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番組ガイド落語でがん体験を伝える 〜肺がんの後遺症を乗り越えて〜 樋口強さん(51歳・千葉県)
プロフィール
1996年 肺小細胞がんを患い、右肺の一部を摘出。
自ら強い抗がん剤を選択。
がんは完治するが、副作用の強いしびれが残る
2001年 趣味の落語に取り組み、がん体験を語る独演会を開く
2004年 年に一度の独演会は、今年で4回目を迎えた
「この落語会がね、がんの仲間同士の大事なかけ橋になっていくような気がします」1危険を承知で強い抗がん剤治療に臨む
 樋口強さんは、大手繊維メーカーに勤める会社員です。今から7年前、仕事中心の生活を送っているときに、偶然受けた人間ドックで肺がんが見つかりました。詳しく検査を受けたところ、特に進行が早く治療が困難な「肺小細胞がん」であることが判明。
「うわーっと思ったんですね。まず生きることがないがんなんですよ。半年で全身転移、3年生存率が1%ぐらい、5年生存率になるとほとんど数字がありません。それが僕のがんなんだ、とすごく大きなショックを受けました」
 2回にわたる抗がん剤治療と、手術による右肺の一部摘出。医師は体への負担を考慮し、その後の抗がん剤を1回で打ち切ろうとしましたが、樋口さんは徹底的にがんをたたくため、危険を承知で抗がん剤治療を続けたいと訴えました。
「非常に強いがんだからこそ、逃げて背中を見せたら絶対に捕まえられる。今この時期に中央突破するしかない、治癒を目指すんだ」樋口さんはそう考えたのです。
2後遺症を抱えながら
 入院して8か月の抗がん剤治療を終え、無事自宅に戻ることができた樋口さんですが、大量に投与した抗がん剤の後遺症が残りました。
「今、手に持っているこのカップが重いのか軽いのか熱いのか冷たいのか、分からないんです。今でもそうです。ものすごく熱いお湯が入っていても分からないんです」
 手足の感覚がまひしたばかりか、再発の不安にもさいなまれました。
「朝起きたら背中が痛い、首筋が痛い。普通なら寝違えたかなと思うのに、一番によぎるのは、「これは骨に転移したかな」ということなんですよね」
 がんの治療後、再発の恐怖を抱えながら、どう生きていけばいいのか…。樋口さんは、がんに関するさまざまな本を読みあさり、答えを探り続けました。
「治療しているときは、血液検査で何を何ポイント以下に下げようとか、目標が具体的に見えているわけですよ。ところが全部終わったときに、何も見えない世界に入っていくわけです。背中に時限爆弾を抱えて走るわけですから、その方がつらいですよ」
 樋口さんは、がんをきっかけにして食事は玄米と野菜を中心にするなど、生活を根本から見直しました。毎朝6時半に起床し、30分間のヨガで1日をスタートさせます。
3「笑い」をがんの仲間のかけ橋に
「副作用の中にね、髪の毛が抜けるというのがあります。あれ、嫌なもんですよ、私も抜けました。でもね、しばらくするとまた生えてくるんですよ。あっ、言っときますけどね、また生えてくるのは治療の前に毛があった人だけですよ(会場爆笑)」
 樋口さんは、趣味の落語を通じて自らのがん体験を伝える活動を始めました。3年前から、がん患者とその家族を招いて、年に1回の独演会を開いています。がんの仲間同士が気兼ねなく楽しめる場を作りたいと考えたからです。
『がんになって初めて大声で笑いました。ありがとう』聞きに来た仲間からのメッセージは、樋口さんにとって何よりの宝物。
「この落語独演会が、がんの仲間同士の大事なかけ橋になっていく気がしますね。皆さんがこの落語会を楽しみに待ってくれている。そう思うと、死ねなくなりましたねえ」
「笑いは最高の抗がん剤」 これが樋口さんの信条です。
 また来年、元気に再会できることを願いながら、樋口さんは集まった仲間たちを見送るのです。
(2003年9月30日放送)
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