さらば大阪の"プロレスの聖地"ムーブオンアリーナ
大阪プロレスの本拠地で、「Mアリ」の通称で親しまれた「ミナミムーブオンアリーナ」が2012年10月20日、プロレス会場としての約5年間の歴史にピリオドを打ちました。大阪プロは11月に梅田への本拠地移転が決まっており、あくまで発展的な会場閉鎖です。
Mアリはリングが常設されている上、交通アクセスは良好、席数272という手ごろな広さ。インディーや女子など、中小団体にとっては理想的な会場で、数多くの団体が大阪大会の会場として利用してきました。平日にも大阪プロの興行が開催されており、恐らく日本で最も多く試合が行われていた、大阪の"プロレスの聖地"ともいえる場所でした。
今回はMアリ最終興行となった、大阪プロの「Mアリファイナル」を取材。興行終了後に大阪プロの主要選手らにMアリへの思い、そして新会場へ移ることへの意気込みを聞くことができました。
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Mアリの前身は、現在は消滅してしまった大阪市浪速区の商業施設・フェスティバルゲート内にあった「デルフィンアリーナ」。2007年9月に、そこから移転する形で「デルフィンアリーナ道頓堀」としてオープンしました。その後、団体創始者であるスペル・デルフィン(現・和泉市議会議員)の退団もあり、2009年5月に現在の名称となりました。
Mアリといえば、名物だったのが2階席。リングを真上から見下ろせる吹き抜け構造は珍しく、他では見られないアングルでプロレスを楽しむことができました。大阪プロがほぼ毎日興行を行っており、大手旅行情報誌にも紹介されたMアリは"観光名所"としての一面もありました。
悲劇的な事件もありました。2009年6月14日、多くのインディー団体を渡り歩いてきた名物レフェリー、テッド・タナベさんが試合を裁いた直後に倒れ、翌15日に急性心筋梗塞により死去。テッドさんが倒れたのは、くしくもノアの三沢光晴さんが試合中の事故で亡くなった翌日でした。この時は相次いだ訃報に、プロレス界は大きな悲しみに包まれました。
Mアリの控室前には常にテッドさんの遺影が飾られていました。選手たちは試合の際、テッドさんに常に気を抜かずに試合することを誓い、リングへと向かうといいます。この日の興行は、テッドさんの遺影が見守る中で行われました。
Mアリの最終興行は、慣れ親しんだ会場の閉鎖を惜しむファンで超満員。セミファイナルではファンのクジ引きによってチームの組み合わせを決める6人タッグマッチが行われました。決定したのはブラックバファロー&空牙&秀吉―タイガースマスク&ビリーケン・キッド&原田大輔という組み合わせ。正規軍、新興勢力のグレア、ルード軍のJOKERと、普段では絶対に見られない、対立しているユニットの選手らのゴチャ混ぜ試合。これにはファンも大喜び!大いに盛り上がりました。
メーンのバトルロイヤル選手権は全16選手が入り乱れる大乱戦!試合途中には、当初は発表のなかった救世忍者乱丸選手も電撃参戦し、大阪プロの魅力がギュッと詰まった、Mアリラストマッチに相応しい熱戦となりました。全選手がリング上で首4の字固めを掛け合う、とんでもない展開に!
熱戦の中で勝ち残ったのはくいしんぼう仮面選手。リング上では滅多に言葉を発しないくいしんぼう選手ですが、尾崎豊さんの「15の夜」を熱唱するなど大サービス!最後は得意のパラパラを披露して大団円。湿っぽい雰囲気は一切なく、笑顔に包まれたラストとなりました。
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Mアリでの最終興行後に、大阪プロの主要選手ら数人にお話を聞くことができました。
くいしんぼう仮面選手。大阪プロ旗揚げメンバーであり、大阪プロの象徴ともいえる選手です。この日はMアリでの最後の勝者となりました。
くいしんぼう仮面選手「やっぱり寂しさはありますね。新今宮から難波に移る時は希望に満ちてて、新しいお客さんも来てくれたりして。たくさんの思い出がありますね。キタのあたりは都市開発が進んで、活気がついてきている時期。そんな時に移転できるというのは"運もついてきたな"と。上昇気流に乗っていけるんじゃないかなと。Mアリを離れる寂しさはありますが、それ以上に希望のほうが大きいですね。
(自身のモチーフになった)くいだおれ太郎は、今のままミナミの顔として盛り上げてもらって、僕は"キタのくいだおれ太郎"として梅田を盛り上げたいと思います。大阪プロレスはお子さんからお年寄りまで、安心して見られるプロレス。梅田でも今まで通りのプロレスを見せていきたいですね。」
大阪プロのエース、ビリーケン・キッド選手。テッドさんが倒れる直前に、勝ち名乗りを受けた選手です。
ビリーケン・キッド選手「僕自身はミナミを離れる寂しさはないんですよね。大阪プロレスが無くなるわけじゃないですし。Mアリに来なくなることの寂しさというのは少しあるかもですが、もう次の会場が決まってますし、感傷に浸る暇もなく、立ち止まっている場合でもないので、早く次のステップに進まなきゃ、という感じですね。
Mアリは、テッドさんの最後の勝ち名乗りを受けた場所。やっぱりテッドさんのことがこの会場で一番の出来事でした。色々とつらいこともありましたけど、今日はたくさんお客さんも来てくれたので、笑って、終わりよければ全てよし、ということで。僕もこの会場で大きな怪我をしたこともありますし、つらい思い出のことが多い気も...。でも、人生ってそんなもんですから(笑)。
移転については、正直不安です。でもこのビルも老朽化が進んで、クーラーとかも壊れてて、雨漏りもひどい状態ですので。もう潮時かな、とは思います。うーん、不安は大きいですけど、それを打ち消すように、みんなで頑張らないと。
次の会場は梅田の少し外れで、来場しにくいこともあるかも。でも変に構えず、気楽に観戦に来てほしいですね。今日はMアリのラストでたくさんお客さんが入りましたけど、最後だけじゃなく、普段から来て欲しいですよね(笑)。」
原田大輔選手。現在の大阪プロレスの王者です。本拠地移転という新たなスタートを"団体の顔"として迎えることになりました。
原田大輔選手「この会場での心残りがひとつあって、西側にプランチャができなかったことですね(笑)。この会場はリングの位置が偏ったりしてるので。東側には飛んだんですけど、西側だけ飛んでないんですよ。
Mアリを離れる寂しさはもちろんありますね。フェスティバルゲート時代は興行は土・日だけでしたけど、こちらに移ってから平日も試合をするようになって。いいこともたくさんありましたし、悪いことも...。色んな思いが詰まった会場です。新しいスタートを団体の王者として迎えることは責任重大だと思っています。色々と期待だれる部分もあると思うので、そういうのプレッシャーも感じています。やっぱり観戦に来てもらった人、一人ひとりが満足して帰ってもらえるような試合をしていきたいです。
大阪プロレスはおじいちゃんからお子さんまで楽しめる素晴らしい団体。梅田に移転しても、みなさんが楽しんでもらえる試合をしていきたいです。」
松山勘十郎選手。若手のお笑いレスラーです。この時は原田選手のインタビューを横で聞いており「私もいいですか」と自ら名乗りを上げました。
松山勘十郎選手「満足感でいっぱいなんですけど、この会場でひとつ、やり残したことがありまして。北側にトペができなかったことです。それだけが心残りです。タイガースマスク選手の自主興行の「北側正面試合」に一度だけ参戦したことがあるんです。その時にやらなかったのは拙者の思い切りの足らなかった部分でもありますし、これから反省しなければいけない点。それを新会場で生かせたらと思います。...すいません、何か原田のコメントに乗っかってしまって。
新会場は今までとは雰囲気の違ったものになると思います。ご家族そろって、大阪プロレスを観に来てほしいですね。」
テッドさんの最後の弟子である吉野恵悟レフェリー。現在はフリーとなり、大阪プロの試合を裁きつつ、他団体のリングにも活躍の場を広げています。
吉野恵悟レフェリー「あっと言う間の5年間でした。寂しさはありますね。テッドさんの魂というか...まだテッドさんがこの会場にいるような気がするんです。この会場で、テッドさんと一緒にやってたイメージがあるので。やっぱり新会場になってしまうと、テッドさんの姿が見えなくなってしまうんじゃないか、というのが一番寂しかったりします。...きっとついて来てくれるとは思うんですけど。
フェスティバルゲートから出る時は、もちろんテッドさんはご存命でしたし、そんな気持ちは無かったんですが...まあ、デビューした会場で思い入れはありましたけど。やはりMアリということになると...メインでやらせてもらうようになって、テッドさんがいなくなってしまって...と、喜怒哀楽、全てがあった会場だったので。もちろん、その一番の「哀」が、テッドさんが逝ってしまったということですから。
今日は遺影をリングサイドに?いつもは控室で見守ってもらうんですけど、Mアリはテッドさんなしには語れない会場なので、最後は一緒に迎えたいと。
新会場にも、もちろんテッドさんの遺影は置きます。いないと寂しいので。まだ新会場の構造がよくわからないので、どういった形になるかは未定ですけど、もちろん一緒に行くつもりでいます。
新会場に移って、ミナミに住んでた人はMアリより来場しにくくなるのはあると思いますけど、そのぶんキタの人は来やすくなる。移転のメリット・デメリットはありますけど、新しい会場は、観戦環境は間違いなく良くなると思いますし、より一層プロレスを楽しみやすくなる会場になるよう、僕らも願っていますので、ぜひとも多くの人に足を運んでもらいたいですね。」
ブラックバファロー選手。くいしんぼう仮面選手とともに団体の旗揚げメンバーとして活躍。主力選手の一人であると同時に、選手代表として大阪プロの運営に尽力しています。
ブラックバファロー選手「"終わっちゃったな、寂しいな"という思いは特になく、むしろこれから、新会場のことを考えています。このMアリも建物が古くて、設備的な欠点も多かった。冷暖房の不備でお客さんに迷惑をかけたこともあった。もちろん、この建物には「ありがとう」という気持ちですけど、薄情ですけど今は"さあこれから梅田に移転するぞ"というワクワク感のほうが強いですね。
梅田に移転して変えなければいけないこと?僕は大阪の人間じゃないんで、ミナミ・キタの人間性の違いとかは分からないんですけども、実験的に平日の大会を6時半にしたのも、こちらの意図があってのことですし(注:Mアリでは平日は7時開始)。ダメならまた戻せばいいだけのことで。我々もプロなんで、やっているうちに客層だとか、イメージがつかめてくると思うので。移転に対する不安は全くないですね。
今が常に超満員札止めの状況なら"移転で客が入らなくなるんじゃないか"という怖さも出てきますけど、そうじゃないんで。業界全体が落ち込んでいる中で、大阪プロレスも今が一番きつい時だと思うんですよ。だからこそ、大きな動きで波に乗せていかないと。
ミナミは人情味あふれる温かい場所でしたけど、梅田にはもっともっとビジネスチャンスが広がっているんじゃないかと思うんです。大阪の小さなバラエティーでもいい。子ども番組でもいい。うちのプロレスを中継してもらえるテレビ番組を持ちたいですね。今回はうちが単独で仕掛けて梅田に移るわけじゃなく、色んな偶然が重なったのはあるんですけど、神がかり的な大チャンスだと思っています。
僕はもう40歳が見えてきていますし、いつまでプロレスをやるかは分からないですけど、終盤に差し掛かってきているのは確か。僕はリングの上でプレーできなくなったからといって、そのまま消えていきたくないので。企画だの運営だの、そういう組織として残っていきたいし。そのためには、しっかり組織づくりをしていかないと。
若い若いと思っていた大阪プロレスも、気がつけば14年。一番最初に生え抜きでデビューしたタイガースマスクも今はベテランの域。彼なんかにも、企画なんかの部分を担ってもらわなくちゃいけない。新しい、10代の練習生も入ってきてるし、この団体も意識改革の時が来てるんじゃないかと。消極的な考えじゃなくて、いつまでもリングの上でプレーするだけがプロレスラーじゃない。今回の移転は、その大きなチャンスになると思っています。」
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様々な思い出をファンの心に残して、Mアリは最後の時を迎えました。しかしこれが終わりではありません。新たな戦いへ向けて、すでに時代は動き始めています。
大阪プロの新本拠地となる「ナスキーホール・梅田」は東梅田の映画館跡地を改築した約350席のホールで、11月17日にこけら落としの予定。同じビルに入っているライブハウスとのコラボイベントも検討中だといいます。まだ内部は工事中にも関わらず、すでに他団体からのレンタルオファーも入っているとか。
Mアリで紡がれてきた激闘の歴史は、新会場へと引き継がれていきます。
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