●競馬(ウマスーブ)


今帰仁村に現在も残る仲原馬場

 戦後、普天間(ふてんま)基地の建設で、なくなってしまった「宜野湾街道」の近くには、中頭(なかがみ)地域でも名高い「宜野湾馬場」が、昭和初期までありました。
 草競馬は、ふつうは昼すぎから夕方の5時ごろまで、長時間にわたって行なわれました。県内のほかの馬場よりも長いといわれた長さ300メートル以上もあるコースを、はじめはまっすぐ走る勝負でしたが、後の時代になると、長方形の馬場をまわる競走になったようです。
 戦前の名馬として、赤い毛並みで「ヒコーキ」という名の宮古馬が、大謝名にいたと語りつがれています。

 
 

 

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