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社会と福音

教会襲撃の犯人は・・・

 大阪、兵庫、京都、滋賀の4府県で2008年秋以降にプロテスタント系の教会や関連施設に消火器などが相次いで投げ込まれた事件で、大阪府警は4日、今年4月に起きた1件について器物損壊容疑で同府豊能町光風台5丁目の無職池田康政容疑者(29)を逮捕し、発表した。容疑を認めているという。府警は、池田容疑者は「牧師に自分の願いを聞いてほしかった」などと話し、逮捕容疑を含めて4府県で起きた72件について「全部自分がやった」と供述したとしている。
 捜査1課によると、池田容疑者は4月27日午前4時20分ごろ、大阪市旭区今市2丁目の日本基督教団森小路教会の1階玄関に消火器1本を投げ、木製の扉を壊した疑いがある。現場近くで事件直前、両足に消火器のようなものを挟んでミニバイクに乗った男が防犯カメラに映っており、府警が同車種のバイクを中心に数千台から同容疑者を割り出した。
 池田容疑者は約2年前までの数年間、主に在日韓国人らが集まる兵庫県川西市内のプロテスタント系教会に通っていた。府警の調べに対し「信頼していた牧師が渡米し、裏切られたと思った。その頃、父親が病気になり、神のせいだと思うようになった」「礼拝の後、他のみんなが韓国語で話すので疎外感があった」などと供述しているという。
 府警は池田容疑者の自宅から、同容疑者がこれまでの襲撃の日時や場所を記録した手帳や、プロテスタント系の教会の住所録などを押収した、としている。
 1月~4月ごろ、大阪、奈良など70カ所以上の教会に「僕は教会に消火器を投げ込んでいる犯人です」「親族や友人に不幸が続いた。神様にやめてくれと何度も頼んだがやめなかった」などと書かれた手紙が届いており、池田容疑者は府警の調べに「自分がインターネットカフェのパソコンで作成して出した」と供述しているという。
     ◇
 池田容疑者が通っていた川西市の教会の男性信者(71)によると、池田容疑者は約6年前、「十字架のネックレスがほしい」と教会を訪問。対応した当時の牧師に「キリストのことが知りたかったら遊びに来なさい」と言われ、通い始めたという。
 土曜の掃除と日曜の礼拝には必ず参加。信者の送り迎えや行事の準備にも積極的だったが、口数は少なく、他の信者とはあまり言葉を交わさなかった。男性によると、牧師は「介護の免許を取ったら良いよ」などと、よく池田容疑者の相談に乗っていたという。08年5月ごろ、牧師が留学のため渡米すると同容疑者は姿を見せなくなった。
 池田容疑者の父親(61)によると、同容疑者は府立高校を約半年で退学後、飲食店や土木作業などを転々としていたが、教会に通い出してからは新聞配達を始め、通信制高校へも入った。牧師の渡米直後から「裏切られた」などと話し、「おれは神の声が聞こえる」と独り言を言ったり、大声を出したりすることが多くなった。自室には、聖書の言葉を書いた紙が壁に十数枚張られ、自己啓発などの本が山のようにあったという。
 父親は今年5月、一連の襲撃事件を報じた新聞記事を見て、池田容疑者に「お前ちゃうんか?」と問いただすと、うろたえもせず「なんでそんなことせなあかんねん」と言い返された。父親は取材に「こんなことをして情けない」と話した。
 被害にあった日本基督教団森小路教会の男性信者は「(逮捕に)ほっとしている。なぜこんな事件を起こしたのか動機を知りたい」と話した。プロテスタント系の約510の教会が加盟する近畿福音放送伝道協力会(大阪市天王寺区)の山口登久(たかひさ)実行委員長(62)は「聖書は、すべての人を愛し、すべての人を許しなさいと教えている。この容疑者が本当にやったのであれば、罪の行為は許せないが人格は否定しません。罪を償い、新しい人生を歩んで欲しい」と話した。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201007050007.html

カトリック園田教会でもボヤ騒ぎがあったが
犯人は、彼なのか・・・


でも、この記事を読んで如何にもプロテスタント的だと思った

彼は、神を見ずに、牧師を見ていた?
彼は、聖書のみことばを見て
そのみことばを通して語りかけられる神の思いを感じなかった?

彼は、一生懸命、牧師の指導に従ったのだろう

十一献金もしていた(収入の10分の一)
カトリックの献金から言えば、結構な額だけど・・・

彼は、教会に通い始めて、新聞配達をしたりして
十万円の収入の中から、1万円を献金していたという

そして、送迎や掃除も、献身的にしたそうだ

霊的指導者たる牧師なら
彼の状態もわかったはず・・・

結局は、牧師にとって、彼は都合のよい信者だった?

自分に託された羊よりも、留学を取った?

留学するなら、彼の信仰生活が軌道に乗るように
ちゃんと整えてほしかったような気がする

だって、礼拝終了後のハンングル語の会話に
彼がついていけないのは明白

もっと、彼の力になれそうな教会を紹介するなり
いろいろとあったはずだけど・・・
そんな気がする


今、繊細で、自分で立ち直る力もない人が教会によく集まる
おそらく、それはプロテスタントもカトリックも同じだろうと思う

それに対して、牧者は・・・?

政治にのめりこんでいたら、目には入らないだろう



私の友人にもかなり繊細な人がいる
そのことで、私は、担当の司祭に配慮を依頼した

だが、結局は、自分のやり方ありきで
弱者の側には立っていただけなかった

政治活動が好きな、左翼っぽい方って
こういうことを平然とする

こういう方には、弱者は、自分の思想に適う人であって
自分の思想に適わない人は、弱者とは思えないようだ

信徒は信徒なりに、弱い立場の人に寄り添いたいと思う

でも、限界がある
霊的指導:教導は司祭のものなんだから



話は戻って
最後に書かれている
近畿福音放送伝道協力会の方の言葉も
どうなんだろう?

幸いに、死傷者も出ていないのだから
「許す」ではなく
彼にちゃんと福音を伝えられなかったことの非力を
そして彼の心の痛みを感じるべきでは?

宗教者なら、そうではないの?

当然のことながら
社会が罰するのは厳しくあるべきだけど

裁判での判決文の方が、もっと心がこもっていたりする

牧師の言葉としては・・・どうなのかなぁ?
あれって、人ごとだよね
それが、牧師の限界なのかなぁ~

なんて思っちゃった



もし、牧師方が、そのように彼に同情的に話したなら

「いえいえ、そのようなことはありませんよ」
と、言えたんだろうけど・・・
コメント

傍観的なあなたの批評は正しいですか?

本文を読みました。
率直に感想を述べます。

今回の事件へのあなたの認識と理解は一方的で狭いと思います。
新聞報道は限られた紙面の中の、ほんの僅かな記事情報だけです。
それを読んで、
さも、事件の全体像を悟りきったかの様にして、
当事者を批評をしている姿には、
謙遜さを装った傍観者の傲慢さを感じます。

被害を受けた数多くの教会牧師や信徒達の苦しみ、
また、当該教会の牧師の働きや今日までの霊的苦悩を考えて見てください。

それを理解し無いで、「人ごとのように」事件を批評するのはどうでしょうか?
その姿こそ、あなた自身が
あなたが言われる「人の痛みを感じていない」のでは?と思いました。

あたかも深い同情心を持っているかのように振る舞いながら、
実は、人の痛みを共有しないで
上からの目線で裁いているのがあなたのように思えます。


hana hana さんへ

ようこそ。

ここは、私の日々感じたことを書くためのブログです。
ですから、いろんなことを通して、感じたことや思いを書き連ねます。

日々、耳にするニュースなどは、ほとんどの方が傍観者であって、当事者ではありません。
でも、傍観者として意見を持ってはいけないなら、誰も何も言えなくなりますよね。

ただ一応、私なりには、上記の記事の他にも調べています。

被害に遭われた教会の方々はお気の毒と思います。
幸いに人身事故にも至らず、双方にとって良かったと思います。

最初、ニュースで犯人逮捕の一報を聞いた時には、自分の願いどおりにならないからって・・・などと感じたりもしましたが、その後、調べていて、彼の孤独・疎外感などを感じたので書きました。

以前に、日本のプロテスタントの代表者が、韓国のプロテスタントの代表者に、どんどん宣教師を派遣してほしいと要請したのを見ました。

その時、これ以上、韓国人牧師が来てどうなるのかと一抹の不安を感じました。
隣国とはいえ、民族性に大きな違いがあるのに・・・と。

嘘をついてでも要求した者勝ち的民族性の中に、自分の思いをうまく伝えられない人が入ると、追い詰められて、事件を起こさなくても、心の病気にまで至ってしまうことだってあるんですから。

信徒の求められるものと、牧師も牧者として求められるものとは、大きな違いがあります。大きな責務を負っていると思います。

ブログをどのような思いで読まれるのかはわかりませんが、私は裁いてなどいませんよ。

目の前の小羊の一人一人をしっかりと見てほしいとの要望を書いたまでです。

無責任な批評をしないで下さい

確かにこれはあなたが書いておられる個人的なブログですから、
あなたの日々の思いや感じたことを、ここに自由に書くことが出来ます。
但し、それは自分の事柄に関することについてです。

そうではなく、
他者の事柄について書く時には、
批判や中傷や誤解に陥らないように、より慎重な表現が求められているのではないでしょうか?
なぜならば、個人のブログであっても一度発信されたら、これは公共の存在になるのです。

「目の前の小羊の一人一人をしっかりと見てほしいとの要望を書いたまでです」とあなたは言われますが、
牧師が牧者として、
一人一人の魂を大切にしていない事などあるでしょうか!

神が与えられた召命と使命と働きを気安く評価しないで下さい。

No title

一切の批判は認めないなんて、中共や北朝鮮みたい。
自分が書いているコメント自体も批判なのに。

「なんて思っちゃった」とか書いてるんだから・・・
「そう、思っちゃったんだね」くらいで終わらせようよ。

hana hana さんへ

貴方と私では、事件などのニュースに接した時の受け止め方が異なるようです。

これは、貴方にそうしてほしいとか、貴方にこうしてほしいとかいう問題ではないと思います。

一応、私の受け止め方を説明しておきます。

私はニュースに接した時、いろんな思いを感じ、そこから学ぶべきものを考えます。

『ああ、可哀そうに』『お気の毒に』

で、終わっていたら、進歩がないと思います。

神様は、この不幸な出来事から、何を学ぶことをお望みなのか・・・を考えます。

私のブログは、そういう観点から書いています。

これを変えるつもりはありません。


ところで、貴方は大層幸せな信仰生活を送っておられるのですね。
ゆえに、同じ教区内で起きている悲しむべき出来事に関して、ご存じないのでしょうか?

それとも、教会を政治活動の場としてふさわしいと思っておられる側なのでしょうか?

>牧師が牧者として、
>一人一人の魂を大切にしていない事などあるでしょうか!

ご本人にその気はなくとも、能力以外に、優先順位や力の入れようなどによって、異なります。

カトリック司祭の独身制は、それを最優先し、全力投球するためのものですが、現状は、そのようにはなっていないと実感しています。

ましてや、牧師は、家庭人でもあります。
カトリック司祭よりも難しい条件下にあることは確かだと思います。

Jacques Cathelineau さんへ

ようこそ、はじめまして。

どうぞ、よろしくお願いします。

No title

maggieさま、はじめまして。
関西のプロテスタント教会(教会員の殆どは日本人)に通う
在日韓国人です。

人によって考え方は様々なので、あれこれ言うつもりはありませんが、ちょっと引っかかったのが…
「嘘をついてでも要求した者勝ち的民族性」という部分です。

確かに、まあ、民族性はあるかもしれませんが、
韓国人もイロイロです。韓国人でも、気弱で繊細な人もいます。
日本人でも「モンスター某」のような強引な人がいますよね。
民族性で決めつけられると悲しいなあ…。

auroraさんへ

はじめまして。

在日の方なのですね。
良心的に生きていらっしゃる在日の方には、とても心外だと思います。

でも、韓国政府、特に韓国のクリスチャンの方々には失望しています。

従軍慰安婦然り、戦中の強制連行然り、併合に関する認識然り・・・

従軍慰安婦については、吉田清治氏と朝日新聞のでっち上げ報道だと判明したにも関わらず、「棚からぼた餅」的にうまく飛びついて、未だに、謝罪と賠償を要求し続ける・・・

それも、アメリカなど他国、国連に行ってまで、嘘を吹聴する・・・

こういうことを指して「嘘をついてでも要求した者勝ち的民族性」と、形容させていただきました。

在日の方々が日本に来た経緯にしてもそうです。
ほとんどが、法を犯して、渡来(併合時)、密入国(戦後)してきたのです。

自分たちの不幸は全て、日本人のせいにして、被害者面をして、特別待遇を要求する、その姿勢を指しています。

幸いにも、現在、私の近くにいらっしゃる在日の方は、そのようなことをなさいませんが、カトリック司祭であっても、在日ということで、そういうことを堂々と話す方がいらっしゃるのです。

これは、あなたがた韓国人が自ら汚名返上しないといけないことと思います。

親日の方が、昔の併合時代の良き思い出を話そうものなら、売国奴呼ばわりをして、粛清するような国では、まともに歴史も教えられず・・・といったところでしょうが、真実を喜ばれる神を信じる信仰と民族意識と、どちらを優先するかということだと思います。

私のまわりの在日は、日本の学校で教育を受け、ハングル語は使えず、感覚や表現なども日本人と変わりませんけど、あの教会ではハングル語での会話ということでしたから、ニューカマーの教会ですよね。もしかしたら、朝鮮学校出身者も含まれるのかな?

このような嘘に満ちた関係の上に教会をたてても、砂上の楼閣のような気がします。

あなたは心がとても乱雑な方なのですね。

在日韓国人方の正直なコメントには
純粋な心から滲み出た魂の悲しさを感じます。

それに返答するあなたの文章は
まるで、その方の心を刃でかきむしっているような
乱れと荒さを感じます。

昨日から、私がここで問いかけているのは
あなたの心の
そのような他者に対する思いやりのない表現なのです。

あなたは本当に人の心の優しさと尊い価値を知らないお方。
思いあがった批判力と傲慢さと偏見に満ちた方なのですね。

私はあなたのような人がいることを知って悲しく思います。

あなたは私に問われましたね。

「ところで、貴方は大層幸せな信仰生活を送っておられるのですね。
ゆえに、同じ教区内で起きている悲しむべき出来事に関して、ご存じないのでしょうか? 」

私はあなたに同様な質問を逆にしましょう。

「ところで、貴方は大層不幸な信仰生活を送っておられるのですね。
ゆえに、同じ教区内で起きている喜ぶべき出来事に関して、ご存じないのでしょうか? 」


私は神の哀れみによって、
大層幸せな信仰生活を送っているものです。
これは誇りではなく、感謝です。
あなたの為に、祈っております。

hana hana さんへ

「ところで、貴方は大層不幸な信仰生活を送っておられるのですね。
ゆえに、同じ教区内で起きている喜ぶべき出来事に関して、ご存じないのでしょうか? 」

この問いかけに対する答えは、「不幸」ではなく、「困難に満ちた」と表現すべきでしょうね。

喜ぶべき出来事はいろいろと存じてますが、それにも勝る悲しむべきことが起きているんですよ。

聖座への不忠実、典礼の破壊、教会の政治活動、司祭による信徒のいじめ・・・・・

正平協サイドにたたれる方々には喜ぶべきことも、聖座に忠実なカトリック信者は大きな悲しみです。

「あなたは本当に人の心の優しさと尊い価値を知らないお方。 思いあがった批判力と傲慢さと偏見に満ちた方なのですね。 」などと、他人のことを評しているのは如何なものでしょうか?

その言葉は、発した自らに返ってくるのではないでしょうか?

世の中、上辺だけを取り繕い、綺麗事で済ませれば、過ごしやすいでしょうね。

でも、それでは何も問題は解決しないんです。

『聞く人には耳が痛いだろうな』と思いながらも、敢えて、問題提起をしています。

最後にお知らせしますが、「神の哀れみ」とお書きですが、「神の憐れみ」です。
これは、月とスッポンほど意味が異なりますから、信仰篤きお方は、どうぞ、お間違いなきように!


まことに情けないことです。

まことに情けないお方ですね。
人を傷つけることでしかご自分を表現できないとは。
憐れみと哀れがありますように。

hana hana さんへ

前回にも書きましたが、

あなたの言葉はそのままご自身に返ってくる言葉ですよ。

「憐れみと哀れがありますように。」
って、日本語も使い方が変ですね。

他人に呪いのような祈りをするなんて
まともなカトリック信者では考えられないことです。

ここは、前にも申し上げたように
私の日々の思いを書き連ねるブログです。

それに関する意見交換をするためのコメント欄で
あなたのように、悪口雑言、恨みつらみを
書き連ねるところではありません。

あのような情けない
他の方が見て、気持ち悪くなるようなコメントで
私のブログを汚さないでください。

付け加えて、あなたが使っている名前「hana hana」の
「hana」は、ハングル語で「1」です。

半島出身の方々が、祖国統一を願って愛用される言葉を
そのような悪口雑言に使用するのは如何でしょうか?

それとも、半島の方々への嫌悪感を 期待してのことでしょうか。

本当に、情けないこと・・・

hana hanaさん、横から割り込みますが・・・

hana hanaさんは、「被害を受けた数多くの教会牧師や信徒達の苦しみ、また、当該教会の牧師の働きや今日までの霊的苦悩を考えて見てください」というところから出発していますよね。そこから始まって「 事件の全体像を悟りきったかの様にして、当事者を批評をしている姿には、謙遜さを装った傍観者の傲慢さを感じます」と批判しているのですが、maggieさんは、加害者がなぜ犯行に及んだのか、その理由を考察しているのですから、必ずしも事件の全体像(細部)を理解したうえで、批評する必要はないのではありませんか。

加害者の行為で傷ついた方は多くおれら、maggieさんもその方たちのことを考慮していないわけではないでしょうけど、加害者がなぜそのようなことを為すようになったのか、に絞って書いているのですから、「今回の事件へのあなたの認識と理解は一方的で狭いと思います」という批判は的外れではないでしょうか。

今回の事件でmaggieさんが、加害者が犯行に及んだ理由に焦点を絞ったことに問題があるのなら、その理由をはっきりと指摘すべきではないでしょうか。すべては、そこから始まると思います。

議論、論争は、事実に基づいてしていただきたいものです。具体的な事実に基づかず、感情的になってしまっては、不毛な言い争いで終わってしまいますから。

なんか記事を読んでかなしくなった。
神様に対して願い事をして叶えられないと神様に対して不平をいう。
もし、神様が願い事を叶えたとしたら、人間は神様を必要としなくなる。傲慢で忍耐のない愛を知らない人間が増えるのだ。
この教会襲撃のクリスチャンの方は知っているだろうか? 善き牧者を求めて多くのクリスチャンが さまよっている事を。

神の愛子さんへ

ようこそ。

この襲撃犯は、あまりに子供っぽ過ぎたと思います。

子供が親の関心を引くために、いたずらをする。
そんな感覚だったのでは・・・

願い事が叶えられないからというよりも
降りかかる逆境に耐えかねたのか・・・と。

信頼する牧師の留学
教会での言葉の壁による疎外感
家族の病気など

ひたすら耐えるには、心の安住の場を見つけられず
病的になって行ったのかも・・・

今、韓国から得体のしれないキリスト教団体が
あちこちのビルの1室に教会を開いています。

何も知らずに 日本人が門を叩くと
同じようなことになるのでは?と危惧しています。

「摂理」や京都の聖神中央教会など不届き者たちによって
キリスト教の名を使い、多くの日本人が餌食になっています。

偏見を感じないコメントを!書いてください。

maggieさんのコメントは
いつも考えが偏っており、見解に疑問を感じます。

この事件は韓国系の教会であることが問題ではなく、
犯人自身が問題であり、そういう青年が引き起こした事件ですよね。

それが、何故?
その後半部に書いてあるように、韓国系の教会への批判を書くコメントの必要性につながるのですか?

一部に問題のある教会もありますが、(日本だって同様です)
殆んどは信仰的な真面目な教会であることを
正しく書いてください。


そうでなければ、誤解が生まれます。
あなたも読者も、
韓国人や韓国教会へ誤った偏見を持たないように!
お願いします。




異邦人マタイ&マリア さんへ

>韓国系の教会であることが問題ではなく・・・

私は韓国系の教会だったことが主因の一つだと感じています。

容疑者の供述によると、
最低限のコミュニケーションも持てなかったようですから。

彼がハングル語が出来るかできないかは、
その教会員ならわかっているはずですが・・・

カトリックでもプロテスタントでも
思いやりのない教会が増えてきています。

活動することが第一になっているような教会・・・

どのような教会を「真面目な教会」と
仰っているのかはわかりませんが
真面目に韓国人牧師、共産主義聖職者に従い
外国人住民基本法などに賛同したり
元慰安婦の従軍慰安婦との詐欺行為を支援してみたり
こういうことをずっと続けている教会が
真面目な教会とは思えません。

日本のキリスト教会を歪めてきた一端は
聖職者の左翼思想への偏向や
半島寄りの見方によるものだと思っています。

一国の初代首相を、しかも武器も持たない方を
銃弾にて殺した安重根の行いを、「義挙」と評する時点で
もう既に韓国の教会は、信頼できません。

韓国人は特に韓国のカトリック教会は
伊藤博文暗殺を謝罪するべきです!


それをしない韓国のキリスト教会は
信じるに値しないと思っています。
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