UIターン事例紹介

立山町在住 ● 石川 昇・たかねさん

立山町在住 ● 石川 昇・たかね(いしかわのぼる・たかね)さん

−地方移住に際して、慎重かつ精密な調査を行ったが、結局移住地を決めたのは「たまたま」の出会いだった−

 中部山岳国立公園立山の玄関口・立山町に移住した石川さんご夫婦が、この地に決めたのは「娘からの電話」でした。

 愛知県犬山市に住んでいた石川さんは、広告代理店にお勤めだった昇さんの定年が近づいてきた時、「仕事で人間関係を作るのに疲れたという理由もあるけれども、自然豊かな所へ行きたかった」ので、地方への移住を計画しました。

 

 「犬山は夏暑いので、涼しい場所に行きたかった」ということで、新潟県の出雲崎から京都府の天橋立まで、さまざまな町や村を見てまわりました。「本当は北海道も見たかったけど、会社勤めをしながらの土地探しでは、時間も金もかかる」から断念。また、当時の市町村役場には、まだ空き家情報などはなく、田舎物件の情報誌を見たり、自分の足で不動産屋を回ったそうです。でも、なかなかいい物件に出会えませんでした。

 

 そんな時、たまたま娘さんから、「インターネットで、伝統工法で家を建てる会社を検索していたら、富山に“職藝学院”という学校があって、古民家を再生しているのを見学できるそうよ」という電話があったのです。そこで、富山市(旧大山町)にある学校を訪ねたところ、「富山市に古い農家がある。移築はうちの生徒にやらせる」という提案がありました。

 それからは、とんとん拍子で話が進みました。というのも、石川さんは、移住することを前提に、犬山市の家を既に売却し、岐阜県各務原市に借家住まいだったからです。

 学校からは「生徒が通って建てるので、学校からあまり遠くない場所にしてください」といわれ、不動産屋のつてを頼って現地を購入。既存の建物を壊し、富山市内から家を移築して、平成14年6月にようやく移住完了。

 

−住んでみてどうですか?の質問に、

 「もっと夏は涼しいと思っていたら、結構暑い。もっとも雪がたくさん降ると覚悟していたけど、それほどでもなかった」とのこと。

 家の敷地は約300坪。空いた敷地と隣りの畑を200坪借りて、野菜とブルーベリー70本を栽培しています。「ブルーベリーは手間もいらないけど、野菜づくりは本当に大変。特に草むしり。除草剤も買ってはあるけど、やっぱり使いたくないね」。

 移築前の家は建坪が100坪もあったそうで「全部使えばと言われたけれど、そんな広い家は面倒みられない」と真ん中部分だけを使いました。そんなわけで家の外観は新しいのですが、柱は昔のままで、一見するとリフォームしたような感じです。

 

−地域とのコミュニケーションはどうですか?

 「やはり地域に早く溶け込むことが大事。だから積極的に自治会などの活動に参加しています」。「でも、でしゃばりすぎているのではないかと常に思っています」という心配も。

 都市部とは違い『阿吽の呼吸』で行われている人とのつながり。ずっと住んでいる人は「そんなものだ」と思っていることが、他所から入ってきた人にはとても変に思える。これをどうしていけばよいのか。難しい課題です。

 

 そうそう、お二人が立山町に移住して最初の仕事が「猿の調査」でした。滑川市のハローワークで見つけたアルバイトでしたが、富山県の東部から南部の里山で、発信機をつけた猿の行動を追いかけて記録する仕事。「そのおかげで、里山と猿には詳しくなりました」。

 昇さんは地域活動に、たかねさんは、グループ樹の実、立山町と富山市の俳句会、山菜の会、大学の中国語講座聴講生など、とても忙しい充実した日々を送っています。

 

 ご自宅を訪問した日は、冷たい雨。リビングには薪ストーブが燃えていました。庭には薪用の丸太が積み上げられています。「近所の人が知らないうちに置いていってくれるみたい」。もうすっかり地元民ですね。

 最後に、「富山の人の善意と偶然とも思える出会いが、私たちの移住へ大きく影響し成功に導いてくださったと思います。次は、私たちからこの地へ何かを発信できたら、なお、いいなあ」という言葉をいただきました。


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