タイトル ネウィン死去
記事No 54
投稿日 : 2002/12/05(Thu) 14:34
投稿者 祖父は警官
参照先 http://www.yomiuri.co.jp/00/20021205i104.htm
URL参照記事のとおりですが、ビルマの独裁者であったネウィン氏が死去しました。享年91歳だったとのこと。

ビルマも鎖国と軍政と経済停滞と、はたまた日本の第二次大戦時のよきにつけあしきにつけ影響を特徴とした政権でありました。”自称社会主義”なのも共通です。

”スーチーさんのパパ”であるアウンサン氏をクーデターで倒して政権樹立という事と、そのアウンサン氏をおまつりする廟である国立アウンサン廟にて、韓国の大統領が詣でるときに、共和国の軍人が時限爆弾をしかけ爆殺を企てて(大統領殺害は失敗、十数人巻き添えで死亡)ネウィン政権は当時共和国とも外交関係があったのですが、外交関係を断絶した、というニュースが80年代に伝わってきたのを記憶しております。

これは、一筋縄に共和国となぞらえる事はできないのですが、どこか、すごく共通したものを感じるパラレルワールドであります。

タイトル Re: ネウィン死去
記事No 55
投稿日 : 2002/12/05(Thu) 23:38
投稿者 主宰者   <dprk@ni-chika.pobox.ne.jp>
参照先 http://ni-chika.pobox.ne.jp/dprk/
> これは、一筋縄に共和国となぞらえる事はできないのですが、どこか、すごく共通したものを感じるパラレルワールドであります。

なかなか鋭い着眼点でいらっしゃいますね(^o^)
ミャンマーの旧称は「ビルマ社会主義共和国」だったと記憶していますが、いわゆる“ビルマ社会主義”のもとで起こったのは、産業国営化による経済停滞、農業統制によるコメ生産の不振、あるいは主要輸出品(第一次産業)の価格低下による対外債務拡大・外貨不足etc……。
ホントにパラレルですね(-_-;)

唯一最大の違いは、ネ・ウィン大統領は独裁政治を推し進めても、個人崇拝まではやらなかったことでしょうか?

タイトル Re^2: ネウィン死去
記事No 56
投稿日 : 2002/12/06(Fri) 03:06
投稿者 祖父は警官
> 唯一最大の違いは、ネ・ウィン大統領は独裁政治を推し進めても、個人崇拝まではやらなかったことでしょうか?

微妙なトコなんですが、ビルマの場合、”国父”アウンサン氏が個人崇拝の対象で、そのお廟が存在したりするのであります。でスーチーさんは単に美女でマドンナなのではなくて、また一定の知性と教養や開明的な思想と精神力があるから(ばかり)ではなくて、何より”アウンサン氏の唯一血統”たる後継者なので支持者があつまっている側面もあると思います。

ここから、さまざまな「パラレルワールド」が無限に広がります。たとえば日本の軍部の嫡流の政権が北朝鮮にできていて、その中でキムイルソンがネウィン氏がアウンサン氏をたてまつったように、一定持ち上げられつつも失脚し、その遺児たるキムジョンイル氏が、スーチーさんのような立場だったら、彼はどうしたか、とかね。

タイトル Re: ネウィン死去
記事No 57
投稿日 : 2002/12/07(Sat) 00:54
投稿者 国粋右近
参照先 http://members.aol.com/Sanemaro/
アウンサン将軍もネウィン議長も元を辿れば、戦時中、南機関とともにビルマ独立義勇軍を率いて、日本の第15軍と協力してイギリス軍を駆逐して1943年に日本の支援により独立宣言したものである。日本の敗戦によって再び英領ビルマになったものの日本式で鍛えられた独立義勇軍が今度は自力で1948年にイギリスに独立承認させたものじゃ。

独立後の内紛や社会主義化については、日本の関与するものではないが、ソ連の工作員であった金日成と違うことは、日本の敗戦に乗じて独立したのではなく、日本の後援により独立し、且つその後は自力でイギリスから独立建国したということであり、実際に日本軍とともに戦ったということである。

日本の敗戦により、心ならずも日本を裏切らざる得ない状況もあっただろうが、資本主義システムの中で自力でイギリスから独立するとなれば独立承認の見返り条件としてイギリス資産の保全や代償、弁済にも応ぜざる得ないこともあり、東西冷戦の国際情勢を利用して社会主義体制に切り換えることでイギリス資本の完全な排除を狙ったものであろうが、世界史上、モンゴル帝国支配下にあった地域やソビエトの影響下にあった社会主義国に現代の先進国は、一つもないようにビルマも最貧国に転落した。

本来は、植民地支配の賠償を求めるべきはイギリスでありながら、戦後、奇跡の経済復興を成し遂げた日本を再度、頼って賠償を要求した。日本ともにイギリス相手に戦った戦友という思いもあり、気前よく筋違いな賠償に応じたばかりでなく、無償援助という経済協力も続けている。戦時中は軍事力で戦後は経済力でビルマ(現ミャンマー)に日本は貢献しておるのである。

ネウィン議長も日本軍とともにビルマ独立に奔走して、イギリスと戦った若き日の想い出が走馬灯のように駆け巡り永眠についたことであろうと思う。先に没した南機関の鈴木大佐に代わり冥福を祈る。