電話口の向こうで男性の声は震えていた。憤りを抑えられないといった語り口だった。
10年ほど前、車の中での出来事だったという。男性の息子は豊川工業高校の陸上部員。試合で大きなけがをした。車の中には陸上部監督の教諭ほか、男性と息子、付き添いの男子部員がいた。
教諭は、男性の息子に聞こえよがしに、付き添いの部員に、こう言ったという。「こいつの選手生命は終わった。代わりにお前が頑張れよ」
男性はこみあげてくる怒りに必死に耐えた。息子は声をあげて泣きじゃくった。
「豊川工がいま体罰問題に揺れているが、部員自身の反省につながる体罰なら部員も父母も納得する。だが、子どもたちが萎縮し、恐怖心や不信感を抱かされる理不尽な仕打ちは絶対に納得できない」。強い口調で言い、男性は電話を切った。
言葉の暴力とまではいかないが、記者も実際に聞いて悄然(しょうぜん)とした言葉がある。
これもほぼ10年前のこと。全国高校駅伝で豊川工は狙っていた順位に届かなかった。
レース後のインタビューで、教諭は目標のタイムを下回った2人の選手を「戦犯」に指名した。
冷静な口調だったが棘(とげ)を突き刺すような言い方だった。「調べてもらえば分かるが、どちらも同じ中学の出身」。続けて「彼らは中学時代、練習を適当にやっていても全国中学駅伝に出場できた。この程度の練習で全国に出られるんだ、という意識が染みついてしまっていて抜けない。だから、こういう結果になってしまったのだ」
そこには、理想を掲げて出発したときの姿は影を潜めていた。「生徒に寄り添う」「長距離指導を通じて、部員を心身ともに成長させる」。その出発点から、遠く離れた言葉だった。理想はどこに行ってしまったのか…。
その頃、豊川工は初出場から数年を経て、ほぼ毎年のように8位に入賞。西脇工、仙台育英、佐久長聖などと並んで全国の強豪校の仲間入りをしようとしていた。
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