心と身体
しがないサラリーマンのボレロ
精神障害者のサラリーマン生活は
入院生活や自宅での生活より過酷ですので
より強い精神力が必要かも知れません。
所謂社会復帰は回復の通過点でしか無く、
クローズドの場合、
健常者さんと同レベルの仕事の成果を期待されます。
だから得意分野での才能を生かした仕事を選択できるように
我慢強く就職活動をしなければ成りません。
私は初回の就職先はオープンで営業を任されて居ましたが、
社内の偏見と差別で虐めに遭い
躁と鬱の波がコントロール出来ずに
ドクターストップで再入院に成りました。
2度目はヘルパーの仕事に着きたいと思い資格を取り
老人福祉マンションにクローズドで勤め出しました。
過酷な労働に低賃金。
夜勤のダブルシフトなんてザラで、精神的に限界でした。
それでも6カ月間耐えて来ましたが、
遂にヒタヒタと躁の波が静かに高まって来ました。
サイレンとな躁転でした。
ある夜勤の当直の晩、先輩社員から因縁を付けられて
駐車場で殴りかかられました。
喧嘩慣れしている私は脇固めで腕を圧し折るほど捻じ曲げ
アスファルトに叩きつけました。
この事を上司に報告して引き継ぎをして帰宅したのですが、
職場放棄との判断でクビに成りました。
躁を隠す術を身に付けて居ましたので家族も気付かず
あくる晩、家出をして地元で就職活動を始めたのです。
その間の躁転による奇行が重なって
家族には大変な心配を掛けました。
妻の玲子は鬱病を発症し、一家離散の危機を迎えて居ました。
そして長崎に一度帰って家族会議を開いたのです。
子供達は私を受け入れてくれませんでした。
唯一鬱病に成ってしまった玲子だけが
このままだと此の人は
自殺してしまうと言って受け入れてくれました。
だから私は玲子を幸せにする義務が有ったのです。
子供達の信頼も取り戻さないといけなかったのです。
そして運よく今の会社に採用されたのです。
かつて経営と営業を長年して居ましたので
企画営業と言う職種は
私の潜在能力を引き出してくれました。
家族会議の娘との約束、
「私が結婚するまで自立して頂だい。」と
息子の「最低な人間。」は如何にかクリアした様です。
この様に精神障害者の社会復帰とは困難を極めるものです。
少しずつ出来る仕事から
成らして行った方が良いのかも知れません。
規則正しい生活と、健常者さんとの懐深い交流で
返って何もしないよりも回復が早まる事も考えられます。
何よりも自分が働いた成果でお給料が頂ける事で
健全な精神が養われやすいのです。
焦る必要は有りません。
要は志の問題も大きいのでは無いでしょうか。。。
風 蘭
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