| 整理していると “八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” の入場券が出てきた。現状 (H20年) を調べることにした。 |
| (現代のかまぶろは、床の下面に耐火煉瓦が貼り付けられており、その耐火煉瓦に向けて重油バーナーで加熱している) |
八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンターの入場券
同入場券の裏面に印刷された“比叡山回転展望閣”
後の建物が八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター (昭和36年)
日本交通公社 / ガイドシリーズ 「京都と奈良」 (昭和37年刊)
| “八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” と “喜鶴亭”は、京福電鉄の経営だったため、同社のH.Pから沿革を調べ、関連する項目を以下に示す。 |
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1959年 08月 京都府 八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター開業 1961年 08月 福井県 鰹ャ舟渡かまぶろ温泉設立 1964年 10月 京都府 比叡京福ランド竣工式 (八瀬遊園、比叡山頂遊園新館完成) →1983年 スポーツバレー京都 →1999年 森のゆうえんち 1959年 12月 京都府 比叡山人工スキー場開業 1971年 11月 京都府 八瀬グランド・アイススケートリンク開業 1974年 10月 京都府 嵐山レディースホテル開業 1981年 12月 京都府 ▲八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター閉館 1983年 05月 京都府 ▲八瀬遊園閉園 1984年 03月 京都府 ▲八瀬海水水族館閉館 1987年 11月 京都府 ▲八瀬アイススケート営業を廃止 2001年 11月 京都府 ▲森のゆうえんち閉園 2002年 06月 京都府 ▲嵐山レディースホテル営業終了 2003年 02月 福井県 ▲ 小舟渡かまぶろ温泉 清算 2004年 09月 京都府 嵐山駅に「嵐山温泉駅の足湯」オープン 2005年 05月 京都府 ▲八瀬かまぶろ喜鶴亭閉館 |
| 1961年 (昭和36年) 発行の 「週末旅行 (関西)」 によると、「かま風呂」 は、茶菓子付で 150円 とあるのは “八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” の利用料金だ。当時、バス1区間 20円 (市電 15円)で、現在 (H20) 220円だから、今の物価に換算すると 1650円相当か。この地区に唯一、かまぶろが現存する平八茶屋では、かまぶろ(予約要)は料理とセットになっているので、“料理茶屋” の “叡麓館” や “喜鶴亭” も、かまぶろだけの利用は不可だったと思われる。 |
ある地図サービスでは更新が遅れていて今(H20)も “喜鶴亭” があり、駅名は“八瀬比叡山口”
従って、八瀬かま風呂温泉ヘルスセンター / 叡麓館 / 喜鶴亭 の順でなくなったことがわかる。
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“叡麓館” と “喜鶴亭” がなくなったのは平成になってからであり、利用客が減少したことが廃止理由であることは容易にわかる。しかし、“八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” は、営業開始の昭和34年より22年後の昭和56年に早くも廃止されている。施設が老朽化したのだろうか。 ところで、スケートリンクも減少し続けているが、過去をみれば、昭和30年代〜昭和50年代が最も盛況だった時代であり (第一次ブーム)、この期間と “八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” の営業期間がぴったり合致することに気付いた。また、廃止の2年後に “八瀬遊園” が名前を変えているのも、入場者減でこれまでのスタイルでは運営できないことを示している。やはり、この “八瀬かまぶろ温泉ヘルスセンター” も単純に利用者減が廃止理由であったようだ。両施設に駐車場がないことも一因になっていると思われる。 |
| ヘルスセンターは団体が訪れる施設となっている。一方、“かま風呂” は一度に数人しか入れないため、ヘルスセンターにかま風呂があるのが不思議であった。高折病院か宝嶺山荘へ行く高齢の方に偶然にも聞くことができた。大と小の二つがあった。 |
“喜鶴亭”へは吊橋を利用すると近道であったが (平成1年)
平成20年時点でその吊橋はなくなっていた。左は叡麓館跡地に建つ施設
喜鶴亭は現状のままで “瑠璃光院” に、“宝嶺山荘” は “高折病院” 付設の老人ホーム
かまぶろ紀行 (PDF) 〜 八瀬地区に保存・現存・営業中のかまぶろを訪ねる。
| 叡麓館と喜鶴亭のH.Pは当然存在しないが、宿泊案内のページでは今も (H20) 残っていた。いずれ削除されてしまうため、以下に転載しました。 |
叡麓館
上のH.Pから検索できる地図は現在も有効だが、
その地図に示された場所には別の施設が建っている。
喜鶴亭
かまぶろの写真が両館で同一になっているが、写真は喜鶴亭のものか
月のように見えるのは、温度計のガラス板がストロボ光で反射したため
上のH.Pから検索できる地図に示された場所は何も記されていない。