タイトル 演習問題
記事No 181
投稿日 : 2003/01/20(Mon) 14:15
投稿者 祖父は警官
こんなページを見つけました
------------以下引用-----------------
http://www.han.org/a/faq/faq001.html

どうして韓国人や朝鮮人が日本にたくさんいるんですか。

1910年の日韓併合から1945年の終戦まで36年間,日本は朝鮮半島を植民地支配しました。日本に定住している韓国・朝鮮人の多くは,この間に日本に渡ってきた人とその子孫です。

日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた日本は,「産米増殖計画」(1920〜34年)といって植民地である朝鮮半島から大量の米を収奪しました。日中戦争がはじまると,米だけでなく水や地下資源,労働力など,さらに収奪は激しくなっていきました。それによって朝鮮の民衆は貧しくなり,職をうしなう人が続出したわけです。はじめに,そういう人たちが大量に職を求めて日本にやってきました。

そして1939年には,日中戦争の泥沼化や太平洋戦争突入による労働力不足のために,いわゆる「強制連行」がはじまりました。終戦までに「強制連行」で日本につれられてきた人の数は,のべ60万人にものぼります。

こうして,1945年の終戦当時には230万人をこえる朝鮮人が日本にいました。その多くはすぐに自力で朝鮮半島に戻っていきましたが,戻るためのお金や手段がなかった人は取り残されました。また,財産の持ち出しを制限されたため,朝鮮に生活基盤がなくなっていた人も帰ることができませんでした。そして結局,1947年の時点で約53万人が日本に残りました。これが,在日コリアンの「一世」です。
--------------------以上-----------------------------
できうる限り、このFAQ提出者とかみ合う議論をしつつ、自説を展開してみてください。ちなみに、私はレスしようと思ったのですが、ここのBBSは会員登録してないと書き込みできないところだったので、仕方なく資料をお持ち帰りしてきました。

タイトル Re: 演習問題
記事No 186
投稿日 : 2003/01/21(Tue) 11:43
投稿者 ピョートル   <shouheirinn@naver.co.jp>
「強制連行」と言いますが・・・正確な数字は忘れましたが、戦時中の強制連行以前に、在日朝鮮人の八割ほどの朝鮮人が日本に移住していました。強制連行されてきたのは、二割程度です。(私の記憶が間違っているかもしれないので、正確な数字を知ってる方は、教えてください。)つまり、強制的に連れて来られたのは、ごく一部であり、大部分の朝鮮人は、自分から日本に来たのです。
あと、ある左翼の集会で放映された、在日朝鮮人へのインタビューで、「・・・朝鮮へ帰ったとしても、向こうには生活基盤が無いし、日本に生活基盤があるし・・・。」と、在日朝鮮人が言う場面があります。(うちの父が若い頃に見たものです。)つまり、この人は強制連行されたのではなく、自分から来たのですが、(強制連行されて収容所で働かされたのなら、日本に生活基盤があるはずがありません。)当時の左翼は、「強制連行された」と言い張ったそうです・・・。
また、豊田有恒著「いい加減にしろ!!韓国」(だったと思います・・・。)には、朝鮮人が工場で働いている場面について、「男女とも同じ職場で働いていたので、職場の風紀が乱れて困った。」という、当時の工員の証言が書いてあります。実際に、炭焼き職人どうしで、結婚した在日朝鮮人もいるぐらいです。
そもそも、「強制連行」なのかどうか、また、「強制連行」だとしても、労働の実態は、どんなものだったのか、それをはっきり書いてもらわないと、ソ連やナチスの収容所と同じ内容の収容所ではないかと思えてきます。まずは、はっきり書くということから始めてくださいと言いたいですね。

タイトル Re: 演習問題
記事No 191
投稿日 : 2003/01/23(Thu) 15:53
投稿者 白石
私の父は中国地方の山奥の小さな村の出身ですが
終戦前まで半島出身の男の人がひとり住んでいたと言います。
父は小学生低学年でしたので余り細かな事情は解らなかったそうですが
体のがっちりした人だなあという印象だけ残っているようです。
(一般に日本人より体格が良いんでしょうか?)

山奥の村のことですし、言葉もよくわからないし、
土地を持っているわけでもないので
大した仕事に就けなかったようです。

それでピョートルさんの文のように炭焼きと荷物運びの手伝いで
生計を立てていたそうです。

でも終戦後にはすぐに帰国してしまったようです。
この人の場合は「強制連行」ではなく
「出稼ぎ」に来ていたように思えます。

タイトル Re: 演習問題
記事No 192
投稿日 : 2003/01/23(Thu) 19:44
投稿者 チンダラコッチ   <0354281901@jcom.home.ne.jp>
参照先 http://dprkorea.w3.to/
> どうして韓国人や朝鮮人が日本にたくさんいるんですか。
>
> 1910年の日韓併合から1945年の終戦まで36年間,日本は朝鮮半島を植民地支配しました。日本に定住している韓国・朝鮮人の多くは,この間に日本に渡ってきた人とその子孫です。
>
私は1928年旧朝鮮西北部生まれ75歳です。
1944年中学4年生終了後日本海軍の飛行予科練習生に入隊しました。
朝鮮の人もピンからキリまでありまして上流家庭(ヤンバン)では日本の
庄屋のように大きな家屋や田畑を持ち小作人が沢山いる特権階級や嫁も
貰えないような貧しい奴婢もいました。
李朝時代の名残りのヤンバンの敷地では毎日「リンチ」が行なわれていま
した。「リンチ」に依るビッコも良く見ました。

総督府の治世で学校が増え、病院が各村に出来て、田畑の水路が拡充され
ました。朝鮮の人は日本語を学び生活費の向上に励む努力をしていました
働き口の得られない人々は日本から来る会社の労働により収入を図った者
もいました。その中でも一旗上げて故郷に錦を飾って帰郷する人もいた様
です。朝鮮から日本には決して強制されて行った人はいませんでした。

私の中学校では学級の1割の5名ほどの朝鮮の子弟が机を並べておりましたが何れも成績優秀で日本の上級学校に進学していました。

戦後も同窓会に毎年来日し昭和天皇が崩御されたときには宮城まで記帳に
行ってくれました。
親日の朝鮮の人も数多くいます。朝鮮戦争後は5名の内3名が韓国に逃れて来ています。北朝鮮に残った学友はまだ行方不明です。

タイトル Re: 演習問題
記事No 196
投稿日 : 2003/01/24(Fri) 22:53
投稿者 Zep
あら,キム・ミョンスのサイトですね。

関西の某私大の教員である在日のかたの開設しているサイトですが,
あまりにステレオタイプな解説と,そのBBSの恣意的運営とで有名だと
聞いています。

最近は2ch方面で洗脳された(笑)書き込みが増えたために,
BBSを閉鎖するというアナウンスが行われています。

タイトル Re: 演習問題
記事No 221
投稿日 : 2003/02/02(Sun) 11:46
投稿者 祖父は警官
> どうして韓国人や朝鮮人が日本にたくさんいるんですか。
>
> 1910年の日韓併合から1945年の終戦まで36年間,日本は朝鮮半島を植民地支配しました。日本に定住している韓国・朝鮮人の多くは,この間に日本に渡ってきた人とその子孫です。

ですです。

> 日清戦争で慢性的な米不足におちいっていた日本は,「産米増殖計画」(1920〜34年)といって植民地である朝鮮半島から大量の米を収奪しました。日中戦争がはじまると,米だけでなく水や地下資源,労働力など,さらに収奪は激しくなっていきました。それによって朝鮮の民衆は貧しくなり,職をうしなう人が続出したわけです。はじめに,そういう人たちが大量に職を求めて日本にやってきました。
>
まず、【慢性的米不足におちいった】はあやまりです。どちらかというと、【恒常的に米は歴史上ずっと不足気味】でありました。
1)日本の昔ばなしに(よく左傾だと攻撃される典型として「かさこ地蔵」とかありますが)米がいかに歴史上ずっと不足していたかはさまざまに描かれています。
2)戦時中の配給制度や戦後の食管体制などで統制してやっと安定した。昭和三十年代にやっと飽食するほど米がゆきわたりますが、それまでは基本的に米は不足です。これは朝鮮も大差はないのではないか?
3)そして資本主義制度の中では不足によるより余剰による方がより苛烈に貧困をもたらします。併合後、日本は米を朝鮮から買い入れました。強奪によるというより資本主義的に。そして米余りになり、娘身売りなど農村窮乏化が日本国内で発生しました。その農村窮乏の対策として今度は(日本のつごうといえばつごうですが)米の日本への流入を一方的に停止しました。今度はそんな「娘身売り」のような破滅的な農村窮乏化が朝鮮に転嫁されてしまいます。日本の農民と朝鮮の農民とは資本主義の「収奪」にともにさらされているということ。
4)こうして自由市場として日本の市場に組み込まれる事によって、日本よりもたらされた、いわば当時の「グローバリズム」によって、「セーフティネットの未整備」だった当時の朝鮮では大量の農民の窮乏化「エンクロージャー」が起こり、この人々が(日本でも大量の農民が20世紀には離農して都会に流れ込みますが)都会である日本へ流れ込んだと。これがあなたの言われる「収奪」です。

それから地下資源というのは、眠っている間は何の価値もないのです。海の魚と同じ事。日本の資本と技術を導入して、開発を進め、現地の労働者を雇用して労働を創出したということは土地に固着していた農民の流動化を促進するとはいえ、職ない人に職を、未開発の地域に鉱業を、また労働運動やら生産技術やらそれらの基礎になる教育制度整備などを伴う事です。
米をもし「強奪」したなら、日本に農民が流入することなど絶対に日本はさせず、もっと凄惨な人為的な大飢饉。絶滅的ホロコーストになったでしょう。そうではありませんよね。結局「日帝36年」で朝鮮半島の人口は倍加します。鎖国して農業技術も工業技術も遅れていた朝鮮半島は1)日本の市場に統合されることにより大発展をとげました2)市場化されることにより「収奪され」ました。この1)と2)とはコインの裏表であります。そして3)自力で工業化をとげられなかった朝鮮の統治者たちの産業経済政策の無能ということも同じ事の別の表現であります。

> そして1939年には,日中戦争の泥沼化や太平洋戦争突入による労働力不足のために,いわゆる「強制連行」がはじまりました。終戦までに「強制連行」で日本につれられてきた人の数は,のべ60万人にものぼります。
>
なるたけ歴史を大目に表現する、という姑息な叙述であります。1939年に”いわゆる「強制連行」”が始まりましたか? 1943年以降ではありませんか?国民徴用令ですよね。1939年に泥沼の戦争に突入しましたが、1)圧倒的多数の当時の朝鮮人は戦争に反対したわけではなく2)何割かは、むしろ積極的に、いわば日本人と共に”世界戦争の挑発者、人道に反する罪”の役割を担いました。朝鮮人の獄卒による虐待の被害をうけた米中アジアの人々もいますし、現実にそれをBC級戦争犯罪人として死刑をうけた朝鮮人もいます。数十倍という難関を選抜試験を突破して、わざわざ「帝国軍人」に志願した朝鮮人が「ジャップのバンザイアタック」、つまり特攻隊に志願し、何人かはそれで戦死しています。広島や長崎で大勢の朝鮮人が原爆で殺害されていますが、彼らは軍需工場に動員されているのであり、軍需というのは、日朝以外の諸外国との戦争に用いられる物資でありました。そもそもパクチョンヒ大統領も日本軍のエリートの一人でした。こうして朝鮮半島の人々自身が日本の軍国主義政治を深く受容し、愛しもすれば自らの歴史に刻みもして、いわば血肉化して持っているのに、それを日本だけの罪と帰すような記述はどうでしょう? 日本人に受け入れられないだけではなく、真にアジアの諸外国を広く見据えた議論になりえないように思います。日本人にも戦争に反対して平和運動や抵抗活動をした人がいます。むしろ抵抗運動は朝鮮本土より日本の方が大きかった。いわば過去の身分を捏造して、(ほぼ全員が出自が両班であったかのように今の韓国ではしているそうですね)朝鮮住民が全員侵略戦争に反対したというのはいかがなものか。

> こうして,1945年の終戦当時には230万人をこえる朝鮮人が日本にいました。その多くはすぐに自力で朝鮮半島に戻っていきましたが,戻るためのお金や手段がなかった人は取り残されました。また,財産の持ち出しを制限されたため,朝鮮に生活基盤がなくなっていた人も帰ることができませんでした。そして結局,1947年の時点で約53万人が日本に残りました。これが,在日コリアンの「一世」です。

つまり60万あまりの徴用令による「強制連行」と、百数十万の経済的な出稼ぎ者とがいたと。ところが、帰国を希望する朝鮮住民は閉じ込められたわけでもないのに全員帰国はしなかった。むしろ(当然多数は帰国しているが)、逆に日本に戦後になって密入国で流入する朝鮮人もいたと。それは「Uターン」組もいたろうし、「Iターン」組もいたと。それゆえ47年に約53万いると。このUターンやIターンの人々の経過はさまざまですが、「日帝のくびき」が取れたにもかかわらず”日帝の収奪の犠牲”にわざわざなりにきた人々であります。なぜ「祖国の建設という困難だが崇高な任務に殉じる覚悟」がなかったのでしょうか?「低開発」の祖国をぱっと見切りをつけたり「日帝」と両天秤にかけて自分に都合いい方を選択したのではありますまいか。まあ生活苦をわざわざ選択することもないでしょうが、それにしても「居心地のいい方」を選択した人々であったと、大多数についてはいえるのではないでしょうか?

それから625戦争は、どのような戦史、どのような史観をもってしても、事実として日本の企てではありません。この625戦争に逃げ延びて日本に密入国した人々は数万は居ると思います。