バカ?
結婚したって子供持たなきゃならないわけでもないんだから、子作りなんかしなけりゃ良いじゃん。セックスしたいってんなら、避妊すりゃ良いだけの話。
ぶっちゃけ、年収400万弱だけど、3LDKの分譲マンション購入して夫婦ふたりで住んでるよ。子供さえ居なけりゃそのどうとでもなる。
ハックルなんとかさんの文章が読み取りづらかったので自分なりの解釈でまとめてみました
元 http://togetter.com/li/483849
金もらわなければ作品作れないというやつがクリエイター名乗るのはちゃんちゃらおかしい。それはプロかもしれんが商売人なだけてあってクリエイターではない。クリエイターはただでもいいから作らせてくれとお願いする人。作る環境、見てもらえる環境をお金よりもゆうせんするのがクリエイター。
だから真のクリエイターはお金にこだわる。それは制作環境、発表環境を手に入れるため。そこで真剣ギリギリに生きている。だからただでもステータスや発表環境が保証されてるなら喜んでやる。そういう打算を働かせられるのが真のクリエイター。商売人は目先の金にこだわる。
1ツイート目と2ツイート目で"ただでも~""お金よりも~"と批評大好きネット界隈住人の目を惹きつけるキーワードが続き、そして"クリエイター""真のクリエイター"と第一形態から第二形態へ変身しそうなボスっぽい存在がほのめかされてますが、それらはブラフです。
余計なものを取っ払って見えてくるこのツイートで一番訴えているものは
"作る環境"
"見てもらえる環境"
"発表環境"
"ステータス"
ころころと単語が変わってますが、言いたいことは一つ"恵まれた環境"でしょう。
どの文章でも金が関わる場面で必ずセットでついてきます。絶対条件です。
ここから要点をまとめますと、『クリエイターは恵まれた環境ならば無報酬でもクリエイトすべき』となります。
にも関わらずの3ツイート目…
プロだろうとアマだろうとアニメーターだろうと批評家だろうと、ただでできないというやつは全員クリエイターではなくビジネスマンなだけです。何もクリエートしていない。
環境の話はどこいった?!
まとめにきて絶対条件のことを忘れてしまったようです。
それほど環境の話よりも金を受け取って仕事する人が憎かったのでしょうか。
これではただの上から目線の暴論と取られても仕方ありません。
以下、氏の主張に対する私なりの所感です。
お金をもらって環境を整えると言うところを、氏は環境が整っているなら金はいらないとしているだけであって、個人的にはどっちでもいいのでは?と言う感想です。
なぜ氏がお金を受け取ることに"目先の金"と目くじらを立てているのか、環境を整える以上にお金を受け取ることが余程憎らしいのか、そこには個人的な理由でもありそうですが、私達にはきっとどうでもいいことです。
仮にも文章屋なんだからそこで諦めんなよ!
右翼論壇、ネトウヨにおいて差別主義と歴史修正主義は一体不可分
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130406/
このような記事を書く彼自体が度々、ソ連の歴史修正を容認するエントリを書いているのだ
例えば、
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100408/
これプーチンは慰霊碑の前で跪いたが、謝罪などしていない。
「正当化できない全体主義による残虐行為」とソ連の責任を認めた。ただし、ロシア国民に罪をかぶせるのは間違っていると主張し、謝罪はしなかった。
また2011年、墜落事件の追悼碑の碑文がロシア側により作り替えられ、当事件の記述が削除されていたために物議をかもした。
それに2004年、ロシア検察の捜査は「被疑者死亡」、「ロシアの機密に関係する」などの理由で終結した。さらにロシア連邦最高軍事検察庁は事件の資料公開を打ち切り、2005年5月11日に「カティンの森事件はジェノサイドではない」という声明を行った。
また、ソ連およびロシアの捜査によって責任を追及されたり、訴追されたものは一人も存在しない。
このような状況でロシアの「カチンの森の事件」対する姿勢を賛美するのは、南京大虐殺などの歴史修正主義者を賛美しているの変わらないだろう。
現在各国で行われている睾丸を摘出してしまう性転換手術は危険です。
睾丸は使い方次第で重要な女性ホルモン製造器官、擬似卵巣となりえます。
睾丸が体外に出ているのは体温より温度が低くないと精子のスピードが弱まるからです。
最近女装男子に流行っている「タック法」で睾丸を体内の脂肪の部分に収納すれば睾丸と体温は同温度となり女性ホルモンが分泌されるのです。(だからって暖めまくろうとしてる人がいますが危険で逆効果だからやめてください)
これを続けていくと精子の尾ひれの部分が短くなり、頭が丸くなり、精子は卵子に近づきます。(画像検索で検索してみてください)
形態的にも機能的にも卵巣に近づくのですから、摘出はやめた方がいいでしょう。
結婚もしたいし子育てもしなきゃと思ってるんで、まあ率直に足りませんわ。
なるほどそうか。早とちりに色々いってしまってすまなかった。
そうなってくると、「生物」と「異常」と「病気」の定義が必要だ。
この三つについてどう思う?
子供作らないのなら、どうにかなると思うけどな。
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聞くには、好きだけどきっと付き合ってもうまくいかないから付き合う気はない
都合良く利用されてるだけといえばそうだけどそれは私も一緒だしとのこと
そして僕にとって不幸なことにその相手って言うのが僕が一番嫌いな人間
まじで人間的に嫌い
彼のことは人間的にはまったく尊敬できないけど距離感がいい、らしい
自分に惚れさせるとか、そんな阿婆擦れさっさと見切りをつけるとか、風俗いけとか、一般論はわかるけどどうにもならないよね
お互いが人間的に尊敬できるような関係なら付き合ったりできるのかなって思ってたけど男女は難しいね、死にたいね
友達止まりの人ってこういうことなのかってちょっと理解してきたけど認めたくないって言うか、なんかワンチャンあるんじゃないかって思ってしまう
僕はどうしたら良いと思いますか
ご回答ありがとうございます。
しかし、同性同士で子供を生めるのでしたらそれでも良いと思うのですが、
それでは子供が産めないにもかかわらず、病気として認定されないのはなぜか疑問なのです。
食欲や睡眠欲、さまざまな欲の背景には色々な意味があるはずですが、
同性愛者の性欲の背景は通常とは異なっているはずです。
右利き左利きは生命として本質的な部分まで影響を及ぼしていません。
ゴキブリの種に近くなろうともDNAの一部が残って欲しいというのが生命の営みかと思います。
また、不妊治療は将来的に不妊治療をしなければ産めない環境を作っていくことですから、
私はどこかのタイミングで不妊治療に歯止めを書けなければ将来的に大変なことになると考えています。
同性愛者が気持ち悪いとは思ったことがありませんし、(気持ちが悪い同性愛者はいますがそれは同性愛者以外でも同じ事です)
両性愛者であれば全く問題ないとは思うのですが、同性愛やアセクシャルとなると、
これは人間を生み出すという行為を積極的に行えないことですので、生物としては明らかに異常です。
客観的に見れば異常なことを異常なこととして扱えないことは甚だ疑問です。
Wikipediaは何度か読みました。それでも納得できなかったためこちらに投稿したまでです。
もちろん、自身の選択でないことも重々承知しております。
4月4日の朝に初会合で上がりそうだからFXで円ショートしたんだが
官僚出身でそこまで大胆にできるとも限らんし円高になると怖いなとかビビッて50万くらいしかポジション持てなかった
そもそも去年の解散時点でも安倍が本当に景気よくできるのか疑問に思って株買い始めたのも1月からだった
1月500万円分買ったのが現時点含み益150万だが解散時に買ってたら300万だったはず
つくづく自分の臆病さが嫌になる
これは、自分の気持ちを整理したいという自分勝手な思いから書いている文章であり、単なる自慰行為である。
五年前の今日、三年間付き合っていた女性と別れた。喧嘩別れでは無かったのが不幸中の幸いというべきか、ぶっちゃけ別れた原因は、完全に自分側の都合だった。その事を彼女がどれだけ理解していたのか自分には推察できない。納得もしてなかったと思う。それでも、彼女は自分のワガママを最後に受け入れてくれた。
振り返ってみると、彼女との付き合いはままごと同然だっと今になって思う。恋愛に奥手だった自分にとって初めての彼女だったのもそれを加速させたのだろう。お互いに甘え合うというまるで子どもが描く関係をそのまま続けようとしていた自分は、あの頃はまだ子どもだった。というより、全く先のことを考えずに、ただその場限りの楽な道を選んでいたのだと今なら言える。
責任を取るよと口では言っていたが、そんな気持ちはスプーンですら掬えないほど少なく、ただ、彼女とのただれた関係を楽しんでいた。彼女を愛しているという意識は当然あったが、その深さは実に浅いものだった。彼女を愛しているというよりは、彼女の身体を愛していたのだと思う。それを理解したのは別れてからずっと後になってからの事だが。彼女には本当に酷いことをした。
そんな最低最悪な自分に気になる女性が表れた。初めて会ってからもう三年になるだろうか。その気持ちを誤魔化し続けていたが、最近それがとてもつらくなってきた。自分に嘘をつくのが辛くなってきた。どうしても、あの娘が気になってしまう。
同時に、自分がその娘のパーソナリティではなく身体を求めているのでは無いかという苦悩も渦巻いている。頭や口では愛してるというのは簡単だ。だけれども、真実な所、自分自身はその娘をどれだけ知っているのだろうか。どれだけ本気で考えているのだろう。
五年前のあの日から、自分の根本的な部分は変わってないのではないだろうか。そんなどうでも良い下らない事で悩んでいる。
そういう事を何も考えずに、前に進むほど、自分は若くはなくなってしまった。
なぜ、こんなにも自分は精神が幼いままなのだろう。もっと成長しなければならないはずなのに、自らの歩みはそれに伴っていない。実に自分は惨めな人間である。
明日、気になる彼女にどういう顔をすれば良いのか良く分からなくなっている。そういう動揺を少しでも客観的に見るためにこの文章を書き綴った。
また、今日、帰ってきたらこれを読み返そう。そして、くだらない事で悩むなよ、俺と笑いとばせるようになろう。
それくらい、自分は成長してても、良いはずだ。