社説:イレッサ原告敗訴 では、何が原因なのか
毎日新聞 2012年05月27日 02時30分
これまでの薬害訴訟でも繰り返されてきた光景ではあるが、原告全面敗訴となったイレッサ訴訟の大阪高裁判決を見ると、薬害救済における司法の壁の厚さや不可解さを感じないわけにはいかない。
肺がん治療薬「イレッサ」訴訟の判決はこれが4度目だ。1審では大阪地裁が輸入販売元のアストラゼネカ社に賠償を命じ、東京地裁はア社だけでなく国の責任も認めた。ところが、2審になると東京高裁も大阪高裁も一転して原告の訴えを退けた。イレッサは難治性の肺がんにも有効性があり、承認当時の添付文書の副作用欄に間質性肺炎が明記されていた。だから認可した国にも販売元の会社にも責任はない、というのが大阪高裁の判断だ。
では、販売後わずか半年で間質性肺炎によって180人が死亡、2年半で死者557人に上ったのはなぜか。「(添付文書を読めば医師は)副作用発症の危険性を認識できた」と大阪高裁判決は断定する。医師たちは危険を分かりながら副作用死を出してきたというのだろうか。
情報とはどのような状況や文脈の中で使われるかによって伝わり方がまったく違ってくる。当時の状況をもう一度思い出してみよう。イレッサは副作用の少ない「夢の新薬」と大々的に宣伝され、難治性の肺炎患者や家族の期待はいやが上にも高まった。間質性肺炎はたしかに添付文書に載ってはいたが、重大な副作用欄の後ろの方の目立たないところにあった。臨床試験では間質性肺炎とみられる死亡例がいくつも報告されていたが、それらは添付文書のどこにも載っていない。
やはり情報の伝え方に問題があったと見るのが自然ではないだろうか。実際、目立つように添付文書が書き換えられてから副作用死は急減した。ただ書いてあればいいということではないはずだ。長い歳月の裁判に徒労を感じるのは被害者だけではないだろう。
実は、1審判決の前、東京・大阪地裁は和解を勧告し、原告側は和解による早期決着を求め、政府も和解を検討していた。ところが、関係医学会から和解勧告を批判する見解が相次いで出され、結局は国もア社も和解を拒否した。後になって、厚生労働省の担当部局が各医学会に発表を促し、一部は声明文の下書きを渡していたことが判明する。
高い専門性に覆われた分野で未知のリスクをどう判断するかは難しい問題だ。専門家がどのような立場や思惑で「危険情報」を発するかによって、大きな恩恵にも悲劇にもなり得る。そうした情報伝達の本質が医療や司法の世界でどのように理解されているのか、疑問が残る。