東愛知新聞 題字

壮大な夢の果てに
豊川工陸上部の体罰問題を考える


(1)駅伝で学校を生まれ変わらせたい

「理想の教育」を求めて
 「長距離の指導を通じて、学校を生まれ変わらせたいのです」。豊川工に赴任して直後、まだやっと30代に入ったばかりの教諭は生き生きとした表情で夢を語った。
 「理想は兵庫県の県立西脇工業高校。荒れていた学校が駅伝への取り組みを通じて劇的に変わった。私は愛知の西脇工を目指したい」と信念を込めた強い口調で語った。
 「なぜ、長距離に絞って?」に、次の答えが返ってきた。
 「陸上でも短距離などは、持って生まれた才能が大きなウエイトを占める。だが、長距離は違う。素質より努力が、闘争心より克己心が勝敗を左右する。もっとも教育効果の高い種目なのです」
 さらに続ける。「いま駅伝に力を入れようとしています。駅伝は全員が心を一つにしなければ勝てない。一人ひとりが自分を高め、その高めた選手たちが大きな目標に向かって心をつなぐ。誰かが失敗すれば、たすきを受けた後続の選手たちが一生懸命に、失敗を挽回しようと励む。私は、とても素晴らしい競技だと思います」
 紡ぐ夢はこれだけでは終わらなかった。教諭は再び西脇工を例に引き、学校現場への貢献を語った。
 「西脇工は新設された当初の昭和40年代前期、非常に荒れていた。当然、周りの見る目も厳しい。生徒たちは非行に走るか、卑屈になるかしかなかった」と説明し、同校駅伝部監督の渡辺公二さんの名を挙げた。
 「渡辺さんは部員たちに競技だけでなく、人間教育も行った。自主的なあいさつ、主体的な清掃活動、感謝の心を持つ大切さを部員たちに説いた。やがて県大会を制し、全国駅伝大会で優勝するまでになった。学校全体が自信を持ち、生徒たちに学校への誇りが生まれた。非行も卑屈も消えていった」
 教諭は、何度も何度も反すうし、自分の胸の中で大きく育ててきた夢を語った。
 語り口に、よどみはなかった。すでに個人種目でも駅伝でも実績を上げ始めていた。初の都大路をたぐり寄せるところまで来ていた。

豊川工陸上部の体罰問題を考える メニューへ 2013年2月4日紙面より抜粋



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