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新憲法案
(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。
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現行憲法
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
② 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
③ 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
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「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」
というのは、要するに地方自治体や政府が神社に払う「玉ぐし料」や前回の天皇の就任儀式・大嘗祭(神道儀式)の際の100億円は、違憲ではない・・・・と言ってるわけだ。
つまりは、政教分離の原則はなし崩しにされるかも知れないという事である。
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はじめまして。
これは本当に改悪そのものです。
米国憲法では、議会は現行の宗教に関するいかなる法もつくってはならない、ということで、政府の介入を絶対に禁じることにより、個人の宗教の自由を確立しているわけです。
この原則によって創造論は科学ではなく宗教あるから、政府は介入できないので、公立学校で科学として言及されることが禁じられているわけです。
ここまでやらないと自由というのは社会で維持できないということなのですが、日本でもそういう自覚を持って欲しいですね。莫大な犠牲を払って得たわけですから。
2013/1/29(火) 午前 5:33 [ chuka ]
こんにちは
コメントありがとう。
日本における信教の自由は、敗戦によって与えられたものでしたので、あまり意識がないのですね。戦前の天理、ほんみち、大本、創価、ひとの道、キリスト教・・・など各宗教に与えられた弾圧を、学校の歴史で習わないので、人々は知らない。知らないから意識が無い。
しかし、今度こそ自分たちでそれを勝ち取らねばならない時代なのだと思います。
2013/1/29(火) 午前 10:50 [ kan ]
日本では、国家神道を「儀礼」と「道徳」のレベルで民衆に浸透させていったという歴史的経緯があります。現在の保守政治家の、道徳主義的傾向は危険ですね。日本人は、一般に「無宗教」という意識を強く持っていますから、この傾向に流されやすく、その意味では、麻生の靖国法人化論なんでのが最も危険です。漢字も読めないなんて低レベルの批判をやる人がいますが、麻生は、そのあたりはかなり狡猾で考えています。今、日本は戦前に本当に戻ってしまうか、民主主義を維持出来るかの瀬戸際に来ています。国家主義的言説に対抗できる、リベラルな市民連帯の声を拡大させるしかない。もう、右も左もなく、如何に骨太の中道リベラルを形成できるかに全てがかかっているとさえ考えています。ここ10年、いや、5年で決まると思いますね。
2013/1/29(火) 午後 0:43