2009-08-27 農政に見る民主主義の罠
今回の選挙のマニフェストを比較して、自民党と民主党に最も差がないのが農業政策です。両党とも結局は「貧しくて非効率で高齢化が進んでいる、超かわいそうな農家を守り抜く所存でありますっ!」といっている。
他の点に関してはそれなりの対立点もあるのに、なんで農業だけ皆で意見が同じになるのか。これが最初の疑問。
もうひとつ。これだけすべての党が「農家を支援します!」と叫んでいるのに、少なくともマスコミが拾ってくる“農家の声”には全くポジティブなものがない。これも不思議。これだけ“農家向け”の公約が用意されてるのに、なぜ田んぼや畑でインタビューを受けている人は嬉しくなさそうですの?
というわけで、農業経済学がご専門である本間正義東大教授がテレビ番組*1で使っていらした資料を見てみましょう。
<2007年 水田農家の所得等>
作付面積 | 農家戸数 | 経営主の年齢 | 総所得 | 年間農業所得 | 農業経営費 |
---|---|---|---|---|---|
ha | 万戸 | 歳 | 万円 | 万円 | (10a)万円 |
0.5ha未満 | 59.1万戸 | 66.7 | 441.5 | -10.5 | 16.9 |
1未満 | 43.2万 | 65.7 | 477.3 | 3.6 | 13.7 |
2未満 | 24.6 | 64.4 | 446.6 | 45.3 | 11.4 |
3未満 | 6.7 | 62.3 | 467.3 | 137.1 | 10.4 |
5未満 | 3.9 | 61.4 | 474.8 | 191.9 | 9.8 |
7未満 | (-) | 58.3 | 486.5 | 275.8 | 9.2 |
10未満 | 2.1(7ha未満を含む | 58.7 | 613.6 | 324.0 | 8.6 |
15未満 | 0.5 | 55.7 | 729.2 | 530.9 | 8.5 |
20未満 | (-) | 52.6 | 857.8 | 730.9 | 8.2 |
20以上 | 0.2(20ha未満を含む | 53.3 | 1266.4 | 1,101.9 | 7.7 |
合計 | 140.3万戸 |
めっちゃおもしろいデータですよ。*2まず一番左の欄。作付面積ごとに分けて集計してあります。上の2段(0.5haと1ha未満の農家)を合わせると、1ヘクタール未満の農家の戸数は102万戸もあり、全体の農家(140万戸)の73%にものぼることがわかります。圧倒的に小規模な農家が多いのです。(ちなみにカリフォルニアの米農家などは50-100ヘクタール級の作付面積が普通です。)
しかもこの人達は“農家”のように見えて、実は“農家”ではありません。だってこの人達の“年間農業所得”を見てください。10万円の赤字と年間3.6万円の黒字です。(これらは収入ではなく利益に当たる額です。)
一年間農業をやってこれでは農業では当然食べていけませんが、“総収入”の欄の数字を見ればわかるように、農業以外の収入は結構あります。
農業外の収入として考えられるのは、家族の誰かが郵便局、町役場の職員、学校の先生などとして働いている給与か、もしくは一部の田んぼを駐車場やアパートにして貸していたり、スーパーやコンビニ、パチンコ店やロードサイド店に敷地として貸し出していて賃料があるなどだと思われます。
総収入は500万円未満ではありますが、農家って基本は持ち家だし、米、野菜も自家栽培だったりするので、それだけあれば食べるのに支障はないでしょう。
一番右側の生産効率を表す農業経営費というところも見てください。一定面積あたりの田んぼにたいしてどの程度の経費がかかってるかという数字ですが、作付面積の大きい農家に比べて小さな農家は倍以上のコストがかかっています。だから赤字なわけですね。
でもこの数字を見る限り、農業という産業は面積が大きくなれば生産性は倍にあがるということが証明されてます。“ちまちま”してるから高いし赤字なのであって、農地を集約すればコストは半分にできると証明されているんです。つまり、別に外国から安い米を買わなくても、農地を集約すれば日本の米は今の半額にできるはずなんです。
経営主の年齢も見てください。これらの作付面積の小さな農家の経営主年齢は今や70才に近くなっています。でも規模が大きな農家の経営主の年齢は、大企業の社長より若いくらいです。高齢化問題とは農業の話ではなく、“小さな農家”の話なのです。
さて、まとめてみましょう。
平均68才の人が、ごくごく小さな田んぼを持っていて、めっちゃ非効率にお米を作っています。米作りに関しては年間3万円くらい儲かるだけですが、昔田んぼだった一部の土地をパチンコ屋に貸してるんで、その賃料で生活できてます。
この人達は本当に農家なのでしょうか?
“農家”じゃなくて、“田んぼももってる地主さん”とか、“米作りが趣味のおじいさん”と呼ぶべきなんじゃないの??
こういう人達が、上にも書いたように102万戸あるんです。
夫婦でやってるんだろうから、102万戸ってのは有権者数換算で204万人分です。もしもおばあちゃんも生きてて同居してたら、102万戸→306万票となり、別居してる長男夫婦も「いずれは俺たちが相続する農地だし」と思っていて、親と同じ投票行動をとるなら・・・510万票になります。
ここで各県別の総有権者数を見てみましょう。*3たとえば東京都の有権者数は1024万人です。しかし投票率が低いので、前回の衆議院選の投票者数は659万票です。
「極小農家の利害関係者」の票は510万票、彼等の投票率は非常に高いのでここでは85%とおいてみると、票数は433.5万票です。
東京都の全投票者数が659万票。これって、いい勝負だと思います?
もうひとつ落とし穴があります。それは、「一票の価値」です。極小農家があるようなエリアは、東京にくらべて一票の価値が2〜4倍も大きいのです。中をとって3倍とすると、
「極小農家の利害関係者の実質的な票数」=1300万票
「東京都の実質的な票数」=659万票
ありゃま〜
でしょ。東京は全国で圧倒的に有権者数の多い都道府県です。そことくらべても、極小農家の票というのは倍の力をもっているのです。
最初の表で、水田農家の総戸数が140万戸とありました。日本全国の世帯数は4900万戸くらいですから、農家の比率は全体の2.8%にすぎません。極小農家の102万戸で計算すると2%だけです。それが票になると、「極小農家」と「関東圏全部」が同等になってしまうのです。
しかも実際には票だけではなく、農家は農協を通して選挙の手伝いをしてくれたりポスターを貼らせてくれたり講演会のサクラとしてやってきてくれる。大都市の有権者がそんなことします?
ちきりんが政治家だったら、まちがいなく「米価を補助金で支え、現行の770%の関税を維持して一切の輸入を拒み、ついでに戸別所得保障も」もちろんやります。
当然ですよね。
★★★
さて、これらの1ヘクタール以下の水田をお持ちの“自称農家”の方々は、なぜ70才近くにもなって全く儲からない農業をやめないのでしょう?他の収入も十分にあるにも関わらず。なんで?
それは、「子孫に美田を残すため」です。
子孫に美田を残すためには、
(1)相続コストを安くする=農地や、農業に必要な資産の相続税を限りなくゼロに。
(2)維持コストを安くする=農地にかかる固定資産税などの税金を格安に。
(3)オペレーションコストを下げる=減反と輸入規制で供給を減らして米価を維持してもらい、それでも足りない分は補助金で赤字補填をしてもらう。
という具体的な政策が必要になります。
彼らが70才近くになっても全く儲からない重労働の米作りを止めないのは、「農地」という形にしておかないと、相続税も固定資産税も全く優遇されなくなってしまうからです。そうなるとかわいい息子が土地を相続する時に相続税がかかってしまいます。そのための“米作り”なのです。
息子に相続税なしで美田を引き継ぐため、自分が生きている間の維持費を格安に保つために、たとえ形だけでも、年間3万円しか利益がでなくても、米作りはやめてはならないのです。
そして、農業を継がずに近くの街で働いており、既に農家ではまったくないにも関わらず、彼等の息子らまでが「農家の親と同じ投票行動をとる」のもまた当然です。なぜなら、彼等こそがこの美田の相続権利者なのですから。
こうして102万戸の票が1300万票に化けるのです。
★★★
話を戻しましょう。
「農業所得が総収入の大半である」という農家、つまり「実質的に農業で食べている」という人達ももちろんいます。たとえば10ヘクタール以上15ヘクタール未満のところで農業収入の平均が530万円となり、総収入の7割を超えています。
10ヘクタール程度以上の農地をもっている人達が「農業で食べている」人達、つまり本来の意味での“農家”です。そして彼らこそがテレビのインタビューで「農家は困っている!」と憤っている人達なのです。
彼らは農地をもっと買い増して規模を拡大すれば、より効率的に米を作ることができ、儲けられるようになるわけです。
しかも周囲にはほとんど儲ける気もなく「“農地”にしておけば維持&相続コストが安いから子孫に美田が残せる」という理由だけで趣味的に農業をやっている高齢者がたくさんいる。
これらの自称農家の高齢者達は、農地の維持・相続コストが今みたいに超優遇されてなければ、当然、農地を手放します。そうすれば、本当に農業で食べている人達、本当の意味での農家の人達は、これらの農地を買って、より競争力のある農業が展開でき、収入も増やせるのです。
しかし農地は売りにでたりしません。超非効率でもいいから農地として保持しておいて息子に譲るほうが得だからです。将来、息子が家でもたてる時にパチスロ屋の敷地として売ればいいのです。
ちきりんは別に「企業に農地を売れ」とか「農地を宅地や商業地にしろ」と言っているわけではありません。「自称農家の農地を、農業で食べている農家に売りましょう」と言っているだけです。自然破壊も起らないし田園風景も破壊されるわけではありません。食料の安全保障とやらにも全く問題はありません。
ではこれらの「本当の農家」の主張を、政治家は聞いてくれるでしょうか?もう一度、上の表をみてください。7ヘクタール以上の農家の戸数は合計で2.1万戸、20ヘクタール以上に限れば2千戸しかいません。これでは全く政治力にならないです・・・。
しかも彼らは農水省の「減反」政策にも苦しめられています。彼ら“本当の農家”がより多くの米を(安く)作り始めると、米の値段が下がり、1ヘクタール以下の農地をもつ“自称農家”の人達の赤字額がより大きくなってしまいます。今は10万円の赤字ですが、100万円の赤字になるかもしれない。
それは困ります。政府が払う必要のある「補填費用」が大きくなってしまうからです。だから農水省は“本当に農業で食べている農家”に“減反しろ!”というのです。
これで、なぜテレビの前でインタビューを受けている農家の人が「自民党に不満顔」なのか、なぜ「減反政策に怒っているのか」わかりましたよね。
「農家は農水省に支援されている」が、支援されているのは「農業で食べている農家」、ではなく、「農業で食べてはないけど子孫に美田を残したいから農地を維持してる自称農家」なのです。「農業で食べている農家」は今の農政に寧ろ苦しめられているのです。
もう一度計算しておきましょう。
「美田を息子に残すために、相続のその日まで(死ぬまで)趣味的米作りをやっている自称農家の票」=1300万票
[102万戸×5人(利害関係者)×85%(投票率)×3倍(一票の価値)]*4
「農業で食べている本当の農家の票」= 21万票
[2.8万戸×3人(利害関係者)×85%(投票率)×3倍(一票の価値)]
「東京の有権者のうち投票する人の票」=659万票*5
こういう現実をしれば、あなたが政党のマニュフェスト政策担当者であったとしても、所得保障など、まずは極小農家に最も有利な政策を提示し、農業を本当に支えている本格的な農家の人達(=本物の農家)など、眼中にも入れないことでしょう。
民主主義ってこういうことなんです。
*1:番組名は朝日ニュースターのニュースの真相。なおデータの大元は農林水産省の「農業経営統計調査」「農林業センサス」
*2:8月27日付けの日経新聞、経済教室では、同じく農業経済が専門の神門善久明治学院大学教授が、同様の問題について寄稿されています。そこでは、日本の稲作農家200万戸、うち稲作が主な収入源である農家は8万戸となっています。なにか定義が違うデータがあるのでしょう。ただし、趣旨は本エントリと同様で、ちきりんが“自称農家”と呼んでいる農家の一部を、神門教授は“偽装農家”とまで呼ばれています。学者の方の言葉遣いとしてはかなり辛辣でびっくりです。
*3:http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/shugiin44/pdf/h17sousenkyo_050911_04_01.pdf
*4:一般的には“農業票”は900万票から1000万票と言われることが多いです。
*5:http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/data/shugiin44/pdf/h17sousenkyo_050911_04_01.pdf