2013-03-26 10:30:00

心に響くか、にっぽんのうた③~ヒャダイン

テーマ:音楽
「にっぽんのうた」の現状を考えるシリーズの最終回は、ももクロの楽曲などを手がけ注目される音楽クリエイターのヒャダインさん(1980年生まれ)の登場です。

ヒャダインさんは「にっぽんのうた」の現状を悲観していません。若い人たちの音楽の聴かれ方が変化していることを指摘します。



批判も嘆息も必要ない


僕は運動が苦手で、ゲームばかりしている子どもでした。ゲーム音楽というのは、短いけどキャッチーなメロディーラインが何度も何度もループする。簡単でありながら、血湧き肉躍る音楽。あの感じが、僕の体にすり込まれています。

今の若い人たちは、CD1枚3千円で買って大事に聴く習慣がありません。ネットで拾ってつまんなければ次、という聴き方です。彼らにとって3分間は長い。飽きちゃうんです。テンポを速め、転調を多用して刺激を与えながら引き留める、というスタイルになったわけです。

アイドルグループ「ももいろクローバーZ」(ももクロ)に提供している楽曲もそんな感じで作ってます。歌詞や曲調が変だと批判されますが、気にしてません。ゲーム音楽がベースにある僕の楽曲が、たまたまネット時代の聴き手と親和したというだけのことですから。

ただ、歌詞については考えていることがあります。若い人たちは、メール文化の中で育っています。文字のコミュニケーションは、細かいニュアンスが伝わらないので誤解を招かない分かりやすい表現が多用される。言葉がインスタントなんですね。比喩やニュアンスを含んだ言葉を避けた直接的な表現ばかりで、想像を膨らませる余地が失われていると感じています。

この手の話題になると、西野カナさんの楽曲がしばしば批判の的になります。しかし彼女の歌は若い女性に支持されてます。インスタントな言葉でも、多くの人がリアルな言葉として共感するなら、それでいい。

僕は以前、アイドルポップの歌詞はスカスカで中身がない方が面白いと思っていました。しかし今、アイドル自身の個性をほじくり返して、そのまま歌詞にした曲をいくつか書いています。10代の少女のリアルな青春を描くと歌にグンと魂が入る。それが歌唱力を超えたものを作り出して、聴き手の共感を生むんじゃないでしょうか。

今、CDやネット、ライヴ、カラオケなど音楽の聴かれ方は多様化してます。レコードやCDの売り上げが人気に比例した時代は終わりました。世界的に売れないCDをビジネスとして成立させたAKB48は、見事だと思う。僕だってたくさん売りたい。でもチャートの順位に音楽の本質はありません。ももクロはチャート1位でなくても、武道館や西武ドームを満員にする動員力を持っています。

多くの人が今もCDチャートを人気の指標として使い、アイドルがチャート上位を独占していると嘆きますが、僕には理解できない。様々な場面、ツールを通して聴いてください。日本のエンターテインメントの豊かさを実感するはずです。批判も嘆息も、まったく必要ありません。

(朝日新聞2013.3.23)




ゲーム音楽に子どもの頃から慣れ親しんできた世代。CD1枚を通して聴く習慣を持たず、ネットで自分の気にいった曲だけダウンロードして聴く世代。

ゲームとネットが生まれた時から普通にあった世代のリアルは、旧世代のそれとは違っていて当然です。

旧世代が相変わらずCDのチャート順位だけを指標にして、あれこれ語ることに対してのヒャダインさんの苛立ちは正当なものです。

旧世代には新世代が楽しんでいるエンターテインメントの豊かさが、まったく理解できていません。

その豊かさのほんの1部分に過ぎないAKBがヒットチャートで目立っているものだから、そのわからなさの苛立ちがAKBの批判へと向かう。

自分たちの世代が、いつの間にか時代おくれとなっていることの寂しさもそこにはある。でもそれは仕方のないことです。

若い人たちのリアルと自分たちのリアルとは違います。そのことをいい加減に認めて楽になりましょう。





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