政治的に強い緊張関係にあったという印象が強い。だが、元の日本侵略の要因として経済的な利権を求めたことが挙げられるように、元側に日本との経済的関係を望む意向が強く、反対に日本側も日宋貿易によって確立された中国大陸との経済的関係の維持を望む意向が強かった。

このため、日宋貿易終焉後、日明貿易成立に至る時期(日本の鎌倉時代後期・南北朝時代に相当)も日本と元の間には政治的対立とは全く別に経済的・文化的交流が盛んになっていった。

太字の部分のごとく貿易や文化交流はあったのです。
そして、元側の窓口は「市舶司」という政府機関です。
一方、日本側の窓口はウィキペディアの日宋貿易・鎌倉時代の項によりますと、

「平氏政権が滅亡した後の鎌倉時代には、日中間の正式な国交はなかったが、鎌倉幕府は民間貿易を認め、鎮西奉行が博多を統治して幕府からの御分唐船を派遣するようになった。貿易は南宋末期まで行われ、武士層が信仰した禅宗は北条得宗家も保護していたため、民間の渡来僧は貿易船に便乗して来日し、モンゴルによる南宋攻撃が本格化してからも往来は継続している。」

「南宋との経済交流は蒙古襲来(元寇)にも影響し、南宋の滅亡後も延長として元との日元貿易が行われているが、日宋貿易と比較して史料上にも乏しくなり、中国商人の日本居住が困難になっていたと考えられている。」


このように日宋、日元貿易は「大宰府の鎮西奉行」のもとですから、鎌倉幕府の管轄下にあったと訳です。
しかし、鎮西奉行は不明な点が多く鎌倉幕府の正式な官職名ではないという説もあります。本来大宰府の長官は大宰権帥ですが、これは朝廷の任命によりますから、並行して鎮西奉行がいたのかもしれません。


また、ウィキペディアによると、元寇の第七回使節の項には、1275年に「使節団は長門国室津に来着するが、執権・北条時宗は使節団を鎌倉に連行すると、龍ノ口刑場(江ノ島付近)において、杜世忠以下五名を斬首に処した。」とありますから。大宰府に幕府の関与はあったわけです。

それでもロム男君は、円覚寺の見本と言われる径山のある宋の都・臨安(杭州)が元の支配下にあることを、幕府は把握していなかったというのでしょうか(笑)


さて、次にアホのロム男君は、円覚寺の見本と言われる径山のある宋の都・臨安(杭州)は1276年に元の支配下にあったことは認めながら、あくまでも幕府は元を認めていないと駄々っ子ぶりを発揮してくれます(笑)


ロム男君は、陳舜臣氏の『中国5000年』(平凡社)の文章をだし、

>↑如何ですか?南宋の滅んだのは1279年と結論づけられていますね。

と言うのですが、


>>貴殿は勘違いをしているようですが、僧侶の招請は別に相手方の朝廷にするものではないのですよ(笑)

>>だから、宋の滅亡ではなく版図を問題にしているのです。
>>径山があった臨安(杭州)は1276年に元の支配下にあります。

>>ですから、
>>臘月8日 [鹿山略記]の「弘安二年時宗工匠を大宋国に渡し、」の「大宋国」という表現は間違いになるのです。大元(または蒙古)国となるはずです。

と僧侶の招請は別に相手方の朝廷にするものではなく北条時宗の個人的な招請であったと、こちらは言っているのです。

>>『結局ロム男君は、国と国の外交関係と捉えているのですがこちらはそうではないことを指摘している訳です。その認識の差が、今回の最大の問題でしょう。』

>↑そうかも知れませんが、『鹿山略記』にある「弘安2年大宋国」と云う記述の正誤を主張しあってるのです。

と認めておきながら、未だに国対国だと言っているのです。アホですね。


さらに、
>『7月 大元の賊徒、宋朝、高麗より数千艘の船寄せ来る。数日対馬の海上に漂う。
>而る後肥前の国鷹島に群集するの処に、同三十日夜、閏七月一日の大風に、賊船悉く漂倒し、死者幾千萬を知らず。但し将軍范文虎帰国すと云々。大元の船二千五百余艘、兵士十五萬人(水主等を除く)、高麗の舟千艘と云々。』
http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/nendai/128100.html

>↑と有る如く、元は賊徒あつかいで、宋は、弘安4年時点でも「宋朝」と記されています。

>要するに、鎌倉政権下では元は国家と認めていなかったと云うことです。


「宋朝、高麗より数千艘の船寄せ来る。」と言うことは、宋朝は元の支配下にあるということですね。おかしい表現だと思いませんか?
その弘安4年は1281年ですから、弘安2年の貴殿が書いた「7月25日 晴 [勘仲記] 」

「殿下に参り、次いで信輔に謁す。宋朝の牒状関東より去る夕到来す。今日仙洞に於いて評定有り。殿下已下皆参る。左大弁宰相(束帯)牒状を読み申すと云々。伝聞の如きは、宋朝蒙古の為にすでに打ち取らる。日本これ危うし。宋朝より告知せらるの趣か。今日人々の議一揆せずと云々。」

と宋朝と大元かの問題は置いておいて、幕府は既に知っていますから矛盾する記述ですね。
鎌倉年代記の作者の間違いでしょうな。


次に、賊について、

ロム男君には残念ですが、ウィキペディアの元寇の「侵攻の呼称」「鎌倉時代・室町時代の呼称」を見ますと、

「モンゴル帝国(大元朝)・高麗連合軍による二度の日本侵攻について、鎌倉・室町時代の日本での文献中では、蒙古襲来、異賊襲来、蒙古合戦、異國合戦などと表記していた。「異賊」という呼称は日本以外の外来から侵入して来る勢力を指すのに使われていたもので、『八幡愚童訓』等鎌倉時代前後の文献では、刀伊の入寇や神功皇后による三韓征伐についても用いられている。その他、「凶徒」という呼称も用いられた。」

とあります。国家として認めないから「賊」ということではないですね。おわかりかな(笑)


ここで関連して、富士年表の話についてですが、

>『富士年表』には、弘安2年の項に、「6月 宋僧祖元 北条時宗の請により来朝(釈書)」と、書かれています。

と言っていますが、これは釈書を引用しただけで、その下の国史の欄には「7.29 幕府 元使を博多に切る(師守)」とあり、単に引用しているだけで、その真偽を検証しているのではないので問題にはなりません。

金魚の糞・ただのアホのQ太郎君も、「日蓮大聖人正伝」の資料を出していますが、富士年表をそのまま写しているから、特に問題はありません。

ただのアホは軽くあしらっておきましょう(笑)



それでは、結論です。

ロム男君、君は新池御書に円覚寺と表記があるから、新池御書は偽書だと言いているのです。

こちらはその根拠として用いた「鹿山略記」の記事は、大宋国とあるから信憑性がないと言っているのです。
これはロム男くんの新池御書が偽書であるという論法と同じ論法で話をしているのです。

この意味が貴殿には分かりますか?
歴史的な事項と言うのは、疑問を持とうと思うとそれが出来るのです。


もともと新池御書が偽書と言うのは、貴殿は知っているでしょうが豊臣秀吉の方広寺の大仏開眼の時に身延派が言い出したことですね。

この時、身延派によって都合が悪い新池御書が偽書とされたわけです。

それで、ロム男君が新池御書は偽書であると言えば言うほど身延派に組することになります(笑)



アホのロム男君は、かって新池御書がアホ学会のHPにある理由として、「偽書だが、信行に資するものとして載せている」(趣旨)と日亨上人編さんの御書全集の凡例のないようなことを言っていましたが、貴殿に言わすと会員に新池御書を使い謗法厳戒と教えながら、身延派に聞かれたら「会員には新池御書を使って教えていますが、実は身延派さんが言うように、あれは偽書です」と同調するわけです(笑)


ここまで続けて、今さら新池御書を偽書ではないと言えないでしょうから、貴殿は何が大切かを見失い、通りすがりさんが下記のように指摘しているように、


「ロム男氏は反論できないでしょう。
やはり「ただの阿呆・・・」というのは正しいのではないでしょうか?
フィリピン大学の問題から約一年間になるでしょうか、感じますに、氏の心には「何が何でも法華講員の意見を潰したい」という感じが致します。従って入手できる資料は何でも使用する、とにかく「潰したい」という願望が見え隠れ致します。・・・ただそれだけの人物ではないでしょうか? 従って歴史も改ざんしたい、創価に有利にしたい、何が何でも勝ちたい、それだけのような気が致します。」

そうです。ロム男君は、「アホ」から「ただのアホ」に進歩されたのです(笑)
そして、見事にただのアホの境涯を現じたのでした。



それでは、皆さん以上で、今回の話は終了です(笑)
あーー、ロム男君をからかって面白かった。

なお、ロム男くんが、

「れきしさん、結論を急ぎましょう。 投稿者:ロム男  投稿日:2013年 4月 3日(水)23時35分25秒」のカキコ以降にしていることがあれば、それは知らんよ。



 

ただの阿呆が騒いでるよ~

 投稿者:アンポンタン放送局  投稿日:2013年 4月 5日(金)18時41分10秒
返信・引用
  http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/13005
ギャハハハハハハハハハハハハハハ
 

この恐るべき創価学会

 投稿者:山本守元創価学会員  投稿日:2013年 4月 5日(金)14時04分52秒
返信・引用
  これは転載です。

000000000000000000000000000000


まったく悪い夢を見ていたような気がします。
でも現実ですよ。

事業が必ずうまくいくからと勧められるがままに破門後の学会に入信しました。
私の家は明治から続く老舗で、私は4代目の社長でした。
業績はそれまでもけっして悪くなかったんです。
少なくとも県内ではかなり上位のほうだった。

ニセ本尊を拝みはじめると、見る見るうちに売上が上がって、事業拡大のために銀行から借金をして、工場を新築しました。
そして、さあ明日から操業という晩になって、「火事だ!」という声に飛び出してみると、燃えているのはうちの工場じゃないですか!

もう放心状態ですよ。
出火の原因はまったくわからない。
だって何も動いていないし人もいない工場ですよ。

それからというもの、残ったほうの工場も売上が徐々に減ってきまして、もう何がどうなっているのかわかりませんでした。

あるとき、日蓮正宗の人がインターネットで、「ニセ本尊は一刻も早く捨ててください!」と訴えているのを見て仰天しました。
日蓮正宗と言えば、創価学会が見るな触れるな、大謗法の堕落宗教だといつも言っていましたが、あまりにもはっきりと「ニセ本尊!」と訴えているので、嫌でも関心が涌いてしまいましたね。

実を言いますと、火事が起きてしばらくした頃から、なんとなく学会の本尊が気持ち悪いような気がしていたんですよ。
実は、私の祖父は創価学会に入っていたんですが、そのときには本物の功徳があって、それを持ってあの世に行った祖父が、もしかしたら知らせていたんじゃないかなあと思うんですけど。

それで、決心して日蓮正宗の信徒と名乗る人に電話したんですが、遠方からすぐに来てくれたんですよ。
びっくりしましたが、「御功徳で会社を全部人に任せてもお金が余るような生活ができています」と言うので二度びっくり。
ニセ本尊に関する真実を聞かされ三度びっくりでした。

すぐに本物の御本尊をお迎えして必死に祈りましたが、徐々に気持ちが落ち着いてきて、「会社は潰してやり直したほうがいい」と思えてきたんです。
最初は、会社を何とか潰さずにとしか思えなかったんですが、考えてみると、そうして固執して無理な借金を重ねて苦しむのも、魔の作用だったんですよ。
結果的には最良の判断ができる頭に、仏様がしてくださいましたね。
今では晴れ晴れとして、再起の道を着実に歩んでいます。

私は昔からやんちゃ坊主で、また若い頃から商才があると言われ傲慢になっていたこともあって、すぐに人を怒鳴ったり、平気で殴ったりする、・・・まあ不良でしたね(笑)。
オヤジになっても・・・、不良中年(笑)。

それがね、なんだか穏やかな性格になって、年老いた母を怒鳴りつけたりなんて毎日のようだったのが、徐々になくなっていきました。
まだまだ再起途上で、貧乏してはいますが、豊かだった頃よりも幸福感があるのは本当に不思議ですよ。

〔解説〕
ニセ本尊は、一度頂上まで上らせて、そこから落ちる大きな落差により一層苦悶する人間を見るのが大好きと言われる。
それでもこの方は幸運なほうで、途中でお祖父さんの積んだ功徳からなのかニセ本尊を「気持ち悪い」と感じはじめたのが救われるきっかけだった。
本物の御本尊を拝むと、人格まで好転することも実感していらっしゃるようだ。

http://www.nisehonzon.com/gensho/
 

この恐るべき顕正会

 投稿者:山本守元創価学会員  投稿日:2013年 4月 5日(金)13時59分32秒
返信・引用
  元 創価学会員 足立区内某所で地区リーダー(牙城会 八期を経験。)
平成21年、母の奇病がキッカケで創価学会をばっくれ脱会、日蓮正宗に帰依改宗ました。

強信創価学会員の母を救うため、父を折伏するが、

創価学会員の母は頸部リンパ腫及び、全身腫瘍(末期癌)により死す。

現在創価学会、顕正会を折伏中。

皆さん、恐ろしい邪教、創価学会、顕正会から一日も早く脱会しましょう。

http://youtu.be/K-U4pcGXbho
 

Re: アハハ オモロ

 投稿者:通りすがり  投稿日:2013年 4月 5日(金)11時01分24秒
返信・引用
  > No.4247[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。


> 今頃「変なもんに手出してもうた~、反論でけへん」と後悔しとんちぁいまっか?
>
> 敗北決定だ祝T▽T


ロム男氏は反論できないでしょう。
やはり「ただの阿呆・・・」というのは正しいのではないでしょうか?
フィリピン大学の問題から約一年間になるでしょうか、感じますに、氏の心には「何が何でも法華講員の意見を潰したい」という感じが致します。従って入手できる資料は何でも使用する、とにかく「潰したい」という願望が見え隠れ致します。・・・ただそれだけの人物ではないでしょうか? 従って歴史も改ざんしたい、創価に有利にしたい、何が何でも勝ちたい、それだけのような気が致します。
 

アハハ オモロ

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 5日(金)09時19分18秒
返信・引用
  黒川Q太郎さんへのお返事です。

> 一方的勝利宣言(遁走w)をしそうですねww

じぁ反論してみなはれ。
できまへんねやろ、遁走かい=3

今頃「変なもんに手出してもうた~、反論でけへん」と後悔しとんちぁいまっか?

敗北決定だ祝T▽T
 

円覚寺

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 5日(金)00時29分52秒
返信・引用
  ま、ロム男も反論出来ず敗北決定のようですな。祝  

Re: 黒川Q太郎って、

 投稿者:キンマンコ・池田バカセ  投稿日:2013年 4月 4日(木)23時25分48秒
返信・引用
  > No.4238[元記事へ]

黒川和雄さんへのお返事です。

> 誰か言っておったよな。
>
> ただのアホです。^m^ オモロ (=^▽^=)


今は、金魚の糞・単なるアホQ太郎だそうだ。
 

バカロム男

 投稿者:創価現役  投稿日:2013年 4月 4日(木)10時03分43秒
返信・引用
  バッカじゃないロム男って
ホームページ更新してないだけじゃんww
やっぱ ただのアホじゃんか
一年中 アホじゃん

クスクス
 

やはりロム男は唯の阿呆で十分だ。

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 4日(木)07時23分47秒
返信・引用 編集済
  さて、↓これって何でしょうか?(爆)

http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/basic/jpn/basic_j.html

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ワハハ、日蓮正宗のホームページを出して「小湊」となっておるが、それがどうかチタノかい?
単純に更新していないだけだ。ただの呆よ。

デジタル阿呆よ、今回の正伝では、誕生地、宗旨建立の意義内容、佐渡塚原三昧堂の場所などがより具体的に研究され改良されておるわい。
チ~ン^m^ポ

歴史というものは検証され更新されるものである。でお前らの創価は、検証とも更新とも異なり「改ざん」というものであるナ。だからインチキ教と言われるのだよん。

大体「ボク創価学会員です~」って胸を張って言える創価員がいるのかい???
み~んな、隠しておるじゃないかいの~~、はぁ?
恥ずかチイのであろう。潜在的にお前らは【インチキ、胡散臭い】ことを知っているってことよん。

ま、北朝鮮と同じ体質ってことだよん。


 

Re: 本山、素晴らしかったです!

 投稿者:はなはな  投稿日:2013年 4月 4日(木)01時54分27秒
返信・引用
  > No.4223[元記事へ]

田中洋介さんへのお返事です。

こんばんは♪


御開扉のとき、
隣の席に、2歳くらいのすっごく可愛い男の子を連れたママさんが座りました。大きな荷物を持って。
奉安堂の席についてすぐにママに抱かれスヤスヤ~。
ママさん、一生懸命揺すって小声で起こしてます。
「せっかく来たんだから起きて~(;_;)」と必死。
唱題中に目覚めていたよぅで、観念文の時にチラッと見たら、澄んだキラッキラした瞳でず~っと大御本尊様を見つめていました。
母の信心だなぁと思いました(;_;)ウル。
見習わなきゃ…今更だけどf^^;
 

ただの阿呆君へ、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 4日(木)00時43分38秒
返信・引用
  呆君、大聖人出生の地はどこかい? 今までは「小湊」でっしゃろ。
今は、「片海」になってまんねん、これが日蓮正宗の研究成果でんがな。

御書のどこに大聖人が小湊で生まれたと書いてありまっか?

本尊問答抄
安房の国長狭の郡・東条の郷・片海の海人が子なり

産湯相承事
東条片海に三国の太夫と云う者あり是を夫と定めよと云云、

善無畏三蔵抄
日蓮は安房の国・東条片海の石中の賤民が子なり


覚えときなはれ! オモロ タダノアホ^m^


 

ただのアホ君へ

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 4日(木)00時30分56秒
返信・引用
  日蓮正宗大石寺発行の「日蓮大聖人正伝」の資料(日蓮大聖人年表)には、

「1279 弘安2 6月 宋僧無学祖元・鏡堂覚円来朝」と記載されています。

 元の僧とは書いていません。「宋僧」と書いています。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

あんたはんの挙げた上の文は初版の「日蓮大聖人正伝」でんがな。昭和56年発行でんがな。

平成24年発刊の改良版にはありまへんデ~(+_+)

大変でんナ! 頑張りや、ただの阿呆よ!

 

黒川Q太郎って、

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 4日(木)00時07分51秒
返信・引用
  誰か言っておったよな。

ただのアホです。^m^ オモロ (=^▽^=)
 

新池御書は偽書じゃないよん。

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 4日(木)00時05分42秒
返信・引用
  http://youtu.be/5Mc8dVxC7xQ

もう一回、これチャンと聞きなはれ!!
円覚寺の坊さんが言うてはりますやん。
禅師が来る前から徐々に作られた、と。
それから禅師は建長寺にいたという事実がありますやん。

アホよ、いくら反抗しても無駄だべ~~~!!

渡辺長七(牧口常三郎の本名)で惨敗 オモロ
フィリピン大学で惨敗 オモロ
円覚寺で惨敗     オモロ スギル~^m^
 

Re: 本山、素晴らしかったです!

 投稿者:キンマンンコ・池田バカセ  投稿日:2013年 4月 3日(水)23時06分31秒
返信・引用 編集済
  池田教徒は退転者さんへのお返事です。

> 田中洋介さんへのお返事です。
>
> 久しぶりの大石寺参拝、おめでとうございます!
> そして連合会総会の大成功、おめでとうございます!
>
>
> 僕は、生まれた時から創価学会員(3世)でした。
>
> 去年まで、ずっと日蓮正宗(当時は日顕宗といっていました)を誹謗してきました。
>
> 池田先生を人生の師匠と仰ぎ、学会活動に励み、それが正義だと信じて、宗門撲滅のために戦ってきました。
>
> その時は、創価学会が勝手に日寛上人の御本尊をパソコンに画像をおとして改ざんして作っていたとは、まったく知りませんでした。
>
> 「C作戦」や「シアトル事件」も学会の嘘だと知った時は愕然としました。
>
>
> 御本尊を勝手に作成することは、かつて池田先生が「絶対にしてはならない」と言ってきたことでした。
>

総会には御隠尊日顕上人猊下も御臨席されたとのこと、御健勝でなによりだ。
おらが、日蓮正宗に帰伏してからしばらくはいろんな罪障がでただ。

でも、今ではそれがだんだん無くなってきて、いろんな面で諸天の加護を感ずるだ。
これからいろんな事があると思うけど、ともども励まして頑張るだ。

なにより正宗への復帰おめでとうございますだ。
 

円覚寺の建立について、(5)

 投稿者:れきし  投稿日:2013年 4月 3日(水)22時03分49秒
返信・引用 編集済
  最初に単なるアホのQ太郎君、こちらはこれでも遠慮しておるのだ。

中途半端と言うのならロム男さんの回りで騒ぐ「金魚の糞」ではないか。


それなら「金魚の糞・単なるアホのQ太郎」としよう。
これなら中途半端ではなく君も満足であろう(笑)


ところで、バカが進歩するとアホになるのか?
初めて知ったぞ(笑)
そうすると、ロム男さんは、バカからアホに進歩して君に近づいたのか。
ならば、ロム男さんからロム男君に戻そう。


こちらに相手して欲しければ、その間抜けさを何とかしてからにしなさい(笑)
大月天さん風であるか?


冷笑者くん、君は、、、、、、、、どうでもよい。


それでは本題。

例によりこちらの過去のカキコは>>印で、学会員のカキコは>印で表します。(>>と>をつけ間違えたので一部修正)

>れきしさん、色々お心遣いありがとう。(笑)
>でも、御心配なく、私は空いた時間で書き込んでいますのでね。(^v^)

いやいや、こちらも仕事の都合があって書き込めない時もあるし、聞くところによると貴殿は老眼もあるそうなので、無理をする必要もないと思う次第です(笑)


さて、ロム男君、話をそらしてはいけない。


もう一度言ますが、話を整理するともともとは新池御書を偽書とする根拠にロム男殿が使用した下記の記事に信憑性があるかないかということです。


臘月8日 [鹿山略記]
弘安二年時宗工匠を大宋国に渡し、径山諸堂の規模を学ばしむ。本朝に帰り以て円覚寺を造立す。弘安五年壬午造畢なり。その美麗観るべし。同年臘月八日、平公佛光禅師を拝誦し、剏業第一祖と為すと云々。」


こちらは、「鎌倉幕府は宋が実質的に滅び円覚寺がある都の臨安(杭州)が元の支配下にあることを認識していたから、大宋国と表現しているのは信憑性に疑問があり、この文書をもって新池御書を否定するのは間違いである。」と主張しているのですが、この学会員は、幕府が認識したのは「宋の滅亡を知ったのは、弘安2年7月25日なのですよ!」と主張しているのです。


そのために今まで鎌倉幕府が認識していたか、いなかったかを主張し合っているということです。


貴殿は、

>1278年~1279年の年表を見ると、宋・元が並立してるのです。(笑)

とも言い、また、

>弘安2年の2月までは、宋は存在していましたよ。

とい言っているのでるが、ようやく事実に近づいたようです。


これは珍しく本題からそれていない(笑)
しかし、貴殿も下記のごとく認めておるように、(以下、引用は前後します。)


>1276年首都陥落以降も、宋は、国力は皆無に等しいものの3年間も存続し、元号も、「景炎」(1276年~1278年)「祥興」(1278年~1279年)と改元されます。これが宋の国史であり、中国史なのです


貴殿は、1276年に宋朝の首都は陥落し元の支配下にあることは認めたのです。

そして彼の反論は続きます。


>昨日も書きましたが、鎌倉幕府は1276年以降も、国交のない元を、支配した宋国の国家とは認めず、最後の宋王である衛王が滅亡する1279年(弘安2年)まで、宋王朝を対外交の国と定めていたと云う事です。


ここでかなり鮮明になってきたことがあります。
彼は、僧侶の招請や工匠の派遣を日本国家と相手国との公式な外交関係であると捉えているということです。相手の朝廷に言って招請したり人を派遣すると思っているようですが、それは違います。


以前にも記載しましたが、ウィキペディアの日元貿易によりますと、

「日本と元の関係は2度にわたる元寇の発生によって両国間は政治的に強い緊張関係にあったという印象が強い。だが、元の日本侵略の要因として経済的な利権を求めたことが挙げられるように、元側に日本との経済的関係を望む意向が強く、反対に日本側も日宋貿易によって確立された中国大陸との経済的関係の維持を望む意向が強かった。このため、日宋貿易終焉後、日明貿易成立に至る時期(日本の鎌倉時代後期・南北朝時代に相当)も日本と元の間には政治的対立とは全く別に経済的・文化的交流が盛んになっていった。


太字の部分にありますように正式な外交でなくても貿易、文化交流がったというこうことです。


もちろん、こちらが以前述べていますが、相手の窓口であった市舶司を通じてということになります。


貴殿は勘違いをしているようですが、僧侶の招請は別に相手方の朝廷にするものではないのですよ(笑)


だから、宋の滅亡ではなく版図を問題にしているのです。
径山があった臨安(杭州)は1276年に元の支配下にあります。


ですから、

臘月8日 [鹿山略記]の「弘安二年時宗工匠を大宋国に渡し、」の「大宋国」という表現は間違いになるのです。大元(または蒙古)国となるはずです。


もう一つ証拠を出します。
ウィキペディアの無学祖元には、


来日 [編集]

1279年:鎌倉幕府執権北条時宗の招きに応じて来日。鎌倉で蘭渓道隆遷化後の建長寺の住持となる。時宗を始め、鎌倉武士の信仰を受ける


とあります。この場合朝廷と朝廷の間ですと牒状(国書)によってなされるはずです。


北条時宗は、執権ですから権力はもっていますがあくまでも個人として招いているのです。


もう一度言います。
新池御書に円覚寺とあるから、新池御書が偽書であるというのなら大宋国と間違いが記載され信憑性がない

臘月8日 [鹿山略記]

「弘安二年時宗工匠を大宋国に渡し、径山諸堂の規模を学ばしむ。本朝に帰り以て円覚寺を造立す。弘安五年壬午造畢なり。その美麗観るべし。同年臘月八日、平公佛光禅師を拝誦し、剏業第一祖と為すと云々。」

を持って新池御書を偽書という訳にはいかないのです。


次に、

>宋に道隆の後任を依頼したのは、1278年7月道隆滅後ですね。
よって、1279年8月中に無学元祖が建長寺に入山するのは可能です。(笑)
文証とされてる、ウィキペディアにも道隆滅後に宋へ後任を依頼したと掲載されていますよ。(苦笑)


それは面白い、いつ要請したのか日付を書いてみましょうね(笑)


>弘安元年に建長寺の蘭渓道隆が亡くなり、時宗は直ちに使者を南宋国に送り、変わりの高僧の派遣を依頼しております。

と貴殿は言ったので、

>>からかうのは止めておきますが、弘安元年に使者を派遣したというのは、言った記憶がないし、そのような事実は初耳です。
>>西澗子曇(せいかんすどん)のことでしょうか。

と聞いたのですが、返事がないのですが(笑)




その他のこと。

鎌倉大日記のことが気に入らないようですが、


>鎌倉大日記 成立:応永初年(1394-)頃
室町時代、鎌倉公方足利氏を中心にした武家年表。伝本によりその記載期間は、治承4年(1180)から永享11年(1439)までと、天文8年(1539)までとがある。
『喜連川判鑑』『鎌倉大草紙』(#9)などとともに、室町期の関東の動静を記した数少ない史料として貴重。
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/information/pdf/rekishibunken55/003kamakuraooniki.pdf#search='%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%A4%A7%E6%97%A5%E8%A8%98'

↑ごらんのように、鎌倉大日記の記述元号を、そのまま採用するとおかしなことになります。


室町時代の作だからということかな?
後代だから検証が進んで、ちゃんと版図で分けてあるということしょうな(笑)


鎌倉幕府が、元の版図を認識していることはすでに何度も書いているよ。

しかし、アベヒ君が出した鎌倉年代記というHPをもとに話をし、君たちが幕府が宋の滅亡を認識したのは、弘安2年7月25日以降と言うしから、それを使用して日数計算をしてもらおうと書いたのだよ。残念、ロム男くん。



>リアルタイムで書かれた、「勘仲記」(藤原兼仲の日記)には、弘安2年の項に大宋と記載されていますものね。(笑)
はい、残念でした。

>『勘仲記』の記述は、「宋朝の牒状」とあるように、鎌倉幕府の認識は、1279年の中国は、まだ「宋」と云う認識なのです。

>先にも書きましたが、1279年3月までは、「宋」と云う国は存在していますし、宋の元号も存在しています。
>当時の中国からの書簡を「宋の牒状」と記しても、間違いではないし、おかしくもないと云うことですよ。


だから、それが間違いなんですよ(笑)
「勘仲記」をもう一度記載します。


『宋朝の牒状関東より去る夕到来す。今日仙洞に於いて評定有り。殿下已下皆参る。左大弁宰相(束帯)牒状を読み申すと云々。伝聞の如きは、宋朝蒙古の為にすでに打ち取らる。日本これ危うし。宋朝より告知せらるの趣か。今日人々の議一揆せずと云々。』


「伝聞の如きは」とはあるようにこの藤原兼仲はその場にいなかったと言うことですね。
だから、伝聞となるのです。


何度も書いていますが、宋の残党が一掃された崖山の戦いは、1279年3月19日でから、1279年7月25日に、宋朝の使節が来ることはありえません。


滅亡した国家がどうして、自らの滅亡したという国書をだせるのでしょう。
ロム男君は、あくまでも弘安2年に宋朝が存在したから出せたとでもいうのでしょうか?(苦笑)


まったく回答になっていません。なにか書けばよいというものではないよ(笑)
「忘れ物です。」とか書かなければよかったね。



それから、
>「牒状の旨前々の如し」とは、どの牒状を指して書いてあるのでしょう?(苦笑)これを、牽強付会と言うのです。


これはウィキペディアの元寇をみればすぐわかりますね(笑)

第六回使節
1272年(文永9年・至元9年)5月、元使の趙良弼らが6度目の使節として再び来日。

第七回使節
1275年(建治元年・至元12年)2月、クビライは日本再侵攻の準備を進めるとともに日本を服属させるため、モンゴル人の礼部侍郎・杜世忠を正使、唐人の兵部侍郎・何文著を副使とする使節団を派遣した[203][204]。通訳には高麗人の徐賛、その他にウイグル人の刑議官・徹都魯丁(サトウルテン)、果の三名が同行した。


それから、これに関して以前、


>>余談ですが、この評定の際、問題になったのは亡宋の旧臣が直接日本の帝王に書を出しているのは無礼だという点が問題になったそうです。

と書きましたが、これは北条時宗(吉川弘文館)から引用したものです。


この「亡宋の旧臣」とは、鎌倉年代記の弘安2年の「6月25日 大元将軍夏貴、范文虎、使周福、楽忠、渡宋僧本暁房霊杲、通事陳光等を相具して着岸す。」の范文虎なのです。

これで納得できましたか?(笑)



さて、ロム男くんが、最初に言った「鹿山略記]のことはだんだん都合が悪くなってきたようです(笑)


>円覚寺建立に着工したのが、弘安元年で、本格的に造立が始まったのが、弘安2年以降、落慶が弘安5年12月8日と云うことですよね。寺名の由来が、造営現場から『円覚経』が発見されたと云う縁起になっております。
これは、あくまでも伝承なので正確なところは分かりませんが『新池御書』が弘安3年の系年を持っていますので、大聖人が書かれたと云う「猿」のように放埒な、円覚寺の坊さんが、鎌倉を跋扈していたとは、とても考えられないことです。』

と書いていたそうですが、それは見ていなかったな、悪い。


関連して、

>弘安元年から着工して、本格的に堂宇の建設に入るのが弘安2年以降とすれば、弘安3年の系年を持つ『新池御書』の記載に疑問が残ると云うことです。


と仮定を書いているのですが、しかし、こちらが主張するように、


「また、ウィペディアでは「時宗と蘭渓道隆とが寺を建てる場所を探している際、現在の円覚寺がある場所に至り地面を掘った所、地中から石櫃(いしびつ)に入った円覚経という経典が発掘されたことによるというが(『本朝高僧伝』等による)、これは建長寺開山と因縁つけようとした意図のある伝説であると円覚寺はみている。」とありますが、時宗は蘭渓道隆を開山にして一寺を建立しよう思っていたのです。ですから、かなり弘安元年の前から計画があったことが伺われます。ウィキペディアの弘安元年(1278年)から創建を始めたという記事は、間違いではないでしょう。
まあ、ウィキペディアがすべて正しいとは言いませんし、間違いもあるでしょうが、今回の引用部分は精度が高いと思われます。」


とすでに弘安元年から工事にかかれば弘安2年には堂宇のいくつかは完成していたでしょう。
2年でできることは、ロム男君も認めています。


また、新池御書の記述は「建長寺・円覚寺の僧共」ですから、円覚寺だけと言うのもロム男君は自らに都合よく書いているのでしょうな(笑)


以上、1度にまとめるため引用が前後になっていますが、結局ロム男君は、国と国の外交関係と捉えているのですがこちらはそうではないことを指摘している訳です。

その認識の差が、今回の最大の問題でしょう。


さて、お知らせです。

明日は所要につき、夜遅くなります。
このため返事ができない可能性が高いことを断っておきます。


また進歩したアホ達が逃げたとか言い出しそうですね(笑)
 

「当時の身延は氷河期であり、楠木の大木は無かった」を破折

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 3日(水)21時25分18秒
返信・引用
  あるインターネットのホームページに、弘安二年の大御本尊を誹謗(ひぼう)する内容の記事が掲載されていた。


 その中で目に付いたのが、「鎌倉時代の身延には楠木(くすのき)は存在しなかった」として、素材が楠木で造立されている大御本尊を後世の偽作であるとする疑難であった。



 そもそも「楠木が当時の身延には存在しなかった」との疑難は、過去において身延の安永弁哲なる僧が言い始めたものであるが、その後も、当宗を誹謗せんとする者からたびたび同様の疑難が起こっている。



 だが、実際には、身延山久遠寺の境内には楠木の大木が何本もあり、また、身延山の入り口に位置する大野山本遠寺には、町の天然記念物に指定された古木まで存在する。



 こうした事実から、少なくとも、〝身延は寒冷の地であり、楠木は育たない〟といった単純な疑難は、簡単に払拭されよう。



 そのためか、インターネット上では、「鎌倉時代の身延は小氷期であり楠木が自生できる気候ではなかった」「身延周辺には自生の楠木はない」「日蓮一門に経済力がなかったため、他から楠木を調達することは不可能だった」「日蓮一門に楠木加工・漆加工・金箔加工ができる経済力はなかった」等々、一見もっともらしく見える理由をつけて、大御本尊を誹謗しているのである。



 インターネット上にてこのような虚偽を掲載していれば、少なからず真(ま)に受ける人もいるだろう。そこで、まず、これら疑難の中の「鎌倉時代の身延は小氷期(※小氷河期ともいう)であり楠木が自生できる気候ではなかった」について破折する。



 ネット上の誹謗者は、



 「日本の小氷河期については『残念なことに、日本には気温変動を直接示す資料はないが、九州の南の屋久島に生育する屋久杉の年輪中に残された酸素の同位体O18の分析結果をみれば、十三世紀に入ると日本付近における気温低下が始まっていることがわかる』(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』一一頁)

として、屋久杉中の酸素同位体O18の経年変化グラフから、日本では十三世紀から小氷河期に入っていたとする説を唱えている。『小氷期と異常気象・地球は寒くなるか』の著者・土屋巌氏も一九七三年に中国の気象学者・竺可楨が発表した最近一千七百年の世界の温度推移として、雪の日付、河川の結氷、鳥の渡り、植物の開花、発芽という現象からとった中国の温度推移と、グリーンランドの氷河の氷柱から得た温度推移のグラフを載(の)せており、それによれば中国では十二世紀から十七世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏二度低くなっており、グリーンランドでも十二世紀から十八世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏一度低くなっていることがわかる。地球は十九世紀ころから温暖化の傾向を示してきており、現在の身延山に楠木があることが、小氷期の十三世紀・鎌倉時代の身延山に楠木が自生していた証明ではないことは明白である」



と、学者の見解を引用し、いかにも鎌倉時代が小氷期という低温期であり、楠木が身延山近辺に生息できないと決定づけているが、果たして本当にそのようなことが言えるのか。



 過去における地球の気候の変動については、近年の温暖化現象もあり急速に研究が進められているが、いまだ途上段階であり見解もさまざまである。例えば、ヨーロッパではブドウの収穫日、日本では観桜記録や諏訪湖の結氷記録、米の作柄指数など、過去の気候に関連する事柄から推測はできても、それが一部地域に限定したものなのか、それとも地球全体として見るものなのかは、いまだ学者によって意見が分かれているのだ。



 日本の気候においては、六百年周期で気候の寒暖を繰り返しているというが、寒暖の時期を明確に区別することはできていない。ただし、平安時代以前を寒冷期、平安中期から鎌倉期までは温暖期、室町時代から江戸時代は寒冷期と区分けすることが多い。



 問題となる鎌倉時代については、鎌倉時代全体を温暖期とする説、また鎌倉後期から寒冷期が始まったとする説もある。



 以上のように、鎌倉時代は小氷期と定まってなどいないのが実際であり、誹謗者のごとく、屋久杉の経年変化だけをもって鎌倉時代が小氷期であった等と断定するのは暴論である。



 さらにいえば、大御本尊に使用された楠木が、かなりの樹齢を経(へ)た大木であることから、注目されるべきは、むしろ鎌倉時代以前の生育環境であろう。その時代が温暖期であったことはほぼ確実なので、誹謗者の邪難はこの点からも崩壊している、といえる。



 あの手この手で大御本尊を中傷誹謗してくる輩(やから)が後を絶たないが、これらネット上に蔓延(まんえん)する怪情報に惑(まど)わされてはならない。


以上、慧妙より抜粋

 

0001今も活動家殿

 投稿者:代行管理人  投稿日:2013年 4月 3日(水)18時36分39秒
返信・引用
  貴殿の投稿は毎回、同一内容の貼り付けです。

同じ貼り付けをこれ以上されても意味が無いでしょう。

もう少し工夫されたらいかがですか?

相手は図星を突かれ返答も回答も出来ぬ阿呆なんですから・・。



 

sk261Re: 本山、素晴らしかったです!

 投稿者:0001今も活動家。  投稿日:2013年 4月 3日(水)15時58分22秒
返信・引用 編集済
  > No.4224[元記事へ]

池田教徒は退転者さんへのお返事です。

下記意見を支持します。

> 田中洋介さんへのお返事です。
>
> 久しぶりの大石寺参拝、おめでとうございます!
> そして連合会総会の大成功、おめでとうございます!
>
>
> 僕は、生まれた時から創価学会員(3世)でした。
>
> 去年まで、ずっと日蓮正宗(当時は日顕宗といっていました)を誹謗してきました。
>
> 池田先生を人生の師匠と仰ぎ、学会活動に励み、それが正義だと信じて、宗門撲滅のために戦ってきました。
>
> その時は、創価学会が勝手に日寛上人の御本尊をパソコンに画像をおとして改ざんして作っていたとは、まったく知りませんでした。
>
> 「C作戦」や「シアトル事件」も学会の嘘だと知った時は愕然としました。
>
>
> 御本尊を勝手に作成することは、かつて池田先生が「絶対にしてはならない」と言ってきたことでした。
>
> 以下の池田先生の指導を読んでいただければ、今の創価学会の「ニセ本尊」が、いかに恐ろしい魔物か、わかっていただけると思います。
>
>
> ≪破門前の池田先生および創価学会の思想≫
>
> 「折伏教典」(昭和43年9月16日 改訂29版発行)
> 「発行所:宗教法人創価学会」より
>
>
> P.335-336
> 勝手に作製した本尊に題目を唱える。
> どれが大聖人の教えにかなった本尊であるか、全く知ることができない。
> ゆえに、仏法を求める人は、ただ「南無妙法蓮華経はありがたい」と言って『一番大切な信仰の対象たる本尊』を知ろうとせず、邪宗邪義により、ついに「地獄」に落ちていくのが、現在の「南無妙法蓮華経」を唱えている宗教である。
> 大聖人の題目を利用して、人を不幸にする「悪魔の所為」である。
> 題目を唱えれば「対象」は何でもよいということは絶対にない。
> それは、大聖人を、「悪(あ)しく敬(うやま)う」どころか、仏説に反対するがゆえに、大聖人に弓(ゆみ)を引いていることになる。
> 大聖人の仏法は、「三大秘法」である。この「三秘整足」しない宗派は、邪宗邪義である。
>
>
> P337
> 大聖人のご生命たる御本尊が根本である。
> それが違っていて、どうして題目だけでよいといえようか。本尊を誤れば、たとえ題目を唱えようとも、無間地獄、疑いないのである。
> 日蓮大聖人のご本懐は、弘安二年の大御本尊の建立である。
> この御本尊に対したてまつって唱える題目以外の題目は、すべて、仏説に反することは明らかである。
>
>
> P338
> 正しい御本尊なき題目は無益であり、「地獄へ行く直道」をつくっているのである。三大秘法の御本尊に対し、三大秘法の題目を唱えたてまつるは、日蓮正宗のみである。日蓮正宗によって初めて広宣流布、戒壇建立がなされるのである。
>
>
> P339-341
> 電球が本物でも、電流が流れてこなければ光は出ないように、御本尊が大聖人のご真筆(しんぴつ)であっても、富士大石寺の大御本尊を拝(おが)まないものは、すべて謗法(ほうぼう)である。
> 一切をささげて、南無したてまつる本尊であるから、総本山においては、ご相伝(そうでん)により、代々の御法主(ごほっす)が、おしたためあそばされるものであり、「三大秘法抄」、「観心本尊抄」等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが、大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。
> これは、「不相伝(ふそうでん)」なるがゆえに、仏法の深義に迷うのであって、「不相伝家は、みな、本尊に迷う」ということができる。
>
>
> P342-343
> 大聖人の仏法を修行するならば「南無妙法蓮華経」の「法(ほう)本尊」と、「大聖人ご自身」である「人(にん)本尊」、この「人法(にんぽう)一箇(いっか)」である、一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)の『本門戒壇の大御本尊』に向かって、唱題修行する以外にないのである。
> これを知らずして絵像等を拝むことは、大聖人の教えに反する邪義であり「堕(だ)地獄(じごく)の因(いん)」となる。
>
>
> P345-346
> 大御本尊を「マネた本尊」をかつぎだす「付属(ふぞく)」のないものは、「偽札(にせさつ)本尊」という。
> 信仰してもよくならないと「信仰が足りないからだ」と無知な信徒のせいにする。
> それを対象として、どんなに拝(おが)んだところで幸福はなく、かえって「悪道に陥(おちい)る」のである。
>
>
>
> これが、池田先生および創価学会の主張でした。
>
> 戸田先生の子孫全員をはじめ、次第に宗門に戻ってこられる学会員が増えてきました。
>
> 僕は、ずっと日蓮正宗を誹謗してきたので、宗門に入信したからといって、すぐに罪を消せるわけではありません。
>
> 今から罰を受けながら、正法誹謗の罪を消していくことになります。覚悟のいることですが、保身のために学会に居座って、無間地獄に堕ちる選択をしなくて救われた思いです。
>
> 「日蓮大聖人の出世の本懐」である『本門戒壇の大御本尊』に、創価学会のみなさんが一刻も早く参詣し、正法誹謗の罪を消して一生成仏できることを願っています。

sk261Re: 本山、素晴らしかったです!

 

sk260ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ

 投稿者:0001今も活動家。  投稿日:2013年 4月 3日(水)15時51分49秒
返信・引用
  ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ

お前らに、

「悔しかったら、池田大作への下記意見に対して、反論してみろ。」

と言ったが、

だれも、「池田大作」の言葉を書いた文書がないではないか。

やはり、お前らは、この掲示版を監視している創価学会本部の職員だな。

かわいそうに、創価学会本部に、「池田大作」の言葉を書くことを許可されなかったのか。

やはり、お前らは、創価学会本部職員のドアホ無能集団だ。

池田大作の正体

池田大作は、なぜ、過去に大謗法の8体の御本尊模刻ができたのか。

信心があるのなら、仏罰が怖くて、本来なら、

本尊模刻などできないはずだが。

この疑問の答は、簡単である。

池田大作は、全く信心がないからである。

つまり、池田大作は、全く信心がないから、仏罰を信じていない。

だから、池田大作は、大謗法の8体の御本尊模刻ができたのである。

しかし、仏法は、厳しい、

今、池田大作は、「にせ本尊」を発行するという大謗法も犯したので、

頭破七分の仏罰を受けている。

また、池田大作に騙されて、「にせ本尊」を拝んでいる創価学会員も仏罰を受けている。

池田大作は、信心は全くないが、日蓮正宗の信心を利用すれば、

創価学会員から、莫大な金を搾取できること知っているので、それを実行した。

池田大作が、なぜ、本尊を書写しないかの理由も簡単である。

池田大作は、バカではない。たとえ、池田大作を尊敬している創価学会員と言えども、

池田大作書写本尊を、拝む創価学会員は、皆無に等しいことを

池田大作は、知っているからである。

池田大作が、本尊を書写し、発行したら、金づるの創価学会員が、

創価学会から去ることを池田大作自身がだれよりも、認識しているからである。

だから、池田大作は、本尊を書写しないのである。

池田大作は、本尊を書写・発行して、金づるの創価学会員を脱会させるほどバカではない。

発行する本尊が、日蓮正宗歴代の御法主上人猊下書写本尊ならば、

たとえそれが「ニセ本尊」でも、

創価学会員は、そのニセ本尊を拝み、金を出すことを、池田大作は、十分知っているのである。

日蓮正宗歴代の御法主上人猊下書写本尊以外の本尊では、

創価学会員は、拝まないことを池田大作は、十分知っている。

池田大作書写本尊では、少数の池田本仏論の創価学会員以外は、

拝まないことを池田大作は、十分知っている。

池田本仏論の創価学会員が、何人いるかを池田大作は、十分知っている。

創価学会が発行している「にせ本尊」は、日蓮正宗26世御法主日寛上人猊下書写本尊を

改ざんした本尊である。あくまで、日蓮正宗御法主上人猊下書写本尊である。

日蓮正宗御法主上人猊下以外の宗派の、御法主上人猊下書写本尊では、

創価学会員は拝まないのである。

御法主日寛上人猊下は、あくまで、日蓮正宗26世御法主上人猊下である。

御法主日寛上人猊下は、他宗の御法主上人猊下ではない。

sk260ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ

 

sk259ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ

 投稿者:0001今も活動家。  投稿日:2013年 4月 3日(水)15時50分34秒
返信・引用
  ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ

お前らに、

「悔しかったら、池田大作への下記意見に対して、反論してみろ。」

と言ったが、

だれも、「池田大作」の言葉を書いた文書がないではないか。

やはり、お前らは、この掲示版を監視している創価学会本部の職員だな。

かわいそうに、創価学会本部に、「池田大作」の言葉を書くことを許可されなかったのか。

やはり、お前らは、創価学会本部職員のドアホ無能集団だ。


池田大作は、間違いなく、今年、仏罰で地獄に墜ちる。

現代の一凶である池田大作は、
間違いなく、今年、仏罰で地獄に墜ちる。

日蓮大聖人の出世の本懐である大石寺の本門戒壇の大御本尊を否定した
池田大作が、地獄に墜ちなければ、日蓮大聖人の仏法は虚妄になる。

「にせ本尊」を作ることは、大謗法である。
「にせ本尊」を作るという大謗法を犯した池田大作は、間違いなく、
今年、仏罰で地獄に墜ちる。

創価学会発行の「にせ本尊」への祈りは、間違いなく地獄に墜ちる祈りです。
「にせ本尊」への祈りは、やめなさい。

支部婦人部長のご主人とご子息が相次いで、飛び降り自殺した事実を
真剣に認識すべきです。

sk259ドアホ無能集団のマサシ絶倫・冷笑者・黒川Q太郎・亀太郎・ブクロの寛・ 阿部日ケ~ン(院政)・THJ・ 宿坊へ
 

sk258「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人へ

 投稿者:0001今も活動家。  投稿日:2013年 4月 3日(水)15時49分24秒
返信・引用
  「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人

早く、掲示版の名称を実態に合わせて、書き直せ。

「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」は間違い

「創価学会脱会推進委員会 の 意見を批判する掲示版」の名称が正しい。

「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人、早く名称を書き直せ。


sk258「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人へ


「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」の
掲示主旨に反している掲示が目立ちますので、削除願います。

それとも、掲示版の名称を、今の掲示版の掲示内容に合わせて
「創価学会脱会推進委員会 の 意見を批判する掲示版」の名称に変えますか。

下記の阿部日ケ~ン(院政)さんの意見「この掲示板の目的」は間違いですか。

今も活動家。さんへ

投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013年 1月30日(水)14時14分15秒

横槍になるかもしれませんが初期から長年投稿させていただいている身として意見を述べます。

この掲示板の目的は貴殿のような日蓮正宗門徒が創価学会員さん側に
「大石寺の正統性を証明する」つまり、
日蓮正宗門徒さんが反論参加できるオープン掲示板として始まっています。

扱う内容は、フェイク等の情報にかぎらず、ネット上の日蓮正宗門徒さんが書き込んだ
教学系の投稿にもおよび、日顕・日如の発言、大石寺僧俗反社会的発言や行動を扱って
対創価学会の詐術として日顕が主張しだした大石寺の正当性(だから日顕御用達と表現)の真贋を問う掲示板なのです。

したがって日蓮正宗門徒である「今も活動家。」さんが負うべきは学会員への質問ではなく学会員への回答なのです。

ご理解いただければ幸いです。


sk258「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人へ

掲示版の名称を「創価学会脱会推進委員会 の 意見を批判する掲示版」の名称に変えた方が、

今の掲示版の掲示内容に合っていますよ。

sk258「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」のドアホ管理人へ

 

sk257阿部日ケ~ン(院政)へ

 投稿者:0001今も活動家。  投稿日:2013年 4月 3日(水)15時47分22秒
返信・引用
  創価学会で下付しているのは日蓮正宗のものではありません。
自前で下付しているのですから筋が通っていますね。
それを書き加えているだの消しているだのと御本尊様そのものにケチをつけているのは
日蓮正宗です。

との、阿部日ケ~ン(院政)の意見ですが、

相手の意見を理解していませんね。

創価学会で下付している本尊は、日蓮正宗26世御法主日寛上人猊下書写本尊を改ざんした

「にせ本尊」だと言っているのですよ。

池田大作書写本尊なら文句は言わない。

なぜ、創価学会は池田大作書写本尊ではなく、

日蓮正宗御法主上人猊下書写本尊を改ざんした「にせ本尊」を発行するのですか、

池田大作書写本尊では、金づるの創価学会員が脱会するからですよ。

ついでに、創価学会が使用している御書は、だれが編者ですか、

日蓮正宗59世御法主日亨上人猊下ですよ。

現在も、創価学会の本尊・御書、すべて日蓮正宗のですよ。

日蓮正宗に寄生しなければ創価学会は存在できないのですよ。

この意見に対しての阿部日ケ~ン(院政)のご意見をお聞きしたい。

それと、

現在の日蓮正宗寺院の半分以上が日蓮正宗の信徒団体の寄進である。

その通りです。

創価学会も日蓮正宗の信徒団体ですよ。当時は。

sk257阿部日ケ~ン(院政)へ
 

2011年 第33回 妙観講総会 於・大石寺

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2013年 4月 3日(水)10時45分31秒
返信・引用
  http://youtu.be/iJHyd0dy0ak  

精神の老化現象とは

 投稿者:ふいふい  投稿日:2013年 4月 3日(水)00時34分25秒
返信・引用
  アホ日よ、お前のことだ!精神科へ行きましょう。  

円覚寺の建立について、(4)

 投稿者:れきし  投稿日:2013年 4月 2日(火)21時02分21秒
返信・引用 編集済
  さてさて、アホ学会員(関西人はバカよりアホの方と表現する方がよいらしい)はずっと掲示板に張り付いているのだろうか。暇な人物たちである。(笑)・・・・1字誤字訂正済


しかし、ロム男くんは、れきしさんと言っているので、礼儀上、ロム男さんと言うことにしましょう。

アホのロム男さん、なにか変な感じですが(笑)


さて、書いていることが多いのですが、話を整理すると、もともとは新池御書を偽書とする根拠にロム男さんが使用した下記の記事に信憑性があるかないかということです。


臘月8日 [鹿山略記]
弘安二年時宗工匠を大宋国に渡し、径山諸堂の規模を学ばしむ。本朝に帰り以て円覚寺を造立す。弘安五年壬午造畢なり。その美麗観るべし。同年臘月八日、平公佛光禅師を拝誦し、剏業第一祖と為すと云々。」



こちらは、「鎌倉幕府は宋が実質的に滅び円覚寺がある都の臨安(杭州)が元の支配下にあることを認識していたから、大宋国と表現しているのは信憑性に疑問があり、この文書をもって新池御書を否定するのは間違いである。」と主張しているのですが、この学会員は、幕府が認識したのは「宋の滅亡を知ったのは、弘安2年7月25日なのですよ!」と主張しているのです。


そのために今まで鎌倉幕府が認識していたか、いなかったかを主張し合っているということです。



彼の今回のカキコを見ますと、それに関連するのは以下のとおりです。
こちらの過去の発言が、>>印で、今回の学会員の発言は>印で記載しています。



>>『円覚寺が伽藍を見習った径山があった臨安(杭州)も元の版図であったことを3年も知らなかったとは常識では考えられず、幕府は認識していたと判断されます。もっとも常識が通じないからバカ学会員と言うのですが(笑)』

>↑まったく史実を踏んでいませんね。


そうか?
いやいや、まあ、時宗の使者が密入国したなら別ですが、1276年には日本の貿易船が無事帰ってきた。そして1277年から元は自らの市舶司を置いて日本商人の貿易を認めた。元への出入国は、元の市舶司もとに行われたのですよ。(笑)


十分、史実に基づいているのですが、弘安元年(1278年)まで幕府は知らなかったと、ロム男さんは駄々をこねています。
本当のアホですね。



>弘安元年に建長寺の蘭渓道隆が亡くなり、時宗は直ちに使者を南宋国に送り、変わりの高僧の派遣を依頼しております。
諜報活動を行っていた、いないに関わらず、まだ、弘安元年弘安2年は、幕府の認識は宋と云う国です。
>彼の言い分では、弘安元年に使者を大元に送り、大元の認可の下、無学祖元を大元が日本に送ったことになります。
>2国間での交流に、そんなバカなことはありえませんし、僧は、交易船に乗り往来をしていたことを考えると、工匠が弘安2年の時点で、宋に派遣されたと云う記述には、まったく問題ありません。(苦笑)


アホのロム男さんにはとっては、残念なお知らせです(笑)
「まだ、弘安元年弘安2年は、幕府の認識は宋と云う国です。」と言っていますが、アベヒ君が出したHPには日付は書いていませんが弘安2年の欄に、

* [鎌倉大日記]
時宗大元に使を遣わし禅僧有名の者を招く。明州太守祖元を以てこれに充つ。

とあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/nendai/127900.html

ちゃんと大元とあります。弘安2年には大元と認識していたのです。


もっとも、彼らの主張によりますと「宋の滅亡を知ったのは、弘安2年7月25日なのですよ!」と力説していましたから、これも弘安2年7月25日以降の出来事だというでしょう。(ただしアホのロム男さんの説では、7月10日以降となります。)


ところで、無学祖元は弘安2年8月に建長寺の住持になっています。
それでは、最短7月10日に使者を派遣して8月に住持になるための日本と中国の往復日数をアホのロム男さんが示してくれると思います。(笑)


新池御書では鎌倉と京都は12日とありますが、鎌倉と京都は10日から12日くらいかかるのでしょう。
さて鎌倉京都の往復で7月は終わります。後最大31日間で無学祖元を招きに中国まで行き京都まで戻ってこなければいけません。


行く時、風は逆風だよ。がんばれロム男さん(笑)
だから、「アベヒ君がバカなこと言い出すから」と言っているのに(苦笑)


からかうのは止めておきますが、弘安元年に使者を派遣したというのは、言った記憶がないし、そのような事実は初耳です。
西澗子曇(せいかんすどん)のことでしょうか。



>彼の言い分では、弘安元年に使者を大元に送り、大元の認可の下、無学祖元を大元が日本に送ったことになります。


許可が言ったのかどうかは知りませんな。(笑)
許可が言ったら、7月10日に派遣した使者はますます8月中に無学祖元を連れてこれなくなるのだが(苦笑)



以下、彼が言っている、そのほかのことについて述べます。

>>『「勘仲記」の記事はこの人物も認めているように、鎌倉から朝廷へ書が届いたということです。(ただし、「宋朝の牒状」ではなく「大元の牒状」、牒状はここでは「国書」の意味)この「仙洞に於いて評定有り」ですから亀山上皇のもとで行われたのでしょう。この「勘仲記」をもって言えるのは、朝廷が宋が完全に滅亡したことを知ったと言えますが、幕府の認識までは断定できません。』

>『勘仲記』の「宋朝の牒状関東より去る夕到来す」との記述通り、宋朝から届いた牒状ですね。それを「大元の牒状」だとするのは、牽強付会以外ありません。


ロム男さんにとって残念ですが、この文章の宋朝を大元と誤りを指摘したことが気に入らないようですが、宋の残党が一掃された崖山の戦いは、1279年3月19日でから、1279年7月25日に、宋朝の使節が来ることはありえません(笑)


[勘仲記]の文章をもう一度記載します。

7月25日 晴 [勘仲記]
「殿下に参り、次いで信輔に謁す。宋朝の牒状関東より去る夕到来す。今日仙洞に於いて評定有り。殿下已下皆参る。左大弁宰相(束帯)牒状を読み申すと云々。伝聞の如きは、宋朝蒙古の為にすでに打ち取らる。日本これ危うし。宋朝より告知せらるの趣か。今日人々の議一揆せずと云々。」


「伝聞の如き」とあくまでも伝聞なのです。間違って記載されていても不思議ではありません。


この7月25日の記事の前、「6月25日 大元将軍夏貴、范文虎、使周福、楽忠、渡宋僧本暁房霊杲、通事陳光等を相具して着岸す。牒状の旨前々の如し。博多に於いて斬首す。」とあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/nendai/127900.html

これが勘仲記に記載されている牒状(国書)なのです。


関連して、


>要するに、鎌倉幕府が、元を宋に代わる国家と認めていたかいないかの問題です。
>日本征服を企てる元を、幕府は交渉相手とは認めていなかったのでしょう。
>弘安2年に、蒙古の使者を鎌倉に上らすことなく博多で斬首してるのは、その証拠ですね。(笑)


この人物も認めているように元の使者は斬首されていますが、その理由は、鎌倉年代記 弘安2年6月25日の記事にあるように「牒状の旨前々の如し。」であって、交渉相手と認めていなかったのではなく、服属を求められ交渉の余地がないからなのです。


それから、黒川さんは関係ありません。黒川さんは話が終わっています。テーマは最初に述べたとおりで、あくまでもこちらとロム男さんとの問題です。


本題とは違うことに話をそらして逃げないように。(苦笑)
もっとも、アベヒ君は君の助っ人のようですが、Q太郎君は単なるアホのようですな(笑)


あまり関係のないところは、この当たりの返書でいいでしょう。


次に、円覚寺について、


この人物は、円覚寺創建の経緯が、『北条時宗の決断(蒙古襲来を歩く)』森本潔(東京書籍)を引用しているのです。
長いので肝心な部分だけ引用します。


>時宗はなんとかして、この国師・祖元の帰国を思いとどまらせようとした。
そこで時宗は、すぐさまこの年(弘安四年)から円覚寺の創建に着手して、翌五年十二月八日にその開堂供養を行ない、祖元を開山第一世の住持とした。開基檀那は、いうまでもなく鎌倉幕府の執権北条時宗である。


確かにその説もあるのですが「北条時宗」(吉川弘文館)によると、彼が書いた説は、


「無学の語録八に望郷帰国の念を思いを述べた偈頌(げじゅ)があるところから時宗がそれを止めようとして新寺建立を発起したと意見がある。まったく否定はできないが、その偈頌(げじゅ)の年次も確定できないし、今はそのようなことも考えられる、としておこう。」と言って実質的に退けています。残念(笑)


ウィペディアでも、

「鎌倉幕府8代執権北条時宗は弘安元年(1278年)から文永の役の戦没者の菩提を弔うためと、己の精神的支柱となった禅道を広めたいと願い円覚寺創建を始めた。弘安5年に落慶したがその間、文永の役に続いて弘安の役も起き、弘安の役での戦没者の慰霊も円覚寺の役目となった。「また、中国に帰国しようとしていた無学祖元を引き止めようとしたという事情もあった。」とありますが、「中国に帰国しようとしていた無学祖元を引き止めようとした」とありますが、主因とは言えません。


もう一つ重要なことは、無学祖元は円覚寺の住持ですが建長寺の住持も兼ねていました。
ところが兼務2年で、建長寺専任となっています。無学のために建てたとすると変な話ですね。


また、ウィペディアでは「時宗と蘭渓道隆とが寺を建てる場所を探している際、現在の円覚寺がある場所に至り地面を掘った所、地中から石櫃(いしびつ)に入った円覚経という経典が発掘されたことによるというが(『本朝高僧伝』等による)、これは建長寺開山と因縁つけようとした意図のある伝説であると円覚寺はみている。」


とありますが、時宗は蘭渓道隆を開山にして一寺を建立しよう思っていたのです。
ですから、かなり弘安元年の前から計画があったことが伺われます。
ウィキペディアの弘安元年(1278年)から創建を始めたという記事は、間違いではないでしょう。


まあ、ウィキペディアがすべて正しいとは言いませんし、間違いもあるでしょうが、今回の引用部分は精度が高いと思われます。




次に建長寺について、この人物は下記のように言っています。


>建長寺も着工後2年で、落成法要を行っているので、円覚寺も2年で完成させるのは可能であると云うことです。

吾妻鏡では、建長寺の造営については建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとありますが、ウィキペディアによると「造営開始時期については建長元年(1249年)ないし2年からとする異説もあるが、おおむね建長元年(1249年)頃から造営の準備がなされ、同5年(1253年)に完成したとされる。」とあり、この人物には都合は悪いでしょうが、おそらく一般的な学説なのでしょう。
やはり5年くらいかかるのです。

なお、ロム男さんと単なるアホのQ太郎君へのお知らせです。

1日1回しか書かないから、その日のうちに回答しなくても結構です。遁走したとか言わないから(笑)
お互いあまり無理をしないようにしましょう。

 

Re: 本山、素晴らしかったです!

 投稿者:池田教徒は退転者  投稿日:2013年 4月 2日(火)15時15分55秒
返信・引用
  > No.4223[元記事へ]

田中洋介さんへのお返事です。

久しぶりの大石寺参拝、おめでとうございます!
そして連合会総会の大成功、おめでとうございます!


僕は、生まれた時から創価学会員(3世)でした。

去年まで、ずっと日蓮正宗(当時は日顕宗といっていました)を誹謗してきました。

池田先生を人生の師匠と仰ぎ、学会活動に励み、それが正義だと信じて、宗門撲滅のために戦ってきました。

その時は、創価学会が勝手に日寛上人の御本尊をパソコンに画像をおとして改ざんして作っていたとは、まったく知りませんでした。

「C作戦」や「シアトル事件」も学会の嘘だと知った時は愕然としました。


御本尊を勝手に作成することは、かつて池田先生が「絶対にしてはならない」と言ってきたことでした。

以下の池田先生の指導を読んでいただければ、今の創価学会の「ニセ本尊」が、いかに恐ろしい魔物か、わかっていただけると思います。


≪破門前の池田先生および創価学会の思想≫

「折伏教典」(昭和43年9月16日 改訂29版発行)
「発行所:宗教法人創価学会」より


P.335-336
勝手に作製した本尊に題目を唱える。
どれが大聖人の教えにかなった本尊であるか、全く知ることができない。
ゆえに、仏法を求める人は、ただ「南無妙法蓮華経はありがたい」と言って『一番大切な信仰の対象たる本尊』を知ろうとせず、邪宗邪義により、ついに「地獄」に落ちていくのが、現在の「南無妙法蓮華経」を唱えている宗教である。
大聖人の題目を利用して、人を不幸にする「悪魔の所為」である。
題目を唱えれば「対象」は何でもよいということは絶対にない。
それは、大聖人を、「悪(あ)しく敬(うやま)う」どころか、仏説に反対するがゆえに、大聖人に弓(ゆみ)を引いていることになる。
大聖人の仏法は、「三大秘法」である。この「三秘整足」しない宗派は、邪宗邪義である。


P337
大聖人のご生命たる御本尊が根本である。
それが違っていて、どうして題目だけでよいといえようか。本尊を誤れば、たとえ題目を唱えようとも、無間地獄、疑いないのである。
日蓮大聖人のご本懐は、弘安二年の大御本尊の建立である。
この御本尊に対したてまつって唱える題目以外の題目は、すべて、仏説に反することは明らかである。


P338
正しい御本尊なき題目は無益であり、「地獄へ行く直道」をつくっているのである。三大秘法の御本尊に対し、三大秘法の題目を唱えたてまつるは、日蓮正宗のみである。日蓮正宗によって初めて広宣流布、戒壇建立がなされるのである。


P339-341
電球が本物でも、電流が流れてこなければ光は出ないように、御本尊が大聖人のご真筆(しんぴつ)であっても、富士大石寺の大御本尊を拝(おが)まないものは、すべて謗法(ほうぼう)である。
一切をささげて、南無したてまつる本尊であるから、総本山においては、ご相伝(そうでん)により、代々の御法主(ごほっす)が、おしたためあそばされるものであり、「三大秘法抄」、「観心本尊抄」等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが、大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。
これは、「不相伝(ふそうでん)」なるがゆえに、仏法の深義に迷うのであって、「不相伝家は、みな、本尊に迷う」ということができる。


P342-343
大聖人の仏法を修行するならば「南無妙法蓮華経」の「法(ほう)本尊」と、「大聖人ご自身」である「人(にん)本尊」、この「人法(にんぽう)一箇(いっか)」である、一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)の『本門戒壇の大御本尊』に向かって、唱題修行する以外にないのである。
これを知らずして絵像等を拝むことは、大聖人の教えに反する邪義であり「堕(だ)地獄(じごく)の因(いん)」となる。


P345-346
大御本尊を「マネた本尊」をかつぎだす「付属(ふぞく)」のないものは、「偽札(にせさつ)本尊」という。
信仰してもよくならないと「信仰が足りないからだ」と無知な信徒のせいにする。
それを対象として、どんなに拝(おが)んだところで幸福はなく、かえって「悪道に陥(おちい)る」のである。



これが、池田先生および創価学会の主張でした。

戸田先生の子孫全員をはじめ、次第に宗門に戻ってこられる学会員が増えてきました。

僕は、ずっと日蓮正宗を誹謗してきたので、宗門に入信したからといって、すぐに罪を消せるわけではありません。

今から罰を受けながら、正法誹謗の罪を消していくことになります。覚悟のいることですが、保身のために学会に居座って、無間地獄に堕ちる選択をしなくて救われた思いです。

「日蓮大聖人の出世の本懐」である『本門戒壇の大御本尊』に、創価学会のみなさんが一刻も早く参詣し、正法誹謗の罪を消して一生成仏できることを願っています。
 

本山、素晴らしかったです!

 投稿者:田中洋介  投稿日:2013年 4月 2日(火)08時54分43秒
返信・引用 編集済
  0001今も活動家。さんへのお返事です。

ご報告が遅くなりました。

数年ぶりの大石寺、懐かしさで三門を見た時には思わず涙があふれてきました。何十年ぶりでしょうか、創価学会が破門される前には必ず一年に数回は登山していた大石寺です。団体バスでの参加でしたが早朝5時に着山、6時から勤行、御開扉は8:30でした。1時間前に列に並びましたので、入ると大御本尊様、猊下様の正面前から7列目に座ることが出来ました。久しぶりの大御本尊、初めての日如猊下のお姿、初めての奉安堂、整備された境内、桜の花もあちこちで見ることが出来ました。本当に宗門に戻ってよかったです。このまま騙されていたら私の人生は地獄だったとつくづく感じた次第です。

それから今まで学会で言われていたことが全てウソということも分かりました。ぺんぺん草、桜の木は無い、体育館のような奉安堂・・・・。これらのことが全部学会員を本山から遠ざけるためのウソだったということが分かりました。時間があったので五重塔の方へ足を向けましたが戸田先生の御墓を発見! そこには誰か知りませんが、たくさんの塔婆が立てられていたのが印象的でした。御影堂の改修工事は屋根だけが見えていました。本年11月に完成するとのことです。

総会の体験発表で法道院の方が苦しい中を唱題してたくさんの方を折伏されお寺の900名の目標を達成されたとのことです。私たち三名も見習い一人でも多く近所の学会員の折伏に邁進することを大御本尊様にお誓い申し上げました。

簡単で御座いますが、ご報告まで・・。
また時々お邪魔させて頂きます。






 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/77 


[PR] アガリクス