ミャンマーが民主化の動きを加速している。しかし、それと同時に国内で民族対立・宗教対立が激化し、ミャンマーの将来に暗雲を投げかけている。
ミャンマーの民族問題と言えば、地方や山岳地帯に私兵を構えて中央政府と対立する少数民族問題もあれば、ロヒンギャ族の問題もある。
そして、宗教問題と言えば、大多数の仏教徒に混じった少数派のイスラム教徒の問題もある。
2013年3月20日、ミャンマーでは中部・南部で仏教徒とイスラム教徒の衝突が拡大して死傷者が出る事態となっているが、この衝突が各都市にどんどん拡散しているのである。
ミャンマーは国民の90%以上が仏教徒であり、事実上、仏教徒の国である。
しかし、その中で4%ほどがイスラム教徒として存在しており、薄くミャンマーの各都市に分散している。この4%が宗教的な対立をしたまま存在しており、しばしば衝突と暴力報復を繰り返しているのである。
ミャンマーの宗教問題は、民族問題でもある
ミャンマーでは2012年に西部ラカイン州で、仏教徒とイスラム教徒が激しく激突し、放火・殺戮・略奪・暴行が広がって双方合わせて11万人が家を追われる最悪の事態となった。
きっかけになったのは、イスラム教徒の男たちが、仏教徒の若い女性をレイプして殺害した事件がきっかけだった。(ミャンマー非常事態宣言。宗教対立、レイプ報復、虐殺、放火)
今年に入っても、宗教対立は沈静化せず、むしろ対立構造は深まり、広がっているようだ。
すでに衝突の舞台は西部から中部メイッティーラへと移動しており、さらに南部にも拡散、計15ヶ所で火の手が上がっている。
ミャンマーのイスラム教徒はロヒンギャ族もそうだが、インド系なので容易に見分けが付く。だから、ミャンマーの宗教問題は、民族問題でもある。
国土の大多数を占める仏教徒のミャンマー人からすると、西から異宗教の異民族が「勝手にやってきて住み着いている」という意識がある。
あるいは、「イギリス人が勝手に連れてきて住み着かせた」という意識がある。
さらに、彼らは仏教国家であるミャンマーの宗教に帰依せず、ずっとイスラム教を信じてモスクまで建てている。
こういった中で、対立の根はずっと消えずに残り続け、何かが起きると激しく燃え上がる構造になっている。
イスラム教徒と仏教徒の対立で、放火・略奪・殺人が起きている。 |
民族対立・宗教対立は拡大、増幅していった
2013年3月20日のメイッティーラの衝突は、イスラム教徒の店の店主と、やってきた仏教徒の客とのつまらない喧嘩が原因だった。
喧嘩が高じて、イスラム教徒の店主が客を殴った。村人がそれに怒って店を壊した。
これが、瞬く間に「イスラム教徒と仏教徒の対立」と化して、今度はイスラム教徒が僧侶を殺した。
すると、仏教徒が報復のために大勢でイスラム教徒を襲った。イスラム教徒も応戦して多数の死者が発生した。
これが拡散して、イスラム教徒の住む家に火が付けられて1000戸が焼き払われた……。
さらに、この事件が各都市に伝わると、それぞれの都市でも双方が緊張して次々と憎悪が連鎖して衝突していった。
また不穏な空気が蔓延して緊張する中で「イスラム教徒が殺しに来る」「仏教徒が報復に来る」とデマが発生して、命の危険を感じた人が逃げ出したりした。
このようにして、民族対立・宗教対立は拡大、増幅していったのである。
ミャンマーが民主化の流れを加速させようとしたのは2011年からだ。アウンサンスーチー氏の解放も、この民主化の流れの中で実現した。
しかし、民主化された途端、すぐに民族対立・宗教対立が表面化してミャンマーの不安定要因となっている。
今では仏教徒によるイスラム教店舗への不買運動も起きている。また、イスラム側も報復を呼びかけており、混乱に拍車がかかっている。
こういった事態はイスラム弾圧に敏感な中東諸国にも伝わっており、イスラム過激派がミャンマーにも注目するようになっているという。
少数民族の権利を拡大させるのか、隔離するのか
これらの衝突や混乱に、警察や治安当局はどのように対処しているのか。
実は2012年の西部ラカイン州の衝突事件では、取り締まる側の警察関係者が一緒になってイスラム教徒に襲いかかっていたという証言もある。
今回のメイッティーラの衝突でも、暴動が拡散する中で、警察は遠巻きに見るだけで暴動を止める気配がなかったと証言がイスラム教徒側から出ている。
警察が真剣に動いていないのは、警察側もイスラム教徒やロヒンギャ族を好んでいないからであると言われている。ロヒンギャ・ニュース・エージェンシー紙では、警備部隊がロヒンギャの少女をレイプ殺害していることも2013年2月27日に報道している。
ミャンマーのテイン・セイン大統領は、こういった事態を打開するために「ロヒンギャ族に市民権を与え、少数民族の権利を拡大することを検討する」と表明していた。
これを受けて国連は「重要な一歩」と評価し、支援していくと表明した。
ところが2013年3月26日、ヒューマン・ライツ・ウォッチ アジアはテイン・セイン大統領の表明とはまったく反対の事態がミャンマー国内で起きていることを報告している。
「ビルマ政府のロヒンギャ・ムスリムへの援助規制は、雨季の訪れにより悲惨な状況が生まれるような人道危機を作り出している」
「ビルマ政府首脳は、この問題に対処する代わりに、ロヒンギャ民族の帰還計画ではなくキャンプでの隔離政策を続けるつもりのようだ」
何が起きているのかというと、対外的には「少数民族の権利を拡大させる」と言いながら、実際にはその逆に隔離政策をしていたのである。
どちらに荷担しても彼女のカリスマを消してしまう
ところで、ミャンマーと言えば誰もが思い出すアウンサンスーチー氏は、このロヒンギャ族についてはどう考えているのか。
彼女はこの問題を注意深く避けており、ほとんど何も発言しておらず、発言しないことによって批判されている。
なぜ発言しないのか。それは彼女自身が関わりたくないからでもある。ロヒンギャ族を擁護したら、その瞬間に彼女は国民の9割を占めるミャンマー人から袋叩きにされる。
しかし、ロヒンギャ族を見放したら、今度は弱者の味方であると言っているのに弱者のロヒンギャ族を見殺しにしたと言われて国際社会から袋叩きにされる。
そこで彼女は苦しまぎれに、こう言った。
「イスラム教徒のロヒンギャ人を市民と認めるかどうかは、ミャンマー政府が決めなければならない」
さらに2012年11月3日には、このようにも言っている。
「自分の道徳的指導力を行使して、いずれかの側を支持することはしない」
仏教徒を擁護して、ロヒンギャを棄てるか。
ロヒンギャを擁護して、仏教徒を敵に回すか。
この問題は、どちらに荷担しても彼女のカリスマを消してしまうものなのである。だから、彼女はこの問題に対して、何も発言することができない。
そして、どうなるのか。
もちろん、ミャンマーの抱えた民族問題・宗教問題は、激しい対立構造を抱えたまま、終わりのない混乱を生み出す元凶になっていくのである。
すっかり歳を取ったアウンサンスーチー。 ロヒンギャ問題に対して、彼女は明確な発言ができないでいる。 |
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