大河ドラマ「平清盛」

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放送時間 *都合により放送時間が変更になる場合があります。ご了承ください。

日曜日……<総合>午後8時〜<BSプレミアム>午後6時〜 再放送……土曜日<総合>午後1時05分〜
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イントロダクション

今から900年前、貴族政治が混迷を極めた平安末期、
1人の男が現われ、この国の行く先を示した。
平清盛(1118年 - 1181年)
本当の親を知らないまま、
武士の新興勢力・平氏のもとで育てられた少年は、
養父・忠盛とともに海賊退治を行い、
一人前のサムライに鍛えあげられる。

武士が低き階層と差別されていた時代、
人の心をつかむことに長(た)けた清盛は、瀬戸内の海賊を束ね、
やがて武士の頂点に立ち、そして日本の覇者となる。

巨大な港を築き、海外に繰り出す夢を描き、
海に浮かぶ荘厳華麗な厳島神社を造営、
宋(中国)との交易で巨万の富を築く。
争いでもなく、階層にこだわるのでもなく、
交易こそがこの国の豊かになる道だと人々に説いた男。
同様の志をもった、織田信長の遥(はる)か400年前、
坂本龍馬の700年前の話である。


「平家物語」ではアンチヒーローとして描かれていた男に
新たな光をあて、歴史絵巻から解放された、
躍動感とエネルギーにあふれる男として描く。
壮大なスケール、魅力的なキャラクターの数々、
卓越したストーリーテリングで知られる脚本家・藤本有紀が贈る
オリジナル作品、大河ドラマ —平清盛—
まだ誰も知らないサムライ誕生のドラマが、ここに始まる。

* 本作品は大河ドラマ51作目。
平清盛主役は「新・平家物語」(1972年)以来40年ぶり。
清盛が登場した大河ドラマは「源義経」(1966年)、
「草燃える」(1979年)、「義経」(2005年)

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作:藤本有紀

脚本家のことば 放送にあたって
人間という存在の弱さ。たくましさ。愚かさ。おもしろさ。強さ。美しさ。やさしさ。儚さ。かなしさ……。
そのすべてを、激動の平安末期を生きた人々の姿を通して描きたいと思い、この壮大な作品に取りかかりました。
主人公は平清盛。第一話ではその誕生秘話と、現に生けるもののけの如き白河院によって治められている世の構図、そこに生きる人々がそれぞれに抱えている鬱屈や葛藤、野望、そして清盛が立ち向かっていかなければならない過酷な運命が示されています。
この第一話で示唆されたすべてのことがこの先、複雑に絡み合い、うねり、出会いを生み、別れをもたらし、また出会い、やがてひとつの壮大な物語として結実していきます。
そのすべての過程を寸分の隙もなくおもしろく紡いでゆき、描き切るつもりです。
ご覧いただく方々にも、この物語を清盛やそれを取り巻く人々とともに夢中で生きて、楽しんでいただけましたらうれしいです。

<プロフィール>
兵庫県出身。舞台脚本等を経てテレビドラマの脚本を手がけるようになる。NHKでは土曜時代劇「咲くやこの花」、「名探偵赤冨士鷹」などを執筆。連続テレビ小説「ちりとてちん」では物語の構成や登場人物の設定に落語を取り入れ話題となり、多くの視聴者を魅了した。魅力的な人物造形と巧みなストーリーテリングには定評がある。今回が大河ドラマ初執筆。

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音楽:吉松隆

1953年(昭和28年)東京都生まれ。
少年時代は漫画家や科学者に憧れていたが、中学3年の時に突然クラシック音楽に目覚める。一時松村禎三に師事したほかはロックやジャズのグループに参加しながら独学で作曲を学ぶ。いわゆる「現代音楽」の非音楽的な傾向に異を唱え、調性やメロディーを復活させた「新(世紀末)抒情主義」を提唱、5つの交響曲や9つの協奏曲を始めとするオーケストラ作品、「プレイアデス舞曲集」などのピアノ作品の他、ギター作品、邦楽作品、舞台作品など数多くの作品を発表。クラシックというジャンルを越えた幅広いファンの支持を得る。 満を持しての大河ドラマ音楽担当、久しぶりのクラシック界からの待望の作曲家起用である。
(近作) 2009年、映画「ヴィヨンの妻」で日本アカデミー賞音楽賞受賞。
2010年、CD「タルカス~クラシックmeetsロック」発表。

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テーマ音楽指揮:井上道義

1946年東京生まれ。桐朋学園大学にて齋藤秀雄氏に師事。ニュージーランド国立交響楽団首席客演指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団音楽監督、京都市交響楽団音楽監督・常任指揮者を歴任。1999~2000年、マーラーの交響曲全曲演奏会を新日本フィルと行い「日本におけるマーラー演奏の最高水準」と高く評価された。2007年1月よりオーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、ならびに石川県立音楽堂アーティスティック・アドバイザーに就任。ラ・フォル・ジュルネ金沢を含む多くの実験的企画を敢行し続けている。自宅にアヒルを飼っている。

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テーマ曲演奏:舘野泉

1936年東京生まれ。60年東京芸術大学首席卒業。64年よりヘルシンキ在住。68年、メシアンコンクール第2位。演奏会は世界各地で3500回以上、リリースされたCD・LPは130枚にのぼる。人間味溢れ、豊かな叙情性をたたえる演奏は世界中の聴衆から熱い支持を得る。02年脳溢血(脳出血)により右半身不随となるが、04年「左手のピアニスト」として復帰。その左手のために第一線で活躍する内外の作曲家から作品が献呈される。中でも、吉松隆作品は、ピアノ・ソロ、室内楽、協奏曲と、幅広い分野において捧げられており、左手のピアニストとしての音楽活動の大きな支えとなっている。

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題字:金澤翔子

1985年東京生まれ。ダウン症の天才書家として、いま最も注目を集める書家のひとり。
震災被災地をはじめ、全国で精力的に揮毫や個展を開催。今回の創作にあたり、清盛ゆかりの地である京都 ・神戸・広島を訪ね、「平清盛」を自分の中で感じ取りながら、オリジナリティあふれる力強いタイトル書を書きあげた。

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人物デザイン監修:柘植伊佐夫

2010年「龍馬伝」で大河ドラマ初導入の「人物デザイン監修」を担当。出演者全員のヘア、メイク、衣装、小道具にわたるデザインを監修する。今回が2作目の大河ドラマ参加、初めて平安時代の人物デザイン監修に挑戦する。
1990年、第一回日本ヘアデザイナー大賞受賞。1999年「白痴」でヘアメイクを監督したことをきっかけに、「おくりびと」(米国アカデミー賞外国語映画賞受賞)など映画作品のビューティー表現を担当。この頃よりキャラクターデザインとその全制作を統括する職種の必要性を感じ、「人物デザイン監修」を担当するに至る。「TAJOMARU」「ヤッターマン」「十三人の刺客」などが代表作。

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平清盛の主な舞台

清盛は、福原(神戸)に大型港を築き、
瀬戸内航路を開拓。
当時、北九州までしか入港できなかった
中国の大型交易船を畿内まで
航行できるようにし、
交易による経済発展を目指した。

1118年
京に生まれる
1135年
瀬戸内の海賊退治成功
1151年
安芸(広島)の国司となり、瀬戸内の航路を開拓。
1158年
大宰大弐となり、日宋貿易に取り組む
1159年
京で平治の乱に勝利。武士の王になる
1160年
源頼朝、伊豆に流される
1168年
世界遺産・厳島神社を造営
1169年ころ
福原(神戸)港を建設、日宋貿易を本格化
1180年
富士川の戦いて源氏に大敗
1185年
壇ノ浦の戦いに敗れ、平家軍滅亡
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平清盛 略年譜

1118年(元永元年) 1歳 出生。平忠盛に育てられる。
この年、佐藤義清(のりきよ/のちの西行)も生まれる。
1127年(大治2年)   雅仁皇子(のちの後白河)生まれる。
1129年(大治4年) 12歳 従五位下に任ぜられる。
1132年(長承元年) 15歳 父・忠盛が武士として初めて内昇殿を許される。
1135年(保延元年) 18歳 海賊討伐を受けて従四位下を授かる。
1138年(保延4年) 21歳 これ以前、高階基章(たかしなもとあき)の娘と結婚するが死別。
その後、平時子と再婚する。
1140年(保延6年)   佐藤義清、出家。のちに西行と名乗る。
1146年(久安2年) 29歳 安芸守になり、瀬戸内の制海権を得る。
1147年(久安3年) 30歳 祇園社で乱闘事件を起こす。
1153年(仁平3年) 36歳 父・忠盛死去。平家の棟梁を継ぐ。
1155年(久寿2年)   近衛天皇崩御により、後白河天皇即位。
崇徳上皇との対立深まる。
1156年(保元元年) 39歳 保元の乱。
後白河天皇側につき、源為義らを討つ。
勲功賞で播磨守となる。
1159年(平治元年) 42歳 平治の乱。
源義朝と戦い勝利。武士の頂点に立つ。
1160年(永暦元年) 43歳 義朝の子・頼朝、伊豆に流される。
1161年(応保元年) 44歳 二条天皇の親政を支え、中納言に任ぜられる。
妻の妹・滋子が後白河に嫁ぎ、皇子(高倉天皇)を生む。
1165年(永万元年) 48歳 二条天皇の崩御に伴い、後白河上皇の院政始まる。
1167年(仁安2年) 50歳 太政大臣となるが、わずか3か月で辞任。
1168年(仁安3年) 51歳 熱病を患い、生死の境をさまよう。
出家する。
この頃、厳島神社を大規模に造営する。
1169年(仁安4年) 52歳 福原(現・神戸)に別荘を構え、以後ここを住まいとする。
念願の日宋貿易に専念する。
1170年(嘉応2年) 53歳 後白河を福原に迎え、中国・宋の特使と面会する。
1177年(治承元年) 60歳 鹿ヶ谷事件。
平家排除を狙う院近臣を一掃し、後白河との対立深まる。
1179年(治承3年) 62歳 長男・重盛死去。
これに乗じて、後白河が自らの支配を強めると清盛はクーデターを起こして、後白河を幽閉、院政を停止する。
1180年(治承4年) 63歳 以仁王(もちひとおう/後白河の子)の挙兵を未然に鎮圧。
京から福原への遷都を強行する。しかし6か月で還都する。頼朝が挙兵。富士川の戦いで平家軍大敗。
1181年(治承5年) 64歳 熱病に倒れ死去。
1183年(寿永2年)   木曽義仲の攻勢により、平家は都を落ちる。
1185年(元暦2年)   壇ノ浦の戦いで平家軍、滅亡。
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