タイトル ポルポト政権についての当代きっての識者のコメント
記事No 143
投稿日 : 2003/01/15(Wed) 08:32
投稿者 祖父は警官
参照先 http://www1.jca.apc.org/aml/9904/11727.html
です。少しは北朝鮮にも触れていますが、北朝鮮への言及があるかどうかにかかわりなく、北を見る眼として備えておくべき視点を多くもつと思います。

タイトル Re: ポルポト政権についての当代きっての識者のコメント
記事No 144
投稿日 : 2003/01/15(Wed) 17:14
投稿者 ピョートル   <shouheirinn@naver.co.jp>
小田実、菊池昌典、坂本徳松など、ポル・ポトの政策を安易に支持するような学者は少なくありません。結局、共産国の指導者の主張ばかりを鵜呑みにして、物事の本質が見えてないんでしょうね・・・。
菊地昌典は、旧ソ連の官僚的な支配体制に失望したばかりに、後に毛沢東の文化大革命を支持するようになり、文革も失敗だとわかると、ポル・ポトを支持するようになったと、どこかの本に書いてあったのを覚えています。坂本徳松は、ポル・ポトに直接会いに行き、ポル・ポトが「虐殺などしていない。」と言うのを見て、「嘘をついているようには見えなかった。」と断言する始末・・・。
「相手が何を言ったか?」ではなく、「相手がどんな立場にあるか?」「国の状況がどうなっているか?」を考えて発言しなければ、結局は、彼らポル・ポト支持者のようになってしまいます・・・。

タイトル Re: ポルポト政権についての当代きっての識者のコメント
記事No 145
投稿日 : 2003/01/15(Wed) 19:28
投稿者 暇人
参照先 http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/link/Cambodia.html
 このソースは元々、本多勝一氏のカンボジア大虐殺否定報道を論じた
HPからでしょうが、結局進歩的人士というのは「社会主義の無謬性」
という幻想による呪縛から逃れられなかったのかと思うのと、
 何故、日本の社会主義者は自分達なりの社会主義像を確立せず、他の
社会主義国家に自分達の幻想を勝手に重ねて、その実態を見ようとしなか
ったのかが、疑問として残ってしまうのです。
 結局、日本政府の対米追随を批判しながら、自分達は精神的な社会主義
への追随から脱却できなかったところにその限界を感じるのです。 

タイトル Re^2: ポルポト政権についての当代きっての識者のコメント
記事No 146
投稿日 : 2003/01/15(Wed) 20:21
投稿者 ピョートル   <shouheirinn@naver.co.jp>
私も昔、本多勝一著「検証 カンボジア大虐殺」を読みましたが、暇人さんの指摘されたHPを見て、本多という男に対する見方が、ガラッと変わりましたね・・・。ポル・ポト政権成立時には、虐殺を否定しておきながら、ポル・ポト政権が崩壊してから、のうのうと現地へ取材に行き、過去の発言に対して何の反省もなく、あっさりと虐殺を認めるとは・・・。

タイトル ポルポト政権について
記事No 148
投稿日 : 2003/01/15(Wed) 23:45
投稿者 祖父は警官
> 結局進歩的人士というのは「社会主義の無謬性」という幻想による呪縛から逃れられなかったのかと思うのと、何故、日本の社会主義者は自分達なりの社会主義像を確立せず、他の社会主義国家に自分達の幻想を勝手に重ねて、その実態を見ようとしなかったのかが、疑問として残ってしまうのです。
>  結局、日本政府の対米追随を批判しながら、自分達は精神的な社会主義への追随から脱却できなかったところにその限界を感じるのです。 

話はもっと複雑であります。

ポルポト派を擁護していたのは、所謂進歩派知識人ばかりではありません。1970年代中葉の時期、自民党から社会党まで、各種の思惑で(最大の思惑は中国におもねってビジネスをという配慮でありましょう)ポルポト派の蛮行は「まぼろし」という勢力が日本の主流であったということを銘記せねばなりません。日本は全体として非常にポルポト派糾弾の立ち上がりが遅かった。それが「悪魔憑き」(稲垣武)であったか「エコノミックアニマル」であったか動機はともかくポルポトという鬼畜を「見てみぬふり」をしていたのは日本全体の大半であります。

ここで一つ押さえて置きたいのは、第一にポルポト派糾弾ののろしを上げ徹底してポルポト派の蛮行を日本に報道した組織は(これはきちんと歴史に書き込まれるべきポイントですが)日本共産党であり、当時ほとんど日本共産党と井川さんたち(両者が協同したわけではない)は孤立無援でした。ピヨートルさんや暇人さんの言われる「共産主義」ということでは、自民党が共産主義、共産党が自由と人権派ということになり、論理が破綻します。

タイトル Re: ポルポト政権について
記事No 150
投稿日 : 2003/01/16(Thu) 00:15
投稿者 ピョートル   <shouheirinn@naver.co.jp>
まあ、日本共産党がポル・ポトや中国を非難したというのは、うなづけますね。文革の時には、宮本顕治が毛沢東に叱責されたり、日本共産党の党員が紅衛兵に殴られて歯を折られたりしてるし・・・その意味では、中国に対する恨みから、ポル・ポトの虐殺を非難したとも考えられますね。あくまでも、若輩である私の考えに過ぎませんが。

タイトル Re^2: ポルポト政権について
記事No 151
投稿日 : 2003/01/16(Thu) 00:28
投稿者 祖父は警官
> まあ、日本共産党がポル・ポトや中国を非難したというのは、うなづけますね。文革の時には、宮本顕治が毛沢東に叱責されたり、日本共産党の党員が紅衛兵に殴られて歯を折られたりしてるし・・・その意味では、中国に対する恨みから、ポル・ポトの虐殺を非難したとも考えられますね。あくまでも、若輩である私の考えに過ぎませんが。

日本共産党をここで褒めても仕方がありません。
しかし「怨みから」とかはあまりに皮相であります。
あるいみそれでは負け惜しみで終わってしまうのでありますし、一方で日本にそういう多様な意見があったということは日本にとり貴重でありますし、その少数意見が正しかったのだということを見なければならないし、それが左翼も左翼、日本共産党であったということであります。

繰り返しになりますが井川さんも重々強調しておりますが、一部の進歩派知識人だけがポルポト派を擁護していたのではありません。国際的に見まして日本が政府をあげてポルポト派擁護の立場、大虐殺「まぼろし派」であった事、ここが力点でありまして、「一部の進歩派知識人」だとか「共産国にになびいて自主性がない左翼」というのもこのくくりでは駄目であります。

そして井川さんも、ジャーナリストでありますし、もしかしたら俗な凡百からみれば氏も”進歩派知識人の一味”ぐらいに見られているわけであります。

タイトル Re^3: ポルポト政権について
記事No 159
投稿日 : 2003/01/17(Fri) 11:08
投稿者 暇人
参照先 http://www.geocities.com/Athens/Rhodes/8399/ikawa/ikawa_1/ikawa19980520.html
> > まあ、日本共産党がポル・ポトや中国を非難したというのは、うなづけますね。文革の時には、宮本顕治が毛沢東に叱責されたり、日本共産党の党員が紅衛兵に殴られて歯を折られたりしてるし・・・その意味では、中国に対する恨みから、ポル・ポトの虐殺を非難したとも考えられますね。あくまでも、若輩である私の考えに過ぎませんが。
>
> 日本共産党をここで褒めても仕方がありません。
> しかし「怨みから」とかはあまりに皮相であります。
> あるいみそれでは負け惜しみで終わってしまうのでありますし、一方で日本にそういう多様な意見があったということは日本にとり貴重でありますし、その少数意見が正しかったのだということを見なければならないし、それが左翼も左翼、日本共産党であったということであります。

 HNのとおり暇なのでこっちにもレスしておきます、確かに当時の宮本
共産党がポル・ポト政権の大虐殺を事実として批判したのも歴史上の事実
であります。 また、共産党とは対極に位置する産経新聞や文春も大虐殺
批判派だったことは、朝日や世界よりもそっちの方が結果的には正しかっ
たと井川氏も認めております。

>
> 繰り返しになりますが井川さんも重々強調しておりますが、一部の進歩派知識人だけがポルポト派を擁護していたのではありません。国際的に見まして日本が政府をあげてポルポト派擁護の立場、大虐殺「まぼろし派」であった事、ここが力点でありまして、「一部の進歩派知識人」だとか「共産国にになびいて自主性がない左翼」というのもこのくくりでは駄目であります。
>
 ただ、政府がポル・ポトを支持していたからといって、それらの方々の
免罪符にもならないと存じますが、平和と人権そして民主主義を標榜して
いる朝日や世界、そして旧社会党=社民党がカンボジアの失敗から何も学
ばなかったし、何の反省も無かったのも事実と存じますが如何?

> そして井川さんも、ジャーナリストでありますし、もしかしたら俗な凡百からみれば氏も”進歩派知識人の一味”ぐらいに見られているわけであります。

 確かに井川氏は朝日新聞記者ですから、そう見られる可能性は高いです
が本多勝一氏とは雲泥の差だと、かのURLを読んでいて感じました。

タイトル Re^4: ポルポト政権について
記事No 160
投稿日 : 2003/01/17(Fri) 12:22
投稿者 祖父は警官
参照先 http://<
> 共産党がポル・ポト政権の大虐殺を事実として批判したのも歴史上の事実
> であります。 また、共産党とは対極に位置する産経新聞や文春も大虐殺
> 批判派だったことは、朝日や世界よりもそっちの方が結果的には正しかっ
> たと井川氏も認めております。

産経と文春は当時どうだったか、あまり詳しくないですが、もちろん正しい報道をしていたらそれは正しいですね。敵味方という図式ではなく。

>  ただ、政府がポル・ポトを支持していたからといって、それらの方々の
> 免罪符にもならないと存じますが、平和と人権そして民主主義を標榜して
> いる朝日や世界、そして旧社会党=社民党がカンボジアの失敗から何も学
> ばなかったし、何の反省も無かったのも事実と存じますが如何?

ここは全く同感です。そして旧社会党からの転身者の中で自民党に入ったり民主党に入ったりした人もいます。この人たちも含め、そしてそういう人を何の過去に関する反省もさせずに受け入れた党の側の態度も含めて同等の責任と感じます。下の方にこの旧社会党のことを書いたツリーがありました。
>
> > そして井川さんも、ジャーナリストでありますし、もしかしたら俗な凡百からみれば氏も”進歩派知識人の一味”ぐらいに見られているわけであります。
>
>  確かに井川氏は朝日新聞記者ですから、そう見られる可能性は高いです
> が本多勝一氏とは雲泥の差だと、かのURLを読んでいて感じました。

そうですね、ここも全く同感です。

タイトル Re: ポルポト政権について
記事No 152
投稿日 : 2003/01/16(Thu) 11:18
投稿者 暇人
参照先 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20021029/index2.htm
> > 結局進歩的人士というのは「社会主義の無謬性」という幻想による呪縛から逃れられなかったのかと思うのと、何故、日本の社会主義者は自分達なりの社会主義像を確立せず、他の社会主義国家に自分達の幻想を勝手に重ねて、その実態を見ようとしなかったのかが、疑問として残ってしまうのです。
> >  結局、日本政府の対米追随を批判しながら、自分達は精神的な社会主義への追随から脱却できなかったところにその限界を感じるのです。 
>
> 話はもっと複雑であります。
>
> ポルポト派を擁護していたのは、所謂進歩派知識人ばかりではありません。1970年代中葉の時期、自民党から社会党まで、各種の思惑で(最大の思惑は中国におもねってビジネスをという配慮でありましょう)ポルポト派の蛮行は「まぼろし」という勢力が日本の主流であったということを銘記せねばなりません。日本は全体として非常にポルポト派糾弾の立ち上がりが遅かった。それが「悪魔憑き」(稲垣武)であったか「エコノミックアニマル」であったか動機はともかくポルポトという鬼畜を「見てみぬふり」をしていたのは日本全体の大半であります。

 確かに見方が単純だったかもしれません、ただ私が感じたのは今回の北
朝鮮による拉致事件で一躍脚光を浴びた社民党のダブルスタンダードは何も今に始まったことではないという主旨であって、政府・与党が正しかったとも思ってはおりません。

 ベトナムによる侵攻後のカンボジア情勢で、日本政府は一貫してポル・
ポト,シアヌーク、ソン・サンの反政府三派勢力を支持しました。 当時
私は「じゃあ日本政府はあの大虐殺を行なったポル・ポトを支持するの
か。」と疑問に思ったものです。
 ただ、これは当時の冷戦構造の中で、ポル・ポト政権=中国、ベトナム=
ソ連という社会主義国どうしの代理戦争という背景があり、その中で米国
はかつてポル・ポトと内戦を行なっていたロン・ノル政権を支持していた
のにも拘わらず、対ソ戦略から反政府三派を消極的ながら支持したという
情勢で、日本政府としては、対ソ脅威論の中で米国ならびに中国と歩調を合わせたほうが当時の世論の支持を得られたとのではないかと愚考している次第です。

 結局、ポル・ポトによる虐殺からカンボジア国民を救ったのが、ベトナ
ムによる侵攻だったというのは歴史上の皮肉と表現するしか有りますま
いが、確かにそのことで左翼勢力のみを批判するのは行き過ぎかもしれませんが、ただ彼らの中には今回の拉致問題でも北朝鮮擁護の論陣を張って
いた方々が多数存在するのも確かであります。

>
> ここで一つ押さえて置きたいのは、第一にポルポト派糾弾ののろしを上げ徹底してポルポト派の蛮行を日本に報道した組織は(これはきちんと歴史に書き込まれるべきポイントですが)日本共産党であり、当時ほとんど日本共産党と井川さんたち(両者が協同したわけではない)は孤立無援でした。ピヨートルさんや暇人さんの言われる「共産主義」ということでは、自民党が共産主義、共産党が自由と人権派ということになり、論理が破綻します。

 仰る通り確かに共産党はカンボジア問題では、ポル・ポト政権を批判し
ておりました。 それは宮本体制の日本共産党が当時の国際共産主義運動から全く自主独立した存在だったという背景もあると存じます。 引用し
たURLは基本的に拉致事件と社民党との関係を解説したものですが、旧社
会党が何故西欧社民勢力よりも、社会主義国の共産党との友好親善に熱心
だった背景として、日本共産党宮本執行部による自主独立路線が挙げられ
ております。

 なぜ、宮本顕治が国際共産主義運動からの自主独立を提唱したかと言え
ばそれは、徳田球一執行部が国際共産主義運動、特にソ連からの干渉に振り回されて党自体が危機に陥った教訓からであり、同時に自身が党内権力を確立する中では、親ソ派、親中国派の幹部も邪魔だったわけで、事実それらの勢力は、殆んど除名処分となった上に、宮本体制は確立したのです。
 したがって、あの当時の共産党は国際共産主義運動の中での中ソ対立か
らは全くのフリーハンドだったのが幸いしたのだというのが、私めの愚考
でおります。

 日本共産党と朝鮮労働党との関係も、宮本時代には朝鮮側から金日成個
人崇拝のチュチェ思想を押し付けられて、関係断絶に到った経過から、当
初は拉致問題でも北朝鮮を批判していたし、兵本達吉氏の活動も黙認して
いながら、最近の不破・志位体制では朝鮮労働党との関係改善ムードが進
んだ途端に態度が変ってきた点では、共産党もご都合主義という批判は免
れないという感想です。

 結局、政府や政党・マスコミ等を含めてそれぞれが自分の都合で活動し
ている構造は変らないのです。 ただ、私自身が書き込んだ意図として
は、政府批判をしてきた政党や文化人もまたダブルスタンダードであった
という点であります。 今回の北朝鮮による拉致事件にしても、左翼政党
や進歩的文化人にのみ責任があるわけではないのも当然であり、政府や自民党の責任も追及されるべきです。 ただ、従来「正義の味方」の顔をし
て政府・与党を批判してきた政党や文化人も自らのダブルスタンダード振
りをさらけ出してしまったのが今回の拉致事件なのです。
 したがって、私は当然彼らも責任を追及されるべきであると考えます
し、自らの過去に対する総括が出来ないようでは、政府・与党に「謝罪と
反省」を声高に要求する資格は全く無いと思うのです。

 最後に、我々国民自体が拉致事件については自らの国家・国民に対する
主権・人権の侵害でありながら、何故かくも対応が遅れたのかを真摯に反
省することも必要であると愚考します。

 軽い気持ちで、あのHPを貼り付けましたが、「祖父は警官」さんの論理
には中々読み応えがあり、再び駄文を書込みした次第であります。
 乱筆乱文にて失礼しました。