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はじめに
小説を書き続け、作品を完結させるには膨大なエネルギーを必要とします。 いくら小説を書くことが好きでも、途中で疲れてしまって放り投げてしまうことなど、めずらしくありません。 以前、作家のみかづき紅月さんにお会いした時に、 「新人賞を受賞して作家デビューしても、一発屋で消えてしまう人が多いのはどうしてでしょうか?」 と質問してみました。 すると、 「それは単に本人が書けないのが原因です」 という答えが返ってきました。 私はそれまで、出版社がいじわるでもして、次の作品を書かせてくれないのかと考えていましたが、 それは違うそうです。 みかづきさんによると、次の本が出せないのは100%本人の責任だそうです。要するに書けないだけだと。 作家デビューした人で10年後に生き残っている者は95%にも満たないという現実と照らし合わせると、 いかに小説を書き続けるのが困難か、わかります。 もちろん、プロの場合はある程度以上の水準のクオリティを持った作品を提供し続けなければならず、 作品が売れなければ容赦なく切られるという現実もあります。 (売れれば、「先生、次の企画なんですが〜!」となりますが、売れなければ連絡が途絶えます) でも、すでにプロとしての実績があるのなら、新作を作って出版社に売り込むことも可能な訳です。 しかし、そこまでして、次の本を世に出そうという気概の持てる人は、なかなかいません。 小説を書くというのは、本来、楽しいことなのですが、 長く続けていると、楽しく感じられなくなったり、苦痛になる時が必ず訪れるのです。 このスランプ期をいかにして乗り切るかが、小説書きにとって、永遠のテーマと言えるかも知れません。 やる気を維持させ、最後まで作品を書き通すためにのコツはあるのでしょうか? |
完璧を求めすぎない
自己啓発本などでは、人生80点主義ということがよく書かれています。 100%の完璧を求めると、逆に身動きが取れなくなって失敗するから、 ほどほどの点数で満足しましょうということですね。 より上を目指して努力することは大切なのですが、 完璧を求めすぎると、逆に小説を描くことができなくなります。 昔、ある人から、小説を描きたいのに描けないのですが、どうしたら良いですか? と相談されたことがありました。その時は、 「下手でも良いんだと開き直ってやれば描けますよ」 と、私の経験に照らしてアドバイスさせていただきました。 理想が高すぎると、その理想に到達していない自分が許せなくなるんですね。 すると、小説を描くことに恐れを抱くようになり、小説が描けなくなるため、 結局いつまでも上達しないことになります。 小説を書き始めて、2,3年でプロ作家並の小説など描ける訳がないのです。 でも、理想が高すぎる人は、短期間でプロの実力に迫ろうと焦るあまり、 自縄自縛の罠にはまりやすいのです。 ある時、私が描いている二次創作小説に批評を書いてくれた方がいました。 おもしろかった。アクションシーンが良かったと褒められた部分もあったのですが、 いろいろ気づいていなかった欠点も指摘されました。 その時は、おもわず全部描き直したくなる衝動に駆られました。 自分では、とことん作り込んでいたつもりでいたので、粗があったのが許せなかったのですね。 でも、これは危険な考え方で、どんなに注意しても欠点などは出てきてしまうものです。 それを潰すことに躍起になって、いつまでも1つの作品、1つのシーンにこだわり続けていると、 前へ進むことができません。 小説上達の極意は、「たくさん読んで、たくさん書くこと」です。 しかし、完璧にこだわると、いつまでも小説が描けなかったり、 1つの場面で足踏みしてしまうという罠にはまります 80点で満足して、小説をどんどん描いていきましょう。 ▲ページの先頭へ |
酷評をもらってもクヨクヨしない方法
作家志望、小説を作って発表する人の傾向として、 自己顕示欲が強いが、繊細で傷つきやすいという特徴があります。 自分の作品を大勢の人に読んでもらいたい、たくさんの人から賞賛されたい、ベストセラーになりたい! という気持ちがあるのですが、いざ酷評をもらうと、全人格を否定されたように傷つき、 落ち込んだり、怒り狂ったり、自暴自棄になったりするのです。 時には、これが原因でスランプになることもあります。 私の小説を批評してください! と依頼し、正直に批評されると、がっくりと落ち込んでしまう。 小説投稿サイトなどでは、批評した人に対して、怒りから反論し、 その場が単なる中傷合戦になることも珍しくありません。 この問題は、かなり深刻で、力を込めた自信作である程、それを否定された際の反動が大きく、 カウンターパンチをきれいに食らったボクサーのごとくリングに沈み込み、 なかなか立ち上がることができなくなります。 再び立ち上がるにしても、足はガクガク、ロープを掴んで、なんとか身体を起こすという状態ですね。 もう一度、ファイティングポーズを取るまでには、たっぷり9秒は要します。 もちろん、作品の否定、イコール全人格の否定というのは錯覚です。 作品の欠点を指摘されることは、人格攻撃とはまったく別であり、 単に私はこう感じたという事実の指摘にすぎません。 むしろ、成長材料を提供してもらっていると言えるでしょう。 小説書きにとって、作品とは己の精神の一部であり、 分身ともいうべき存在なので、難しいかも知れませんが、 「作品と自分個人とはまったく異なる存在なんだ! そうなんだ!」 と自分自身に言い聞かせて、とにかく無理やりにでも納得させましょう。 そうすることで、酷評を貰った時のダメージを最小限に抑え、 成長材料だけをうまく自分の中に取り入れるのです。 また、知っておいてもらいたいのは、 実は、天才と呼ばれた人でも、常に読者の賞賛を得られる訳ではないことです。 「聖闘士星矢」や「リングにかけろ」で有名な漫画界の巨匠、 車田正美先生が10年の構想を経て執筆した漫画あります。 その名は、「男坂」。 少年ジャンプで、車田先生は次のようにコメントしました。 漫画屋にとって「オレはこいつをかきたいために、漫画屋になったんだ!!」という作品がある。 デビュー以来十年有余、オレも今やっと、ガキの頃からかきたかった作品を手がけている。 その喜びでいっぱいだ。 燃えろオレの右腕よ!そしてすべての試練をのりこえて、はばたけオレの『男坂』!! しかし、これだけ意気込んで世に送り出した「男坂」という漫画、 ジャンプ読者の人気が振るわず、たった12話で打ち切られてしまいました。 聖闘士星矢は、あれほど人気だったのに!? 私が小学生のころは、聖闘士星矢ごっこが大流行りでしたよ。 天才がどんなに力を込めても失敗して挫折することがあるのです! ならば、私たち、ふつうの人間が作った『自信作』が失敗で終わることなど、 当たり前だと考えて、クヨクヨしないようにしましょう。 自暴自棄になって周囲に当たり散らしたり、努力を怠ってしまえば、 それだけ目標からは遠ざかることになります。 ●補足 (『男坂』の次に車田先生が描いたのが、大ヒットとなった『聖闘士星矢』です。 この失敗を生かして、最初から読者受けを考えて作られたと言われています。 挫折しても腐らずに、どうすればヒットするかの教訓とした車田先生は、 精神的なタフさにおいても、まさに見習うべき偉人と言えます) ▲ページの先頭へ |
ファンを作る
ファンを作り、ファンの声援を背中に受ければ、誰だってやる気になれます。 ただし、これには自分のWebサイトを作って発表したり、 同人誌を書いて発表したりと、必ず作品発表の場を得なければなりません。 また、発表の場を得ても作品にクオリティーが伴わなければ、ファンはつきづらいです。 ファンができる。 ↓ やる気が出る。 ↓ さらにファンができる。 ↓ もっとやる気が出る。 という好循環に乗るには、相当根気よく、執筆と発表を続けて行かねばなりませんね。 Webサイトを作っても、1日のアクセス数が100を超えるほどにならなければ、 なかなか訪問者から、感想や励ましをもらえるようにはなりません。 固定ファンがつかないとやる気がでないという方もいるでしょうが、 初めはファンなどできないのが当たり前という気持ちで、小説を書き続けてください。 ▲ページの先頭へ |
他人から評価を得ることを最大の目的にしない
ファンを作ることはやる気につながると言いましたが、これには落とし穴があります。 他人からの評価を得ることを第一に考えてしまうと、小説を書くことが苦痛になるのです。 『NHKにようこそ!』の著者である滝本竜彦さんは、 良い作品を書かなければいけない、読者の要求に応えなければいけない、 と考えるようになってから小説が書けなくなり、長期のスランプに陥ってしまったそうです。 オフ会でお会いした際、『NHKにようこそ!』がヒットして有名になった後より、 作家志望として小説を自由に書いていた頃の方が、よっぽど楽しかった、 と語っていたのが印象的でした。 実は、他人からの評価というものは麻薬にも似た危険物なんですね。 他人の評価を気にしだすと、こんなことを書いたら笑われるのじゃないか? 批判されるのじゃないか? という恐怖が頭を支配し、自由な発想ができなくなります。 ウケなくてはいけない、と考えるあまり、自分が何を本当に書きたいのかも、わからなくなっていきます。 そして、だんだん小説を書くのが楽しくなくなっていき、最後にはやめてしまうのです。 創作の楽しさの本質とは、大勢の人から、すげぇー! と賞賛されて人気者になることではなく、 「自分の書きたいことを自由に書いて表現する」ことにあります。 名声やお金といった結果ではなく、小説を書くというプロセスそのものが快感なのです。 苦しそうなしかめっ面をしながら、クレヨンで絵を描く三歳児はいません。 好きなことを自由に創作することに、人間は本能的な喜びを覚えるのです。 作品の評価は、付加価値的な要素に過ぎません。 しかし、この付加価値は、名声やお金といった社会的評価に結びつくので、 多くの人は、これに惑わされてしまうのです。 小説を書くことを名声を得る手段にしてしまうと、創作の喜びは消え、無限地獄に突き落とされます。 なぜなら、他人の評価ばかりを求める人間には「自分のやりたいこと」が無いからです。 「やりたいこと」は「やらねばならない」ことと化し、喜びは苦痛へと変わります。 例えば、ネットで小説を発表する場合、必ず気になるのがアクセス数や感想です。 アクセスが大量に集まれば、鼻高だがですが、一日のアクセス数が10人、 そのうちの半分が自分とかなると、もー、世界から疎外されまくった孤独感でいっぱいになります。 必死になって宣伝し、腕を磨いて、人気が出ると、自分よりもっと人気がある人がうらやましくなり、 なんであいつばっかり注目されるんだろう? と嫉妬の炎がメラメラと燃えだします。 アクセスアップなど、小説を読んでもらうための手段に過ぎなかったのに、 いつの間にか、これが目的化して、追い立てられるようになります。 こうなると、一体何のために小説を書いているのかわからなくなり、疲ればかりが溜まっていきます。 これはプロ作家になっても同じです。 本を出版すると、アマゾンのレビューが気になって何回も見に行ったり、自分の作品名で検索をかけて、 どういった評価を受けているのか、個人のブログや書評サイトを巡回したりします。 そこで酷評されていると、鬱病になるくらいのダメージを受けるし、 反響があまりないと「俺って人気ないんだなぁ……」と、これまた不安になります。 自分が他人にどう見られているか? 評価されているのか? これを気にし出すと、頭の中がグチャグチャになって執筆なんて手につかなくなります。 そうやって、多くの作家は、才能の芽を自ら潰して消えていくのです。 他人は関係ない、本当に耳を傾けるべきは、他人の声ではなく、自分の内なる声です。 名声やお金、といったものは小説を発表した後で付いてくる単なるオマケです。 これは、「あれば、いいかなぁ」程度に考えておくのが吉です。 もし、酷評されたりしたら、 俺は小説が書くのが好きだから、小説が書ければそれだけで良いんだ! と、開き直ってしまいましょう。 もちろん、評価されないことは、悔しいし、つらいでしょうが、 小説を自由に書くことで、もう十分すぎるほど報酬を受け取っているはずです。 肩肘張らずに、他人と競おうとはせず、自由に創作を楽しんだ方が、 結果として、欲しかった名声を得られる近道になったりします。 なぜなら、他人からの評価を求めて完璧な名作を作ることにこだわる人は、 結局、失敗の恐怖が勝って、小説を書かなくなるからです。 理想的な創作者の姿勢として、アメリカの詩人ウォルト・ホイットマンは次のように述べています。 世界中の誰もが自分を称揚しても、私は独り静かに満足して坐っている。 世界中の誰もが私を見捨てても、私は独り静かに坐っている。 ●補足 他人からの評価は気にしないと言いましたが、これは小説を発表する必要はない、 という意味とは違います。 人目に触れない小説はこの世に存在しないのと同じです。 小説を発表すれば、少数ながらも自分を支持し、共感してくれる人が現れます。 誰かと共感し合える、世界との繋がりを感じられるというのも小説を書く上での大きな醍醐味です。 ただ、これを際限なく求めると、書く喜びが消え、苦痛が増大していくのです。 動機の位置づけは、書く喜びが一番、評価は二番くらいに置いておくのがベストです。 ▲ページの先頭へ |
上達しないことに不安や焦りを感じたら?
人間の成長は、三歩進んで二歩下がるのが基本です。 一週間前にできたことが、今週、できなくなっていることなど希ではありません。 私も中学時代に卓球部に所属していたとき、 一度覚えたはずの回転サーブが、なぜかうまく使えなくなってしまって、焦った経験があります。 また、大型自動車の運転免許を習得した際には、ハンドルを切る際の内輪差の感覚が、 一度わかったようなつもりになっても、次の日にはわからなくなっており、 完全に身体に定着させるには長い時間が必要でした。 努力していれば常に人間は向上し続ける! というのは幻想です。 技術を定着させるには何度も反復訓練を繰り返す必要があり、この間、技の成功率には波ができます。 実は、前進と後退を繰り返しながら、徐々に前に進んでいるというのが現実なのです。 特に小説の執筆は、自分が成長しているのか、わかりにくいジャンルです。 アイディアの善し悪し、時代の巡り合わせ、流行といった不確定要素も大きく絡むので、 前に書いた作品は人気を博したのに、今回は反響が少ない、といったことが当たり前におきます。 いい加減に適当に書いた作品が、なぜか好評で、 必死な想いを込めて作った作品が酷評されるという理不尽にも遭遇します。 学校のテストと違って、絶対の正解が用意されていない創作の世界に失敗はつきものであり、 どんな天才でも常にヒットを飛ばし続けることは不可能に近いです。 このように努力と結果の結びつきが実感しにくいと、こんなにがんばっているのに、 まだ努力が足りないのか? 自分には才能がないのじゃないのか? また駄作を書いてしまうのじゃないか? という不安や焦りが増大しやすくなります。 「不安」「焦り」「失敗の恐怖」は発想の豊かさを奪う猛毒であり、これらに囚われると、 アイディアが出にくくなるばかりか、小説を書くのが苦痛になります。 「知り合いの●●くんは、新人賞を受賞したのに、 同じ頃から書き始めている俺は、まだ一次選考も通過していない……」 「書いても書いても、まったく人気が出ないし、 私みたいに才能がない奴が駄作を量産したって、意味ないのじゃないかしら……?」 実際に、このような気持ちになった挙げ句、筆を折る人が多いです。 勉強でも仕事でも常に結果を求められる競争社会に生きている私たちは、 「人間は結果でしか評価されない。 才能のない者、平均以上の結果を出せない者は、その他大勢の雑魚にすぎない」 という刷り込みをされてしまっている傾向があります。 テストの点数や年収といった、序列のわかりやすい評価に慣れてしまっているのです。 しかし、これを創作の世界にまで持ち込むのは間違いです。 なぜなら、作品の価値とは受け手によって異なるからです。 世界的大ヒットの名作Aを、すべての人が賞賛するわけではありません。 Aを読んでもつまらないと感じる人もいます。 逆に、知名度ゼロのマイナー作品Bを好きな人もいます。 Aには一千万人のファンがいる。一方、Bには500人のファンしかいない。 ならば、Bには存在している価値がないのでしょうか? そんなことありませんよね。 それはBに出会えて良かった、と思うファンの心を愚弄する考え方です。 一万人を感動させることができなくても、たった一人に共感してもらえれば、それで成功なのです。 たった一人であろうとも、この世の誰かを喜ばせることができたら、誇って良いのではないでしょうか? 例え、なかなか成功の芽が出なかったとしても、書き続けることには価値があるのです。 ファンからのメールや掲示板の書き込みがあったら保存しておき、もし挫折してしまいそうになったら、 「俺を応援してくれる人間が、ちゃんといるんだぞ!」 と、確認して、モチベーションを復活させると良いです。 なにより、すぐに結果が出ないからといって、才能がないと諦めるのは、早計というものです。 壁にぶつかるなど当たり前だと考えて、気長にやっていきましょう。 ▲ページの先頭へ |
自分の欲求、好きなことを追求する
執筆していて、自分が心から楽しい! と思える話を書くべきです。 ホラーが好きなんだけど、ファンタジーの方が人気があるし、 読まれやすいからファンタジーを書こうなどという打算的なチョイスはいかんです。 人間誰しも弱いモノですから、好きでもないことをやり続けるのは非常に困難です。 壁にぶつかると、すぐにあきらめてしまうことになりかねません。 また、主人公とするキャラは同性なら好感が持てるタイプ、 異性なら自分の恋人にしたいような人物にすると良いです。 小説を書いているときのあなたは、主人公と同化し、 主人公の視点に立って物語を描き出さねばなりません。 いわば主人公とは、作者にとって物語を作る上でのパートナーなのです。 このパートナーが、自分と馬の合わない人間だったらどうします? 感情移入しづらいし、なにより書く気がなくなってくるでしょう。 そんなことが起きないようにするためにも、主人公は自分の好みの人間にすべきです。 なにより、オリジナリティとは、自分の好きを極めたところから、発生します。 深く深く自分の内面を探っていく過程で、他人にはまねできない持ち味が生まれてくるのです。 ▲ページの先頭へ |
一週間に一度、更新宣言
あなたがもし、自分のホームページを持っているのなら、 そこに小説をアップし、1週間に1度は必ず更新しますという宣言をしてしまいましょう。 1週間が辛いのなら、2週間以内でもいいです。こうすることによって、 「宣言してしまった手前、やらなければならい!」「破ったら、嘘つきだと思われてしまう!」 このような他人の目という動機が加わりモチベーションを維持し続けることができます。 困ったことに、人は外からの命令・強制を受けないと動かない怠け者の性質を持っています。 特に締め切りを設けずに自由に執筆できる環境を与えられていると、 「明日があるさ」なんて言って、だらけてしまいがちです。 これは、誰でも同じことです。 私も小説を書こうと思ってパソコンの前に座っても、 「ああ、なんかめんどうだ。ゲームでもしようかなぁ」と思ってしまうことがあります(笑)。 アマチュアは誰の指示も受けず、自由に小説を書くことができますが、 それ故にこそ、作品を完結させることが難しいのです。 この作品は必ず完結させるぞ! という意気込みがあるのなら、その初心を持続するためにも 1週間に1度更新宣言をしてみることをオススメします。 自分で自分に締め切りを作ってしまうのです。 これをしばらく続けていると、やがて一週間に一度のペースで小説をアップするのが習慣となり、 身体がこの目標に向かって、自動的に動くようになってきます。 ▲ページの先頭へ |
継続こそ力
よく言われることですが、「継続は力なり」です。 3年続けてもできないことでも、5年、10年続けたら達成できることがあります。 先日、私のお気に入りのイラストサイトが閉鎖されました。 かなり上手な絵を描く人で、密かに応援していただけに残念でした。 しかし、サイトの閉鎖というのは、珍しいことではなく、 2,3年ほどで運営を辞めてしまう人が大半です。 好きで始めたことでも、長く続けていると、最初の気持ちが薄れ、だんだんと続けることが負担になっていってしまいます。 そして、ある時、きっぱりとやめちゃうんですね。 実は、絶対確実に新人賞を取る方法というのがあります。 その極意を、あなたにこっそり教えましょう。 それは……新人賞を取るまで投稿を続けることです。 あたりまえのことですよね(笑)。 あたりまえのことですが、あきらめずに小説を描き続けることができる人など、極まれです。 努力しても報われないときがある。 才能の差は覆せない。 というネガティブ価値観が一般的ですから、ある程度努力しても結果が出ない場合、早々にリタイアしたくなるのが人情でしょう。しかし、 あきらめずに最後まで努力して、見事作家デビューした人も大勢います。 代表的な人として、第13回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した粕谷知世さんがいます。 彼女は、13年にも及ぶ長い投稿生活の末、 『クロニカ』という作品で大賞を受賞し、作家デビューを果たしました。 13年といったら相当長い時間ですよね。 天才だけが勝利者になるわけではない事実を教えてくれます。 粕谷知世さんを見習って小説を描き続けましょう。 長く続けていれば、少しずつですが確実にレベルアップしていきます。 追記 ある部族の村には乾期に100%の確率で雨を降らす、雨乞いのダンスがあるそうです。 その極意とは……なんと雨が降るまで踊り続けることだそうです。 ▲ページの先頭へ |
創作を挫折させる8つの要素と対処法
1.批判への恐怖 ・もし、批評でコテンパンにされたら、どしよう? ・以前、作品をさんざんにバカにされ、否定された! ●対処法 失敗など当たり前。どんな天才でも、厳しい下積み期間や、挫折を経験しています。 ドラゴンボールの鳥山明は、修行時代、500ページもボツ原稿を量産していました。 目の前で編集長に原稿をシュレッダーにかけられたこともあったそうです。 しかも、それだけの努力を積んだのにデビュー作のアンケート結果は最下位でした。 最初から、なんの障害もなく成功するなど、まず有り得ないので、批判は、おおらかに受け流しましょう。 2.才能に対する不安 ・自分には才能がないのではないか? 努力しても成功しないなら虚しい。 ・才能がない自分がいくら駄作を量産しても、意味がないのでは? ●対処法 才能に対する不信が才能を殺します。 自分には才能がないと決めつけてあきらめれば、すべての可能性は消えてしまいます。 また、最初から才能を認められる方が珍しいです。 フランスの画家ゴッホは、いまでこそ世界的に高い評価を得ていますが、 生前に売れた絵は一枚だけでした。 ゴッホは2000近くもの作品を仕上げていますが、 名作とされる作品のほとんどは晩年の約2年半に描いたもので、 評価されている作品数は実は意外と少ないのです。 才能を開花させるまで、実に大量の作品を作らなくてはならなかったのですね。 もし、彼が途中で自分の才能に見切りをつけていたら、ゴッホの名は歴史に残らなかったことでしょう。 また、作品を発表すれば、誰か一人はファンになってくれる人が現れます。 たった一人からでも共感を得られたら、それで成功なのです。 100万人に支持されなくては小説を書く価値がない、などというな考えは、 自分を虚しくさせるだけなので捨てましょう。 3.良い作品を作るためのプレッシャー ・前作を超える作品を作らなければ、みんなに見捨てられるのじゃないか? ・世間に評価される名作以外は、この世に存在する価値がない。 ・失敗は許されない。完璧な作品を仕上げねばならない。 ●対処法 結果より、小説を書くプロセスを楽しむようにしましょう。 失敗など当たり前、失敗は名作を生み出す糧だと思って、結果に囚われないようにするのです。 他人の評価や名声を得ることに囚われると、自分が何を本当に書きたいのかわからなくなります。 そうなると、執筆は恐怖を伴った苦痛な作業と化し、一行も書けなくなります。 スランプや挫折の最大の原因は、良い作品を作らなければ意味がない、というプレッシャーです。 4.好きなことをやることに対する罪悪感 ・みんなが苦しい思いをして、嫌な仕事や勉強に打ち込んでいるのに、 自分は好きなことをしていて、良いのだろうか? ・辛いことを一生懸命することが良いことであって、楽しいことに打ち込むのは悪いことだ。 ●対処法 人間は、意外と幸せになることに罪悪感を覚え、自分をいじめる方向に走ってしまう傾向を持っています。 好きなことを回避して、苦痛に身を浸すことで、 「俺はがんばっている」「私はみんなと同じよ」という安心感を得る心理があります。 好きなことに邁進するためには、実はかなりの覚悟とエネルギーが必要です。 好きなことを始めると、周りから奇異の目で見られたり、 それをやめるように言われることも希ではありません。 彼らは、あなたの好きではない、しかし世間的な評価の得られることを行うように勧めます。 しかし、苦痛に耐え続けることで人間的な成長が得られるというのは、幻想に過ぎません。 むしろ、逆で、他人に自分と同じような苦痛に耐えることを要求する狭量な人間になります。 好きなことをしている人間を貶すのは、好きなことをしていない人間です。 彼らの甘言に惑わされても、刺激の薄い、不満だけらの人生を歩むことになります。 人間は、自分の好きなことを自由にやって良いのです。それでこそ、本当の成長と満足感が得られます。 5.他人との競争心、嫉妬 ・知り合いの●●さんは、新人賞を受賞したのに、自分はまったく芽が出ない。 ・●●さんの作品は、たくさんのファンがついているのに、自分の作品には反響が全くない。くやしい。 ●対処法 ついつい比較対象にしてしまう他人の情報には意識的に触れないように努めましょう。 競争心や嫉妬は、自分のやる気を奮い立たすどころか、 自分にはあの人のような実力がない、という自信喪失につながります。 他人と自分を比べても、メリットよりデメリットの方が大きいです。 自分のペースで創作を楽しむようにしましょう。 6.自分をさらすことの怖さ ・こんなことを考えているなんて、他人に知られたら恥ずかしい。 ・万人に認められるような価値のある自分にならなくてならない。欠点を暴かれたくない。 ・自分をさらして、もし受け入れてもらえなかったら、どうしよう? ●対処法 自分の心の内側を深く探求して、正直にさらけださねば、オリジナリティは生まれません。 自分の恥を隠そう、人に良く見てもらい、と格好付けると、 逆に人から賞賛されなくなるというパラドクスがあります。 創作活動とは、自らの精神をさらす行為であり、内面を隠そうとしてはいけないのです。 また、自分と波長の合う人は、百人に一人、いるかいないかの確率です。 すべての人に拍手を持って迎え入れられるなど不可能であり、自分を正直に表現したところで、 無視されたり、批判されたりする方が多くて当たり前だと考えておきましょう。 (どんなイケメンや美女でも、すべての異性から求愛されることなど有り得ないのと一緒です。 人間には相性、合う合わないがあります) 7.社会的評価への不安 ・小説家になりたいなど、とんでもない誇大妄想だ。 ・小説を書いているなど、現実逃避的な女々しい行為だ。他人に知られたら恥ずかしい。 ●対処法 小説を書いている、または小説家を目指している、 ということは信頼できる人に以外には黙っておきましょう。 カミングアウトしても、賞賛されることは少なく、あまりメリットがありません。 8.作品が執筆途中でつまらなく感じてしまう ・このパートは退屈で、書いていてもつまらない。 ・こんな作品、どうせ完成させたところで、たいしたものにはならない。 ●対処法 どうすれば、自分自身がおもしろいと感じるのか? 工夫してみましょう。 書きたいシーンから書いてしまうのも手です。 また、作品の評価は完成させてみなければわかりません。途中で捨ててしまうのはもったいないです。 もしかすると、あなたのファンになってくれる人が現れるかも知れませんよ? ▲ページの先頭へ |
ワナビという蔑称への対処法
小説を何年も書き続けているのに、まったく新人賞は通過せず、ネット上でも評価されない上、「ワナビ(小説家志望に対する蔑称)」「中二病」とか呼ばれて馬鹿にされると……死にたくなります。 「チクショー、オレがプロの物書きじゃないから馬鹿にされるだなぁ! 才能のある連中は上から見下してくれちゃってよー! プロがそんなに偉いのかよ!?」 と叫びたくなります。 でも、安心してください。 プロになっても馬鹿にされるし、失敗するし、劣等感は永遠に続きます。 物書きというのは、例外なく黒歴史(恥ずかしい過去)製造装置です。 例え、プロ作家になって本を出版しても、売れなかった自著などというのは、小学生の頃に書いた作文みたいな物で、恥ずかしくて見られたもんじゃありません。 あの時、ああすれば良かった、こうすればもっと売れたんじゃないか? タイトルが悪かったんだよチクショー! とか後悔ばかりが募ってきます。 自信満々でプロットを提出したり、死力の限りを尽くして原稿を用意しても編集者さんから、「こんなんじゃ売れない。まったくダメです」「このように直して下さい」と駄目出しを受ければ、「今回の原稿は自信があったのに……オレは自分の得意分野ですら、まともにこなせないのか?」と、果てしなく落ち込みます。 苦労して出した作品がAmazonのレビューでボロクソに酷評されていると……死にたくなります。 「売れている作家さんは上から見下してくれちゃってよー! 才能ある奴がそんなに偉いのかよ!?」 と叫びたくなります。 じゃあ、人気作家さんが幸せで得意の絶頂かというと、そんなことはありません。 ミリオンセラーを記録し、映画化やアニメ化までされた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』の著者・岩崎夏海さんは、自身のブログ「ハックルベリーに会いに行く」の中で、はてなブックマーク上で誹謗中傷されていることに深く傷つき、抗議の声をあげています。 「だれが禿げラノベ厨のオ●ニーに金払うかボケ」 というコメントが、岩崎さんの心をグサリと刺したようです。 コレを目の当たりにして、頂点まで上り詰めても、ライトノベル作家という立場そのものが侮蔑の対象となるのだなぁ、と感じました。 もちろん、ラノベ作家に限らず、有名になればどんな分野のプロであろうとも、誹謗中傷の的にされるものです。 つまり何か社会にコミットしたり、発表したりすれば、立場はどうあれ、批判されたり馬鹿にされたりするのは宿命だということです。 次のような名言があります。 自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。 しても悪口をいわれ、しなくても悪口を言われる。 どちらにしても批判を逃れることはできない。 エレノア・ルーズベルト (第32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人、国際連合アメリカ代表、婦人運動家) ワナビと馬鹿にされるのが嫌で、小説家志望を辞めようとすると、「なんで途中でやめるの?」「途中で物事を投げ出す半端物!」と、これまた軽蔑の視線を向けてくる人がいるものです。 他人に気に入られるように行動しようと思っても、万人受けすることはできないので、必ずどこかから批判が飛んできます。 なので、自分の正しいと信じる道を進むのが最良なのです。 また、最初から、馬鹿にされるのは当たり前だと考えていれば、馬鹿にされても、あんまり腹は立たないし、モチベーションにも影響しません。 馬鹿にされないように見返してやる! と考えて努力するのは良いのですが、上の段階に進んでも、やっぱり馬鹿にされるし、失敗するし、劣等感も消えないので、あんまり肩肘張らない方が良いです。 もしあなたを不当に中傷するような人が寄ってきたら、スルーしておきましょう。 努力している人間を見下すような人間はろくな者ではないので、相手にしたところで、有害でしかありません。 ▲ページの先頭へ |
中二病という蔑称への対処法
主人公が実は異世界の戦士の転生体で、学園に通いながら放課後に悪と戦っていて、超モテモテ! などという設定は、俗に中二病と呼ばれます。 中学生が妄想しがちな、現実世界のコンプレックスから来る痛い設定という奴です。 オレは特別! オレは超モテモテ! オレは超強ぇえ! オレは悲しい過去を背負いながら戦っていてカッコイイ! という作者自身を慰撫するための自己満足的な要素が詰まっています。 このような姿勢が「痛い奴」として嘲笑の対象となるのです。 しかし、物語というのは、人間の願望を反映したモノであり、中二病的な設定の中にダイヤの原石が含まれているので、一概に馬鹿にはできません。 そもそもギリシャ神話やケルト神話などを調べてみても、中二病全開な話がゴロゴロしています。 主人公が最高神との混血児で、魔物を倒してお姫様と結婚して王様になるとか、魔女から最強の武器をもらって、俺TUEEEE!の大活躍、自分の作った彫像に恋をしたら女神様が彫像を生きた美少女に変えてくれたよヒャッホー! な超絶萌え展開などなど。 これらの話が廃れずに現代まで語り継がれてきたのは、これらがおもしろくて多くの人の心を掴んだからに他なりません。 神話が中二病にならないのは、主人公が良かれと思ってやったことが裏目に出て殺されたり、活躍しすぎて恨まれて罠にはめられたり、恋を成就するために弟を殺してバラバラにして海に撒いたりといった、大人好みのヘビーな展開が入っていて、バランスが取れているためだと思われます。 中二病作品もバランスが取れさえすれば、名作になる可能性があると言えます。 また、中二病を馬鹿にする人たちは、自身もかつては、自意識過剰な妄想に掻き立てられた過去を持っているがために、中二病の作者や中二病作品が好きな人を見ると、過去の自分を否定したくて攻撃してしまうのだと考えられます。 そうでなければ、中二病の特徴などをあげつらって馬鹿にすることなどできません。 中二病を馬鹿にする人も、実は中二病作品が大好きだったりするのです。 イヤボーンのヒロインを端から上げていこうぜ、などと持ちかければ、喜んで乗って来てくれるでしょう。 また、中二病というのは精神的に未熟なオタクがかかる病のようなイメージがありますが、ふつうの大人でも、現実の辛さから逃避するために、おかしな妄想に取り付かれてしまうものです。 例えば、1999年に人類が滅亡するというノストラダムスの大予言を当時の日本人の多数が信じ、盛んにテレビや書籍などで、ノストラダムスの予言についての分析がされていました。 キリスト教なども現実には存在しない魔女を恐れるがあまり、魔女狩りという大虐殺をした歴史を持っています。 人生があまりにも辛く、また退屈であるため、人間は終末予言に魅せられたり、神秘的な宗教思想や魔術の存在に惹かれてしまうものなのです。 「宇宙人なんていねーよ!」 と常識的なことを言っていたのでは退屈でツマラナイので、 「いや、実は、月は宇宙人が作った超次元航行機能を持った人工天体で、アポロ計画はその調査をするのが目的だったんだよ!」 「な、なんだってー!?」 という陰謀論をぶち上げて、NASAやアメリカ政府の巨大な陰謀について考えていた方が、世界がバラ色になって楽しいのです。 これはアポロ計画陰謀論というアポロ計画に対する有名な異説です。まともな科学者には相手にされていませんが、2011年公開の映画『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』はこの異説を元ネタにして作られており、興行収入40億円を越えるヒットになっています。 一見、荒唐無稽に思える異説であっても、それが人を夢中にさせる魅力を持っているのであれば、創作として昇華させることが可能なのです。 中二病を恥じて妄想することを辞めていたら、このような名作を作る発想のチャンスを逃してしまうでしょう。 ▲ページの先頭へ |
ライトノベルを読み書きするのは恥ずかしいこと?
小説を書くこと、作家を目指すのは恥ずかしいこと、ライトノベルは一般小説より劣る物という認識が一般的であり、ライトノベルを書こうとする人は、この点で悩むことが多いようです。 このような悩みからモチベーションダウンに繋がってしまうこともあるので、これを解消する記事を用意したいと思います。 結論から申しますと、ライトノベルは文化に属する物であり、 文化の目的とは、人々の交流の仲立ちをすると共に、「飢え」「貧困」を克服した後に立ちはだかる人類の難敵「退屈」を撃退することです。 別の言葉で言えば、「遊び」であり、この点で言えば無用の長物です。 例えば、明治時代を代表する俳人・正岡子規は「天下有用の学は僕の知らざるところ」と言いました。 彼は俳句の革新を成し遂げた人物であるだけでなく、夏目漱石などとも交流を持ち、彼の機関誌である俳句雑誌「ホトトギス」で、小説『吾輩は猫である』『坊っちゃん』が発表されるなど、近代文学に大きな影響を及ぼしました。 正岡子規の弟子である高浜虚子は、これを受けて「俳句は天下無用の閑事業としておくのが一番間違ない」(虚子句集序文)と述べています。 つまり、日本文化を代表するハイカルチャー「俳句」であっても、その本質は「遊び」であるのです。 そもそも俳句はいまでこそハイカルチャーとされていますが、元々は貴族の文化である連歌を、庶民たちが滑稽でバカバカしい物に改良して楽しんだ「俳諧の連歌」から生まれたものなのです。俳諧とは「滑稽」「戯れ」という意味です。 このため、明治時代にいたるまで、「俳諧(俳句)」は短歌より一段低い物と見られていました。 松尾芭蕉の考えをまとめた服部土芳の『三冊子』には、以下のような芭蕉の言葉が載っています。 俳諧を嫌ひ、俳諧をいやしむ人あり。 ひとかたあるものの上にも、道をしらざる事には、かかる過ちもある事なり。 現代語に解釈すると、「俳句を嫌い、俳句をいやしいものとして見下す人がいる。短歌などに親しんでいて一通りのことをわかっている人でも、その道を深く理解していないと、このような過ちをすることがある」という意味です。 松尾芭蕉の生まれた江戸時代初期には、俳句は卑しいものとして見下されるサブカルチャーに過ぎなかったのです。 その後、明治政府が俳諧師(俳句の先生)を教導職に登用することによって、俳句は権威を認められるようになりました。 言ってみれば明治時代まで、「短歌」がいわゆる一般小説で「俳諧(俳句)」がライトノベルという立場だったのです。 かつてのサブカルチャーが時代の経過と共に権威化し、ハイカルチャーになっていったのです。 このような観点に立てば、一般小説とライトノベル、どちらが上か下か、という議論はあんまり意味がないものだということがわかります。 時代の経過によって、そのような認識は少しずつ変っていくからです。 もし、小説を書くのは恥ずかしいこと、ライトノベルは一般小説より劣る物という気持ちが湧き出てきたり、他人からそのように指摘されたら、 「天下有用の学は僕の知らざるところ」 (世の中の役に立つ学問・知識など、僕は知りません) 「ラノベは天下無用の閑事業としておくのが一番間違ない」 (ラノベは世の中の役に立たない暇つぶしとしておくのが一番間違いありません) と言っておきましょう。 このように言うと、自虐のように感じられてしまうでしょうが、「無駄」「遊び」「他人との交流」こそが文化の本質であり、これこそが食料の次に人々が求める物なのです。 ローマ帝国では、支配者は市民たちに「パンとサーカス(娯楽)」を提供することを責務としていました。 これさえあれば、人間は楽しく幸福に暮らしていけるからです。 もし、文化(俳句、小説、漫画、サーカス、野球、オシャレなど)が無用の長物だからといって、これらをなくしてしまったら、退屈で死にそうになります。 ラノベを書くというのは、人々を襲う恐怖の大魔王「退屈」と戦うための武器を人々に提供しているということです。 ただ、それを誇ることなく、俳聖・正岡子規の言うとおり、天下無用の物だと謙虚な態度を取っておくのが、文芸を志す者として理想的と言えます。 そのようにしておけば、何か言われてもダメージを受けず、また他者との無用なトラブルも回避できるからです。 ▲ページの先頭へ |
集中力をアップさせる環境作り
やる気を持続させるには、集中力をアップさせる環境作りも大切と言えます。 執筆しやすい環境を用意して、創作に専念できるようにしましょう。 集中力をアップさせる環境作りのコツとしては次のようなモノがあります。 1・好きな音楽を流す 工事の音や、電車の音、子供が近所で走り回る声などが聞こえてくると、 気になって集中できませんよね(汗)。 特に選挙期間中の候補者の宣伝カーなどが来ると、うるさくてたまりません。 候補者に親近感どころか、殺意を感じてしまいますよね(笑)。 こういう雑音をうち消すために、好きな音楽をBGMとして流すことをオススメします。 これは「マスキング効果」と呼ばれるものです。 ある感覚(BGMや香りなど)が別の感覚(工事・電車・子供の声・悪臭)を、 かき消すことをマスキングといいます。 この効果によって、騒音や悪臭に煩わされることなく、執筆に専念することができるのです。 また全くの無音の環境というのも、逆に人間にストレスを与えます。 おそらくあなたも経験がお有りかと思いますが、一切の雑音がしないと、 1人でいる孤独感や不安感が高まり、なんだか落ち着かなくなってきますよね。 適度な雑音があった方が、人間は心が安らぐのです。 特に聞きたい音楽が無いと言う方は、 モーツァルトなどのクラシック音楽を聞いてみることをオススメします。 クラシックのほどとんどの曲には「1/fゆらぎ波」と呼ばれる波動が含まれており、 それを受けることによって脳から大量のアルファ波が出て情緒が安定します。 そのためクラシック音楽には高いリラックス効果があり、 記憶力が高まることなどが知られています。 落ち着いて執筆に専念したい時には、クラシックをBGMとして流すと効果的でしょう。 2・観葉植物を置く。 イライラした状態では、とても執筆に専念することなどできませんよね。 落ち着いた気分で小説を描けるようにするためには、部屋に観葉植物を置いてみるのも有効です。 というのも、実は植物からは「フィトンチッド」と言われる物質が放出されているからです。 このフィトンチッドには、副交感神経を刺激して精神を安定させ、 開放感を与える効果があるのです。 これによってストレスの重圧が解消され、心身がさわやかになるのですね。 また、緑色には緊張を緩和させ人をリラックスさせる効果があります。 色は人の心にさまざまな影響を与える力を持っているのです。 上手に色を使うことで、高級感を演出できたり、親しみすさを感じさせたり、 心を癒す効果も期待できるのですね。 特に青や緑などの寒色系の色は、人の心を落ち着け集中力をアップさせる効果があります。 そのため、このサイトも寒色系の色を使ったデザインで統一しています。 実際に、アメリカの病院では壁の色を白から青緑色に変えたところ、 手術医の腕があがったというデータもあります。 また、東京農業大学の植栽学研究室の実験でも、植物の人体に与える良い影響が証明されています。 植物のある環境とそうでない環境では、踏み台昇降運動をした後、脈拍数に差が生じたのです。 植物のある環境の方が、心拍数の回復が早く持久力が高まったのです。 やはり、人間も動物ですから、緑の側にいた方が体調が良くなるようにできているのですね。 そのため、部屋に観葉植物を置いてみることもオススメします。 綺麗な花や草木を見て心を和ませると、読書や執筆がはかどるでしょう。 3・時計やテレビ・ゲームを視界から無くす。 時間が気になっている状態だと、イライラしてしまって集中できません。 いっそのこと時計を視界から無くしてしまい、時間を気にせず執筆に専念できる環境を作った方が、 集中して小説が描けます。 また、テレビやゲームなどが側にあると、 どうしても気になって集中できないということが多々あります(汗)。 ちょこっと気分転換のつもりでゲームをやり出したら、 結局止まらなくなって小説が描けなくなってしまったなんて経験、あなたにもありませんか? 娯楽の誘惑に負けないためにもテレビやゲーム、漫画などは遠ざけた方が賢明です。 4・明るすぎる照明はダメ パソコン作業をする場合、部屋の照明が強いと、目に大きな負担をかけてしまうことが知られています。 厚生労働省が平成14年に発表した「VDT作業における労働衛生管理のためのガイドライン」には、 『室内は、できるだけ明暗の対照が著しくなく、かつ、まぶしさを生じさせないようにすること』 という項目があります。 これを受けて、パソコンを長時間使用する職場では、 あえて電灯を多少暗くして視力低下を予防しているところもあるそうです。 目が疲れると、パソコン画面を見ているのが辛くなり、集中して作業を行えなくなります。 パソコンで小説を書くのであれば、部屋を若干、暗くすると良いですね。 逆に、ノートなどに手書きで文章を書く際は、暗いと目を悪くしてしまうので、 執筆環境によって照明を調整するようにしましょう。 |
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