JAL:MD90引退 最後のJAS独自導入機 さようなら青春のDC9
2013年03月30日
日本航空(JAL)の米マクダネル・ダグラス社(現ボーイング)製のジェット旅客機MD90が30日、広島発羽田行きの最終便JAL1614便で引退する。MD90の引退で、JALと統合前の日本エアシステム(JAS)が独自に導入した機体が姿を消すとともに、JALとしても1951年のDC3「金星号」以来、60年以上にわたって日本の空を飛び続けたダグラス機の歴史にも幕が下りる。羽田空港第1ターミナル(東京都大田区)にはMD90の姿をカメラにおさめようと多くの航空ファンが詰めかけた。
◇空を舞った「七人の侍」
「さようなら私の青春」−−JALの元客室乗務員1人はMD90の引退が決まると寂しさを隠せなかったという。「MD90は七人の侍にちなんで、黒澤明監督がデザインした7種類の塗装でデビューしたので、乗務のときはどのデザインの機体に乗るのか楽しみにしていた。さわやかで明るく幸せな気持ちになる飛行機だった」と96年の就航当時を振り返った。
黒澤監督は当時の機内誌のインタビューに「映画監督になる前に画家をめざしていた。飛行機という大きなキャンバスを借りて、たくさんの人々に見てもらえる大きな画(え)を描けることになった」と語っている。13年1月に行われた鶴丸塗装のMD90引退記念ツアーは「黒澤七本締め」で最後を締めくくられた。
MD90のルーツは、東亜国内航空(TDA)時代のJASが73年に導入したDC9−31にまでさかのぼる。垂直尾翼の上に水平尾翼が配置されたT字翼と呼ばれる独特のシルエットは「白鳥のように美しい機体」とパイロットから愛された。2羽の鳥とジェット噴射をイメージしたTDAのシンボルマークを描いたDC9シリーズが、YS11が中心だった地方路線のジェット化の推進力だった。DC9−41、MD81、胴体の短いMD87、MD90と続くDC9シリーズの歴史は約40年に及んだ。MD90は16機が導入された。コックピット上部には、GPS(全地球測位システム)などが普及する前に使われた天体観測用の窓が残り、半世紀近く前に開発されたDC9シリーズの持つ歴史を感じさせた。