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今年はイタリアオペラの巨星ベルディ生誕200年。ベネチアからフェニーチェ歌劇場が4月に来日し、代表作の一つ「オテロ」を上演する。指揮は名匠チョン・ミョンフン。昨年11月のベネチア公演は、歌手陣の充実した声が評判を呼んだ。主要3役の歌い手たちに、作品と日本公演への思いを聞いた。(文・佐藤千晴、写真・森井英二郎)
■育てた中低音域、満を持して オテロ役のグレゴリー・クンデ
イタリアオペラには二つの「オテロ」がある。ロッシーニは軽やかに輝く高音と技巧が勝負。ベルディは中低音域や演劇的な表現力も問われる。ロッシーニで評価を確立した後、昨年11月、フェニーチェで初めてベルディに挑み、どちらも歌える非凡な声を存分に聴かせた。
20代の頃、名テノールのアルフレード・クラウスに「50歳になったら本当の君の声が分かる。それまではその時の声に合った作品を選べ」と教えられた。その言葉を忍耐強く守り、声の美しさ、響きの柔らかさを重視する「ベル・カント(美しい歌)」と呼ばれる唱法に合ったロッシーニ、ドニゼッティなどを主に歌ってきた。「当時は四半世紀も待つなんて!と思いましたが、50代に入って確かに声が開いてきた。自動車に例えればトップギアに入ったな、という感じです」
輝く高音域に、じっくり育てた中低音域。力強さを増した声で満を持してベルディを歌い始めた。2011年にトリノ王立歌劇場で「シチリア島の夕べの祈り」、12年は6月に同じ劇場で「仮面舞踏会」、そしてフェニーチェの「オテロ」。各地の歌劇場からベルディへの出演依頼が増え、今後はレパートリーの中心になりそうだ。
「ベル・カントで身につけた基礎があるからベルディも歌える。歴史あるフェニーチェで、チョン・ミョンフンの指揮による『オテロ』は無上の喜びです。ここはオーケストラも合唱もすばらしいし、裏方さんにいたるまでスタッフが全員一丸となってオペラをつくっている。大道具さんのそばを通ると、オテロのアリアをハミングしてくれるんですよ」
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1954年、米国イリノイ州生まれ。大学時代は合唱指揮を学び、ロックバンドで歌っていたが、旅先のウィーンでオペラに魅了されて進路を変えた。現在も米国で合唱指導や指揮を続けている。
■回り道して いま花開くとき デズデーモナ役のリア・クロチェット
オテロの妻デズデーモナという大役でフェニーチェにデビューした。まだ32歳。豊かな声で潜在能力の大きさを印象づけた。「歴史ある劇場に、この役で立てたことに感動した。まるで宝石箱の中で歌っているようでした」。米国生まれの新星は一公演ごとに急成長を続ける。
父方の祖父母はイタリア中部のアブルッツォ州出身で、オペラは身近だった。13歳からピアノと声楽のレッスンも受け、賛美歌を歌った高校時代には声楽教師から「君はオペラを歌うべきだ」と強く勧められた。
だが、20代後半まではジャズ歌手や女優を夢見てニューヨークで暮らしたり、大学で演劇を専攻したり。「人生の方向を決めるまで時間が必要だった」と振り返る。
オペラの世界に飛び込んでからの快進撃はめざましい。すぐに世界的なコンクールで入賞を重ね、とんとん拍子でフェニーチェの舞台へ。「デズデーモナは私の声をフルに発揮できる役で、歌っていると故郷に帰ったような親密な感覚になれる。イタリアのお客様は歌い手と一緒に呼吸し、寄り添ってくれました。日本の観客も素晴らしいと聞いています。初めての日本が楽しみです」
5年先までスケジュールが埋まっているそうだ。「新しい役を歌うたびに自分の新しい可能性を発見できる。ベルディもロッシーニも、フランスものもロシアものも歌いたい」
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1980年、米国生まれ。ミシガン州で育った。2008年にサンフランシスコ・オペラ研修生に。09年にサンフランシスコでオペラデビュー、11年にフランスで欧州デビュー。
■素顔隠すエレガントな悪役 ヤーゴ役のルーチョ・ガッロ
ヤーゴ役のベテラン。世界各国で歌い、4月の日本公演で100回を超える。「体にぴったり合った服のような役」と話す。
ヤーゴはオテロが妻の不貞を疑うように仕掛け、破滅へと導く悪役だが「常にエレガントに演じるのが信条」と言う。初役の時、シェークスピア劇でも著名な英国の演出家ピーター・ホールに「絶対に黒い魂を顔に出すな」と指導された。「前半、オテロは『正直なヤーゴよ』と語りかける。最初から悪人然としていてはストーリーが成り立たない役でしょう?」
フェニーチェの舞台はイタリアのフランチェスコ・ミケーリの演出。「ヤーゴは手柄を立てても昇進できず、自身の妻の不貞も疑っている。そんな不満や不安が黒いエネルギーとなって噴出する。人間、だれもがヤーゴになりうるという視点が新鮮です」
現在はベルディ・バリトンとして活躍するが、若い頃はクンデと同様、ロッシーニなどベル・カント物が中心だった。「ベル・カントはすべての基礎。自分の声という楽器を知り、うまく育てれば、どんどん豊かになる」
日本びいきでオペラやリサイタルで来日を重ねている。「文化的な伝統が魅力。日本のお客様は、いま世界で最も熱気のある聴衆ですね」
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1959年、イタリア南部のプーリア州生まれ。「オテロ」のヤーゴは2001年に米国シカゴで歌って以来の当たり役。ドイツ歌曲やワーグナーも歌うなどレパートリーは幅広い。
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■主役のクンデ衝撃的 音楽評論家・加藤浩子
黄金の歌劇場を満たしてゆく、光り輝く声。精確な技術に支えられ、明るい高音と充実した中音域が客席を圧倒する。時に繊細に、時にダイナミックにドラマを描き出すチョン・ミョンフンの指揮に乗り、英雄の心の崩壊を描いて炸裂(さくれつ)する黄金の声。
これは、新しい「オテロ」だ。
その言葉が何度も頭に浮かんだ。
「オテロ」のタイトルロールは難役として知られ、劇的で重い声が必要とされてきた。技巧と様式感が優先され、より明るい声が求められるロッシーニのオペラを得意とする歌手がベルディの「オテロ」を歌うなど、従来の常識では考えられないことだった。しかし今回オテロを歌ったグレゴリー・クンデは、ロッシーニのオペラ・セリア(正歌劇)を通じて名声を確立した歌手である。彼は劇的なだけでなく、優れた技巧と輝かしい高音を伴う歌唱で聴衆を圧倒してしまったのだ。
ここ数十年の研究と実践の進展は、むしろ今回のクンデの起用が歴史的に正統であることを立証しつつある。高い技巧と劇的な表現力を誇ったロッシーニ当時のテノール歌手たちは、より表現力に富んだ強い声が求められたフランスのグランドオペラ、そしてベルディへとオペラの主流が変遷するのにあわせ、声を熟成させて適応していった。クンデはその道を現代に蘇(よみがえ)らせ、「オテロ」にたどりついたのである。クンデを抜擢(ばってき)したフェニーチェのフォルトゥナート・オルトンビーナ芸術監督は、彼の声は「同じようなキャリアを積み、1887年の初演でこの役を歌ったフランチェスコ・タマーニョに似ていると思うのです」という。
デズデーモナのリア・クロチェットの清新なスケール感。ヤーゴのルーチョ・ガッロの巧みさの際立つ演唱。そして、美しくもモダンなフランチェスコ・ミケーリの演出も印象的だった。しかしその夜の主役が衝撃的なクンデのオテロだったことは、現地評でも示された通りである。21世紀の今だからこそ可能になった新生「オテロ」は、まもなく日本に降り立つ。
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