1年前はまだ脚本もなく、企画の話を聞いていただけでした。それに、乗馬や弓の練習、所作の稽古もまだしていなかったので、自分のなかで「清盛を演じるんだ!」という実感があまりもてず、緊張や不安のほうが大きかったと思います。
その後、乗馬や弓、舞、所作などの稽古をし、脚本も徐々に出来上がってきて、『平清盛』というドラマの世界観にどんどん入ることができました。
また、撮影もスタートして、すばらしいキャストの方々に囲まれて実際にお芝居をさせていただいて、はっきりと今では「自分は清盛なんだ!清盛の役をお芝居で表現できている!」と実感できるようになりました。
クランクインした岩手ではゲリラ豪雨に見舞われ、広島と京都では台風のなか撮影しました。でもそれはぼくのせいではなく、きっと雨男と言われているチーフ演出の柴田さんのせいだと思います(笑)。
「そういう悪天候などの負荷を与えられた状況でお芝居をすると、すごくいい芝居になる」とあるスタッフさんが言っていましたが、確かにそうかもしれませんね。たとえば、いつ強い風が吹いてくるかわからない、自分で状況を把握できない自然の中だと、自分でも予期しないお芝居が出てくることもあると思います。
肉体的なことでいうと、まだないです。ぼくもまだ若いし元気ですから、ここでへこたれているとスタッフさんに笑われてしまうので(笑)。
キャストのみなさんも男性陣が多いので、「行くぞー!」という空気感がいつも撮影現場にはあって、その勢いにも助けられています。
精神的な部分では、清盛の人生ってとても別れが多いので、それは演じていて精神的なつらさがあります。
いつも清盛のことを慕ってくれていた弟が若くして死んだり、武士としてどう生きるべきかを語り合っていた親友が出家していなくなったり、さまざまな別れがあります。そのなかでも、最初の妻の死は清盛にとってとてもつらい別れだったと思います。
平家一門のなかでは血のつながりがなく、誰に甘えていいのか、誰を頼っていいのかわからず育ってきた清盛にとって、自分の家族をつくることはとても大事なことでした。そんな清盛に初めて自分と血のつながった子どもが産まれたときは、涙を流して喜び、産んでくれた妻にとても感謝するんです。でも、やっと自分の家族、家庭ができたと思ったのに、妻が疫病で死んでしまいます。それは、演じていてぼくもつらかったですね。
また、死への恐怖感、愛するものを失う恐怖感を表現することにとても苦労しました。