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【平壌9日共同】北朝鮮が9日、地下核実験実施を発表したが、同日の首都平壌市内は、人々が核実験に関連した行事や統制行動に動員されている雰囲気は全くなく、いつもと変わらぬ平穏な様子だ。→ 平壌発の共同通信配信記事ではなく、完全に北朝鮮のスポークスマン的な報道になっていると捉えられても仕方のない報道内容であろう。
核実験を予告した3日の外務省声明の際も、市民の間では「国を守るための当然の措置」との受け止め方が大半だったが、今回も国際社会の強い懸念とは対照的に、国民の自信を奮い立たせる措置とみているようだ。
核実験の報道に接した平壌市民の1人は「勇気づけられます」と話し、別の市民は「偉大な金正日将軍が指導する(軍優先の)先軍政治の実力です」と言い切った。
8日の金正日総書記の総書記就任9周年と10日の朝鮮労働党創建61周年に合わせ、「栄光を母なる党に」「強盛大国」などの看板や垂れ幕があちこちに掲げられているが、核実験に関連したスローガンは見当たらない。核実験に伴う地震も平壌では体感できなかった。
PS: テレ朝の情報、ありがとうございました。あのような形で→ 「代ゼミ山村」とは、代々木ゼミナールの世界史講師である山村良橘氏のことを指しているものと思われる。少なからずとも、私の配信したエントリに対して快くないと思われる感情が垣間見える。
視聴者の皆様に監視されているかと思うと、代ゼミ山村の
世界史風の冗談でもかましたろか、と突発的に思って
しまいます。
石川社長は「自由な取材ができないのではないか、北朝鮮当局に都合のいい記事の垂れ流しになるのではないか、と心配する声が聞こえます。われわれはそうした懸念を払拭し、信頼の置ける活動を展開する覚悟です」と語った。→ 石川社長は、このように報道姿勢の疑念を払拭し、また報道の原則を守るという類の発言をしている。磐村記者も、平壌での記者活動に対する批評を「世界史風の冗談でもかましたろか、と突発的に思ってしまいます」と自らの心情を吐露している。
石川社長は「日常の記事、写真は北京の専門記者が点検して、必要かつ間違いないと判断したものに限り出稿する」と述べた。さらに同社長は、北京の支局員の国外退去、ソウル支局の閉鎖命令という過去の例を挙げて、「共同はどんな国においても取材、報道の原則を守り、毅然と行動している」と強調した。
朝鮮中央通信によると、石川聡社長を団長とする日本の共同通信社代表団が7日、平壌に到着した。
【ソウル=平野真一】朝鮮中央通信によると、石川聡社長を団長とする共同通信社の代表団が7日、訪朝のため平壌に到着した。
空港で朝鮮対外文化連絡協会の洪善玉(ホン・ソンオク)副委員長、朝鮮中央通信社の金昌光(キム・チャングァン)副社長の出迎えを受けたという。共同通信社の代表団は今年4月にも訪朝、金永南(キム・ヨンナム)・最高人民会議常任委員長らと会見している。
▽具体的日時言及せず→ もしかして、現在も磐村記者は平壌入りしているのか?気になるところだ。
【平壌3日共同=磐村和哉】朝鮮中央通信によると、北朝鮮外務省は三日、声明を発表し「科学研究部門で今後、安全性が徹底して保証された核実験を行う」と表明した。北朝鮮は昨年二月に核保有を公式に宣言したが、核実験実施を明言したのは初めて。実験の具体的な日時には一切触れていない。
実際に実験を強行すれば、七月五日の弾道ミサイル発射を上回る「超強硬」対応。米国による金融制裁に北朝鮮が反発、昨年十一月以降中断している六カ国協議の崩壊は必至だ。日米など協議関係国は実験の兆候を注視、実験中止を強く働き掛ける。
安倍晋三首相は三日夜、「核実験を行えば断じて許されない。国際社会で厳しい対応を取ることになる」と述べた。
六カ国協議について声明は触れていない。
声明は、米国による「制裁圧力策動によりわが国の最高利益と安全が甚だしく侵害されている」とした上で、ミサイル発射を受けた国連安全保障理事会決議を「事実上の宣戦布告」と非難。
さらに「これ以上事態の発展を傍観することはできなくなった」とし、「防衛的対応措置」として核抑止力確保のために核実験を行わざるを得なくなったと主張した。
また「核保有宣言は核実験を前提にしたものだ」と指摘した。
一方で声明は「絶対に核兵器を先に使用せず、核兵器を通じた威嚇や核移転は徹底的に許さない」との立場も強調。最終目標は米朝の敵対関係の清算であり、朝鮮半島の非核化実現と世界的な核廃絶のため努力すると強調した。
◇
北朝鮮が核実験を行うとの声明を発表したことを受け、秋葉忠利広島市長は三日、「被爆者をはじめ核兵器廃絶を求める世界の人々の願いを踏みにじる暴挙で、断じて許されるものではない」とのコメントを発表した。
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それから『それから』は、夏目漱石の小説。1909年に朝日新聞に連載。翌年1月に春陽堂より刊行。『三四郎』(1908年)・『それから』(1909年)・『門 (小説)|門』(1910年)によって前期三部作をなす。定職に就かず、親からの仕送りで裕福な生活を送る代助が、 ...
みなみの部屋 : 2007-08-04 12:49
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