参考4ー在日左翼の民団包摂史
一九五九年、在日と日本人の北送拉致が成功し、日本は北の工作基地(スパイ天国)になった。
一九六十年代に「民団正常化有志懇談会」を結成した在日親北左翼は民団破壊工作を開始した。
一九六一年、北政権は労働党第4期5次大会において「対南武力革命戦略」を決議したことから北政権に呼応した朝鮮総連は「政治部」を新設し、韓青と学同の首脳部を包摂した。
そして韓国と民団の情報を収集し、対南赤化統一を目論み、韓国政府の転覆と民団の破壊工作を実行したのである。
関東地区の責任者に郭東儀、関西地区の責任者に金容元を配置し、日本全国の温泉地等で工作員養成の「密封教育」と「研修教育」を実施していた。この密封教育とは洗脳教育であった。
一九七三年、反韓八団体と関西や各地方組織に潜入していた親北左翼らが「韓民統」を結成し、韓国の政権打倒と民団破壊活動、金大中救命運動を展開した。
一九八八年、民団中央本部第四十二回定期中央大会で朴炳憲団長は組織2局を廃局にし、親北左翼の民団潜入を容易にした。しかも敵対陣営、対南赤化工作という言葉を民団組織から消滅させた。
民団に転向する際の誓約確認などの手続きも何時となく無くしていた。
加えて民団を経由せず、朝鮮籍から韓国籍への国籍変更が可能となり、そして旅券申請も領事館が直接受理するようになった。このため偽装転向者が容易く民団幹部に就任できるようになった。
在日左翼が民団幹部の名刺を活用して韓国に直接入国し、工作活動を展開することも可能になった。
韓国内の親北組織を支援し、親北政権樹立に貢献したのは民団幹部に成りすました北の工作員だった。
油断した民団が組織防衛を事実上放棄した機に乗じて、一九八九年には韓民統が組織名称を在日韓国民主統一連合(韓統連)に改称し、関係者を民団と傘下団体に潜入させ首脳部を包摂する工作を実行した。
フラクションを大幅に拡大した韓統連の組織は、中央本部と東海協議会を始め東京本部、神奈川本部、愛知本部、三重本部、大阪本部(生野支部、北大阪支部、東大阪支部)、兵庫本部、広島本部の七都府県で組織を結成し、活発な活動を展開するようになった。
彼らは三十数年間、在日の中・高生と大学生と青年、女性の包摂に力を注ぎ、莫大な財政を背景に学生、青年、女性の会員団体を組織し、活動を拡大してきた。
その組織は、在日韓国青年同盟(全国に本部、支部)、在日韓国民主女性会(東京、東海、大阪)。
在日韓国人学生協議会(関東・東海・関西)がある。
一九九七年には、韓国大統領選挙で韓統連のドンである金大中を当選させた。
一九九八年には、親北左翼政権誕生により、北のスパイである韓統連幹部が威風堂々と韓国に入国できるようになった。
ちなみに、二〇〇三年二月二十三日、韓国のMBC放送がドキュメンタリー番組「韓民統の真実」を放送した。この番組に出演した郭東儀は「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」と話そうしていたのか「武将を倒すには先ず武将が乗る馬を射る。金大中は武将であり馬の韓民統が狙われた」と語っていた。
武将の金大中を支えた馬は、韓民統だと自らを賞賛し、民団を糾弾していた。
ともあれ郭東儀は自ら「韓民統のボスは金大中だ」と告白していたのである。
そして北の秘密工作員である郭東儀は韓国の英雄になっていた。
また韓国のMBC放送も左傾化したのか、韓民統を賞賛し、民団を糾弾していた。
しかも民団と朝鮮総連と韓統連幹部らが水面下で頻繁に連絡を取り合うようになったという。
事実、二〇〇〇年の八月二十四日には朝鮮総連副議長が民団中央本部を初訪問していたという。
親北左翼の現職幹部が公然と駐日韓国大使館にも出入りするようになっていた。
国家保安法により韓国入国禁止であった親北左翼幹部らも逐次、凱旋するかのように訪韓していた。
元韓統連の幹部が韓国旅券を持ち、民団要職に就任できるようになり、朝鮮総連が独自に企画募集した韓国訪問団が実現した。
さらに2002FIFAワールドカップサッカー大会の朝鮮総連の独自観戦団も実現した。
この朝鮮総連の独自観戦団の入場券三百枚は、民団中央本部が提供していた。
何故、民団は朝鮮総連の参観団を支援し、民団の体育会が主催する韓日共同応援団を無視したのか。
この民団の姿勢の謎は、後に5・17共同声明発覚に拠り明かされた。
民団は包摂されていたのである。
民団の在日本大韓体育会中央本部(許寧太会長)が、韓日の民間親善交流促進を願い企画・主催した韓日共同応援団(事務局長鄭龍男)は、親北左翼の執拗な妨害策動により中止の危機に追い込まれた。
しかし多くの日本人と在日(韓国・朝鮮人)の純粋な熱意と努力で逆風を撥ね退け大成功を収めた。
そして二〇〇六年二月、駐日韓国大使館の特命全権大使が、麻布の大使公邸に旧韓民統の幹部ら数十名を招待し、激励していた。この時期は、何と民団中央本部の三機関長選挙期間中であった。
旧韓民統幹部を大使公邸に招待激励することは、親北政権が自ら公式に在日親北左翼を支持することを告知することになった。この暴挙に対して当時の民団中央本部は、全く無言であった。
黙認服従していたといえる。そして同月の民団中央本部の選挙で河丙ト団長が当選した。
河丙ト団長は「民団の歴史は変った。朝鮮総連との和合」という考えを記者会見で示唆したという新聞報道により、民団の路線変更云々の論議を呼んだ。だが驚くのは早かった。
民団中央執行部の副団長や企画室長等の核心要職に元韓民統の幹部が連なって就任していたのである。
元韓民統の幹部らを大使公邸に招待して激励した大使は、民団中央本部の人事を事前に知っていたようである! 真相をお聞きしたいと思う。
新執行部は常任委員会で早速、民団の重要事業である母訪団(墓参団)事業の中断を極秘裏で指示。
そして四月、北朝鮮の金桂寛外務次官が来日し、朝鮮総連の南昇佑副議長らと密談していた。
同月二十四日には、朝鮮総連の統一運動局部長、韓統連の事務総長ら幹部と、民団中央本部執行部の
役員が面談し『6・15共同宣言実践日本地域委員会』に加入する申請書(参与提議書)を極秘裏で提出していた。民団組織の規約とルールを完全無視する常軌を逸した暴挙であった。
そして遂に朝鮮総連と韓統連らの念願であった5・17事件が引き起こされたのである。
五月十七日、民団中央本部の団長、議長、監察委員長らが朝鮮総連中央本部を礼訪し、電撃的に「朝鮮総連と民団の和合を謳う5・17共同声明」を発表したのである。
しかも、金成柱と金正日の写真の前で感激の握手を交わしていたいう。
継続して6・15記念行事への参加、8・15光復節行事の朝鮮総連と民団の合同開催、幕張メッセでの一大イベント(朝鮮総連、韓統連、統一教会、民団)の開催も計画していたことが発覚した。
全ての行事がクーデターに関連していたといえる。
朝鮮総連と韓統連、そして民団組織に潜入していた工作員らによって、一九七十年代から続いた民団包摂が、遂に実現したと親北左翼関係者は喜びを爆発させていた。
郭東儀は待ち構えていたかのように「朝鮮総連と民団の5・17共同声明」を歓迎すると発表した。
当時、郭東儀は、なぜ韓国ソウルで記者会見できたのか、金大中と親北左翼の関係者のコメントを代弁していたのであろうか。
続いて元韓民統幹部の民団中央本部・姜英之企画室長は「数十年間の苦労が実り念願が実現した。全国の同志から喜びの電話が殺到している」と発言した内容が新聞記事で報道された。
だが民団組織に告知せず、審議もせず、承認も得ず、当時の民団中央本部三機関長が独断実行した「5・17共同声明」は、民団規約に違反する恐るべき蛮行であったことから民団の顧問を始め中央執行委員、中央委員、代議員、全国の民団組織幹部と団員たちは激怒して行動を起こした。
5・17共同声明の撤回を求めて、新潟県地方本部の李鐘海団長、権東国常任顧問(軍人会会長)、千葉県地方本部の金豊成団長と金龍雄事務局長、民団の福島県地方本部の故金太河団長らがそれぞれ民団中央本部に文書で抗議した。この勇断に共鳴した全国の民団役職員が正常化委員会を結成した。
言葉だけでは実行できない。この時に故金太河団長、権東国軍人会会長、栃木韓商の金一雄会長は多額の活動資金を賛助し自ら進んで行動を起こした。この行動を賞賛しなければならない。
こうして民団正常化運動が怒涛の勢いで全国各地に拡大し、「5・17共同声明」、「6・15南北共同事業への参加」「四・二四加入申請」が白紙撤回され、幕張メッセでの朝鮮総連、韓統連、統一教会、民団の合同行事は中止になった。
そして民団中央本部の団長辞任により臨時中央大会が開催され、新執行部が選出された。
だが新執行部に正常化運動の先駆者らは登用されなかった。逆に冷遇され、そして追放されていた。
尚且つ、その後も全国の民団(傘下団体含む)正統派幹部らが、巧妙な策謀で次々と組織から追放されていた。民団は正常化されていなかった。トップの首のすげ替えだけであった。
まさに金正日の常套手段である偽装と虚言の見せ掛けの民団正常化であった。
5・17共同声明の撤回後、金正日は七発のミサイルを日本海と太平洋の公海に向け発射した。
しかも二〇〇七年の新年辞で金正日は「民団の反動分子を葬り去り」、6・15共同宣言実践民族共同委員会を一層拡大するよう教示したことから民団破壊策動は、より激化していた。
朝鮮総連の第21期大会と議長報告では「在日同胞の統一志向と団結の念願を踏みにじり、これを白紙化した『民団の一部悪質幹部を指弾し』…総連は民族最大の宿願である『祖国の統一』を早めるため、運動をさらに力強く繰り広げていく。
総連は6・15共同宣言実践日本地域委員会と海外側委員会を強化させることの先頭に立ち…『6.15支持勢力の大団結を成し遂げる』。
…『総連、民団の5・17共同声明』で明らかにした和解と団結の精神を変わりなく固守し『韓統連と民団を始めとする』…在日同胞の間で民族団結事業を幅広く成し遂げる」と言明していたのである。
過去、韓民統に民団東京本部が占拠された時、命がけで闘った民団一世の諸先輩の意志を今こそ真摯に学び、その意志を継ぎ行動を起こすべきではなかろうかと民団正統派幹部皆様に申し上げたい。
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