田中慎弥の掌劇場:首相の墓

毎日新聞 2013年04月06日 西部朝刊

 <土曜カルチャー>

 墓は荒れていた。あたりの草は伸び放題、墓石の表面は苔(こけ)まみれで、これが前首相の墓であることを示すのは、ただそのあまりに異様な規模のみだった。通常の墓石とは比べものにならない、ほとんど家一軒分に近いほどの巨石なのである。故人のためにだけ準備された土地と石であるから、周りに他の墓石はない。知らない人が見れば、いったいなんの目的でこんなものが置かれているのだろうかと首をかしげるかもしれない。

 しかし、そのような疑問は、実際には発生しない。いまでは訪れる人など絶無に近いのであるから。生前、慕われていなかったわけではない。むしろ歴史に残る名宰相だった。であればこそ、このような豪壮な墓に入ることが出来たのだ。前首相はこの世から一度消えて、見事に復活した。といっても、勿論(もちろん)あのナザレの男のように死んで三日目に生き返るというわけにはゆかなかったので、この偉大な墓石となってもう一度出現したのだ。そうして徐々に忘れられ、石だけが残った。国民は、忘却という供物を墓前に奉ったことになる。

 だが、いま墓参りに来ているこの男だけは違う。伸び切った草をむしるわけでも、花を手向けるわけでもないが、巨大な墓石の前で長い時間頭を垂れている。毎年のことだ。今日は命日、つまり現首相であるこの男が、当時の首相を殺害して後継となった日である。この国の首相は大昔からその方法でのみ交替可能と定められている。一般的な殺人は当然認められていない。首相になる気合を持った者だけが、現役を弑(しい)する権利を有している。男は法に則(のっと)って殺した。作法に従い、屍(しかばね)の首をはねて神殿に捧げ、腹を裂いて内臓を引きずり出し、野原に広げて大地とハゲタカの餌にした。

 草のにおいを嗅ぎ、自らの鼓動を聞いていた男は、やがて頭を上げ、目を見開く。苔に埋まった、壁のような墓石。国民が墓の主を忘れ果てても、男だけは決して忘れることはない。殺害の手応えと血しぶき、断末魔の叫びを忘れはしない。たとえ前首相の妻が、生涯にほんの一瞬だけ夫を忘れはしても、男はいつ何時でも覚えている。殺したからこそ誰よりも記憶する。それが、相手への礼儀である。国民は、前首相を愛していたから、忘れることが出来た。男は愛しても憎んでもいなかった。ただ手応えと血しぶきと叫びだけがあった。だから忘れないのだ。

 帰りの車の中でも、窓外には強烈な日差が溢(あふれ)ているというのに、苔に覆われた墓石が目の前を去らなかった。感慨にひたっているのではない。ただ忘れていないだけだ。

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