生活保護の受給者を「お荷物」とみるのか、それとも社会の一員と受け止め、手をさしのべていくのか。パチンコや競輪、競馬などに生活保護費や児童扶養手当を常習的に使っている人を[記事全文]
科学に国境はない。どこかの国の研究者が貢献しなくても、人類の集合知としての科学はいっこうに困らない。ただ、そんな国でくらす人々は少々困るかもしれない。高度な知識や技術に[記事全文]
生活保護の受給者を「お荷物」とみるのか、それとも社会の一員と受け止め、手をさしのべていくのか。
パチンコや競輪、競馬などに生活保護費や児童扶養手当を常習的に使っている人を見つけたら、速やかに通報することを市民の「責務」とする――。
兵庫県小野市で、こんな条例が成立した。
「密告制度」「監視社会」。そんな言葉が頭に浮かぶ。
ただ、保護費をギャンブルなどに浪費する人がいるのは確かだ。それを不愉快に思っている市民も少なくないだろう。
事実、各地の福祉窓口には、受給者がパチンコ漬けになっているとか、車や高級バッグを持っているといった「通報」が珍しくないという。
小野市は、そこをあえて条例化するのだから、住民を巻き込んで受給者の支援にもっと真剣に取り組むという宣言かもしれない。
提案した蓬莱(ほうらい)務市長も市のサイトで「監視ではなく、地域の絆を深める見守り社会を目指す」「無関心から関心へと市民の意識改革を促す」と書く。
ところが、条例を読んでも、自立支援をどうするかという肝心な点がはっきりしない。
市民の責務として「市の調査や指導への協力」をうたうものの、具体的には「市への情報提供」、すなわち通報だけだ。
疑問なのは、条例は1日から施行されるのに、福祉の適正な運用や自立支援を検討する新たな協議会の設置が先送りされていることだ。1年以内に設けるというが、順番が逆である。
県の弁護士会や保険医協会が「差別や偏見を助長する」「使途を監視・干渉することは憲法に反する」と反発するのは当然だろう。
市民の意識改革というなら、市は通報者に、受給者の自立や生活を支援する活動への参加を求めてはどうか。受給者は社会から孤立しがちだから、話し相手になるだけでも立派な支援になる。
通報者は自らの名前を明らかにする。匿名だと、単に相手をおとしめるための無責任なものが交じりやすいからだ。
こうした手立てなしでは、受給者がまるで「二等市民」のように扱われる印象が拭えない。
生活保護に対する世の中の目は厳しい。しかし、受給者の多くは、今の状況に陥ったことで自分を責める感情が強い。本当は保護が必要なのに申請しない人も多い。
こうした状況は、通報ではとても解決しない。
科学に国境はない。どこかの国の研究者が貢献しなくても、人類の集合知としての科学はいっこうに困らない。
ただ、そんな国でくらす人々は少々困るかもしれない。高度な知識や技術による製品は輸入するしかなくなり、お代として国の富が流れ出す。
産業との距離が縮み、競争が激しい科学の世界で、日本の地盤沈下を思わせる調査がまとまった。文部科学省の研究所が科学技術論文のデータベースを分析したところ、2000年代に入って日本の大学や研究機関、企業の研究者が名を連ねる論文の数が伸び悩んでいた。
10年間で全世界が48%も増えたのに日本はわずか3%増だ。
中国の360%増や韓国の192%増はおいても、欧米先進国も20〜30%増。日本は国別順位で中国、ドイツ、英国に抜かれ2位から5位に、シェアも9・5%から6・6%に下げた。
他の論文での引用が多い注目論文の数やシェアでも同様だ。
原因の一つは国際共同研究の流れに乗り遅れていることだ。欧州各国は意識的に「多国籍研究」を進めている。米国の共著相手トップに躍り出た中国は、米国留学組が帰国後も共同研究するケースが多い。
もう一つは、学際・分野融合的な部分で次々に生まれているホットな研究領域へのかかわりが弱いことだ。たとえば、数学や工学、生化学、感染症学などの境界ですすむ「ネットワーク科学」への関与は薄い。
大学の学部や学科の壁が強固すぎるのではないか。内向きの姿勢をあらため、世界の潮流を見失わないことが重要だ。
くわえて、経済協力開発機構(OECD)の統計などによると、各国の大学部門の研究開発費は00年代、日本が実質5%増だったのに対し、欧米諸国は30〜60%増、中国は335%増、韓国は134%増。論文数の伸びとうり二つなのだ。
絶対額の水準も、国内総生産(GDP)比でみると、日本は米英独などを下回っている。
日本の場合、ほかの先進国と違い、研究開発費の約半分を家計が負担している。私立大学では、ほとんどが授業料などでまかなわれているためだ。
国や自治体から大学への投資は少ない。奨学金などを含めてもGDPの0・8%で、OECD平均の1・4%を下回り最低水準だ。中国や韓国はむろん、欧米先進国も大学への投資を充実させている。
限られた財政のなかに科学力をどう位置づけるか。長い視野で見るべき課題である。