柴田家の長男で商社員の雄一役の竹脇無我さん
  柴田家の長男で一流商社の通信部に勤める雄一役です。街角で、車内で、喫茶店で偶然に何回も見かけた稲葉敬子(栗原小巻)に次第に心を惹かれていきます。社内の海外留学試験を目指して勉強をする真面目で、負けず嫌いです。ドラマ開始時は26歳の設定です。
  竹脇無我さんは、1944年(昭和19年)2月17日に千葉県で生れました。父はマダムキラーの異名を取ったアナウンサー竹脇昌作さんで、父の自殺を機に1960年に松竹大船の専属俳優になります。同年に『しかも彼等は行く』で映画デビューをし、1965年に映画『アンコ椿は恋の花』で香山美子の恋人役で初主演します。その後も、クールな二枚目俳優として映画『女の一生』(1967年)やテレビドラマ『だいこんの花』を始めとして多くの作品に出演しています。木下恵介アワーでは『おやじ太鼓』や『二人の世界』などに出演しています。2011年(平成23年)8月21日に67年の生涯を閉じました。なお、雑誌「ヤングレディ」にはデビュー間もない記事が掲載されています。
柴田家の次男で浪人生の健役のあおい輝彦さん
  柴田家の次男で浪人生の健役です。10年前に母親を亡くし、家事を担当しています。甘えん坊ですが、心優しい憎めない青年です。予備校の申込みの窓口で明子(沢田雅美)と知合い友達になります。ドラマ開始時は18歳の設定です。
  あおい輝彦さんは、1948年(昭和23年)1月10日に東京都渋谷区で生れました。1962年に友人とボーカルグループのジャニーズ(他にメンバーは飯野おさみ・中谷良・真家宏満)を結成して人気を博し、映画『君は恋人』(1967年)などに出演しますが、1967年に解散します。1968年に劇団四季の研究生となり、同年テレビドラマ『おやじ太鼓』で俳優としてデビューします。以来テレビドラマ『3人家族』などの木下恵介アワーに出演し、『冬の旅』では主役に抜擢され、屈折した少年の心理を好演しています。その後も多くのテレビドラマや映画に出演する一方、木下恵介アワー『二人の世界』の主題歌や1976年の「あなただけを」(作詞:大野真澄、作曲:常富喜雄)などの歌で歌手としても活躍しています。
柴田家の主人で定年間近のサラリーマン耕作役の三島雅夫
  柴田家の主人で定年間近い庶務課長のサラリーマン耕作役です。10年前に妻に先立たれて寡暮らしをしています。戦争で大きな心の傷を負いながらも温和な実直なサラリーマンです。ドラマ開始時は54歳の設定です。
  三島雅夫さんは、1906年(明治39年)1月2日に新潟県で生まれました。保険会社に勤めながら1920年に研究座の創立に参加して舞台を立ちます。築地小劇場の研究生、新協劇団などを経ます。その間の1935年に『女優と詩人』で映画初出演し、その後も『朝の並木道』(1936年)や『綴方教室』(1938年)などに出演します。戦後も『晩春』(1949年)や『警察日記』(1955年)などに出演しています。人のいい善人役や黒幕の悪役までを演じられる役者です。私は成瀬巳喜男監督の映画『おかあさん』(1952年)での善良な父親の福原良作役が印象に残ります。1973年(昭和48年)7月18日に67歳の生涯を閉じました。木下恵介アワーでは『太陽の涙』などに出演しています。
柴田家の家政婦の春日ハル役の菅井きんさん
  柴田家の家政婦の春日ハル役です。男性だけの3人家族の柴田家を気に入り、家政婦以外でも度々手伝いをしたり、差し入れを持って訪れます。楽天的で世話好きな小母さんで、耕作に好意を寄せます。余談ですが、「ハル」の名前は1912年(大正元年)の「女の子の名前」の第2位にランクされた人気の名前です。
  菅井きんさんは、1926年(昭和元年)2月28日に東京都牛込区で生れました。終戦後、東京芸術研究所に入所し、1947年に「林檎園日記」で初舞台を踏み、1950年に『風にそよぐ葦』で映画デビューします。『愛のお荷物』(1955年)や『キューポラのある街』(1962年)などの映画に生活苦に喘ぐ母親役などで幅広い作品に名脇役として出演しています。テレビドラマの出演も多く、『必殺』シリーズの藤田まことをいびる姑役や『飛び出せ!青春』の寮母梅子役が印象に残ります。著書には「わき役ふけ役いびり役」(1989年:主婦と生活社刊)があります。木下恵介アワーでは『おやじ太鼓』など多くの作品に出演し、その存在感と芸達者ぶりを誇示しています。