@その昔、コマーシャルで[バカチョン・カメラ]というのがありました。その隠れた意味が、 |
接する機会を多くするだけではダメです。いじめっ子といじめられっ子だって、毎日のように学校で顔を合わせているのに、いじめは全然なくなってないでしょう。相手の人格や考え方や才能を尊重するだけの、度量の広さがない限り、民族差別なんてなくなりませんよ。 |
> 接する機会を多くするだけではダメです。いじめっ子といじめられっ子だって、 |
別に民族差別を肯定なんかしませんよ。なくなればいいと思ってます。ただ、「異民族と接する機会を多くするだけでは、差別はなくならないのではないか?」と言っているのです。外国人が入ってくることによって、日本人が仕事を奪われたりしたら、たとえ個人的に偏見がなくても、やっぱり外国人を憎悪することになるかもしれません。そういう意味で、私は「度量の広さが必要」と言ったのです。 |
ピョートルさんのご意見、とてもよくわかります。 |
朝鮮人への差別は就職、結婚、住宅賃貸に至るまで徹底的に行われましたね。私も子供の頃は通学路にある朝鮮人集落が嫌で遠回りをしていました |
すでに皆様こもごも語られていますが |
> @その昔、コマーシャルで[バカチョン・カメラ]というのがありました。その隠れた意味が、 |
白石様 |
> 「チャンコロ」の語源は何処から来たのですか? |
> 「チャンコロ」の語源は何処から来たのですか? |
> 白石様 |
一点だけ。 |
> 一点だけ。 |
> 「チョンガー」とは独身と言う意味で、独身は馬鹿にされた・・と言う |
経済不況が長期化し日本人が自信を失う中で北朝鮮の悲惨さを繰り返し放送するマスコミの姿勢に危険なものを感じる。「あなたたちは自信を失っているが、ほら、隣の国はこんなにひどいのだよ。この国の悲惨さに比べたらいまの日本はマシじゃないか。」という内なる声が聞こえてくる。江戸幕府が国民の不満をそらすために身分制度や被差別部落を利用した構図と同じである。日本に住む人たちは自らの周辺にある不十分さを直視することをあきらめないで欲しい。 |
バカチョンのチョンは朝鮮語の「ちょんがー」(独身)から来ているよう |