原子力規制委員会が全国16原発の事故の際の放射能拡散予測結果を発表した。安全神話を振りまいていた国が、ついに自ら原発の苛酷事故の可能性を発表したわけだが、自治体・企業・そして国自身がなすべきことは、防災計画ではなく、原発廃止ではないか。

 一度は原発ゼロの可能性を調査する方向に動いた野田首相が、すぐに原発依存へと動いた原因は、経団連の米倉会長が「それは了承いたしかねる」と言ったこと、さらに米国から強い「懸念」が表明されたことによるといわれる。この国の政策決める要因は経済力と軍事同盟でしかないのだろうか。ドイツが倫理委員会の報告を受けて脱原発を決めたことに比べ、あまりにお粗末である。その後の政治、そして電力会社の方針は、あたかも福島での事故が無かったかのように、大飯原発再稼動であり、大間原発建設再開に向かった。

 先日「エリア51」という本を読み戦慄を禁じられなかった。米ソ冷戦の中で、ネヴァダに広大な秘密基地を作り、米国民にも一切知らせることなく巨額の資金を投じて兵器開発が行われた。そこで超音速爆撃機開発に携わる飛行士は飛行のつど増えていくクレーターを目にする。それは核実験の跡であった。基地内では多くの人や動物が命を奪われ、自然環境が破壊されていった。「自国の勝利」が唯一絶対の目標となり、そこでは人間が人間であることを許されず、人の命は鴻毛のように軽かった。

 原発も同じ体質を受け継いでいる。自らが、より豊かに、より強く、より快適に生きることのためには、他の人の命を犠牲にし、環境を汚染することを厭わない。それは厳重な管理の下に極秘のベールに包まれ、差別と人権侵害のうえに成り立っている。

 私たちは、かつて自国の強さと豊かさを求めて、アジア・太平洋の諸国を侵略し、朝鮮半島と台湾を植民地として支配した。その謝罪も行われないままにいま、ふたたび、沖縄へのオスプレイ配備や日米共同演習、自衛軍や天皇君主を盛り込んだ憲法改定案など、軍事大国への道を急速に進んでいる。その狙うところは「米国と一緒に戦争が出来る国になるため」である。そして、原発体制はこの軍事化と表裏一体をなしている。脱原発という方向は「日本経済と世界の安全保障にとって誤りだ」と米国戦略国際問題研究所のジョン・ハレム所長は言う。米国の世界戦略と利潤追求のために、あれだけの災害をもたらした原発を廃止させられないという。

 利潤追求の流れは日本国内に留まらない。日本では新規の原発が作られそうもないと、原発輸出の話が着々と進み、廃棄物を押し付ける交渉が進んでいる。東芝は英国の原発会社を買収するという。除染に除染を重ねても、ひとたび放出された放射能は消えず、そのために故郷に住めない人がいるにもかかわらず、同じ危険性を持つ原発を輸出して金儲けをするとは、日本企業は金の亡者になりさがってしまったのか。

 日本のキリスト教界は、かつてのアジア・太平洋戦争で戦争に協力したことを悔い、多くの教団が、神と隣人に対し罪の告白を表明した。

 いま、ふたたび同じ罪を犯そうとしているこのとき、現実をただ座視していることは出来ない。この世界を造り、一人一人の人の生命を何ものにもかけがえの無いものとされた神を心から信じ、同じ神の愛に生かされた隣人を本気で愛そうとするなら、力と豊かさを神と並べて祭り、自分中心の生活ゆえに隣人を苦しめることは赦されない。生命か死かの分かれ道に立って、私たちは生命の道を選ばなくてはならない。軍事力と経済力のみを重視し、人間の生命という視点を持たないこの国にあって、キリスト者が声を上げることは重要である。

2012/11/01
共同代表 鈴木 伶子

 



 3・11大震災/原発事故は、その被害の甚大さとともに、私たちの社会のあり方、私たち自身のあり方を根底的に問うています。

 特に原発過酷事故は、政官財界、学界、司法、マスコミが一体となって謳って来た「安全神話」に取り込まれ、「原発体制」を許してきてしまった私たち自身の責任も問わなくてはなりません。

 戦後、キリスト者は自らの「戦争責任」を問うてきましたが、今、原発体制を許してきた「戦後責任」が問われています。

 しかし、政府・原子力産業界は、過酷事故を起した当事者にもかかわらず、その責任を一切問うことなく、生命より金儲けを優先させ、原発再稼動・原発輸出を推し進めています。

 私たちは、そのような「原発体制を問う」ために力を合わせようと、この会を立ち上げました。

 

 今なお原発体制を問うことがタブーな教会も多く、孤立しかねないキリスト者も多いと聞いています。 また、市民活動などに参加して反原発・脱原発の取り組みをしているキリスト者も多くおられます。

 そのようなキリスト者が互いにつながり、協力しあい励ましあい、またアジアで志を同じくする人々とつながり、原発・核兵器の廃絶のためにともに歩んでいきたいと願っています。



2012/08/01

第2次HPの公開にあたり