典礼違反
駄目だし本 イシドロ・リバス神父
最近、私の購入する本はほとんどがネット・ショッピング
昔は、セント・ポールのご常連だったんだけど
購入する本は、典礼・聖人・伝記関係が多い
当たりはずれも多くて、げんなりする本によくあたる
だから、古書!
当たりはずれのない和田幹夫神父様の本
「聖パウロ ーその心の遍歴―」
これは、新品をネットで買いました
で、神父様にサインしてもらっちゃったんだよん♪
書棚に収まらず、無造作に積み上げられた本・・・
あれっ?こんな本がある
「ミサ 神の愛の確認 -不安から希望へー」
イシドロ・リバス著
いつ買ったのかなぁ?
このへんが 実にアバウト!(←私の性格)
ついついまとめ買いしちゃうので
で、いつもの読み方(見方) パラパラとめくる
ところどころ、関心のあるところだけを何気なく、目をとおす
「結婚式のミサ」
結婚式の中で行われるミサの意義について書いてある
「二人が結婚するということは、自分達の誓いの言葉によることです。ミサがなくても誓いの言葉によって夫婦となります。しかしその二人の誓いを神がご自分のものにして、ご自分の愛と名誉にかけて、その二人を守る、生かすということを表すために、結婚式のミサがあります。・・・」
読み進めると、儀式について書いてある どれどれ
「ミサの捧げ方にも意味があります。すなわち誓いの言葉を交わすのは、祭壇の上ではなく、祭壇のふもとです。親や証人のすぐ側で誓いの言葉を交わします。誓いの言葉を交わす時には、向かい合って握手します。二人の手の上に司祭が祭服をかけます。この意味は、二人が結ばれるのは単に二人の意志と言葉だけでなく、神の意志によっても結ばれるということです。・・・」
あれっ うちの教会の結婚式とは ちょっと違う
でも、スペイン人司祭だから、シンボリックなのかな?
それともうちが手抜き?
たしか、誓約の文が書いてある紙を 二人で持ってたよ
「そして夫婦となってから、二人だけが祭壇に上がって祭壇のすぐ近くから、明るい所でミサに与ります。二人は神に迎え入れてもらって、神の国に引き寄せて頂きます。そしていわゆる聖変化の時に司祭がパンを手にしながらキリストに代わって、『これはおまえたちのために渡される私の体です。これはおまえたちのために流されて永遠の契約、決断を表す私の血です』と言います。それはキリストが二人にかけてくれることを表します。」
えーーーっ 祭壇に上がってミサに与る?なにーー??
「御聖体の受け方も普通のミサの時と違います。すなわち普通のミサの時ですと、一人ずつ直接司祭から御聖体を受けます。結婚式の時、司祭は新郎と新婦に御聖体を渡しますが、二人とも司祭から受けてすぐ自分で食べずに、二人でそれを交換します。すなわち彼は彼女からキリストを受け、彼女は彼からキリストを受けることの意味です。」
ありゃー だめだーーー
手で聖体をうけるのも、特例なのに、相手に授ける?
もってのほかーーー!
カトリック失格本 決定!
あぁ、無駄な本買っちゃったーー泣
せっかくだから、もう少しだけ 読んでみるか・・・
「実生活の苦悩とミサ ―― 農民と工業労働者の苦労」
ん?変な小見出し どれどれ
「パンとぶどう酒を捧げるもう一つの意味は、社会的な次元からきます。考えてみますと、パンを作るためには農民が麦畑を耕す苦労がありますが、それと同時に麦をつぶして混ぜて焼くことによってそれをパンに変えるという工業労働者の働きも必要です。ぶどう酒の場合にも、ただ農民のぶどう畑を耕す苦労、汗と、技術だけでなく、今度それをつぶして発酵させてビンに入れるという工業の労働者のつらい単調な仕事も必要です。
言い換えれば、パンもぶどう酒も、人間の労働、農民の汗、工業労働者の苦労の一つのシンボルです。
パンとぶどう酒を捧げる時に、司祭は次の言葉を唱えます。『神よ、あなたは万物の造り主。ここに供えるパンとぶどう酒はあなたから頂いたもの。大地の恵み、労働の実り」。気づいたかもしれませんが、『大地の恵み』という言葉によって、農民の苦労が示されて、『労働の実り』という言葉によって、工業労働者の苦労が暗示されています。
ミサというものは美しい儀式のようにも見えますが、本当は泥臭い苦労にまみれたものなのです。ミサに来る時に皆はよくきれいな服を着てきます。それには祭日を祝う意味もあるからいいかもしれませんが、私たちの実生活の苦労から断絶して、遊離した別世界にうつる意識を持って行くことは危険です。・・・」
あぁーーー 目まいがする
私、そんな思いで奉納の祈りを聞いたことなかったよ
「大地の恵み」は「農民の苦労」なの?
私、神様の創られた大地・自然を思ってた
「労働の実り」は「工業労働者の苦労」なの?
私たちの労働や努力の結実だと・・・
神様のお恵みと私たちの努力が
結ばれてできたものを 信頼と感謝の心を
お捧げするんだと思ってたのに・・・
で、ミサは美しい儀式ではいけないの?
泥臭く、小汚い恰好で与るの?
だめだーーー!
これは古書で入手したけど、96年に初版、02年に第3版
授業のテキストや各小教区の委員会などの
分かち合いに使われたんだって
で、今の「何でもあり典礼」に・・・
このイエズス会司祭の責任もあるよね
バチカンから否定された「解放の神学」の
3悪修道会:フランシスコ会、イエズス会、神言会
この本、全体が悪い内容ではないのだけど
それだけに ところどころ書かれている変なことを
油断して 受け入れてしまう危険性がある
危ない! 危ない!
皆さん、ご注意を!
昔は、セント・ポールのご常連だったんだけど
購入する本は、典礼・聖人・伝記関係が多い
当たりはずれも多くて、げんなりする本によくあたる
だから、古書!
当たりはずれのない和田幹夫神父様の本
「聖パウロ ーその心の遍歴―」
これは、新品をネットで買いました
で、神父様にサインしてもらっちゃったんだよん♪
書棚に収まらず、無造作に積み上げられた本・・・
あれっ?こんな本がある
「ミサ 神の愛の確認 -不安から希望へー」
イシドロ・リバス著
いつ買ったのかなぁ?
このへんが 実にアバウト!(←私の性格)
ついついまとめ買いしちゃうので
で、いつもの読み方(見方) パラパラとめくる
ところどころ、関心のあるところだけを何気なく、目をとおす
「結婚式のミサ」
結婚式の中で行われるミサの意義について書いてある
「二人が結婚するということは、自分達の誓いの言葉によることです。ミサがなくても誓いの言葉によって夫婦となります。しかしその二人の誓いを神がご自分のものにして、ご自分の愛と名誉にかけて、その二人を守る、生かすということを表すために、結婚式のミサがあります。・・・」
読み進めると、儀式について書いてある どれどれ
「ミサの捧げ方にも意味があります。すなわち誓いの言葉を交わすのは、祭壇の上ではなく、祭壇のふもとです。親や証人のすぐ側で誓いの言葉を交わします。誓いの言葉を交わす時には、向かい合って握手します。二人の手の上に司祭が祭服をかけます。この意味は、二人が結ばれるのは単に二人の意志と言葉だけでなく、神の意志によっても結ばれるということです。・・・」
あれっ うちの教会の結婚式とは ちょっと違う
でも、スペイン人司祭だから、シンボリックなのかな?
それともうちが手抜き?
たしか、誓約の文が書いてある紙を 二人で持ってたよ
「そして夫婦となってから、二人だけが祭壇に上がって祭壇のすぐ近くから、明るい所でミサに与ります。二人は神に迎え入れてもらって、神の国に引き寄せて頂きます。そしていわゆる聖変化の時に司祭がパンを手にしながらキリストに代わって、『これはおまえたちのために渡される私の体です。これはおまえたちのために流されて永遠の契約、決断を表す私の血です』と言います。それはキリストが二人にかけてくれることを表します。」
えーーーっ 祭壇に上がってミサに与る?なにーー??
「御聖体の受け方も普通のミサの時と違います。すなわち普通のミサの時ですと、一人ずつ直接司祭から御聖体を受けます。結婚式の時、司祭は新郎と新婦に御聖体を渡しますが、二人とも司祭から受けてすぐ自分で食べずに、二人でそれを交換します。すなわち彼は彼女からキリストを受け、彼女は彼からキリストを受けることの意味です。」
ありゃー だめだーーー
手で聖体をうけるのも、特例なのに、相手に授ける?
もってのほかーーー!
カトリック失格本 決定!
あぁ、無駄な本買っちゃったーー泣
せっかくだから、もう少しだけ 読んでみるか・・・
「実生活の苦悩とミサ ―― 農民と工業労働者の苦労」
ん?変な小見出し どれどれ
「パンとぶどう酒を捧げるもう一つの意味は、社会的な次元からきます。考えてみますと、パンを作るためには農民が麦畑を耕す苦労がありますが、それと同時に麦をつぶして混ぜて焼くことによってそれをパンに変えるという工業労働者の働きも必要です。ぶどう酒の場合にも、ただ農民のぶどう畑を耕す苦労、汗と、技術だけでなく、今度それをつぶして発酵させてビンに入れるという工業の労働者のつらい単調な仕事も必要です。
言い換えれば、パンもぶどう酒も、人間の労働、農民の汗、工業労働者の苦労の一つのシンボルです。
パンとぶどう酒を捧げる時に、司祭は次の言葉を唱えます。『神よ、あなたは万物の造り主。ここに供えるパンとぶどう酒はあなたから頂いたもの。大地の恵み、労働の実り」。気づいたかもしれませんが、『大地の恵み』という言葉によって、農民の苦労が示されて、『労働の実り』という言葉によって、工業労働者の苦労が暗示されています。
ミサというものは美しい儀式のようにも見えますが、本当は泥臭い苦労にまみれたものなのです。ミサに来る時に皆はよくきれいな服を着てきます。それには祭日を祝う意味もあるからいいかもしれませんが、私たちの実生活の苦労から断絶して、遊離した別世界にうつる意識を持って行くことは危険です。・・・」
あぁーーー 目まいがする
私、そんな思いで奉納の祈りを聞いたことなかったよ
「大地の恵み」は「農民の苦労」なの?
私、神様の創られた大地・自然を思ってた
「労働の実り」は「工業労働者の苦労」なの?
私たちの労働や努力の結実だと・・・
神様のお恵みと私たちの努力が
結ばれてできたものを 信頼と感謝の心を
お捧げするんだと思ってたのに・・・
で、ミサは美しい儀式ではいけないの?
泥臭く、小汚い恰好で与るの?
だめだーーー!
これは古書で入手したけど、96年に初版、02年に第3版
授業のテキストや各小教区の委員会などの
分かち合いに使われたんだって
で、今の「何でもあり典礼」に・・・
このイエズス会司祭の責任もあるよね
バチカンから否定された「解放の神学」の
3悪修道会:フランシスコ会、イエズス会、神言会
この本、全体が悪い内容ではないのだけど
それだけに ところどころ書かれている変なことを
油断して 受け入れてしまう危険性がある
危ない! 危ない!
皆さん、ご注意を!