タイトル |
: ポルポト政権について |
記事No |
: 148 |
投稿日 |
: 2003/01/15(Wed) 23:45 |
投稿者 |
: 祖父は警官 |
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結局進歩的人士というのは「社会主義の無謬性」という幻想による呪縛から逃れられなかったのかと思うのと、何故、日本の社会主義者は自分達なりの社会主義像を確立せず、他の社会主義国家に自分達の幻想を勝手に重ねて、その実態を見ようとしなかったのかが、疑問として残ってしまうのです。
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結局、日本政府の対米追随を批判しながら、自分達は精神的な社会主義への追随から脱却できなかったところにその限界を感じるのです。
話はもっと複雑であります。
ポルポト派を擁護していたのは、所謂進歩派知識人ばかりではありません。1970年代中葉の時期、自民党から社会党まで、各種の思惑で(最大の思惑は中国におもねってビジネスをという配慮でありましょう)ポルポト派の蛮行は「まぼろし」という勢力が日本の主流であったということを銘記せねばなりません。日本は全体として非常にポルポト派糾弾の立ち上がりが遅かった。それが「悪魔憑き」(稲垣武)であったか「エコノミックアニマル」であったか動機はともかくポルポトという鬼畜を「見てみぬふり」をしていたのは日本全体の大半であります。
ここで一つ押さえて置きたいのは、第一にポルポト派糾弾ののろしを上げ徹底してポルポト派の蛮行を日本に報道した組織は(これはきちんと歴史に書き込まれるべきポイントですが)日本共産党であり、当時ほとんど日本共産党と井川さんたち(両者が協同したわけではない)は孤立無援でした。ピヨートルさんや暇人さんの言われる「共産主義」ということでは、自民党が共産主義、共産党が自由と人権派ということになり、論理が破綻します。
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