崇徳に関しては、怨霊説が有名ですが、讃岐には暗殺説もあります。ホームページのインタビューで(井浦)新さんも語っていましたが、
京都の人たちがイメージする崇徳と、讃岐の人たちが思い描く崇徳はまるで違います。
では、この『平清盛』では崇徳をどう表現するのか?人物デザインに取りかかる前にそのことについて磯チーフ・プロデューサーと話をさせていただきました。崇徳を怨霊として描くのと、そうでないのでは人物デザインとしての表現も大きく変わってきます。
この作品では、死んだ崇徳が怨霊になるのではなく、恨みを抱えた生霊として崇徳を描いています。
そして、おこがましい話ではありますが、劇中で崇徳を成仏させたい。
成仏させるということは、死の間際には怨念から解き放たれて、人間らしい崇徳に戻るということです。
怨念が募り、やがて感極まって死に近づいていくけど、その間際にかつて心を通わせた西行たちの念仏がどこからともなく聞こえてきてふと我に返り、救われる。その過程を人物デザインしています。
“崇徳怨霊説”を採用していたら、今回のような表現にはならなかったでしょうね。きっと、もっと荒唐無稽な表現になっていたかもしれません。
讃岐に配流(はいる)されて、地元の人たちと交流しながら平穏な日々を送る。
そのころは、てい髪していますが、普通の崇徳です。
そこから、子ども(重仁)の死を知らされ、写経がビリビリに破られて送り返されて、血の涙を流し、舌をかみ、生霊となる。
それに合わせて髪が伸び、ひげが伸び、爪も伸びる。
その後は時間経過とともに、もっと髪も、ひげも、爪も伸びていきます。
そして死の間際に生霊の形相から、かつての穏やかな崇徳の顔に戻る。
今回は、これらの段階に合わせて人物デザインしています。
生霊の形相では、おでこと目の下に特殊メイクを使っています。これは、デザイン画を描いて、
「能面のようなイメージで、デフォルメはしているけど骨格的にあり得るような感じにしたい」
と特殊メイクチームにオーダーしました。
もちろん能は、時代的には平安よりも後なので時代考証的なものではなく、あくまで崇徳の怨念を心象表現するためのイメージです。
日本人の美的な記憶として、崇徳の恨みを表現するときに何を適応させるのがいいのか?
そう考えたとき、
エネルギーが内へ、内へとこもり、それが外へあふれ出てくる能的な表現がいいと思いました。
これは崇徳のデザインにとりかかる早い段階からそう感じていました。
また、特殊メイクによって怨念を心象表現化するというチャレンジは、大河ドラマ史上おそらく初の試みだったと思います。
衣装的には、そんなに変化はなく、最初、上は紗(しゃ)の袿(うちき)で、中に白の単衣(ひとえ)、下は同じく白の長ばかま。その後、上が縫腋袍(ほうえきほう)という上衣になります。
衣装合わせのとき、新さんに「こういう感じの崇徳の絵がありましたよね」と言うと、「これですね」と携帯電話に入っている画像をすぐに見せてくれる。新さんの崇徳マニアぶりは相当なものです(笑)。
崇徳の人物デザインでは、
中途半端な表現にならないこと、
表現として突き抜けること
を心がけました。極端にデフォルメした状態にしないと、見ている人がただ気持ち悪いだけになってしまう。ある種、演劇的な振り切った表現にしないと、生々しさだけが残ってしまいます。そういう意味では、成功したのではないでしょうか。
また、今回の人物デザインは
「新さんだからこそできた」
部分も大きいですね。
容姿も立ち居振る舞いもとても気品があるので、逆にここまでの強烈な表現をできました。
崇徳役が新さんで本当に良かったです(笑)。
そして、崇徳を超えるほどの人物デザインは、今後なかなか出てこないのではないでしょうか。