海外の日系紙

日本への出稼ぎが生んだロストゼネレーション(中)

さまよえる日系ブラジルの若者たちはいま

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(5) 妊娠、帰伯、離縁、解雇・・・四世に対する厳しい壁

 三宅ミドリさん(22、四世)は週末のほとんどをストレス発散のために、ブラジル人の友人と愛知県豊橋市内のゲームセンターやカラオケに繰り出した。変わり映えのない日々に“変化”が生じたのは、学校を辞めて約1年半が経った頃、妊娠が発覚した時だった。

「子どもを育てていくためにも学校に入りなおして勉強したい」とも話した三宅さん

 相手は付き合い始めて間もない8歳年上のブラジル人。「産むことに大きな迷いはなかった」という。話し合いの末、ブラジルに戻って育てることに決めた。

 「やはり“自分の国”で育てたいっていう思いがあった。彼もそれを強く望んでいました」。工場を退職し日本で出産、2009年末に帰伯した。

 日本への定住も視野にいれていた両親の反対を押し切っての帰国だった。しかしパラナ州都クリチーバで始まった親子水いらずの生活は長くは続かなかった。

 「彼とは結局半年で別れちゃいました。籍は入れていなかったので、あっさりと縁が切れてしまった」と話す声には寂しさが滲んでいる。

 その後は祖母の家で息子と暮らしながら、日系の病院で事務員として1年半ほど働いたが、2012年6月末の契約満了とともに解雇された。

 「新しい仕事は探しているけど、なかなか見つからない。日本語を使った仕事が出来れば良いけど、選んでいられないから・・・」。現在は職を探しながら、高卒認定資格試験のための勉強もしている。「結局少し日本語が使えても、こっちでの勉強が出来ないと何もできない。日本で高校を中退したこと、ブラジルに戻ってきたこと、後悔の気持ちが沸くこともあります」との胸中を吐露した。(2012年8月22日取材)

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