私にとっての一言

プログラミングに集中していると、ブログを更新する余裕がありません。

凡庸な青年であった私に、晴天の霹靂とでもいう事件が発生し、
それを機に「よし勉強しよう」と心に決め猛烈な勉強を始めました。

家業のせいもあって、建築家になりたいと思いました。
憧れは、コルビュジェでありライトであり丹下健三でした。
小さいときから「よくできる子」ではなくて、年を取ってからの勉強では「方法」が重要でした。
どうすれば努力に見合った成果を挙げることができるか。

いくつかの人生経験をして、大学院の学生になっていました。
貧乏学生でしたので切り詰めた生活費から可能な限り沢山の本を買い、
売り出しの建築家の言動を追いました。

しかし、彼らの言うことが私には理解できまん。
建築家の名前は忘れましたが、
カリスマ建築家の文章にハイデガーの「存在と時間」が必読であると書いてあります。

私は早速買い求め、読み始めますが、まったく理解できません。
私は自分の程度の低さに落胆しました。
数回、挑戦しましたが、どうしても読み進むことができません。

意を決して、ハイデガーの「存在と時間」を翻訳した東大の原祐教授に電話しました。
翻訳者だし、日本では誰よりもハイデガーを理解している人に違いないと思ったからです。

先生は赤門の前の喫茶店に私を誘い、ケーキと紅茶を注文してくださいました。
私は、「ハイデガーが全く理解できません。『存在と時間』はどのように勉強すればいいのでしょうか」と切り出しました。

先生が、「先ず、ソクラテスを読みなさい。次にはアリストテレス、その次にデカルト…」というように、
勉強の方法を教えてくださることを期待していました。

しかし、先生の回答は全く私の予想しなかったものでした。

「わかる訳ないでしょう。私だって何度も読み返し、やっとある程度理解しているのです」

そのとき私はどんな顔をしたのでしょうか。絶句したと思います。ゼロクリア。

先生が私の申し出を断ってお会計してくださったこと以外、何も覚えていません。
結局哲学の話はなかったと思います。

「もっと先へ」と努力し、「もっとパーフェクトな方法で」と思い続けていたのですが、
まったく異なる方法論に気づきました。

それ以来勉強することが負担でなくなり、気楽に勉強できるようになりました。
これまでの私にとって、原教授の一言が最も私を励まし続けた一言であったと思います。

と同時にあんなに知ったかぶりで喋り捲る建築家はいったい何なのだと、
私の心の深層に消しがたい嫌悪感が生じていたと思います。

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孫のこと

4月 14, 2010 under プライベイトなこと, 寄り道

コーちゃん。バイバイ。

1歳半の孫がいます。初孫です。
「バイバイ」とか「あっち」とか、
やっといくつかの単語を発声する程度ですが、
こちらのいうことはおおよそ理解しているようです。

私のお気に入りです。
「孫はかわいい」とよく言いますが、私も例外ではありません。
孫の名前は「コー」ちゃんです。
とても活発な子です。

自分の子供を育てたときは、
日常に精一杯でまったく気づきませんでしたが、
ときどき見る孫では日に日に進歩する子供の成長にとても感動しています。

生後8ヶ月過ぎたとき、嫁が2日続けてコーちゃんを我が家につれてきました。
今日突然手をたたきます。
嬉しそうに笑顔で何度も何度も手を叩きます。
昨日そんなことはしていなかったのに。
昨夜、息子が教えたのだそうです。
ついこの間やっと首が座って、椅子に座れるようになったところなのに、
「わずか一日で新たなことを身に着ける」知能の素晴らしさをみた思いです。

生後8ヶ月くらいでハイハイを始めます。
まだ腕の力が弱く腕を交互に繰り出すことができないため、
前に進むことが出来ません。
四つんばいになって、前ではなくむしろ後ろに進みます。
しかしその時期を過ぎると「ハイハイ」が出来るようになります。
どんどん突進します。
前にあるものは山超え谷超えです。
何が何でも前に進みます。

ハイハイし、ソファーによじ登りました。
私は「コーちゃんは随分成長したな」と感心してみていました。

ソファーから降りるときです。
頭から降りるのではなく、向きを変えて足から降ります。
当然といえば当然ですが、私はとても驚きました。

私はプログラマですから、プログラムのことを考えます。
ロボットで前進プログラムを書いたとして、
「降りるとき向きを変えて足から降りるプログラムはどのように書けばいいのだろう」
結構難しいプログラムです。

孫は簡単にクリアしています。

10ヶ月過ぎた時です。
彼は紐が好きで壁から下がった紐をぎこちなく左右に引っ張ります。
紐の先にビニールの袋がブラ下がっていて、
紐を引っ張るとその袋がチャラチャラと音を立てます。
それが面白いらしいのですが、
しばらく遊んでいてその紐を私に渡すのです。

私は「とんでもないことだ」と驚嘆しました。

「自分」だけでなく、「相手」という認識をしています。
猿はこのように自分の遊びをまわりの猿に手渡すことがあるのでしょうか。
人間の脳はわずか生後10ヶ月で「他者」への意識があります。
もう猿がいくら頑張っても届かない知能を身に付けているのではないでしょうか。

一月くらい前彼の家に用事で行き、
ついでに彼を連れて2時間程散歩しました。
私は彼を気にいっていますし、彼も私のことを気にいっていると思います。
散歩から帰って私は「バイバイ」して我が家に帰ろうとすると、
彼はべそをかいて泣き出しました。

おっぱいがほしいとか、手をはさんで痛いとか、
生理的な欲求や不快感から泣き出すことは理解できます。

しかし、「爺さんと分かれるのが悲しい」は生理現象ではありません。
大きな心理的発達があるのでしょう。

数日前にコーちゃんと母親が我が家に来ました。
私は、彼のためにボーロという小さな丸いお菓子を用意していました。
彼はそれが好きでパクパクしています。
やがて、母親が「あーん」と「頂戴」のしぐさをします。
コーちゃんは小さな手に一つボーロを掴んで、母親の口に近づけます。
母親が食べようとすると、素早く手を引っ込めてボーロを母親でなく、
自分の口に入れ「キャッキャ」といって喜びます。
このいたずらの脳の仕組みはいったいどうなっているのでしょうか。

日曜日家内と二人でコーちゃんのうちに行きました。
動物の絵本を見ていると、
犬の写真があって、それをみて彼はちいさなベロを長く出し何かを言います。
「何だろう」と思っていましたが、犬のまねをしているのです。

「なるほどそういうことか」
私が早速ベロをだして「ワンワン」。
コーちゃんはキャーキャーいって興奮します。

べろを出して

「ワンワン」

私たちソフトウェアのプログラマは、
ほんのちょっとしたロジックにどれだけの時間をかけているのでしょう。

子供は躊躇なく物事に突進し、
大きく目を見開いて真正面から相手をみて、猛烈な勢いで情報収集します。
そして脳をフル回転して常にプログラムを修正発展させていきます。

人間の脳は信じられないほどすばらしい仕組みです。

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胆嚢結石 6

11月 18, 2009 under プライベイトなこと, 寄り道

手術を受けると色々なことを知ります。

麻酔下で長時間手術すると排尿ができなくて、腎臓等に異常が起こるためと思われますが、
尿道から尿カテーテルと称する管を膀胱(多分?)まで突っ込まれ、膀胱に溜まった尿は自動的に体外に排出されます。
本人は、排尿の心配はないのですが、その分身動きがとれません。

私には気管支拡張症があり、普段でも痰が多いのですが、手術をするとこれが増えます(これも麻酔のせいらしいです)。
何度も咳き込み、そのため傷が痛いのか、咳のため腹筋が痛いのか分かりません。今回の手術で一番悩まされたことです。

さて、12日4時前手術が終わってから一晩ベットに身動きできない状態でいました。

うとうとしていた夜中、同室の十二指腸を切除した患者が(すい臓に腫瘍ができ、そのために十二指腸も切除したようです)大騒ぎを始めました。
彼は確か5日辺りに手術したのですが、ゲップが出そうで出なかったり、腹がはったり、その上シャックリが止まらず大分苦しいらしいのです。
私は尿カテーテルを付けていて身動きができません。
部屋の入り口付近で「ガタンガタン、ゴロンゴロン」歩き回っています。
看護師がきて色々手当てをしていましたが、夜中の2時頃また騒いでいます。
挙句の果てに、同室の別の患者のカーテンに入り込んで、その患者が看護師を呼び、疲れ果てたのかその後眠ったようです。

後で分かったのですが、その夜は早い段階で睡眠薬を飲ませた(点滴かもしれません)ようで、その副作用で異常行動をしたようです。
本人はその夜の行動を覚えていないようです。

私と同病で胆嚢を摘出した人は、その後も「痛い」といって、痛み止めや睡眠薬を要求していましたが、
「いったいどうなっているのやら」と訳が分かりません。

患者が退院して1時間もすると次の患者が運び込まれてきます。
この2週間で私を含めて8人の患者がこの部屋で入院生活をすごします。

退院の会計を待っている間、寒々しい曇天下、病室から眼下の小川を見ていたら美しいカワセミが飛んできました。
少しハッピーな気分になりました。

色々ありましたが、予定より2日遅れて昨17日無事我が家に戻ってきました。
まだ抜糸がすんでいませんが、酒も運動もOKが出ましたので、体力の回復に努めたいと思います。

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胆嚢結石 5

11月 17, 2009 under プライベイトなこと, 寄り道

無事生還–というほど大げさではないか。

11日主治医から手術の説明を受けました。
病名:胆嚢結石、手術名:腹腔鏡下胆嚢摘出術。

「お腹に数箇所穴を開けそこから胆嚢を摘出しますが、場合によっては開腹手術になります」
「同意であれば署名してください」

こんな場合不同意などないでしょう。

手術は12日正午過ぎに決まりました。

12日は朝から点滴を受けました。手術ではこれに麻酔薬や抗生物質を流します。
T字帯と称するフンドシの上は、手術着一枚になります。

先日も書きましたが、同室に同じ病気の患者がいて、盛んに痛みを訴えていて重篤そうです。
9時半過ぎ彼が手術に行った気配です。
が、1時間足らずで帰ってきました。

本当に簡単な手術なのだ。
私は別の手術が入ったのか、「2時以降です」と手術の変更を告げられました。

まあ私は大したことはないのだし、「どうぞどうぞ」という気分。

ところが1時少し前、「1時から手術です」と突然看護師がやってきました。
心の準備もないままに、主治医に先導されて手術室に入りました。

手術室専門の看護師から、「気分はいかがですか」と聞かれ「気分言いわけないでしょう」と本音。
手術台に横になると、直ちに左腕に血圧計等の検査器具がつけられたようです。

右腕は点滴がつけられています。
麻酔医が「麻酔を入れます」という言葉を最後に手術はまったく記憶がありません。

耳元で麻酔医が私の名前を呼ぶ声で目覚めましたが、喉に痰が溜まっていて声がでません。
たぶん私は必死に喉を指さしたと思います。

すぐさま痰を吸いだしてくれたので、やっと声をだすことができました。

ストレッチャーに乗せられて手術室から出ようとしたとき、主治医が椅子に座り込んで、「大変だった」とつぶやいていました。
「今何時ですか」と私。「3時40分です」と誰か。

「え。大手術だったのだ」(本当の大手術ではないのですが、私としては…)
後で分かったのだが、私の胆嚢は他の臓器に癒着して、その臓器から胆嚢を切り離すのが大変だったのだという。
「何度も開腹しようと迷いました」と主治医。
「がんばってもらってよかった」とつくづく安堵したところです。

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胆嚢結石 4

11月 9, 2009 under プライベイトなこと, 寄り道

予定通り先週5日に入院。
CTで今度は造影剤を使い胆嚢の画像を採取しました。

お腹はもう痛くなかったので、石は十二指腸から腸に落ちていったと期待したのですが、
結果、石はまだ胆管に残っていました。

医者は「残念でした」と。
確かに残念でしたが、それにしても痛まなかったことを幸いと思うことにしました。

ところで、CTの写真は3Dデータとして取り込まれ、マウスで縦横に見ることができます。
しかも肋骨はそれらしく彩色され、造影された胆管は、肋骨の中で浮かんだ状態で明確に見ることができます。

実は私は昔、3Dの初期の仕事をしましたが、3Dはこのように発展したのだと、感慨ひとしおです。

さて私は、4人部屋に入りました。
残り3人は重篤です。一人は十二指腸を切除したようです。
大分苦しいらしく、看護師を何度もよんでいろいろ訴えていました。

二人目は、私と同じく胆嚢が悪いらしいのですが、大分痛いようで何度も看護師に痛み止めの座薬を入れてもらっているようです。

三人目は病気はよく分からないのですが、無茶な素人療法を続けていたらしく、喀血したようです。
それでも車を秋田に運ばなければいけないと、医者に外出を申し出ていました。

私は結局6日胆管の石を取り除きました。
内視鏡を使い十二指腸から胆管の出口を少し切開したようです。

私はレントゲン台の上に腹ばいにさせられ、無残に横顔を枕に押し付けられて、
医者が口から内視鏡を入れていくとき、一度内視鏡を喉の奥にぶつけて「へぼ医者メ」と思ったのを最後に、
睡眠薬を使われたらしく後は覚えていません。
夢の中で、口に何か四角いものをくわえさせられて、もぐもくもがいたいたのですが、気がついたら手術は終わっていました。

その後たいした痛みもなく、周りの3人の重篤な人に比べれば健常者です。
あまりに退屈で、寝ていたら背中が痛いし、運動不足なので外出許可をもらって散歩し、ついでに一時帰宅しました。

施術は好きになれませんが、息を大きく吸って緊張しないで、後は医者にまかせるしかありません。

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