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朝鮮進駐軍と名乗った、戦後の在日の悪行
ライター:masat7netさん(最終更新日時:2012/11/15)投稿日:2012/9/22
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朝連ビルを強制撤去に来た日本の武装警官 戦後の朝鮮人は朝鮮進駐軍と名乗り、暴れ回っていました。その資料や証言集
朝鮮人の犯罪に困り果て吉田茂首相がマッカーサーに宛てた文書
■吉田茂首相がマッカーサーに宛てた文書
【吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)】
朝鮮人居住者の問題 に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは 総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。
私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。
1.現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われす。
2. 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません 。
3.さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合 を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。
彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
―中略―
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。
1.原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。
2.日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。
敬具 吉田 茂
吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)
(田中宏「在日外国人」より)
1948年の朝日新聞の記事
第三国人の取締強化
内相、法相ら所信を表明
二日の貴院予算総会で山田三良氏(無)から内地在住の第三国人について質問したのに対し、大村内相、吉田外相、岩村法相から次ぎのような答弁があった。
大村内相
1.朝鮮人は終戦後本年三月ころまでに約一三〇万くらいは帰還した。本年三月一八日帰還希望者登録を行ったところ、朝鮮人の総数は64万6900人うち帰還希望者数は五一万4000人、残り一三万人くらいは内地残留希望者と見られる。
右の調査に基づいて大体本年九月いっぱいには希望者を全部相関する手配をしていたが、その後朝鮮におけるいろいろの事情で期間を延ばしたい傾向にあり、一一月末までには希望者を送還しようということに計画を変更した。こういうわけで今までの帰還者は約五万くらいに過ぎない。
2.台湾省民は調査の結果ではその常時の在任者一万二千人、うち帰還希望者八千人その差四千人が在住希望者である。今日までの帰還者数は約三千人である。
朝鮮人の密入国
朝鮮内の事情が良くないので、いったん帰還した朝鮮人で非常に密入国の傾向が多い。月々一万人ぐらいは密入国者があるのではないかと想像される。これに対しては全警察力を尽くし、また民間人の協力を得てあらゆる努力をしているが、場合によっては連合軍の力により艦艇をもって哨戒をして貰うような徹底した組織をたてねばこの取締は十分には出来ない。
一部の不法者に取締
朝鮮人台湾省民の在住者中には、十分善良で日本国民と伍して平和な生活をしていかうというものも少なからずあることはもちろんだが、不心得者も少なくない。多数の朝鮮人は解放民族としての誤った優越感を持っており、また戦時中の日本の彼らに対するあっぱくに対して仕返しをするというくらいな反抗的な心得の者もある。日本人側でも終戦後の虚脱感から彼らに対して毅然たる態度を持ち得ず、彼らに対して増長感を抱かせるようなこともあり、また終戦の混乱状態に乗じて、経済面においても社会生活でも不法の行為が極めて多かった。すでに本年3,4月頃から不良朝鮮人台湾省民は日本人同様警察において断固取り締まって良い言うことがハッキリしてきたので、順次取締の手を加えてきた。一時第三国人による汽車中における惨状も、あらゆる方法による取締強化の結果、その跡を絶とうとしている。青果市場の取締についても、八月一日を期し徹底的にやった。その結果相当の成績を収めた。ただそのために市民生活に不便を与えるということについては、公正な商店に置いて市民の日用品が求められるよう努力する。密入国者で逮捕されない者は、闇生活しなければ仕方がないので例えば潜入付近からずっと離れた長野県で凶悪な集団強盗事件があり、その他2,3の事例が密入国者の犯罪として報告されている。
第三国人に対する裁判権の問題
朝鮮、台湾省民とも、内地人と同様不法行為をする者については断固一律に取り締まって良いと言うことは確認されている。
他面今日の状態では連合国人に対しては日本に裁判権がない。右にいわゆる第三国人とは中国人は第三国人であることは明瞭であるが、台湾省民は朝鮮人同様の扱いと言うことになっていたが、最近はワイタン省民が果たして連合国人であるか否かの点について多少の疑義がある。その点は●●問題というより国際問題であるので、外務省において解決されねばならぬ。連合国人に対して日本に裁判権がないということになると、警察の取締が非常に困る。この対策として、第三国人が違法行為をした場合、連合国側で適正な裁判をし、●●して貰うと言うことによって、取締の目的を達しうる。現に連合国側の裁判により●●●された第三国人の不法行為が相当数報告されている。結論として、朝鮮人については日本側に十分なる取締権があるから、警察力を充実して●●がない措置が出来る。台湾省民については警察力執行上に多少の障碍があるが、在住人の数は非常に少ない。中国人に至っては一番少ないので、いっそう努力すれば第三国人の不法行為は十分に●●しうるものと考える。
吉田外相
●●の帰属は終局においては講和条約において決定すべきものと考え、講和条約締結までは、従来通り日本臣民として彼らを取り扱うべきであることを十分主張したのであるが、連合国側の主張では、朝鮮台湾その他の帰属はヤルタ会談で日本の国籍から離れたことを言うことを規定されているという論理に基づき、ヤルタ会談の成立と同時に朝鮮台湾の帰属は●つたのであるという見解を持ち、とにかく最近まで徹底しなかったのである。私の想像するところでは中国政府は台湾省民は中国人と同様、連合国人の取扱待遇を与えるということに決定したものと思う。その結果、我が方の警察権、裁判権の活動に影響を及ぼしたのである。しかし従来朝鮮人台湾省民あるいは中国人にしても警察権や徴税権に関する限り、日本の国法に従うものであり、違反者に対する裁判権は、内相の答弁の通りであって台湾省民については未決定の点があり現在交渉中であるが、従来の種々の経緯もあり明確にすべく努力している。
木村法相
三月一一日現在、我が方の裁判所に継続中の連合国人の刑事事件三十二件これはすでに連合軍当局に移管された。その後の連合国人の犯罪は、連合国に対し、我が方はその捜査に協力するにとどめている。民事については八月二一日現在一般連合国人関係六三件うち一件は連合国最高司令官の命により手続きを中止している。昨年九月一日から本年五月一〇日までの調査による犯罪状況は、朝鮮人675件台湾省民111件中国人589件である。密入国人や最近の長野県宇都宮の事件などは連合軍側にも協力して貰っている。
■何故「三国人」が差別用語になったのか(左翼系在日朝鮮人騒乱史)
本来、戦争当事国の国民ではあるが、敗戦国民でも戦勝国民でもない第三のカテゴリーの国民という意味であった「三国人」にマイナスイメージが付着したのは、彼らが下記のような事件を続発させたことに原因があります。これらの事件は、どう考えても内海教授や梶村教授が言うような「精力的な活動」「解放人民として生きていくために不可避なこと」というレベルをはるかに超えており、外国人としての立場を弁えない横暴な行為であると言わざるを得ません。彼らは事あるごとに「歴史認識の共有」なるものを主張しますが、こういう歴史的事実も共有すべきでしょう。
第三国人の暴行
表題の件について既に一通り書き終えたつもりであったが、本日郷土、城東葛飾にたまたまいたところ、偶々老人達が本件を論じていた。中にも地方議員たる七十翁の回顧は愚生の筆より数段迫力ありしゆえ、帰宅早々記憶により再現し、ここに記して御歴々の御参考にしようとするものである。
--- 録取者 北斗星 ---
終戦後の第三国人どもは本当に酷かった。軍の兵器を盗んで来たらしく、三八式歩兵銃や南部式拳銃で武装し、小銃には着剣して強盗強姦傷害恐喝脅迫不動産窃盗、時には殺人まで、経済犯、実力犯を中心にあらゆる悪事を重ねていた。
銀座、浅草、新宿は朝鮮人、新橋、渋谷は台湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いていた。戦勝国民は治外法権だったのである。
だから食管法に限らず、戦勝国民には日本法を適用出来なかった。服部時計店や白木屋も米軍の酒歩(PX)に接収され、そこへ行けば食料に限らず物資は山ほどあった。日本人は買へなかったが。
そうした情勢に便乗し、朝鮮人は戦勝国民だの「朝鮮進駐軍」を僭称して堂々と闇商売を行い、派手に稼いでいた。そりゃ儲かるだろう。取締を横目に犯罪のし放題。警察の検問を竹槍日本刀を振り回して強行突破したのだから(さすがに銃撃戦は挑まなかった模様)。
当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。仕入れこそ難しかったのだが、彼等は日本人露天商を襲って商品を奪うのだから。それで警察が黙認して捕まえないのだから、こりゃあ損のしようが無い。
警察が襲撃されることしきりで、署長が叩きのめされたり、捜査主任が手錠を賭けられ半殺しにされるぐらいは珍しからず。上野で朝鮮人経営の焼肉屋へ国税局査察部が査察に行った際、大金庫を開けて手を入れた瞬間を狙って二十人ぐらいで一斉に金庫の扉を押したものだから査察官は腕を切断されてしまった。(録取者註 当時は警察署が襲撃される事が珍しくなく、第三国人の襲来によって犯人を奪還された富坂警察署事件、ついでに警官が殺された渋谷警察署事件、共産党が大群で警察署を包囲し外部との連絡を遮断「攻城戦」に出た平警察署事件等、枚挙に暇有りませんでした)
東京東部(すなはち大東京の中心地)北郊の荒川、古利根-中川、江戸川、利根川流域の牛は皆いなくなった。
当時、あの辺は畜力として農耕牛を使っていたが、深夜、不良朝鮮人が侵入して来て盗み出し、河原へひいて行って屠殺した。牛はモウと言って泣いたので皆気付いたが、銃砲刀剣で武装しているので追う訳には行かなかった。永年愛育し、慈しんで来た牛が悲しそうに泣きながらズルズル引き出され殺されるのを傍観するのは無念で耐え難かったが、手向へば殺されるのでどうにも出来なかった。
そうして利根川水系流域一帯の牛は皆、不良朝鮮人に盗まれ、殺され、闇市で売られた。この辺へも、新聞紙に包んだ肉塊を売りに来たものだ。上流で屠殺した牛を、そのまま下流へ売りに来たのだろう。かくて南関東から、牛はいなくなった。
家畜相手ならまだしも、人間に対しても、関東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つような勢で数多犯罪を重ねた。川崎、浜松、大阪、神戸などが酷かった。
その最も著しい、象徴的事例に、元文部大臣、後の首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行・傷害事件がある。
翁が軽井沢の静養先から帰京しようとして信越本線の汽車に乗っていたら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、俺達は戦勝国民だ、おまえら被支配者の敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、この車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、愚図愚図するな! と追い立てた。
それで鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座っているのにそりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、たちまち大勢飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした。幸にして重体にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れたが、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した。
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、いかに不出来な孫にせよ。孫共はこれを知らんのだろう。
直後に総理大臣に成る程の大物でもかくのごとし。いわんや庶民におては土地も屋敷も物資も操も、奪い放題であった。闇、賭博、傷害、強盗事件が多く、ことには、空襲や疎開で一時的に空いている土地が片端から強奪された。今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋や焼肉屋を営業しているのは、皆、あの時奪った被災者の土地だ。
それでも警察は手が出せなかった。歴代首相大臣等が絞首刑になって行く状況で、警察ごときに何が出来よう。ある日、警察は何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれば、それ切り警察は消滅する。七百万の大軍を擁した彼の帝国陸海軍ですら、左様にして両総長 両大臣以下、自然廃官になった。まこと、敗戦は悲しからずや。
たまりかねた警察が密かにやくざに頼み込み「浜松大戦争」になった訳だが、「小戦争」は日本中に頻発した。
最後の頼みの綱は連合国軍であったが、遂にはその憲兵隊でも手に負へぬ非常事態に立ち至った。
それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。
この時、連合軍総司令官ダグラス・マックアーサー元帥の発した布告が、「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」と言い声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。
だから、外国人差別用語なはずは無い。彼等自身、マックアーサー元帥以下、一人残らず皆、外国人ではないか。
連合国軍総司令官は日本人に対してこそ絶大な権勢を振ったが、本国や同盟国、対日理事会や極東委員会に気を使わねばならぬ外交センスの要る役職であった。何人にもせよ、敗戦国民以外を、声名発してまで差別なんぞする筈が無い。
「第三国人」の語は、国際法に則って説いた技術的専門用語に過ぎない。
近頃の報道人は歳も若く、当時の経緯や語感が全然判らないのだろう。知合いの報道人幾人かに電話して、テレビにでも新聞にでも出て歴史の真実を話して進ぜよう、と申入れたら皆、検討させて下さい、と逃げてしまった。真面目に報道する気は無いのかの。
貴公、パソコン通信をやってなさるそうじゃが、インターネットとやらは随分と情報を発信できて、幾百万の人が見ると聞く。一つ満天下の正義の為に、今の話を発信して下さらんか。
当時の在日コリアの検挙率の異常な高さ
「在日朝鮮人に関する総合調査研究」 朴在一 新紀元社 1957年
15~59歳の男女人口を犯罪年齢人口とすると、刑法犯、特別法犯の検挙人員は合計3万7276人(1949年)であるから、在日朝鮮人の成年男女の100人のうち、14.4人が検挙されたことになる。外国人登録法違反による被検挙者数まで入れると、この数字はもっと増えて100人当たり20.2人になる。このほかに道路交通法違反による検挙者1万9332人もいる。それ故に大都市警察の留置所が、何時でも朝鮮人で一杯であるという事も否定し得ない悲しむべき事実であろう。
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2.戦後七年間の間に起きた在日コリアの集団犯罪
(襲撃・暴動への参加者、延べ三万人余り。検挙者延べ三千人余り)
(00/00)は、コリアの(およその参加者数/逮捕・検挙者数)
1945年10月22日大阿仁村事件(52/?)
1951年12月1日 東成警察署催涙ガス投擲事件(30/3)
1945年12月24日~1946年1月9日生田警察署襲撃事件(90/3)
1951年12月3~11日 半田・一宮事件(320/27)
1945年12月29日 直江津駅リンチ殺人事件(3/?)
1951年12月16日 軍需品製造工場襲撃事件(110/?)
1946年1月3日 富坂警察署襲撃事件(?/?)
1951年12月18日日野事件(50/35)
1946年5月13日 長崎警察署襲撃事件(126/60)
1952年2月21~23日木造地区警察署襲撃事件(70/2)
1946年8月5日 富山駅前派出所襲撃事件(30/?)
1952年2月28日 姫路事件(70/21)
1946年9月22日 坂町事件(65/14)
1952年3月1日八坂神社事件(70/6)
1946年9月26日~29日 新潟日報社襲撃事件(?/?)
1952年3月13日宇治事件(15/6)
1946年12月20日 首相官邸デモ事件(2000/15)
1952年3月26~30日多奈川町事件(500/27)
1947年10月20日 尾花沢派出所襲撃事件(37/29)
1952年4月19日田川事件(?/?)
1948年4月23~25日 阪神教育事件(7000/1800)
1952年4月24日~5月30日岡山事件(1000/16)
1948年10月11~12日 評定河原事件(?/6)
1952年5月1日血のメーデー事件(5000/131)
1948年12月9日 宇部事件(200/?)
1952年5月8日 上郡事件(?/8)
1949年1月25日 益田事件(300/57)
1952年5月12~25日、11月9~12日大村収容所脱走企図事件(50/24)
1949年4月6~13日 枝川事件(50/9)
1952年5月13日 広島地裁事件(200/?)
1949年4月7~11日 高田ドブロク事件(700/17)
1952年5月26日高田派出所襲撃事件(数十/31)
1949年6月2~11日 本郷村事件(200/?)
1952年5月31日 奈良警察官宅襲撃事件(10/?)
1949年8月20日 下関事件(200/200)
1952年5月31日~6月5日万来町事件(500/?)
1950年3月20日 台東会館事件(400/120)
1952年6月10日島津三条工場事件(150/?)
1950年8月15日 連島町事件(700/8)
1952年6月13日 醒ヶ井村事件(?/46)
1950年11月20~27日 第二神戸事件(1200/214)
1952年6月24日葺合・長田事件(300/13)
1951年1月23日 四日市事件(20/15)
1952年6月24~25日吹田・枚方事件(1109/113)
1951年3月7日 王子事件(1700/8)
1952年6月25日 新宿駅事件(3000/?)
1951年6月13日 神奈川事件(500/28)
1952年7月7日大須事件(1000/145)
1951年10月22日 下里村役場事件(200/15)
1952年7月8日舞鶴事件(200/20)
1951年11月21日 福岡事件(1500/21)
1952年11月19~26日五所川原税務署襲撃事件(60/?)
詳細はこちら
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2463/sangokuzin.htm#fuhoukoui
朝鮮人が共産党と組み、暴動を起こした件と阪神教育事件、長田区役所襲撃事件についてはこちらを参照
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n118672
上記事件の一例(直江津駅リンチ殺人事件)
信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。
昭和20年(1945年)の敗戦後に「朝鮮進駐軍」と称する朝鮮人が治外法権的な特権を有するがごとく振舞ったことがあります。買出し列車を占拠し、座席に座っている日本人は女性年寄りでも構わず蹴散らされ、文句を言うと集団で袋叩きにしていました。鳩山一郎(後の総理大臣、鳩山前首相の祖父)も車中で朝鮮人に襲われ瀕死の重傷を負っています。
「お前等四等国民の日本人が我々二等国民である朝鮮進駐軍に指図するとは生意気な」台湾出身の蔡焜燦(さい こんさん)は昭和20年(1945年)12月に台湾へ帰還することになりました。引き揚げ列車に乗ると朝鮮人が威張り散らしていたといいます。蔡焜燦氏は日本の軍服を着ていました。座席の下に置いていた新品の飯盒が朝鮮人に盗まれ、それを奪い返そうとすると「なんだお前、朝鮮人をバカにするな!降りて来い」と、たちまち数人に取り囲まれてしまいます。勝ち目はないので、「すみません、私の記憶違いでした」と謝り、難を逃れるしかありませんでした。佐世保にいくまでの30時間、朝鮮人たちは蔡焜燦氏を含め、日本人乗客をいびり続け、若い女性がトイレに行こうとすると通路を塞ぎ、次の駅で窓から降りるよう指示するなどの横暴を続けていました。同氏は、はらわたが煮えくり返る思いで眺めていたといいます。
朝鮮進駐軍の非道横暴
朝鮮人の横暴はエスカレートし、闇市に進出し、旧軍の倉庫から奪った自動小銃で武装し始めます。こうなってくると警察もお手上げで軍隊は解散しており、阻止できる武力はなく、強盗、放火、土地の不法占拠、強姦とやりたい放題です。GHQはある程度黙認しています。民族間を争わせてその上に君臨するという白人のデバイドアンドルール手法です。
昭和21年10月に組織された在日朝鮮人連盟は極左暴力組織へと変貌していきます。そして日本共産党の指導により労働争議への介入、交番焼き討ちなどのテロ行為を行っていきます。昭和23年にはGHQの指示により文部省が在日朝鮮人にも教育基本法に基づく教育を指導したところ民族弾圧として大阪府庁、兵庫県庁に突入し、破壊行為を行い、翌年、暴力主義団体の指定をうけて解散となります。しかし、この残党は日本共産党に利用され、朝鮮戦争勃発後、昭和27年にに皇居前にデモ隊を突入させます。(約半数が朝鮮人) 朝鮮半島への軍事輸送拠点をデモ隊が襲う事件もおこっています。朝鮮戦争勃発により国内の米軍を補完する目的で誕生した昭和25年の警察予備隊(昭和27年保安隊、後自衛隊)はこれらの共産党、および朝鮮人の動きとは無関係ではないでしょう。そして、これらの朝鮮人組織は現在、民団(在日本大韓民国民団)と総連(在日本朝鮮人総聯合会)に至っています。
陸だけでなく海でも日本の漁船は韓国の警備艦艇によって拿捕され抑留されています。233隻2,791人に及びます。抑留生活は奴隷的扱いであり長い人で3年に及びました。
現在ではこれらの事実は封印され、朝鮮人とそれを利用する者たちにより、「従軍慰安婦」「強制連行」が捏造され、被害者ビジネス、差別ビジネスが展開され、これらの利権に政治家が巣食っています。
参考文献
オークラ出版「拉致と侵略の真実」
『朝鮮進駐軍と三国人』詠清作
『ヤミ市を支配した朝鮮ヤクザ』野村旗守
ポイント
- 在日の差別の由来は在日自らの悪行によるものだった!
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