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奈良県宗教人の会

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いま憲法9条を宗教者はー理性が生き残る時代ー高野山真言宗僧侶・泉蔵院住職

 二〇〇一年の夏、シルクロードを旅しました。インドから膨大な苗代の経典を中国に持ち帰り翻訳した玄奘(げんじょう、三蔵法師)の足跡を辿(たど)りました。その終着点、パキスタンのイスラマバードに着いたのが九月九日。今では想像もできないほどのどかで、荷物検査などどこでもありませんでした。

 成田空港に到着したのが十日でした。その翌日、ニューヨークのワールド・トレードセンターをはじめとする大テロ事件が発生し、アフガニスタンとその周辺地域は大戦争に巻き込まれていきました。仏教が東へと漸進し東西文明が交流した人類史の舞台に、爆音が吹き荒れています。

 そのときイスラマバードでパキスタン人ガイドから一体の銅像を譲り受けました。タリバンの攻撃で壊される難を避け、彼の友人がアフガニスタンのカブールから命からがら持ち帰ったものでした。

平和訴える銅像

 ガイドの説明では、青銅の像は二千数百年前のメソポタミアのもので、右手にあるのは麦の穂、左手には鳩です。「一粒の麦」から始まったという文明、そして平和を象徴する姿です。

 文明はもともと戦(いくさ)をするために始まったのではありません。いかに
民を食べさせるかが根本です。戦争や武力はむしろ文明の退潮のあらわれです。銅像、仏像だって戦争期につくられたものではありません。

 戦争がこんな小さな平和の象徴を踏みにじる時代です。もし全知全能の神がいるなら、大量殺人とそのための兵器の生産も販売も許すはずはありません。アメリカがアフガン、イラクを爆撃しイスラエルを助け、そしてテロが繰り返される。暴力の連鎖、テロの恐怖に世界がおびえています。
 
 しかし私は、人間は本来殺しあうような生き物ではないと思っています。「平和」とは、平らにものが口に入ることです。みなが平等に食べられ暮らせれば平和であるはずなのです。

 人間を戦争へと追いやるものは、戦争を必要とするシステムの存在です。アメリカなどで軍産複合体と呼ばれる兵器商売の体系です。人の考えを管理し、民衆にものを考えさせないしくみまでつくりあげるのです。

 およそ百年前に富国強兵を「追求」し、軍部の権力
拡大の中で悲惨な戦争を経て、破滅を導いたことを反省できない日本の政治家。いまはアメリカの属国のような形になっています。そんて、このようなシステムの中で利権をあさる人々も存在します。守屋前防衛事務次皆の事件はその構造の一角を示しました。
                                              目覚め促す役割

 この状況を救うのは人びとの目覚め以外ありません。その日覚めを促すのは宗教の大きな役割です。仏教は、真理を知った者、すなわち仏の教えであり、その本質は感情的なものではなく、理性的で論理的なものです。

 アメリカの戦争政策が破たんを深める中、感情的で暴力的なものから、理性的で論理的なものが生き残る時代になっています。武器
を持たない、使わないという平明な論理を示す九条を守り生かす、立場を超えた共同にかけてゆきたいと思います。


高野山真言宗僧侶・泉蔵院住職
北村公秀さん
 きたむら こうしゆう1946年岡山県生まれ。種智大学卒業。1976年から泉蔵院(神奈川県平塚市)住職。「ひらつか・九条の会」呼びかけ人。

「しんぶん赤旗」1/13付
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by n-syukyojin | 2008-01-17 13:21
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