しょぼいクリエーターと付き合ったことある人にオススメ。素朴に読むか、読み込むか。坂上秋成『惜日のアリス』
posted by ナガタ / Category: 新刊情報 / Tags: 小説, 哲学, 批評,
今回取り上げるのは、文芸批評家の坂上秋成氏が執筆した小説『惜日(せきじつ)のアリス』
。しょぼいクリエイター(自称)と付き合ったことのある男女、あるいは自分自身がその「しょぼいクリエイター」本人であるような人にオススメのストーリーです。
あるいは、文芸批評に興味のある人、ジェンダーの問題に興味のある人たちに広く薦めたい作品でもあります。本書の発売は4月中旬。この作品、このBook Newsを普段から読んでくださっている方々に自信を持ってオススメできる作品です。


※表紙は『ウツボラ』の中村明日美子さん。
あるいは、文芸批評に興味のある人、ジェンダーの問題に興味のある人たちに広く薦めたい作品でもあります。本書の発売は4月中旬。この作品、このBook Newsを普段から読んでくださっている方々に自信を持ってオススメできる作品です。
※表紙は『ウツボラ』の中村明日美子さん。
この小説、素朴に読もうとすると難儀するかもしれません。
「所詮、小説家としてデビューした人じゃない人間の書いたものでしょ」と言われかねない文体の生硬さがあることは否めません。でも、この作品は「小説家志望の女性」の自分語りとして始まるので、「文章がこなれていないのは作者の文章がこなれていないのではなくて、むしろ登場人物の小説の下手さがリアルに表現されている」と言えなくもない、と思います。僕の考えすぎかも知れませんが。
でもそんなことはどうでもいいじゃないですか。
もう少し内容のほうを見てみましょう。
※とはいえ、主人公が成長した後の物語である筈の後半になっても文章がこなれていない気がする、という感想もあり得ると思います。しかしでも果たして本当に後半は主人公の将来の姿なのでしょうか。前半の若い主人公の創作が後半に書かれているだけという可能性もあるのです。
内容の方を見てみましょう、と言っても発売前の作品なのであまりネタバレしないようにしたいと思います。この作品は大きく分けて次の3つの部分から構成されています。(下記の分類は記事の便宜上のもので、作品の章分けとは無関係です)
1:主人公が、とある詩人と出会い、酷い別れ方をする
2:別れてから長い月日が経ち、詩人が戻ってくる
3:ある事件が起きて、小説の世界が「崩壊する」
「1」がまず胸に迫ります。残念なクリエーター志望(あるいはクリエーター気取り)の2人の、幼稚なやり取り、2人の生活はみるみる崩壊します。このあたりは「恋愛あるある」を巧みに描いた残酷で哀しい物語です。その「物語」の滑稽さを残酷に笑いながら、読者は「こいつらバカじゃないの」と思い、自分はもっとマシなオトナになるのだ、あるいは自分はもっとマシなオトナになったと思うでしょう。
「2」はオトナの日常系。イタい詩人と別れ、「もっとマシなオトナ」として暮らすようになった主人公。彼女はレズビアンになり、嘘みたいな美女とその娘と「家庭」を持ち、新宿2丁目の店で仲間たちと楽しく日々を過ごしますが、そこに昔に別れた詩人が戻ってくるのです。酸いも甘いも噛み分けて、しんどいこともスマートにやり過ごせるようになった筈の主人公たちが、実は諸さを隠し持っていたということが露呈します。
「3」については作品を読んで、自分で考えて下さい。ある事件をきっかけに、小説そのものの根底が崩壊し、突然いわゆる「現代小説」になります。「3」の部分で崩壊が訪れたことによって、「1」も「2」も「現代小説」の重要な一部だったことが明らかになります。物語は単なる「恋愛あるある」でも「オトナあるある」でもなくなるのです。
でもまだ大事なことを僕は書いていません。
この小説は「新たなる家族と性の物語」というキャッチコピーが付いていますが、これは罠である、と言うべきだと思います。家族だの性だのを主題にした小説に興味がなくてもこの作品を読者は楽しめる筈なのです。ヘテロセクシャルだった女性がオトナのレズビアンになって、レズビアンの恋人その娘と「新しい家族」になる、というのはあまりに陳腐な話です。この作品を、単なる「あるある話」として捉えて興味を失ったり、途中で読むのをやめてしまう人が出ないように、「3」があることをあらかじめ強調しておきたいと思います。
ある重要なシーンで、主人公の恋人は、自分がレズビアンだとは言いません。そう言えば主人公を安心させることができるのに、そう言わないのです。そもそも主人公の恋人を母として産まれたとされる娘、彼女は本当にその娘なのでしょうか。「3」において、あらゆる登場人物の存在、それぞれの関係が疑わしくなる。
小説の紹介をするときの常套句かも知れませんが、「疑わしいのは登場人物たちだけでしょうか」。読者それぞれの身の周りの人間たちのキャラクター、それぞれの関係も、ほんとうは疑わしいとは思いませんか。その「疑わしさ」を暴露するだけの小説も陳腐です。何故なら「日常に接しているキャラクターが疑わしい」ということはもはや自明だからです。この作品が面白いのは、その疑わしいキャラクターたち同士が、何ら「真実」に到達しないまま、もう「希望」としか言いようのない何かに向けて進んでいくことです。
この作品の装画を中村明日美子が手掛けているのは、単に著者が中村のファンだからというわけではないと思います。上掲の書影画像の下に注記しましたが、中村明日美子は『ウツボラ』という、ある小説家と彼をとりまく数人の女性による、命と未来を賭けた虚実入り交じる「関係」を描いたものでした。
『ウツボラ』において、中村は重要なはずの「真実」を明らかにしないままストーリーを終わらせます。現実においてすら「真実」は時として「幸せな関係」のためには重要じゃない場合があります。ましてや虚構作品内における「真実」なんて、どこまで言っても所詮は読者にとっては虚構なのです。
むしろ虚構だからこそ描き出せる真実というものもあります。それは「虚構もまた現実の一部であり、だから人は希望を抱くことができる」ということです。希望とは虚構なのです。でも人は現実に希望を抱くことができる。虚構があるから人は希望を抱けるのです。
そして『惜日のアリス』とは、そのような現実にある希望という虚構を描き出すために技巧が凝らされた作品なのです。
この作品の刊行に際して、評論家で作家の中森明夫は「高橋源一郎以降」と書き、その高橋源一郎は「新しい小説をありがとう」と書いています。高橋源一郎の作品のファン、あるいは高橋源一郎のようになりたくて小説を書いている人もこの作品を読むべきだと思います。「敢えて読まない」という態度は、この作品についてはあまり有益ではない。『惜日のアリス』は、いくつもの意図的な技巧によって構成されている作品です。高橋源一郎ファンのような、分析的な小説の読者なら、きっとそれらの技巧を析出することができるはずです。高橋源一郎のように小説を書きたいなら、それらの技巧を取り出して自分のものにするに越したことはないでしょう(それを使うか使わないかは別にして)。
作家でシナリオライターの奈須きのこと、哲学者の千葉雅也のコメントも寄せられています。僕は奈須きのこ作品はほとんど知らないので、千葉雅也の「かつての勇気を忘れたかのように、今、別の勇気を出すのだ」というコメントについて。これは「3」のパートについてのコメントだと考えていいと思います。作品を読んでしまうとわかるとおり、これはほとんどそのまんまなのですが、『惜日のアリス』に自己啓発本的な側面があるとしたら、このポイントでしょう。希望なくして勇気はありえません。とりかえしがつかないように思えるような事態、茫然自失の状態で、どこへ行ったらいいのかわからないとき、それまでとは違う新しい勇気、「別の勇気」が必要になるのです。この作品にはその「別の勇気」が湧き出す瞬間が見事に描き出されているのです。
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これはもうこの楽曲以外には考えられません。この動画は、『惜日のアリス』の「PV」という位置付けではありますが、この楽曲を聴きながら作品を読むと、すごくしっくりくるんです。関連書籍
・『ユリイカ2011年7月臨時増刊号 総特集=涼宮ハルヒのユリイカ! The girl greatly enlivens the criticism!「涼宮ハルヒの失恋」という、坂上氏の挑戦的な論考が収録されています。
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