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Nikkeyshimbun
日本の敗戦で混乱したブラジル日系社会で「正しい情報を伝えなくては事態は収束しない」との思いから、同胞社会を憂う有志が集まり、1947年1月に創立されたのがパウリスタ新聞、さらに、そこから分派して49年1月に日伯毎日新聞が創立。この両紙が98年3月に合併し、現在の「ニッケイ新聞」と名前を変えた。
サンパウロ市に本社を置き、週5回の日刊紙、平均約8ページの日本語版と、12ページのポルトガル語版週刊紙「Jornal NippaK」を発行。公称発行部数は約1万部。
三宅ミドリさん(22、四世)は1996年、6歳の時に訪日し、先にデカセギに行っていた両親と合流した。家庭内もポ語会話が基本で、日本語を覚えるのには苦労したという
あと2年で、デカセギ開始年といわれる1985年から30年が経とうとしている。金融危機以来の4年で約10万人のデカセギが帰伯した
ブラジル日本語センター(板垣勝秀理事長)が1月23日から3日間、『第55回全伯日本語教師合同研修会』を開催し、60人の日本語教師が参加した。最終日のプログラム「ベテラン教師に聞く」では4校の校長による経営の秘訣が語られた
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