今日は少しぐだぐだ言ってもいいでしょうか。私だって本当は毎回毎回原発のことばかり書きたいわけじゃない。
専門家も医者も政治家も言ってることが違いすぎて、それぞれが主張を通そうとするばかり。
いままで頑張ってきた人も疲れがでている。
わたしも、この問題に向かい合うようになったのは最近だけれど、少しずつ立ち止まりながらまた歩いていかないとなかなかきつい。
いまは少し立ち止まりたい。
昨日、今日のことをちゃんと消化してまた動けるように。
昨日は埼玉は飯能の自由の森学園にて、肥田舜太郎先生の講演を聞いてきました。
会場の音楽ホールには、中高生や保護者の方、一般来場者でいっぱい。
私は肥田先生の後方、1メートルくらいの近距離でお話を聞いていました。
一部は肥田先生の軍医として広島長崎原爆を体験した話。
割愛して、
第二部は自由の森学園生徒さんと肥田先生のクロストーク。
私より若い高校生や大学生が、肥田先生に素直な言葉を投げかけていた。
大学で原子力を考えるサークルを立ち上げたという女の子。自分が母親になったら、という話題になり、周りでは(原発事故を受けて)自分は将来子どもを産むのは諦めたという子もいるそう。その女の子はやっぱり(自分は)子どもは産みたい、なんとか周りの背中を押すアドバイスはないかと先生に問う。
肥田先生は穏やかな口調で、
「これから生まれてくる子どもは原発のある世界を知らない、縁あって地球に生まれてくる。
親は(障がいの)リスクがあるからと、出産を躊躇したりその縁を切る権利はない。私は広島長崎で被爆をしてきた人にも赤ちゃんは生みなさいと言ってきた。
もちろん産んだからには、その子がどのような状態で生まれてきても親になったら責任も生じる。
でも今迷うことはないんです。産みなさい。」と返された。
あの女の子にとってどんなに心強い言葉だったろう。
でも本当にその通り。生まれてきた子どもが何か個性を抱えていても、みんなみんな縁あって親のもとに生まれてきているんです。
私も同じことを友人と話したこともあるけれど、やっぱり子どもを産むことに不安を持つ若い人はいるんですよね。
同じく、大学生くらいの男の子は、事実を報道してくれないメディアへの憤りを持つも家族や友人大切な人たちを守りたい、自分は頑張って闘っていくと言葉にしていた。
中高生の子たちも真剣に肥田先生の話を聞いていた。
マスクをしている子もたくさんいた。
帰りに購入した本に肥田先生からサインをいただいて、握手もしてもらった。
先生の手は思ったより小さく、あたたかかった。この手でたくさんの患者をみてきたんだ。
帰りの電車の中で自分の手を見つめて、私は何ができるのだろう…と簡単には答えが出ぬであろう問いを自分に投げかけた。
今日は心のもやもやが晴れず、ふとTwitterをみると経産省前のテント村の撤去が迫られていることを知る。
経産省前のアクションにはいままで行ったことはなかったが気になっていた。
でも動かないのは無関心も同じだと、その時急に何とも言われぬ焦燥感に駆り立てられて、準備をして家を出て電車に飛び乗った。
はじめての経産省前。夕方テント村につくとテントの前で話している人が10人ほどいた。
実際にテントで暮らしている人、度々足を運んでいる人、私と同じように退去勧告が気になって来たという日本人、外国人。色々な人がいて、色々な話をした。
そのまま経産省別館入り口での抗議活動をするというからついていく。
20人くらいが集まっていた。
「原発いらない、
再稼働を許すな、
ストレステストはインチキだ、
IAEAは帰れ、
子どもを守れ」
怒りが、響いていた。
さっきまで優しく話をしてくれた人がマイクを持ち声を荒げる姿。時々涙を浮かべているようにも見えた。
わたしは、これまで講演会や勉強会、デモや脱原発世界会議、などで知り合った人たち、また福島からきた子どもたちのことなどを色々思い出した。とってもとっても悲しくなった。
行政は何もしてくれないんですよね、とどれだけの人な切ない微笑みを浮かべたか。
お母さんのその瞳の先に、可愛い子どもの笑顔。
広河隆一氏は、原発を止めるにはお母さん達が涙ながらに声を挙げつづけなくてはいけないと話していた。
でも、絶対そんな社会おかしい。
病気のリスクは少ないと、原発は安全だと、そう伝える社会を今後も続けるのならもし何らかの放射能の影響と考えられる症状が子どもに出たとき、お母さんお父さんそして子どもはそんな社会を信じられなくなるよ。より生き辛くなる。
ウクライナの数値と照らせば関東だって避難区域なんだ。
そして宮城も徐々に数値上がってるよ。本当、村井知事は何をしているの?
先日横浜市で予定されていた松本市長の講演会、暗殺予告が出て中止になったらしい。
某SNSでは市役所からそのFAXが送られていたとか、
でもそんな責任の押し付け合いはどうでもいい。この時代に自分がどんな選択をしていくか大切になっていくのに、多くの人にとってそのきっかけになり得ただろう講演会がひとつなくなっていたことが悲しすぎる。
郡山市の子どもたちが起こしたふくしま集団疎開訴訟も、理不尽な結果に終わり次は仙台高裁に場所を移す。
先日脱原発世界会議でお会いした、南三陸の海を守る会の人たちは東電を公害罪で訴えた。
裁判、裁判、裁判。
かなしいね。
争いは嫌いだ。
裁判が子どもを守る1番の方法であってほしくない。
札幌市は学校給食で1ベクレルでも検出された食材は使わないことを決めたよ。
福島双葉町の町長さんは除染より避難を、と訴えたよ。
いま京都市長選では脱原発市長さんが生まれるかもしれないよ。
なんで地方の勇断は情報に埋れて伝わりにくいんだろうね。
関東にも市民向け放射能測定所が増えてきたよ。
検出限界が低い検査が定期的にできるようになればもう少し安心できるよね。
少しずつ、少しずつ関心を持つひとが増えているおかげだと信じたい。
私だって、脱原発世界会議だ~といって年末年始実家に帰れなかったし、
もし今東北でまた地震があって女川とか福島がまた原発の被害を受けてしまったら…きっと神奈川にいたことを後悔する。
でも、こといのちに関する緊急時の選択はなかなか正解不正解を導き出せないよね。
けどその選択を後々後悔すべきではないと思う。瞬間瞬間への一生懸命さ。
たまに、
いまわたしがやっていることは意味があるのかわからなくなる。
いやな社会だ、と笑いと飛ばしてしまいたくなる。
そして、まだ、わたしは家族に原発に対する考えさえ話せないと思う。
やんなっちゃうよね、自分がちっぽけすぎて。
それでも、
わたしが保育の道を選び、震災があったのは何かの縁があったのだと思いたい。
もし近くに、放射能に不安を持つお母さんがいるなら何かできないかと思ってしまう。
放射能を気にするお母さんは周りのママ共からはずされたり、園からやっかいに扱われる等々聞くけれど、
子どもが大きくなった時に、「あなたのお母さんはあの時、あなたを守ろうと一生懸命頑張っていたんだよ」と伝えてあげたい。
肥田先生は、放射能は人によって影響が出やすい場合とそうでない場合があるとおっしゃっていた。
太陽が登ったら起き、太陽と共に寝る。生活を30年前のものに戻さない限り人間がこれまで培ってきた免疫力を保つことができないと。
家で食べるものについてはだいぶ考えているけど、お酒も気をつけなきゃなぁと。
いや、長々とうだうだすみませんでした。笑*
明日も経産省前にいってきます。みなさんの持ってるプラカードが殺伐したものばかりだから、やわらかい感じのプラカード作っていこうと思っています~◎
ではでは。
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テーマ:脱原発
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