2013年3月28日木曜日

「 ぬまゆのブログ 」 は、これで終わります。





わたくしは、

ある新聞記事を載せたことで、

そのご遺族を深く傷つけてしまいました。



ご遺族への謝罪には、

ブログをやめること しかありませんでした。


ですから、

ブログを終わらせます。

いままで、読んでくださった方々に、

感謝しています。


どうか、

福島を忘れないでください。



わたくしは、

ご遺族の心に立って 考えました。


絶対に、許してはくれないでしょう。


「 謝罪 」 を込めて、

ブログを閉じます。


もう、二度と復活は しません。


みなさまの上に、

幸運がありますように。

そう祈って、終わりにします。


ありがとうございました。


何か、お知りになりたい方は、

下記の電話番号に おかけください。


080-1848-8825





支援者の方々へ





たくさんの支援を ありがとうございました。

手作りパンウニイカ ・  衣服 など、

きめ細やかな お心遣いに

心から感謝を申し上げます。



二年前、当初は、

わたくし一人で、始めた支援でした。



津波で、何もかもが流され、

みんな、

身一つ で 命を守った方々です。


わたくしは、

二年前の 9月に 思いました。

仮設住宅の高齢者に、

冬支度 をさせなくては ・・・ と。



それを ブログに載せただけで、

こんなにも 支援物資が届くとは、

思ってもいませんでした。



わたくしは、

「 高齢者支援 」 を しています。

仮設住宅での孤独な思い

おじいちゃん、おばあちゃん 方に、

させたくなかったからです。



いまは、

おかげさまで、集会所 は、

憩いの場所 になっています。



明日、早速 衣類 も届けに行きます。



送り主さんと、

まだ、電話がつながっていませんが、

今夜、また かけてみます。


全国のみなさま、

本当に ありがとうございました。






2013年3月23日土曜日

【 原発 事故直後 】 からのデータが 消去されていた ?





福島県の 放射能 モニタリングポストの 「 データ 」 の、

4521 時間分 を、

誤って消去してしまったみたいです。






 


本当に、

「 誤って 消した 」 のでしょうか ?


消去されたデータは、

二度と 復旧されないのです。


つまり、

【 原発 事故 】 直後の データは、

消えてしまったのです。



しかし、

木村真三 教授が、

3月28日 に、35号線を測定したところ、

150 マイクロシーベルト を 測定していました。


わたくしの家から、すぐ西の 道路です。


こんなことが、許されていいのでしょうか ?







福島県にいると ・・・。





福島県内にいると、

書くに書けないことが、たくさんあります。



ブログに載せたことで、

誰かを傷つけたりすることもあります。



そのうち、

「 福島県は、忘れられていく 」 と思いながらも、

書けないことがいっぱい。



遺族の気持ちになれば、

筆は止まります。



でも、

どうか、忘れないでください。

福島の惨状を ・・・。




わたくしは、今朝 起きてみると、

肩の痛みが広範囲に広がっていました。



初めは、骨の痛みだけだったのに、

二の腕 まで、痛んでいました。



言いたくても、言えないのです。

同じ  「 痛み 」 を 共有している方 にしか ・・・。



それほど、

複雑な問題 なのです。



個体差もありますし、

みんながみんな、痛いわけではないからです。



しかし、

いま、痛みが来ない方々の方が心配です。


1945年に、

広島で二次被曝した方々は、



4 ~ 5年後に、発病されています。

すべての方々ではありませんが ・・・。



わたくしも 夫も、

避難せずにいました。


二人とも、酷い倦怠感 に襲われています。



避難した方々も、

大部分が、爆発後に逃げました。



放射能の中を、

子どもの手を引いて 逃げたのです。



家のライフラインが 損なわれた方々は、

【 原発 】 が爆発したことも 知りませんでした。



そして、被曝したのです。


あんなに健康体だった わたくしも、

いまは、無理ができません。



歯もなくなりました。


髪も ごそっと 抜けました。


「 ベント作業 」 をした時点から、

高濃度の放射能が、

風の吹くままに ばらまかれました。



その前に 避難できたのは

【 東電 社員】 だけでした。



おそらく、

このブログも、

そう遠くない時点で

終焉を迎えると思います。





























2013年3月22日金曜日

いわき市が、満杯になっています。





大震災の時、

スピーディーで見ると、

放射能が、

初めは、海の方に流れ、

そして、内陸部に風向きを変えました。


いわき市には、直接 風が流れませんでした。


ですから、

いわき市は、数値が低い のです。


みんな、我先にと いわき市に住居を構えようとしました。


結果、

アパート から 何から何まで、

住居を求める方々で、満杯になりました。



以下、地方紙 『 福島民友 』 より




これでは、

転勤者も、物件を見つけられません。

おまけに、

地価も高騰しました。



これが、地価高騰のグラフです。





そして、【 原発 】 ですが、

29時間ぶりに、【 原発 】 が、全面復旧をしたようです。



原因は、

「 ネズミ が、焼け焦げて死んでいた 」 からだと

主張しています。


「 ネズミ 」 のせいで、機関がショートしたのだと、

新聞には 載っていました。



ネズミ ・・・ ねぇ ・・・ ?



とにかく、

油断のできないこの状況では、

どうすることもできません。



総理は、買い占め自粛 に取り組んでいるようです。



しかし、

それは、無理があります。


わたくしから言わせれば、逆に、

「 普段から、長持ちのする 食料 を 備蓄してください 」 と、

言いたいです。




3.11 時に、南相馬市 は、

放射能を恐れた運転手が、入って来られず、

たちまち 食糧不足 に 陥りました。



お店というお店が、

あっという間に 閉まっていく 「 あの光景 」 を、

総理は、感じているのでしょうか ?


それと、

ガソリン不足 ・・・。



わたくし達 夫婦は、

隣の相馬市まで、買い物に行きました。


避難せずに残っている方々の分も、

買ってきました。



相馬市 と 南相馬市 とは、

たった 20㎞ しか 離れていません。


でも、

運転手さんの気持ちも 解ります。


ここは、

「 避難せよ 」 と言われない方が

おかしい所でした。






2013年3月21日木曜日

爪が ・・・。





いま、

教材の整理をしていたら、

左の中指の 「 爪 」 が かけました。




ペーパーしか触っていないのに ・・・。


これまでも、爪が欠けまくっていました。



しかし、

ペーパーワークで、欠けるなんて ・・・

夢にも思いませんでした。


これまで、

高校教諭の時には、

どんな 重労働をしても、

「 爪が欠ける 」 なんてことは、なかったのに ・・・。




続 編



禿げました。

「 つむじ 」 は、もっと上の方にあります。

コンディショナーをつけて、手串でほぐしている時に、

「 モソッ」 という音がして、

そのまま ほぐすと、髪の束が、ごそっと落ちました。





お風呂に入ろうとしたら、

夫が 左の大腿部を見つけました。

ちょっと、光が入ってしまいましたが・・・。




これは、歯が次々と取れていったものです。

上の前歯 3本は、セラミックです。

教員になる時に、「 すきっ歯 」 だったので、

健康な歯を、無理やり削って、前歯の 「 隙間 」 を埋めました。



年末にかけて、

歯は どんどん酷くなり、

友人が 歯科医をしているので、

突貫工事をしてもらいました、


少しずつ、歯はできあがりました。

いまは、すべて 義歯 ( ブリッヂ )です。




友達のおかげで、

ようやく、歯が まともに見えるようになりました。

1日3時間 ・・・ 実に、3ヶ月かかりました。



以前は、透明に近い 真っ白な歯だったのに ・・・。