平成24年 内外情勢調査会 知事講演
(1)講演日時 平成24年2月27日(月) 16時~17時
(2)会 場 奈良ホテル「大和」
(3)資 料
「これから奈良をもっとよくする話をしよう」
奈良の話を、過去と現在、これからを、まとめました。
それと、紀伊半島大水害を、動画編集しました。
紀伊半島大水害では、122年前の大水害と同じような雨にみまわれました。映像では、まだ水が随分流れている状況です。
これは川上村迫の崩落の現場でございます。道がなくなってしまいました。天川村坪内の教職員の住宅がなくなりました。
これは川の真ん中に置き去りになった教職員の住宅です。教師の方が亡くなった現場であります。
五條市大塔町宇井の現場でありますが、これだけの土砂崩れがありました。
十津川村野尻は、向かい岸の土砂崩落がこちらまで来て被害を与えたものであります。
折立橋の落橋の様子ですが、向こうにあるのが新しい橋、手前の落ちているのが古い橋であります。これは野迫川村北股の現場であります。
災害の直後から、県の災害対策本部室で、テレビ電話で現地の村長さんと話をしておりました。
自衛隊の災害派遣で現地に行く姿です。行方不明者の捜索や救助活動等をしていただきました。行方不明者の方はまだおられますが、自衛隊、警察、消防には本当にお世話、御尽力いただきました。
大塔の土砂ダムの現場です。河道をつくっていただき応急復旧ができました。
これは野迫川の避難所です。今は仮設住宅に入っていただきましたが、近所の避難所に御家族で避難されたときの模様です。
災害から約1カ月後に復旧・復興推進本部を立ち上げ、被災地の皆様を中心に会議を重ね、応急復旧を行い、本格復旧にむけ、復旧・復興計画を作成いたしました。今議会に御承認いただく予定にしております。
仮設住宅を年末までにつくるということで、グレードの高いものをつくりました。また、入居後も入居者の方の意見を反映するため、不自由なことがあるかどうかを聞いて、必要なところを改善するようにしています。
これは、折立橋の応急復旧ができたときの図です。十津川の温泉も2カ月少したって復旧いたしました。
当時の映像は十分には撮れておりませんが、思い出していただくために映像を再編集いたしました。
主な被害状況は、死者14名、行方不明者10名、土砂崩れ1,800カ所、大雨が2,400ミリメートル降ったということでございます。平成24年1月16日現在の避難状況は181世帯、360名であります。
これからの復旧・復興に向けた取組方針ですが、立ち直り・回復、それと再生・再興、安全・安心の備えと、3つの分野で集中復興期間を、平成24年度から3年とし、中長期の復興期間を約10年と考えております。
復旧・復興のポイントですが、避難されている180世帯の方たちに早く帰宅していただけるようにというのが一つです。新しい集落づくりは、新十津川村のようなものをと考えています。県外ではなく、村内に新しい道路や橋ができ、谷瀬の集落のように尾根の中で集落をつくることができれば、安全な集落になるのではないかということを一つのポイントにしております。
紀伊半島アンカールートの整備でありますが、京奈和自動車道と紀伊半島の海辺を走る道路を国道168号と169号でつなぐという計画です。十津川村長殿の国道168号の復旧は、約100億円の事業として国の権限代行が認められ、あとは桑畑、折立橋ということになります。国道169号は新伯母峰トンネルなどが大きな事業であります。この二つのアンカールートができますと、京奈和自動車道から紀伊半島の海辺につなぐ大きな道路が確保できるものと思います。
安全・安心の備えですが、深層崩壊のメカニズムの解明と監視、警戒、避難のシステムをつくるのが大きな目標です。
地域経済の支援ですが、1万円の宿泊旅行券を8,000円で販売、2,000円を県がプレミアムをつけるということで、南部地域復興支援プレミアム宿泊旅行券を発行いたしました。復興の過程で地元の温泉旅館から大いに感謝をされました。平成24年度も、そのタイミングをはかって発行させていただこうかと思っています。そのほかの生業支援で木質バイオマスの生産を一つのモデルができないかなど、いろんなことを試みる予算を計上しております。
ふるさと復興協力隊は、中越地震の際に成功した例がありますが、1人当たり月15万円程度の作業費、事業費をお渡しして、現地に入っていただいて、いろんな生活支援、生業、特に起業のきっかけをつくってもらおうかというようなことです。新しいアイデアが出ることを期待しております。
奈良県は、森林資源が多くありますので、林業、温泉を中心とした産業、地域づくりが可能かどうか、新集落の中でも、交流人口と定住人口の集う場所というような形でできないものかということを、復旧・復興の一つの目玉にしております。
災害が起こったわけですが、これからの奈良を考えるうえで、これまでの奈良をいろんな角度から見てみたいと思います。
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【奈良県の統治体制】
奈良県の成立というものを振り返ってみたいと思います。
奈良県ができるまでは、柳生藩、郡山藩、小泉藩、田原本藩、柳本藩、芝村藩、高取藩、櫛羅藩の8藩あったと聞いております。また、江戸末期までに御所藩、戒重藩、松山藩、岸田藩、竜田藩などがなくなったと聞いております。
奈良県の統治体制は、幕藩体制から明治4年に第1次奈良県の設置がございました。町村数1,494、人口41万人であります。明治9年に堺県に編入されました。堺県になったときの議席数ですが、40名のうち17名を大和国が占めておりました。24名が和泉河内国でございます。明治14年になりますと堺県が大阪府に編入されました。議席数は72名で大和国は17名の議席ということで、このときの大阪府議会との対立が県独立運動につながったと聞いております。予算配分が大阪府に偏重があった。小学校一つつくるのに大阪府議会がうんと言わなかった。それと地租軽減の運動を各地がしたのですが、奈良だけが除外されたというような事例があったと聞いております。
明治18年7月に大和川大水害が起こりました。大和各郡にも大被害がありましたが、その復旧費が和泉、河内、摂津の被災地に充てられ、大和国は顧みられなかったので、分県運動が再燃したと歴史に残っております。
明治20年に奈良県の再設置が決まりました。人口49万人でした。このときに都道府県が確立して、現在の47都道府県になっておりますが、このときに分県したのは、愛媛県から分県した香川県とか、福井県など8つほど分県した県があって、現在まで変わっておりません。明治22年に市町村制がひかれました。その年に十津川大水害が起こり、2,600名余の人命が亡くなって、同じ年の冬前に北海道へ移住、新十津川村ができたということでございます。このような歴史を踏まえますと、関西広域連合に入っていたなら、昔と同じパターンが起こっていたと改めて思います。
一つは議決方法ですが、関西広域連合は今まで全会一致と言っておられたのが、政令指定都市が入られ、議席を再配分して多数決で行うということになりますと、やはり奈良県にとっては怖いというのがあります。また、リニア中央新幹線の駅を関西広域連合で決めようと、国が決めたのを地方でひっくり返そうという動きがありますが、これも奈良にとっては怖い話であります。また国の出先機関を地方移管するというのは、国家公務員が多いということを踏まえておりますが、国家公務員を地方に移して姿を隠すだけじゃないかと。その給料は国が払うんじゃないかと。国家公務員を地方が受けるというのは大変難しい、意味のない話になっていると思います。そのような奈良県の統治体制の歴史から見て、よく考えなければいけないことが今起こっていると思っております。
【奈良県における市町村合併の推移】
市町村合併が奈良県は遅れていると言われておりますが、明治、昭和、平成の三大合併の跡をたどってみますと、全体として奈良県の合併が遅れているわけではないということがわかりました。明治の大合併の前の全国市町村数71,314、奈良県市町村数1,594、明治の合併で、全国の77.8%減に対し奈良県は90.3%減りました。昭和の大合併では、全国も奈良県も3分の1程度になりました。平成になりますと、奈良県が17%減に対し、全国は46.6%減ですが、明治22年から平成22年の市町村総数を前後で見てみますと、奈良県は97.6%減、全国も97.6%減で、増減率が一致をしております。明治の大合併前は全国市町村の約2%が奈良県の市町村数でしたが、平成22年の奈良県の市町村数も全国の2%程度でございます。
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【奈良県の人口推移傾向】
それでは、これまでの人口の推移と県勢の動向を振り返ってみたいと思います。奈良県の人口の推移ですが、明治の初めから見てみますと大変顕著な動向がございます。明治の初め、全国の人口が3,000万人の時代ですが、奈良県の人口は40万人台になりました。昭和40年になりますと、その前後は全国の人口は増加の一途で、昭和40年代には約1億人で約3倍になっております。奈良県の人口は40万人が80万人台に増えたということですが、全国の人口増に比べて、多くなかったわけであります。ところが昭和40年から約30年間で80万人が140万人になりました。94年間で40万人の増が、30年間、約3分の1の期間で60万人の増になりました。1年あたりの増加に換算いたしますと、明治から昭和までは年4,300人増が、その後の30年間は年2万人増、平成7年から頭打ちになり、最近では減少傾向で、このような奈良の特殊な人口の推移が、奈良県政のやるべきことに大きな意義、影響を与えているように思います。
【奈良県の人口推移(増減率)】
奈良県の人口推移の増減率でありますが、昭和30年から見ますと、全国の増加率は、昭和30年代の高度成長の時期に増加が続いておりますが、増加率は下がっております。最近ではマイナスに転じたわけでありますが、奈良県は昭和35年から急激に上昇、昭和40年には全国の増加率を上回り、昭和50年では全国の倍ぐらいの増加率でありました。そこから増加率が下がり、平成17年以降は人口減少になっております。
【奈良県の転入、転出者の推移】
昭和35年以降、転入の超過がずっと続いていたということですが、社会増は日本の国では田舎から大都市に人口が移るということが起こってまいりました。明治の初めは新潟県が全国で一番人口の多い県でしたが、大都市、特に三大都市、都会のほうに人口が集まりました。奈良県では大阪に集まる、その余波を受けて大阪のベッドタウンとして発展をしたものと思います。その間いろんなことが起こりましたが、顕著なことを幾つか挙げてみたいと思います。
【奈良県の新築住宅棟数】
新築住宅棟数ですが、昭和45年から平成7年までは年平均1万3,600棟建築されておりました。平成12年から平成22年は、年平均8,700棟でございます。10年前は奈良県の最大の県民所得は建設業でありましたが、今は医療、介護などが最大の県民所得の分野になっております。
【個人県民税と法人関係税の割合推移】
もう一つは税収面での結果です。昭和30年、人口増が顕著になる前は、奈良県税収の全国比は0.54でありました。県の税収額は8億円で法人税と個人税に分けてみますと、法人税が7割を占めております。最近では、平成19年の全国比では0.71で、税収全体の比率は上がっております。人口比でいきますと1.0ぐらいあったほうがいいのですが、その内容は個人県民税が6割以上という税収構造になっております。
【法人事業税(地方法人特別譲与税)の一人当たり税収】
次に、1人当たりの法人事業税の収入でありますが、4年ほど前にこの偏在を是正しようという税制ができました。地方法人特別譲与税のことですが、大都市から国に法人事業税、地方税を預け、それを地方に再配分するという税制が自民党末期の政権でできました。知事会でも少数でありましたが、これを訴えて、うまく作っていただきました。税収格差が平成20年度は6.5倍ありました。地方法人特別譲与税ができますと、税収格差は3.3倍になりました。それでも一番少ないのが奈良県でございます。先日、東京で知事会の税制小委員会がありました。東京都、愛知県、大阪府が、地方法人特別譲与税即刻廃止という政治活動をされております。これは大事だと言う知事さんは数少なくて、本当はこの税で随分、奈良県だけではなく各県は得をしているのですが、島根県知事と奈良県知事が、この偏在性をもとに戻すのは困るということを言ってきました。東京都の副知事は、こういうおかしな譲与税は即刻廃止だと。なぜならば、当時の福田総理が石原都知事に、この税制は消費税を増税したときまでにするよと言ったと、そういう経緯論で即刻廃止だと主張されています。ただ、この譲与税はまだ偏在性が解消できないので、しばらく置いておいたほうがいいということを、15県の知事などはおっしゃっています。基本的にその偏在性が是正される地方法人課税が確立するまでの暫定措置だというような扱いですが、このような税制が大変危うい状況に時折陥っております。地方消費税増税問題があると、これが大きな課題になっているということでございます。奈良県はこれがあるとないとでは随分、その税収は違うということでございます。
【県外消費率】
次は、県外消費、県外依存でございます。最近の県外消費率は15%で全国4位、高い県外消費率だと言っておりますが、この統計がとれるのは昭和47年からでして、そのときの県外消費率は36%でありました。私が子どもの頃は、買い物一つ大阪の上本町の近鉄百貨店に、中華料理も上本町に、母親が食べに行こうと、そのような時代でごく普通のことだと思っておりましたが、各県の様子は大分違ったということです。その後、県外消費率が減っております。よく見ますと、昭和47年にならファミリー、昭和61年に近鉄百貨店橿原店が開店、その後近鉄生駒店、ダイヤモンドシティアルル、アピタ郡山店などが開店、大型店舗ができるたびに県外消費率が減っております。イオンモール大和郡山店ができましたので、その統計が反映されますと、また減ってくると思います。奈良県が県内消費を増やすためにプレミアム商品券を出しましたが、県内消費ということをもっと、税制上の観点もあり、奨励したいということでございます。
【一人当たり消費支出と地方消費税収の乖離】
1人当たりの消費支出と地方消費税収の乖離でございます。奈良県は世帯当たりの消費額は全国3位でした。ところが1人当たりの地方消費税収は全国46位でございます。全国3位の消費支出なのに消費税収は46位。これは極端じゃないかということで、消費額と消費税額の乖離率を調べますと、奈良県は46位です。神奈川県が47位ということで、大都市近郊が、乖離率が高いということです。これも知事会で、清算基準がおかしいということを言ってまいりました。消費率は、奈良県民が大阪で買っても奈良県の消費になるのではないかと。大阪で食事をするのは大阪での消費かもしれないが、奈良県民が家具、ふとん、衣類あるいは家で食べる物を買うのは奈良県消費じゃないかと。それが大阪で買うと、大阪の消費に計上される。これは日本の地方消費税の欠陥だと思います。
例えば、極端な例は京都との境にあるイオンモール高の原店ですが、ちょうど府県境の上に建っております。入口が京都府ということで、全額京都府の税収に計上されておりました。それはおかしいじゃないかと総務省と京都府に申しまして、販売の面積割合で分けるように改善していただきました。それで、奈良県の税収が上がるのだから、言うべきときは言わなければならないと思いました。
多くの買い物客が奈良県民ですので、奈良県民の消費は消費額として配分してほしいということを言っております。
【地方消費税の清算基準等について】
ドイツは消費推定資料として人口を使っております。人口当たりの地方消費が付加価値税の地方配分を人口推計しております。日本では6/8が販売額、1/8が人口、1/8が従業員数で配分清算をしておりますが、地方消費税というのは地方の独立税だという旧自治省官僚の理屈がありまして、それにこだわっているわけでございます。現行制度では、地方消費税は、全体を県と市町村と1対1で配分しております。市町村に配分するときは市町村の人口と従業員数で配分しております。地方消費税が増税されるときは社会保障の財源に充てるということになりますので、社会保障を財源に充てるときは各府県に配分した消費税、社会保障充当の増税分は、1対1で県と市町村で、そのときに市町村に配分するのは社会保障財源なので、すべて人口比例で配分しようというところまで知事会で決まりました。市長会、町村長会とも調整の上でございます。ところが、各府県には相変わらず格差がある清算基準で配分されるので、これはおかしいということを言いに行きました。配分するのは社会保障の目的に充てるのだから3/4は高齢者人口で、1/4は若年人口で配分してほしいと。販売額を入れるのは、社会保障のために増税するという国民の約束と違うのではないかということを言いに行きました。決着はまだこれからですが、島根県知事も同じようなことを言っていますが、少数派であります。いつも奈良県は知事会の少数派でありますけれども、そのようなことを言わないと、奈良県は損をしてしまいます。言えば損が回復できるということもありますので、一生懸命言わないといけないという、知事会の中での戦いの分野でございます。
【県外就業率】
別の観点から見ますと、先ほどの人口増は社会増と申しました。夜間人口がふえたことは間違いないのですが、昼間はどうかというと、県外に就業される人が多いということがわかりました。昭和30年の県外就業率は14.3%でありましたが、その後32.7%まで増え、現在、多少減って29.3%になっております。昭和30年の県外就業率は、滋賀県の現在の数字とほぼ同じです。滋賀県の県外就業率は15%ぐらいですので、県内の雇用があって、人口80万人でバランスがとれていた。その後増えてきた人口はほとんど県外就業の方であったと思います。
なぜ、このように県外就業率が、高まる一方であったのかということですが、一つの反省は昼間の雇用ですが、雇用が奈良県内で伸びなかったということですが、それは企業立地に、県あるいは県民が熱心でなかったのではないかと思われます。住宅はできてもいいが企業は要らないと県も言い、民間や市町村も言っていたというふうに記憶しております。高度成長期のときは各県の職員は、企業誘致のために東京のいろんな企業に働きかけておられました。奈良県はそういう事態は全然なかった。大分県では1村1品運動でいろんな働きかけをされ、日産が進出したり、港湾や空港を整備されて企業立地が進みました。北九州市は大学を誘致して企業を再興されました。そのような各県の活動の中で、奈良県は企業立地に熱心でなかった結果、道路整備が悪く、工業用地の比率が低いままであったり、大学がないというようなことに表れてきております。このようなことを今からでも回復しなければいけないということが課題であるように思います。
【昼間人口比率の推移】
昼間人口比率という数値がございますが、昭和30年あたりは96%ということで、奈良県も、暮らしと雇用のバランスがとれていた時代があったということであります。これは一つ大きな励みになりますが、その後、昼間人口比率が86%まで下がりました。その後、88%で回復しておりますが、それでも昼間人口比率は45位であります。各県とも昼間人口比率のバランスをとろうと、他県に働きに行かなくても、暮らしと雇用が県内で回るようにできないかというふうに動いております。このような昼間人口比率の結果が反映するのは、例えば女性の就業率でございます。女性の就業率は全国最低の47位ですが、奈良の女性は働きたくないのかと調べましたら、近くに雇用が少ないということが原因とわかりました。女性の雇用を回復するのがとっても大変重要なことだというふうに思います。
【県外就業者数】
県外の就業者数は、昼間人口比率と裏腹でございますが、昭和30年からどんどん増えております。昭和30年は4万7千人でありましたが、平成7年には4倍強の21万人までになっております。平成7年以降減っておりますが、これは、県外就業が難しくなってきている、関西の経済がやはり弱くなってきているのが大きいと思います。関東では神奈川、埼玉、千葉の県外就業はまだ旺盛じゃないかなと思います。関西の企業が東京に移り、外国に移る中で、大阪に通う従業者数は減ってきています。このようなことですので、身近な就業機会を増やさなければいけないという、とても大事な課題があるように思います。
【公立高等学校生徒数の推移】
次は、公立高校生徒数の推移です。昭和30年では1万9千人の生徒数ですが、平成17年には4万5千人になりました。その後ずっと減っております。生徒数が増えてきましたので、その手当てをしてきましたが、この間、奈良は私立高校も増えています。京都や大阪から奈良に行って、私立高校で学ぼうというようなことがありました。奈良は、私立高校中心に学力志向の生徒をたくさん取り入れ、その結果、奈良県は大学進学率も上がり、東大、京大の進学率が全国1位、しかも断トツの1位を、ここ10年以上続けてきております。東大、京大にたくさん行く県ということです。
【道路改良率の推移】
道路改良率、これは企業立地と関係いたします。どんどんよくはなっていますが、全国平均はさらによくなっています。奈良県は道路改良率47%、全国44位であります。道路改良に力を入れなかったことを反省して、今、大いに力を入れようとしております。高速道路などは企業立地に大きく関係いたします。京奈和自動車道ができ、いろんな周辺道路が整備できるまでには、あと10年ちょっとかかりますが、奈良県の道路もそれなりになると思います。
【病床数(人口10万人あたり)】
もう一つ影響があったのは病院、医療です。病床数が大変増えてきて、昭和35年は614ですが、それが1,000以上になりましたが、人口の増に比べますと、この程度の病床数でも足りないと思います。ずっと全国平均以下ですが、平成21年は全国28位というレベルでございます。奈良県は、県立医大がある数少ない県で、全国で8校ほどしか県立医大はありませんが、県立医大、当時医専ができたのは、砂川さんという沖縄出身で初めて医師免許を取られた方が、当時は内務省の衛生課長として、奈良県に来られておりました。当時の官制知事は、奈良には医専は要らないという意見でありましたが、砂川さんは、知事の意見に反対して、奈良で医専をつくろうということで、すったもんだのあげく、奈良に医専ができました。それが県立医大の前身ですけれども、おかげで県立医大が奈良の医療の中核となって、大きな意味が出てきているように思います。
【大和川の水質】
もう一つ影響があった人口急増の影響ですが、大和川の水質があげられます。全国ワースト1位から最近ワースト4位まで改善いたしましたが、大和川が汚いのは奈良のせいだと随分長い間言われてきておりました。大和川の水質もよくなってきておりますが、まだまだ悪い状況であります。
以上のような県勢動向の結果、奈良はどのような位置づけになっているのか、ちょっとチャートで見てみたいと思います。
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【経済の活性化(工業・農業)全国順位】
これは経済の部門ですが、色々な順位指標です。工場立地件数は10位です。平成17年は39位でしたが、飛躍的によくなりました。農産物の直接販売農家戸数は34位で余りよくありませんが、平成17年度は38位でしたので少しよくなってきています。農産物の販売はこのレベルですが、農協の貯金高は全国3位であります。貯金は多いけれど、農業生産は低いという県であります。果実の算出額は頑張っています。一方、工業は、工業用途面積比率は、何年も前から47位です。県民1人当たりの総生産も47位でございます。昼間人口比率と関係があると思います。耕作放棄地率は39位ですが、平成17年度は41位でしたので、率は悪くなっておりますが、順位は改善されています。
【経済の活性化(観光・サービス)全国順位】
観光サービスのほうは健闘している面があります。外国人訪問客数は11位で、以前からいい数字であります。コンベンション誘致件数は14位。観光ボランティアガイド数は4位。また、先ほど申した消費支出額は全国3位で、平成16年度は16位だったのですが、全国で消費が減る中で奈良は消費が落ちなかったということです。世帯ごとの貯蓄高も全国3位ということで、お金持ちで悠々と消費しているように見えるわけですが、人口1人当たり地方消費税は46位、これはどういうわけだという印象です。その次に人口1,000人当たりの飲食店数は47位で、昔からそのようなことです。宿泊施設客室が47位、宿泊者数も47位ということでございます。有効求人倍率は24位ということで大分改善いたしました。平成17年は34位ということでございます。
【くらしの向上(健康・医療・福祉)全国順位】
くらしの向上、健康・医療・福祉の部分では、自殺死亡率が低い方から1位ですが、それでも年間230名ほどの自殺者がおられます。もう一つ資料にはありませんが、自宅での看取り率というのがありまして、奈良県は全国1位です。自宅で亡くなられる方が多いと、高齢者の終末にとっては、大変幸せなことでございます。その次に、臨床医の研修マッチング率が2位になりました。平成18年は31位でありましたので、医療に力を入れたのがどんどん人気を呼んでいます。これは非常に早く反映する数字だと思います。また65歳以上の被保険者の要介護認定者の割合は低い方から12位で躍進しております。平成18年は21位でありましたので、これもいいほうの数字であります。障害者実雇用率は4位ということで、数年前は8位でありましたので躍進しております。よくない数字の中で、救急搬送の医療収容時間は平均所要時間43位ということで、改善しなければいけません。
【くらしの向上(教育・くらし)全国順位】
その次は、くらしの向上の教育・くらし関係でございますが、学力はいいのですが、学校の規則を守るとか、資料には掲載していませんが、暴力件数がワースト2位か3位であります。小学生の体力が低い状況です。教育現場もなかなかいい数字ばかりではありません。女性の就業率は全国最低です。一方、交通事故死亡者数は少なく低い方から4位、自主防犯組織率は21位で、平成17年は42位でしたので、大幅な躍進であります。それから、文化芸術活動は5位ということで、これはずっと変わりません。さらに地域総合スポーツクラブ数は、どんどんよくなっています。
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これからの奈良はどうなるかということをちょっと概観してみたいと思います。
直面する課題は、今まで申し上げましたが、大きな流れとして、昭和30年から平成12年まで人口は急増で、そこから急落してきたことがあげられます。全国平均はなだらかに減少していますが、全国平均を上回るスピードで人口が減少しています。
奈良県の高齢者の割合は、今後、全国よりも速いスピードで進むと予測されています。いろんな高齢化対策の支出が必要ということも大きなことです。高齢化しますと住民税が減少いたします。就業されなくなると極端に税収が減少いたします。
少子化については、合計特殊出生率は、奈良県は全国で一番低いほうです。今後もこのまま続くと予測されます。
今、申し上げました人口減少、高齢化、少子化というのは、社会保障費の増に結びつき税収の減にもつながります。ベッドタウンは、ニュータウンがオールドタウンになると税収が激減するわけでありますが、奈良県全体がそのような状況なので、他府県から奈良県大変だぞってささやかれているわけでございます。これは本当に直面している深刻な課題だと思います。
もう一つ最近起こりましたのはグローバル化の進展による、雇用の海外流出、地域間格差の拡大です。地域間格差で輸出が増えているところはよかったのですが、逆に外需がだめになってきました。内需中心の奈良県などは格差が縮小するような県になってきたというような現象もございます。
今後、奈良県はどのように対応すべきか、今までのことから判断いたしますと、ベッドタウンから脱却して、県内雇用と県内消費を増加させ、地域経済の自立を図ることが大事です。この自立というのが大きなことで、奈良でくらし奈良で働くという、職場と雇用と住宅を、住宅は大変いいと思いますが、雇用を発生させる商業を興すというのは大きな目標にしないといけません。
それから高齢者の健康づくり、くらしの向上を図り、子育てしやすい健康長寿の県にするというのも、可能だと思います。健康寿命というのがございますが、65歳のプラスアルファがどれだけあるか。介護にならない寿命ということですが、奈良県の男性は17年と1カ月あります。健康長寿率が全国13位です。65歳から17年ですので、82歳ぐらいまで平均で元気でおられる。女性は20.2年ありますので、85歳まで元気でおられる、女性の方は全国30位です。男性の方が全国順位は高いのですけれども、早く亡くなるということでございます。
このような課題に力強く向かっていかないと、奈良県は経済の面、財政の面で税収の落ち込みが厳しい。これは県も市町村も同じですが、高齢者が住み難く、経済の停滞した地域にとどまってしまうということを心配しております。
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よくなっている奈良を、ちょっと見てみたいと思います。悪いままというところも結構あるのですが、よくなっている奈良を幾つか見てみたいと思います。
【企業・工場立地件数】
企業・工場立地件数ですが、この4年間で101件の誘致ができましたが、過去を遡ってみますと、1年に2件とか3件しかない年が、平成11年、13年、14年とありました。多い年でも平成7年の10件ぐらい、ずっと企業立地に熱心ではなかったということがよくわかります。平成6年から18年まで、13年間かかって100件の企業立地を達成したのですが、この4年間で100件達成できた、これは一つの成果であります。
【従業員1人当たりの付加価値額(営業利益等)】
奈良で商売をしていただいた場合の付加価値額は、賃金とか給料のレベルですが、大体23位とか25位のレベルであります。企業城下町などでは一挙に落ちていると思いますが、奈良は、そこそこのレベルだと思います。
【農産物を消費者に直接販売している農家戸数】
農産物の直接販売農家戸数ですが、平成12年度から約10年間で8倍に増えております。全国順位も42位から34位に、直接販売しようと思われる農家が4,600以上も出てきているということでございます。
【果実の算出額】
それから、果実は奈良の重要なリーディング品目ですが、全国順位は、平成13年度の30位から平成22年は28位ということで健闘しています。
【外国人訪問者数】
それから外国人訪問者数は、平成13年は全国9位でした。訪問者数は随分増えておりますが、平成22年は全国順位11位ということです。ミシュラガイドで、緑のミシュランは観光ガイドとしてのランク付けですが、奈良と京都が三つ星で、大阪は二つ星、神戸は一つ星ですので、観光地としてのランクは上位でありました。このたび赤のミシュランガイドに奈良が加えられ、奈良にもうまいものがあるということが認められました。ミシュランガイドを見て、外国人は随分訪問されますので、大変重要なガイドです。
【国際コンベンション誘致件数】
奈良は、国際コンベンションにおいても人気都市でありますが、開催件数が平成12年度の14件が平成22年度は36件で、急増しております。全国でも開催件数が増えておりますので、順位は14位のままということですが、このような小さな都市にしては、大都市の開催がとても多いわけですが、国際コンベンションの開催も健闘している分野だと思います。
【観光ボランティアガイド数】
観光ボランティアガイドという分野がありますが、特に退職された方が観光案内をされることが多いのですが、全国4位であります。ガイド数も増えていますが、一般の特に退職された人たちのエネルギーがこのような部門で大きく発揮されているように思います。
【一世帯当たりの1カ月消費支出額】
一世帯当たりの1カ月消費支出額ですが、平成11年は全国順位22位でしたが、平成21年には3位になりました。その間の額は多少増えておりますが、全国の消費額がどんどん減るなかで奈良は維持をしています。その結果、順位が上がっているということでございます。消費支出が旺盛で、皆さんの知らないところで奥様方がちゃんと使っておられるというようなことじゃないかと思います。
【自殺死亡率(人口10万人当たり)】
自殺死亡率ですが、平成13年度は全国順位低位順で10位でしたが、最近では低位順で1位になっております。率としてそう減っておりませんが、全国的には高水準でありますので、奈良は増えていないということでございます。
【奈良県臨床研修医マッチ者数・募集定員充足率の推移】
これもご紹介いたしましたが、研修医はどこに応募されるか、マッチング率、充足率という言い方もされますが、平成15年度では70%弱の充足率ですが、最近では93%もあると、全国2位の充足率で、人気が高くなってきています。平成15年度から、たった8年で、また平成20年度から急激に増えておりますが、むしろ周産期の事故が起こって、いろいろ施策の手当をしたのが、評価をされて、特に病院医の方々、研修医の方々が奈良は働きがいがあるというふうに反応されていると聞いております。
【65歳以上被保険者に占める要介護認定者数の割合】
それから、介護でございますが、要介護認定者は、介護の必要な人の割合でございます。全国的に要介護認定者の割合が増えて、奈良でも一時減ってから、また増えておりますが、全国の順位が平成14年度は23位でありましたが、12位までよくなってまいりました。健康長寿を目指す県にとりましては、いい兆候の数字でございます。
それから、障害者福祉の分野ですが、障害者雇用をしていただく企業が、小さな企業も結構おられまして、雇用率は全国4位の水準値になっております。これは奈良にとりまして、福祉の分野で名誉なことでございます。
【ハイリスク妊婦搬送状況の推移】
奈良県では、ハイリスク妊婦搬送の事件がありました。平成14年では35.9%、約3分の1が県外搬送でした。それが平成19年に周産期の話題を集める事件が起こりまして、その後、周産期の改善を精一杯し、平成21年、22年は、県外搬送が急激に減りました。最近では4%に改善をしております。その人数も少なく、県外からの受け入れ人数が増えている状況になっております。これは周産期産婦人科のチームなど大変頑張っていただいた結果でございます。
【全国学力・学習状況調査の正答率】
学力・学習調査の正答率は、平成19年度は全国11位、平成22年度は12位で維持しております。
【1年間のうちに、演芸、演劇、舞踏を鑑賞した10歳以上の県民の割合】
これは文化の活動ですが、10歳以上の県民が1年間に演芸、演劇等を鑑賞した割合というのが全国3位とか全国5位とか、最近はこういう統計が出ておりますが、これも高水準になっており、文化鑑賞に熱心な県だということでございます。
【自主防災組織率】
自主防犯組織率は、平成14年度では43位でしたが、どんどん上昇して、平成23年度には21位になり、全国平均を上回る組織率になりました。特に、平成17年度から自主防犯組織運動をして急激に上昇いたしました。
【総合型スポーツクラブ育成状況の推移】
総合型スポーツの育成状況も同じでございます。
【交通事故死亡者数(人口10万人あたり)】
人口10万人当たりの交通事故死亡者数は、平成13年度は全国順位低位順9位でありましたが、以降10年間で死亡者数は半減いたしました。全国順位も低位順4位として健闘しております。今年は、高齢者の横断歩道での事故が増え、現在、交通死亡事故多発警報を発令しており、心配な面も出てきております。
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奈良をこれからもっとよくしようということを幾つか紹介していきたいと思います。
奈良は今、申し上げたようないい芽がある、努力をすれば伸びることもあるということでございます。大きな潜在能力があり、立派に自立することができると思います。自立する能力に目覚めて気づき、努力することで奈良はとてもいい県になると思います。幾つかの事例をご紹介申し上げたいと思います。
【リニア中央新幹線の整備】
リニア中央新幹線は、昭和48年に基本計画で、奈良市附近が主要な経過地として定められました。昨年5月26日に整備計画で、改めて奈良市附近が主要な経過地として定められました。環境アセスメントはこれからですが、地質地勢調査の対象には、京都市は入っておりません。あと工事施工認可があれば着工ということになります。昭和48年当時、奈良県選出の新谷虎三郎先生が運輸大臣でありました。新幹線の整備は、当時の田中角栄首相が決めたと言われておりますが、リニア中央新幹線もそのうちの一つです。その後、新幹線が整備されておりますが、過去に計画が変更された例はありません。これから奈良県にとって、県内のどこに駅を整備するのかは大事なことでございます。
【記紀・万葉プロジェクトの推進】
記紀・万葉プロジェクトでありますが、今年は、古事記が完成して1300年にあたります。太安万侶が元明天皇に旧暦の1月28日に献上したという謂われがありますが、さらに8年後の2020年には日本書紀が完成して1300年という節目の年にあたります。このふたつの節目の年をつなぐ9年間を、記紀・万葉プロジェクトとして推進していきます。私もにわか勉強ですが、天武天皇が史書をつくろうと言われたなかで、天皇家の古事記、藤原不比等の日本書紀と、そのように学者は言っておられますが、天皇と公家という関係の、当時は天皇と大連の争いが背景にあるのではないかと言われております。奈良は天皇家にとって大事な地域だと思います。天皇という称号が、飛鳥浄御原で木簡が最近発見されました。ところが京都に都が移りますと、上皇とか院とかと呼ばれただけでありますので、天皇という呼ばれ方は、平安時代以降は全くございませんでした。天皇という呼び名が復活したのは、明治天皇からであります。そう思いますと、奈良時代の元明天皇や元正天皇というのは大変意味のある呼ばれ方で、天皇が大変勢力のあった時代だと思います。これから日本がいろんな国難に向かうときに、そのような時代があった、古事記、日本書紀が編纂された地だというのは、歴史に大きな意味があるように思います。それを思い起こすべしということが今の時代あるように思います。
先日、石川県金沢市の山野市長が「よく金沢市は小京都と呼ばれるが、小京都と呼んでほしくないです」と言っておられました。なぜならば、京都は公家文化で、金沢は武家文化で思考が違うからです。小京都と呼ばれるのは困るということを念頭に置いて市政の発展に努められてまいりました。奈良も大変独自な味を持っている。古い歴史を誇るべき県だと思います。この記紀・万葉プロジェクトは奈良県が心を込めて推進していかなければと思います。昨年、紀伊半島大水害の報告を天皇皇后両陛下お会いしたときに、最後に余計なことを申しました。来年は古事記成立1300年の節目の年で、古事記は天皇家の物語でありますので、国民にもっと親しまれるようにしていきたいと申し上げてしまいました。多少出過ぎたことを言ったのですが、皇后陛下に大きくうなずいていただき、大変心強く思いました。やはり奈良のため日本のために、記紀・万葉プロジェクトを心して親しまれるようにしなければいけないと思っております。
そのような奈良の歴史を振り返ってみますと、遷都1300年祭を見て、やはり日本書紀をなぜつくったか。「日本国あり」だということを世界に主張するというのが奈良の政権の大きな目標であったと思います。702年に遣唐使が40年ぶりに復活して、粟田真人が唐に行きました。そのときの大きな成果が、これまで倭と呼んでいたのを、これからは日本と呼んでくださいということを言いに行ったわけであります。当時は、唐は則天武后(そんてんぶこう)という女帝でありましたが、大和政権は女帝が支配していることはわからなかったと書いています。しかし、則天武后にこれからは日本と呼んでください、何か大それた呼び方だなと思ったと思いますが、それなら倭というのをやめて日本と呼んでやろうと、これは外交の大きな成果でございます。それ以後、中国の史書には倭という言葉は一度も出ていません。中国も大した国だと思います。中国の一部の方言では、日本国をジーペンコウと言うのだそうですが、それがジパングになり、ジャパンになったという説がありますので、粟田真人の遣唐使というのは、今のジャパンまでつながっている大きな外交成果だと思います。当時、東アジアにお世話になったことは間違いありませんので、日本のこれから、グローバル化の中での東アジアで生きていくという日本のためには、奈良はある程度歴史を背景にして、一定の役割を果たせるものと思います。
【東アジア地方政府会合の実施】
東アジア地方政府会合という取り組みをやろうと、遷都1300年祭のときに声をかけましたら、韓国、中国、フィリピン、インドネシア、インドから大変たくさんの国が来ていただきました。このようなことをしている地域はほとんどありません。奈良の歴史を題材にして、日本の外国とのおつき合い、また奈良の振興の素材にしたいというふうに思いますが、おつき合いをすると、ものすごく情報収集できます。経済の情報だけではなく、国の動きについて情報収集ができます。東アジアは、今ダイナミックに変わっている地域だなということを思います。奈良がしているこのようなこと付き合いは、国家ではなかなかできませんが、地方政府ではできる時代になってきているように思うものでございます。
【病院の整備】
病院、医療の整備というのは、大変進展がありましたが、これからの楽しみは県立関係の3つの病院を整備していくということでございます。県立医大附属病院でありますが、大学を移転した後、病院を中心としたまちづくりをしていきたいと思います。県立奈良病院ですが、六条山に立派な病院をつくっていきたいと思います。最近発足いたしました南和3病院でございますが、その中核、拠点病院になる大淀町の近鉄福神駅の前の土地を最近買う目途がたちました。大変な支出になりますけれども、値打ちはあるように思っております。
【新県営プール施設等の整備】
新県営プールの設置場所でありますが、フラワーセンターがあったところに、民間事業者が施設をつくり運営するPFI方式でプール施設をつくります。施設整備も含めて15年間の契約でございますが、ちょうど駅の前になりますので、大変立派な運動公園になると思います。奈良の運動とスポーツの一大拠点になってくると思います。
【平城宮跡国営公園の整備】
平城宮跡国営公園の整備ですが、築地回廊をつくるというのが国営公園整備の次の目標です。ユネスコ諮問機関(イコモス)が、どういう復元かと聞いていて、今は調整中です。できるだけ早い着工をしてもらうように国土交通省と文部科学省のほうに言っておりますが、大極殿をつくるときもそうでしたが、昔の絵図がないので、これが正確な復元かどうかわからないじゃないかとイコモスが言います。大極殿なんかも復元と呼べないと言うのですが、そんなことを言っていると木造の御殿の復元なんてあり得ないじゃないか、設計図もないし、昔のように柱を置くだけじゃ、建築基準法がクリアできない、だからそういうことはできないということで、イコモスと奈良県は対峙しております。弱気になっては国際論争では負けるということですが、中国などには、どのような復元でもイコモスは文句を言わない。日本だと文句を言うのはどうしてだと言っております。そのような相手だということですが、国営公園をつくるときも、そのようなイコモスを相手にしなければいけないということでございますが、この前、朱雀門の前の積水化学が移転することに合意をしてくれました。さらにその移転先を奈良県内にしてほしいということで、東京の本社に行きました。奈良県内に移転してくれるなら、奈良県は補助金を出しますよ、税金をいくらか免除しますよ、いろんなことをしますということを言いに行きました。まだ結果は出ておりませんが、積水化学の移転後、どうするかというのは大変大事なことであります。駐車場だけではなく、そのあたりは特別史跡の外ですので、歴史館のようなものもつくれます。その平城京歴史館の中の映像をリニューアルして、歴史の展示をする予算を来年度予算で要求をしております。先ほどの粟田真人だとか、藤原仲麻呂とかいろんな人に登場してもらって、ここに来ると修学旅行生が奈良時代の歴史、日本国ができたときの歴史をわかるようにします。奈良の歴史は、政治、外交の歴史だと思いますので、政治、外交はよく説明しないと難しい。勝者と敗者を歴史学者が適当に分けてしまいますので、それを、公正に歴史を見直すというのは、一世紀前のこともそうですが、大昔のことも勝者か敗者か、だれが立派な政治家だったのかということをよく見直して、我々現代の者が目を凝らすようにしないと判断がつかないままになってしまっているということもありますので、奈良の歴史で、だれがいい政治家だったのか。藤原不比等は随分立派な政治家だったように思いますけれども、奈良の歴史、あるいは遣唐使と外交上の大成功を収めた時代でありますので、そのような歴史を振り返るというのが平城宮跡の大きな課題として出てくるように思います。さらに藤原京、飛鳥、飛鳥浄御原、桜井、奈良の政治、外交の歴史がありますので、そのような歴史が展示できるようにということが、奈良県の大きな課題であると思っております。
【奈良公園基本戦略の推進】
奈良公園は本当にすばらしい公園ですが、整備不十分なところがあり、いろんなところを整備していきたいと思います。本当に大層な整備になりますが、一つは、登大路の県営の駐車場をバスターミナル化しようという構想を考えております。また、若草山に、高齢者や車いすの方にも登れるような機器の導入をしたい。また、奈良公園でイベントをもっとするように、しかし奈良公園の風情を損なわないように、また奈良公園のいいところを維持するようにと基本戦略を随分練っておりますが、今議会に報告をするまでまいりました。
【遊水池の複合的利用の検討】
最後になりますが、遊水地の複合的利用がございます。来年度は大和川の減災のための遊水地をぜひ、河川事業としてやってくれということを言っております。そのような遊水地ができると、日ごろは駐車場とかになるわけです。駐車場ができるならば、そこにスタジアム、サッカー場のようなものができないかということを検討しております。同じような発想は、新横浜駅北側の日産スタジアムがある新横浜公園には、鶴見川の越流を受け入れるための遊水地があります。日産スタジアムの駐車場の柱には、1メートルぐらいの高さのところまで水が来たという線が残っております。毎年は越流するための遊水地になっております。大和川は、毎年は溢れませんが、30年か50年に一度大水が溢れる可能性がありますので、その遊水地の建設を国交省にしてもらうように働きかけていきたいと思っております。
以上のようなことを幾つも話をさせていただきましたが、このようなことをいろいろ考えて実行していきますと奈良は本当によくなるんじゃないかということを思っております。奈良には、相当の力がございますので、我々あるいは市町村が力を合わせて、いろんなことをすれば本当によくなると思っております。奈良県をよくするために、全力を挙げて行きたいと思っております。県職員は大変よく働いてくれるようになってきております。きょうの新聞では、サービスというのは県とか役場だということがキーとして出てまいりました。地域貢献をする県庁と役場がもっと研究をすれば貢献できるのではないか。そのためにやることは読売新聞に3つ出ておりました。首長が地域貢献を率先してやること。2つ目は地域貢献することを人事評価に入れること。3つ目は地域貢献のための休暇を確立すること、この3つがそうでございますが、首長の地域貢献参加はともかくといたしまして、あとの2つは人事課に検討してくれと今朝の庁議で申し上げました。そのような面で一生懸命していただきたいと思います。このように調査をしてご報告するというのも一つのご提案だと思っております。
きょうは大変長々とお話をいたしましたが、ご清聴いただきまして、誠に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
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