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原発問題と司教団メッセージ

今までこのブログでは原発について言及してきませんでした。
私の頭の中でも整理しきれないことがあるためです。

私はずっと昔から原発推進へ冷ややかな視線を送ってきました。

『司教団メッセージ「いますぐ原発の廃止を」についてのコメント』にあるような
核兵器と核エネルギーを重ね合わせるものからではありません。

ずっと、政府や電力会社が強調してきた
「クリーンエネルギー」
「安価な電力」
のうたい文句が偽りであると思っていたからです。

チェルノブイリやスリーマイルでの事故による汚染で
クリーンな状態が絶対的に保持できるわけではないと思っていました。

そして、原子力船「むつ」の処遇を巡って右往左往する対応は
原発施設が耐用年数を超えて処分する際の対応をも
簡単に予想することができました。

しかしながら、世界は、特に日本は
温暖化防止の一つの手段として
核エネルギー推進に踏み出していました。

実際、パラオ諸島やバングラデシュのように
水没の危機に瀕している国々もあります。



昨年の3月11日の大震災、それに続く福島原発事故

私が政治活動を共にする方々の中でも意見は分かれました。

教会や活動関連の友人の方々の中でも
放射能に怯える方々もたくさんいらっしゃいました。

その頃は、やたらと奇形児が生まれるとか
流言飛語も目を覆うばかりでした。

安心はできないけども、
そこまではいかないだろうと思いました。

広島・長崎の原爆資料館には確かに
奇形で生まれた嬰児の写真が展示されていました。
私が初めて見たのは中学の修学旅行で訪れた
長崎の原爆資料館の写真パネルです。
胎児被ばくの水頭症で生まれた
赤ちゃんの写真だったように記憶しています。

だからと言って、広島・長崎で原爆後
ずっと奇形児が生まれたわけではなく
被爆者の皆さんは原爆症に怯えながらも、
出産され、孫・ひ孫に恵まれておられます。



昨年の今頃は、mixiで
放射能の流言飛語に怯える友人たちの声に
まずその悲嘆を受け止め、
慰めたり、励ましたり
安心できる情報を提供したりしていました。

それと同時に、
政府や東京電力の対応の酷さに怒り心頭でした。
特に東京電力は核の危険性を承知の上で
予備電源などあの程度の備えなどとは・・・
危機対応の酷さも目にあまりました。

そして、私が心配したのは
放射能汚染現場で働く方々のことでした。

これから数え切れないほどの方々が
その危険な現場で働くことになるのは目に見えていました。

それらをmixiでつぶやくと
酷い攻撃を受けました。

私の「つぶやき」は
友人限定公開なので、友人から批判されたのです。
支援・反論してくれたのも友人ではありましたが。

友人たちも同じような目にあい
まるで、モグラ叩きのように
東電批判・放射能汚染を書くごとに
反論ではなく攻撃を受けたのです。

東電批判=原子力発電反対ではありません。
原子力発電を支持するのならば
より安全な施設となるように
東電批判を避けては通れないはずなのに・・・

ある一部の方々の目には
東電批判=反原発=左翼にしか映らなかったようです。

でも、mixiでは右翼の方も
美しい日本の自然を傷つけるのは許せないと
脱原発を主張されていたのですが。

反原発を敵視する方々は
原発=核開発=核武装の図式でした。
当時、私の所属していた会も同じくでした。

しかしながら、私はカトリック信者として
教皇様の核兵器廃絶を呼び掛けを
無視するわけにはいきません。

核兵器廃絶は日本だけではなく
世界的な問題であるため
それに向けての手段の検討など
自由闊達にする必要がある
というのが、私の受け止め方です。

会の中には、核兵器に強く反対している会員もいますが
発言力のある方々の大震災後の発言・対応などは、
首をかしげるものでした。

福島の方々に、
「毎日ラドン温泉に入っているようなもので
私も入りたい」
と、本当に言えるのでしょうか?

「放射能が不安ならば、海草を食べてください」
で、済むと思っているのでしょうか?

栄養学的にいえば
海草といっても、種類によってヨウ素の含有率には
大きな開きがあります。
高濃度の昆布をとっても
産地などによっても含有率にばらつきが出てきます。
そんな基本的なことがわかっているのでしょうか?

幻滅しながら、
博識と思われる友人に相談しました。

「福島の放射能なんかより
中国の黄砂に乗ってきている放射能の方が
ずっと問題だ。」とのこと・・・

確かに、過去のウイグルでの核実験の酷さ、
放射能汚染の酷さを世界に広く訴えるために
入会した会ですから、
放射性物質汚染黄砂は知っています。

黄砂によって運ばれてくる放射性物質は防ぎようがなく
そこに日本での原発事故の放射能がプラスされるわけで
ダブル・パンチとなるのですが・・・




こうして大きな矛盾を胸に抱えたまま
11月を迎え、日本カトリック司教団より
『いますぐ原発の廃止を
~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~ 』

という司教団メッセージが発表されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm

司教団メッセージは、
正義と平和協議会メッセージなどよりも
段違いに重みがあります。

正義と平和協議会メッセージは
担当司教の意見・呼びかけであり
司教団メッセージは
日本の現役司教の全員が一致した合意事項で
日本の信者はそれを無視できません。

最初、「いますぐ原発の廃止を」という題名を見て
あまりに明確な題名に驚き、憂慮しましたが
内容は、

「日本には自然と共生してきた文化と知恵と伝統があり、神道や仏教などの諸宗教にもその精神があります。キリスト教にも清貧という精神があります。そして、わたしたちキリスト者には、何よりも神から求められる生き方、つまり「単純質素な生活、祈りの精神、すべての人々に対する愛、とくに小さく貧しい人々への愛、従順、謙遜、離脱、自己犠牲」などによって、福音の真正なあかしを立てる務めがあります。わたしたちは、たとえば節電に努める場合も、この福音的精神に基づく単純質素な生活様式を選び直すべきです。」(一部抜粋)

というような倫理的なカトリックの「徳」に基づくもので
教皇様や司教様方に与えられた
教導の権能によるものでした。

そして続いて、このメッセージに対する説明が
社会司教委員会委員長である見三明大司教から出されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111110.htm

「清貧」:物や金(欲望)に執着することのない生き方。物や金は不要と考えるのではなく、全ての神の被造物(水、自然・・・)の価値を正しく認め、それを大切に使い、ほかの国や人々と公平に分かち合う生き方。
「従順」:神の望みに従うことを意味します。
「離脱」:物や金や人に関わる利己主義から抜け出し、“所有する(to have)”満足から、“存在する(to be)”喜びへ移行することを意味します。
「自己犠牲」:個人が欲望のままに生きるのではなく、他者・神への愛をもって自らの生活を他者・神のために捧げて生きることを指しています。個人の倫理に留まらず、地球市民として限られた資源や生産物を全ての人と等しく共有し公平に分かち合って生活すること(連帯の精神)の意味も含まれます。(一部抜粋)


このように優しく説明されています。

しかしながら、この司教団メッセージと
同時期に呼びかけられた反原発の署名活動は
大変紛らわしいものでした。

多くの信者は、
これは司教団からの署名の呼び掛けと受け止め
自らの思考を抑制して署名されたようでした。

私自身は、署名の賛同者名を見て、
偏りがあるように思えたので
署名しませんでしたが
後日、旧知の信徒方から数度、
上記のような誤解?に基づく嘆きに接し、
「署名活動は司教団メッセージに付随したものではなく、
廃絶に向けての一つの手段の提示に他ならないであろう」
と、私の受け止め方を話しました。


その他にも、高見大司教様のご説明の

「平和利用の名のもとに」:広島、長崎における原子爆弾の恐るべき体験から、日本人は核兵器廃絶を悲願としています。この「平和利用」という名のもとに、原発という核エネルギー利用に方向を転換しました。しかし、原発の技術は核兵器開発に容易に利用されることも指摘されています。私たちはこの点からも原発の廃止を考えるべきです。

というところには、正直に言って違和感を感じました。
「核」を悪のように書かれているように思えたのです。

神が創られたものはすべてが善であったはずです。

ウラン鉱石もどのように使うかが問われているのであって
兵器として使われるために創られたものではないはずで
人間がちゃんと制御できる知恵と技術、倫理が
揃って初めて使うべきものだと思うのです。

隣国の国々はさらなる原発推進をうたっていますが
どう考えても、日本よりも
技術・職業倫理の面で大きな問題を抱えています。

隣人愛からいえば
その国々の今後起こりうる事故のためにも
核の研究は不可欠に思えるのです。

核の研究には、兵器開発だけではなく
放射能の除染・防護、廃棄、事故対応もあるのです。

日本は2種類の核被害の経験国として
世界に発信する責任があると思います。



そして「すぐに原発廃止を」ということにしても
私は憂慮していることがあります。

日本では原子力発電所は民間の経営によるものです。

企業は、施設・設備に投資し
投資分を回収し、利潤をあげた後
老朽化した施設・設備を管理・処分しますが、
投資した分を回収もできなかった施設・設備に
多額の費用をかけて
安全に管理・処分するでしょうか?

安全性はさておき、
如何に経費削減するかということばかりに
躍起になるのではないでしょうか?

今でも、福島原発の最前線で働いておられるのは
東電の社員ではなく、下請けでもなく、
孫請け、3次請けとも言われる雇用形態の方々が多いのです。

危険なエリアでの労働ということで
東電から一人1日10万円で発注されたものも
実際にそういう方々のところに支払われるのは
酷い場合には7千円くらいにまで減っていると
言われています。

そして、被ばく後の健康管理をしようにも
名前すら把握できていない方もいらっしゃるとのこと。

労働者の側に立つはずの民主党政権であるのに、
労働組合がある恵まれた労働環境の労働者でないと
守ってもらえないのでしょうか?

せめて危険な職場での最低賃金くらいは
決めてもらいたいものです。


また、原発の廃止により、
それまで原発関連で働いていた技術者は
他国に誘われて流出し
原発技術も外国に流出するのは
目に見えています。

そしてその国々の安全性への取り組みは
日本よりもずっと劣るのです。

司教団メッセージを受け、
私なりに考えたことを書き連ねてみました。



そんな中で、尊敬する友人から
下記の記事を教えていただきました。

「日本司教司教団は原子力平和利用について中立を保持」

日本司教団は国の原子力発電所を閉鎖しようという呼びかけに対して他の宗教団体と共に行動することを断った。
 日本司教協議会は個々の司祭や修道者が、2011年3月11日の地震による福島原発の惨事の1周年記念の原子力反対デモに参加することに反対しないことを示してきた。しかし司教協議会はヴァチカンの指導に従って、原子力発電の問題に関し中立にとどまると述べた。
 教皇庁は原子力エネルギーの平和利用に対して慎重な支持を示している。[試訳]
http://www.catholicculture.org/news/headlines/index.cfm?storyid=13957

先に出された司教団メッセージと重ね合わせるならば

カトリックの成聖・完徳を目指して生活を見直し
偏った考え方ではなく、福音的価値観に基づいて、
それぞれ個人の判断で、原発問題に取り組むように!
ってことでしょうか???
コメント

日本司教団老人会働いて下さい。放射能浴びながら・・・

ちゃんと話せる時ってあるのですね。
●●るさん「毎日のラドン温泉に入ってるみたい・・・」
よく、申せましたね。福島のマイミクさん3人消えました。
放射能の危険区域で、カリカリされてました。
それが本当だと感じます。

実際、関東もやばいそうです。
でも、仕方がない。
父の仕事をやめても、次の職場なし・・・
早くちゃんとした、日本を創り直して頂きたいです。

でも、●●るさんみたいな花畑牧場ばっかで・・・
怖さを知ろうともしません。
イヤになりますよ・・・トホホ

昨年、トマトの奇形が埼玉県でかなりできたみたいです。
これでは、私たちも、臓器が奇形してもおかしく
ありません、千葉の知り合いの方では、夕飯には、

欠かせないお刺身が消えたそうです。
「年が年なんだけれど、ガンはイヤだって言うからね、
それに、関東も汚染されてるそうよ。」と

ラドン温泉ならば、来てみろ、住んでみろと、福島の方が
思うでしょう。
でも、頑張って、気持そらされてます。

魚も、最近はかれいや海底に生殖する魚は買いません。
出来れば、上の方で泳ぐ魚です。
放射能が消えるそうです。

でも?それも何処までもが?本当?
今からは、甲状腺が悪い方が増えるでしょう。
ガンも・・・・・

肉体滅びるますが、痛いのだけは、勘弁してくれと
思います。
胃ろうなんてイヤですよ。

今回の民社党はナチスです。
ラドン温泉は、なんでしょう?
ヒットラーの愛人でしょうね、例えるならば・・・

智恵さんへ

昨年、一旦緩められていた農作物の放射能残留許容量が
再度引き上げられ、市場に出回る食品は
安心して食べても大丈夫だと思います。

ただ、影響の出やすい成長期のお子さんをお持ちのご家庭では、心配が尽きないことでしょう。
甲状腺癌は成長期の子供に多く現れます。

関西では、あまり放射能には敏感にはなっていませんし、
教会でも東北のお野菜を販売したりして
被災地支援をしているのですが
片方で「放射能は怖い!」と原発廃止を訴え
片方で「放射能は大丈夫!」と野菜を売る???

結局、大切なのは確かな情報だと思います。

私はこの冬、福島産の林檎をたくさん食べました。
市場に出回る農産物は安全なので、
これからも東北産農産物を積極的に購入します。

マギーさんへ

どうなんでしょうか?
何処まで信じたら?
去年でしょうか?たけしさんのTVで
反対派、賛成派とでました。

賛成派は、反対派からの意見を言われたら
全然、答がでないんです。
それより「大丈夫です。」だけ
これでは?人としては、おかしいと

この国はおかしいと良く話します。
マギーさんの様に、ちゃんと話品のあるお話
それより、乱暴な方ばかりが、最近では目につきます。
ブログで、わかります。

恐ろしい方の塊
で、注意または解る様に話せば反論だけですよね。
子供の事を考えるのならば、もう、この国の終わり
いいよね・・・と

魚ですが、最近英国からのが並んでいます。
太平洋全体汚染です。
これは、いかがですか?

これからの課題です。

智恵さんへ

私は専門家ではないので、詳しいことはわかりません。

専門家の方々の中でも、放射能汚染についての数値には
大きな意見の差があると思います。

推進派、廃絶派の双方も極論の論議が多くて
不安の中にある方々に少しでもアドバイスを
という姿勢が欠けているように思います。

今回の事故での確かな数値をデータ化して
これからの事故に備えるということしかないのかも・・・

化学物質過敏症と同じく、
放射能においても
傷ついた染色体の復元力も個体差が出ることでしょうし
どこまでが安全と言い切れるかは難しいでしょうね。

ただ、チェルノブイリ事故の際は、欧州や日本でも
現地の子供たちを1週間ほど招いて
免疫による復元力を回復させるような試みをしました。

放射線の影響があるように思える地域は
西日本に林間学校などで1週間から10日ほど滞在して
回復させてあげるのもいいのでは?と思います。
定期的に行ってほしいものですね。

お子さんをお持ちのご家庭や
これから子供を生み育てるであろう年代の方々は
食品にも過敏になられても仕方ないでしょうが
それ以上の年代の方々は
市場に出回る食品に神経質になることはないと思います。

誤認記事の可能性アリ

司教の日記
新潟司教の毎日の活動から
http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/2012/04/post-0ec8.html

「どうもイタリアの記事は、このアジア発の記事を読んだ誰かが、台湾と日本を混同して書いたもののようです。まさかヨーロッパからみると、極東の日本も台湾も同じに見えてしまう等と言うことではないでしょうが、それにしてもちょっと驚く混同です。

いずれにしろ日本のカトリック司教団は、昨年表明した立場を何も変更はしていません。」

僕も上記の記事で安堵した一人でしたが、これを読んでまたガッカリ (-。-;)

今も司教団メッセージの通りのようです。
全ての原発の即時停止・・・

りゅうさんへ

あらら、日本と台湾を混同されたのですね。

でも、菊地司教様も仰ってます。

「この問題において、科学や政治の立場には中立を保ちますが、倫理的には明確に反対な立場を表明しています。」

代替エネルギーの開発や原子力発電所閉鎖に向けての手段などは政治的なことなので、私たち信者は倫理的に自分たちの生活を振り返って、優先順位を見直すことから始まるのではないでしょうか?

とはいえ、我が家では特に母の介護の関係で空調や洗濯など、一般家庭よりも多く電気を使用します。

申し訳ないですけど、弱者優先ということで・・・

司教団のメッセージを受けて、如何に自分たちの生活の軌道修正をするかということで、具体的にこの行動を必ずしなくてはならないという直接的なものではないのでは?

基本は原発廃絶に向けてというのは変わりませんが。

ちゃんと制御できないものに比重を置きすぎましたよね。
若かりし頃からの不安は的中しちゃいました。

にもかかわらず、韓国や中国ではどんどん原発を増やすそうです。
一旦事故が起きれば、日本もまた汚染されることになるでしょう。
日本の原発だけが危険な施設で、他国の原発は安全そのものというわけではないですから。

No title

はじめてコメントさせていただきます。
ついつい日々のお祈りを怠ってしまう世俗的、享楽主義的なカソリック予備軍です。
原発に関しては難しいですよね。
先日も脱原発の右翼の方と討論していて、彼の言い分ももっともだと思うし、原発推進派の方の意見もうなずける部分もあるし、正直良くわかりません。
私個人としては、今年熱中症で死ぬより、20年後にガンにかかる方がはるかにマシなので原発稼働には反対ではないのですが、今すぐ原発停止は現実味に欠けますが、徐々に脱原発依存に向かっていくしかないのではと思っています。
ただ、この夏停電が起きたら一斉に「原発稼働しろ」の大合唱が起こるんでしょうね。

きあらさんへ

> 先日も脱原発の右翼の方と討論していて、彼の言い分ももっともだと思うし、原発推進派の方の意見もうなずける部分もあるし、正直良くわかりません。

そうですよね。
原発への姿勢は、思想の右・左で簡単に区別できません。

まぁ、核=原爆と結び付ける人もいるのですが。


> 私個人としては、今年熱中症で死ぬより、20年後にガンにかかる方がはるかにマシなので原発稼働には反対ではないのですが、今すぐ原発停止は現実味に欠けますが、徐々に脱原発依存に向かっていくしかないのではと思っています。


私は両親の介護をしていますので、
身体の弱った弱者にとって、
電気使用は生命線だと実感しています。

昨年の夏、往診に来てくださるドクターから
「熱中症に気をつけて、室温管理と水分補給をしっかりと!」と言われていました。
冷房をかける時期が少し遅かったために軽度の床ずれができ、なかなか完治しませんでした。
でも、そのくらいはマシな方で、
ドクターが往診に行かれている一人暮らしの高齢者は
テレビで呼び掛けられている節電CMに影響されたか、
冷房を弱くしていて、
熱中症で入院になった方がたくさんおられたそうです。

冬には、加湿器を購入して24時間管理していましたので、
風邪をひきかけても、すぐに快復しました。

それができない独居高齢者は
バタバタと風邪やインフルエンザで入院されたそうです。

本当に、体が弱るほどに電気使用は増えるのです。


> ただ、この夏停電が起きたら一斉に「原発稼働しろ」の大合唱が起こるんでしょうね。

もし、急に停電になったら、痰をからませても機械は準備していても吸引もできないのです。

電気の安定供給と電気代が上がらないことを願わずにはおられません。


司教団メッセージについてですが、
きあらさんは求道者なので戸惑われるかもしれませんね。

司教様方には、司教として倫理的な事柄について
教導するお務めがお有りなのです。

ですから、即刻、原発停止を呼び掛けられても
倫理的に信者としての生活姿勢や価値観の見直しを
求められるのであって
「原発や経産省の前でハンストをしてきなさい!」
などという、具体的な指示はなさいません。

信者は司教団メッセージで求められている思いを受け留めて
信者一人ひとりが判断して
それに沿うように努力することが求められているのです。

まぁ、考え方もいろいろなので
どうしてもそれは納得できない!
という方もいらっしゃるでしょうが
信仰箇条のように、これが守られなければ
即刻、大罪というようなことはないのだと思います。
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