▼テレビ番組に参加していると、ぼくの心身に合わないことも、ある。
その原因の大きなひとつは、テレビの世界は、芸能界の体質で貫徹されているからだ。
芸能界の慣習、ヒエラルヒー(階層構造)、独特のルールに、テレビ界全体が徹底して貫かれている。
ニュースや社会派ドキュメンタリー番組をつくる報道部門と、ワイドショーからバラエティ、ドラマ、お笑い番組までつくる制作部門とでは、体質もルールも違うのではないかという推測というか期待を持つ視聴者もいらっしゃると思う。
ぼくも、そうだった。
共同通信の記者時代に、テレビ局の記者たちは日々の現場で、身近にいた。
すると、きのうまで総理番記者だったひとが今日は突然、営業部門に回ったりするのを何度も見る。
こういう人事は新聞・通信社では、まず考えられないことだから、「テレビは報道といっても、すこし感覚が違うんだな」とは思っていた。しかしそれでも、まさか芸能界のしきたりが報道部門にまで及んでいるとは考えなかった。
ところが番組に参加するようになってみると、「すこし感覚が違う」どころじゃない。
まず、生活の手段としてコメンテーターを務めるひとたちは、本職が何であれ、つまり作家だったり評論家だったりしても、その多くのひとが芸能プロダクションと契約したり、関係を持っている。
▼そして番組の司会役(テレビ用語ではMC)には、世間のイメージでは全くそうでないひとでも、実はまるまる芸能界のしきたりに忠実に生きているひともいる。
もう何年も前に、ぼくも名を知っている著名なプロダクションから「名前を登録していただくだけで、ギャラが格段にアップしますから」という勧誘があった。
即、お断りした。
テレビ番組に参加することがあるのは、収入のためではないからだ。
伝えるべきを、同じ日本国民に伝えることだけが目的だ。
すると、再び同じプロダクションから「青山さんがテレビ番組のギャラを自分の財布に入れずに、独立総合研究所に全額、入れていることが分かりました。会社の経営安定に役立つのですから、余計にメリットがあるはずです。再考してくれませんか」という誘いがあり、そのときに提示されたギャラの高額ぶりに、たいへん驚いた。
ぼくの受け取っている番組参加料(ふつうに言えば、ギャラ。出演料)がいかに安いか、芸能プロダクションの傘下にあるかたがたのそれがいかに高いか、勉強になった。
そしてもちろん即、断った。
「名前を登録していただくだけ」というのも嘘ではないかもしれないが、いずれ、あらかじめ用意された台本通りに発言しなくてはならなくなる可能性もあるからだ。
▼今ぼくは、関西テレビの報道番組「スーパーニュース・アンカー」(水曜日)では、おのれの信じるとおりに発信している。
しかし、この番組でも当初は、とても苦しんだ。
「青山のニュースDEズバリ」という解説コーナーは、前日の火曜に、「何をテーマにするか」などをめぐって、関テレの担当チームと議論する。
これはやらないわけにいかない。
なぜなら、ラジオと違ってテレビは映像で見せねばならないから、どんなPJ(プロジェクター画像)、フリップ、動画を用意するか事前に決めておかないと、放送できない。
その火曜の議論で、ディレクターのうち、もっとも有能なひとりが、ぼくの話す内容や話の順番、テーマを差配しようとする。
そのわけは、彼なりの熱意もあり、また「高視聴率のコーナーにしたい。そのためには、これがいいんだ」という敏腕ディレクターとしての野心もあったと思う。
ぼくは、タレントじゃないので、猛然とこれを拒絶し続けた。
視聴率も、苦労をともにするスタッフ、つまりこのディレクターをも含めたスタッフたちに報いるためには高い方がいいけれど、ぼく自身とは、関係がない。
高い視聴率で、自分の「出演」を確保するという発想も、必然性も、ぼくには無いからだ。
「このようにやって欲しい」「いや、指示されるいわれはない」というバトルが火曜の夜に、実に4時間を超えて続くことすらあり、しかも、このときは翌日の水曜になってみると、番組の進行表にまったく前夜の議論が反映されていなかった。
そのディレクターの主張に沿った内容が並んでいて、当時の秘書さん(独立総合研究所・総務部の若き秘書室長だった、アメリカ育ちの女性)がついに関テレに憤激したりした。
この、しんどいバトルの果てに、今の「水曜アンカー」がある。
ぼくの本音だけで発信し続けて、それをそのまま、たくさんの国民がみずからの議論のきっかけにしてくださっているおかげだ。
そして、MCのヤマヒロさん(山本浩之アナ)と利恵ちゃん(村西利恵アナ)がやがて、この火曜の議論に参加してくれるようになり、フェアな立場で発言してくれるようになったことも大きかった。
ふたりは、関テレのサラリーマンの局アナだけれど、局の立場と言うより、国民の視点からいつも論じてくれる。
さらに、このおふたりには「芸能界のしきたりに沿って…」という気配が、まるでない。
テレビの世界では、例外中の例外だ。
ただし、仕事のお相手が、まさしく芸能界のひとであったり、芸能プロダクションと契約しているとむしろ自慢なさっている気配のひとであったりすると、しっかりと芸能界独特のルール内で、接しておられるところを、目撃もする。
要は、プロとしてぼくの胸の内をきちんと把握されているということなのだろう。
そして、いつしか前述の敏腕ディレクターも、ぼくの原則を分かってくれるようになり、火曜の議論は落ち着き、時間もぐんと短縮され、今の水曜アンカー継続に至っている。
ちなみに、ヤマヒロさんはこの春、独立された。
芸能プロダクションと契約なさるとばかり思っていたら、「いや、指図されるのが嫌だから、すくなくとも当面は、自分の作ったPHカンパニーという事務所だけを窓口にします」と、おっしゃっている。
あっぱれ。
(ただし、ヤマヒロさんがいつか芸能プロダクションと契約されても、それはそれ、男ヤマヒロの新しい活動の場と理解すると思う)
▼先日、「たかじんnoマネー」(テレビ大阪)という番組に、たかじんさんが病に打ち勝ってみごと、復帰された。
凄い意思の力だと思う。あらためて、たかじんさんにお祝いと、敬意を表したい。
たかじんさんが休みに入られたとき、最初は真鍋かをりちゃんと、番組参加者のうちお笑い界のエースの2人がMCを務めていた。
しかし、番組スタッフによると、後者のお笑い界のエースが「芸能界の大先輩の代役で緊張してか、本領を発揮できないでいます。彼には、むしろ今まで通り、出演者のひとりという立場で良さを充分に発揮して欲しいのです」ということで、「代わって青山さんにMCを務めてほしい」と要請があった。
そのときぼくは、『たかじんさんが闘病しているのだから、何でも協力しよう』とすでに決めていたから「分かりました」とだけ、答えた。
ただ、スタッフには言わずに、その場で、もう一つのことを胸の中で決めていた。
『ぼくはタレント業ではなく、しかも代役だから、なるべくMCらしくないようにしよう。これまで通り、がんがん、他の番組参加者、ジャーナリストであったり経済評論家であったり、そういうひとたちと議論することを中心にして、MCとしては眞鍋かをりちゃんが前面に出るようにして、ぼくは眞鍋かをりちゃんが仮に困ったときに限って、前に出るようにしよう』
これは、ぼくの立ち位置としては、あまりに当たり前のことだし、当時の番組スタッフにはいささか動揺や悩みも感じられたから、あくまでおのれの胸の中だけに置いておいた。
そして、ぼくなりに、ささやかに実行した。
▼それから1年と数か月、当初に決めた通りを続けて、そしてついに、たかじんさんがスリムになって見事、復帰された。
復帰第1回の放送でテレビ局に入ると、放送前に、これぞ芸能界風の勘違いの極めつけ、と言うべき出来事があった。
スタッフも悔いているそうだから、中身は記さない。だけど、いったんは番組参加を中止して、そのまま帰京しようと考えた。
この放送の収録は土曜日で、独研(独立総合研究所)は社員を週末になるべくきちんと休ませるから、取締役の青山千春博士(取締役自然科学部長)が同行していたけど、彼女はぼくの怒りを知ると、もうさっさとコートを着て、風のように去る備えをしていた。ふひ。
ぼくは窓の外を見ていた。窓の外には、大阪のさまざまな世代のひとが歩いている。そう、視聴者にとっては、一切が関係ない。番組の内容だけがすべてだ。
テレビ局で何かあるたび、これを考える。視聴者にいかなる影響も及ぼしてはいけない。
そこで、すべてを腹に収めて、スタジオに入った。
この日の収録は、完パケというやつだった。完全パッケージ。生放送ではないけど、収録したVTRの編集はしない。危ない発言にピーという音を重ねることはあっても編集はない、というタイプの収録だった。
▼復帰初日のたかじんさんは、精力的に番組を仕切り、ぼくはその気力に感嘆しながら、なるべく発言を控えた。
すると、収録も終わりに近づくころ、番組参加者(出演者)の信頼する経済ジャーナリストが「青山さんは今日はあまり喋らないね。どうしたの」とおっしゃる。
ぼくは内心で『え?そんなの決まっているじゃないですか。今日は何よりも、たかじんさんに大活躍してもらう番組でしょう』と思ったが、何も言わなかった。
すると、その経済ジャーナリストと、前述のお笑い界のエースが突然、「青山さん、これはチャンスだと言ってたよね」、「言ってた、言ってた」と発言した。
ぼくは唖然とした。
そんなことは、放送中はもちろん、放送前後の雑談その他でも、一度も言ったことがない。想像もしたことが無いことを口にはできない。
なぜ、こんな嘘を言うのか。
しかも編集のない完パケ収録ということも分かって、言っている。
しかし、おふたりはさらに「ホントは狙ってたんだよね」「そうだ、そうだ」と続ける。
これは、言われた側にとっては、どうしようもない。
当然、「そんなことは言っていない」と声は出すものの、否定すればするほど道化のようになりかねない。
ぼくは思わず、すぐ横にいた経済ジャーナリストの頭を抱え込んで、手刀(しゅとう。空手の技のひとつ)を振り下ろす動作をした。
もちろん、実際には頭に当てなかったが、気持ちは一瞬、本気だった。
なぜ、こんな真っ赤な嘘を言うのだろう。
視聴者の多くは、ジョークと理解するだろうが、ほんとうにぼくが「チャンス」と言っていたと受け取るひとも少なくないだろう。
ぼくは哀しくなった。
1年数か月の、ぼくなりの努力もすこし空しく思えた。
経済ジャーナリストは、先ほど「信頼する」と書いたように、その地に足をつけた取材姿勢を僭越ながら評価し、そこを信頼し、ご本人から「三橋貴明さんと、青山さんと自分の3人でアベノミクスについての鼎談をやりたい」という申し出があったのを快く受けて、実行し、4月の半ばに出版される。
お笑い界のエースも、「エース」と書いたのは、もちろん社交辞令じゃない。ぼくはお世辞は言わない。その勉強ぶり、人間観察ぶりを、素晴らしいと思っている。そして、このひとは、わざわざニッポン放送のトークショーを聞きに来てくれたり、ニッポン放送のスタジオを訪ねてくれたり、ぼくの動画をたくさん視てくれていたり、ぼくのつたない発信に関心を深めてくれているひとだ。
それが、どうして、このたいせつな、たかじんさん復帰第1回の放送で、こんな嘘を言わねばならないのか。
これが一体、気の利いたジョークにでもなるのか? なりませぬ。
そしてテレビ局からタクシーで伊丹空港に向かいながら気がついた。
おふたりとも、芸能界の雰囲気で発した言葉なのだ。
芸能界では、MCが病気か何かで欠けたりすると、その後釜(あとがま)を狙ってチャンスになったりするのだろう。
そのことが、おふたりの頭にある。お笑い界のエースは、当然ながらまさしく芸能界のど真ん中のひとだし、経済ジャーナリストも、テレビ番組に参加しているときは、芸能界のなかにいる感覚なのではないか。
だから、ぼくには、想像もつかない話が飛び出す。
ぼくは、つくづく、げんなりした。
このおふたり、経済ジャーナリストと、お笑い界のエースへの敬意と友情は、今後も変わらない。それが、ぼくなりの、ささやかな生き方でもある。
しかし同時に、こんな世界とは付き合いきれないと思った。
▼さて、この想定外に長くなってしまったエントリーの本題は、実はこのあとなのだ。
こういう精神状態で最近、テレビ東京の「有吉のバカだけどニュースはじめました」という新番組の収録に参加した。
これは、有吉弘行さんをはじめタレントのかたがたに、専門家らが政治経済社会のテーマを解説し、「これで分かった」と実感したタレントが、自分で解説することにチャレンジするという番組だ。
ニュースを分かりやすくするというコンセプトには賛成だから、オファーを受け、そして受けた以上は、キャンセルすべきでないから、かなり沈んだ気持ちながらスタジオに向かった。
この日、ぼくは遠方への出張から羽田に着き、そこからたいへん遠い「砧(きぬた)スタジオ」に、雨中の渋滞のなか揺れに揺れるタクシーで延々と時間をかけて、収録がすこし始まってしまってから、やっと着いた。それもあって、気分はさらに、沈んでいた。
それでも、前述したように視聴者には一切、関係ない、視聴者に影響を及ぼしてはいけないという気持ちだけで、本来の目的、すなわち「伝えるべきを伝える」に集中しようと努めた。
すると、収録も終わり近くになって、思いがけないことが起きた。
タレントのなかでも、いちばんニュースの理解に遠い役割を演じているようにみえたひとが、わたしたちの祖国の再生に繋がるような、素晴らしい解説をしてみせたのだ。
ぼくは感激して、ほとんど無意識に、有吉さんに「…(ほにゃらら)を、していいですか」と問いかけた。
さて、どうしたのでしょう。
それは、できれば番組を視てください。
いま4月2日火曜の夜10時近い。
放送されるのが、今夜の11時58分から、未明0時45分頃まで。(関西では、テレビ大阪)
もうあと2時間ぐらいしかないから、お知らせにも何もなっていない。
もっと早く知らせて欲しかったというかたには、ごめんなさい。
しかし、申し訳ないけど、番宣(番組の宣伝)みたいには、したくなかった。
放送が終わったら、また、何があったか書きます。
ただ、ひょっとしたら、その嬉しかった出来事の場面が編集で消えているかもしれませぬ。