タイトル |
: Re: 私の祖父の話 |
記事No |
: 383 |
投稿日 |
: 2003/04/18(Fri) 12:04 |
投稿者 |
: 祖父は警官 |
●私はそれほど沢山読んだわけではないのですが、「地上の楽園」プロパガンダの場合、ウソで固めたというよりも、美化で固めたという側面があると思います。 ●従って対立軸として「貧しい←→貧しくない」ということは主でなく「貧しいが皆が協力しあって頑張って新しい祖国を建設している、だから苦労するに甲斐のある暮らしがまっている」というような言い方が、あったのではないかと。 ●そして、完全にハメたウソ捏造という見方もできますが、「元々朝鮮の文化と日本の文化には物事の理解に違いがある」というような気もします。戦前から先進資本主義国のファンダメンタルのあった日本に居て(いわゆる”帰国事業”は徴用者ではなく出稼ぎ者を主な対象としていた)文化や社会生活の自由の空気を持っていた人がそうではない国に行った時の衝撃はひどいものだったはずです。 ●それはもちろんキムイルソンやキムジョンイルの現政権の政策がグロテスクなものであるという側面も勿論あるでしょうが、とにかく67年のクーデター頃までの北朝鮮は、今見てキテレツなほど変な国ではなかったという事も改めて強調したいと思います。 ●この唯一独裁体制の確立と、東独の崩壊等に始まった一連の事態の中で対ソ貿易がハードカレンシーに変更(援助がなくなった)事とがどうにもこうにも硬直した「先軍政治」の手詰まりを(当人はどこまで手詰まりと認識しているかは別だが)方向づけたのではないかと。 ●つまり、「焦土とかした国が繁栄しているわけがない」というのは、素朴なリアリズムでありますが、「焦土と化し技術文化および労働力が枯渇した故に、復興に必要だからこそ必死に日本僑居者を誘引した」ともいえるわけです。その後、首尾よく約束どおりの建設が進んだかということはご存知のとおりなのですが、一概に霊感商法や会員獲得商法のような意味でのサギとは決め付けられない側面があると思います。 ●要するに、当時は別の話題をしていたのです。今の総理総裁である自民党の小泉氏の父親と民主党の先の党首鳩山氏の父親、共産党は61年綱領確定前でしたが最大の穏健派であり現共産党の自主独立平和路線の立役者であった宮本氏がこれを推進しました。社会党は対朝関係では意外にも韓国よりだったので蚊帳の外のはずで左右が激しく内部でゴタゴタしていただけ。創価学会は「朝鮮に帰って広宣流布をせよ」と彼ら特有の狭い関心から好意的でした。従って、話に噛みあうような意味での、帰国事業に関する「警鐘」をならしていた識者というのは私は寡聞にして知りません。 ●(日本の国論、論者というのと違いますが)韓国民団の人たちは一貫して「帰国事業」に反対していたそうですが、これも今と比べると隔世で韓国の過去は北とどっこいどっこいの国で、北が貧しいが故に「帰国事業」を企てたとすれば韓国は貧しいが故に帰国者を受け入れることを黙殺却下していて、この韓国の政府の意向にある意味”盲従”していただけであります。 ●おっと忘れていました。代表的な「帰国事業」の旗振り人であった故寺尾五郎氏もたしか戦前の早稲田(卒じゃなく中退か?)でしたね。うちの祖父は(おそらくウランさまのおじいさまほど学はなく)明治大で柔道ばかりしていたようです。
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