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2009/08/31

すべてが終り、すべてがはじまる

8月30日(日)つかの間の「黄金時間」。目覚まし時計をかけずに睡眠。ところが体内時計が早朝に動き出す。久々に札幌「ランバン」のアイス珈琲を飲み、新聞をゆったりと読む。午後から投票に出かけ、表参道のジムへ。体重が3キロ減っていた。泳ぎながら電車で読んでいた長田弘さんの詩を想い出す。「表現じゃない。/ことばは認識なんだ。/誰でもない人の/無言のことばを/どこにもいない人が、/じっと聴いていた。」(『世界はうつくしいと』、みすず書房)。この1年間、板橋のあちこちで毎日聴いてきた多くのひとたちの「ことば」は、現状変革を求める「認識」だった。もより駅にある書店に立ち寄って帰宅。モーツァルトのピアノ協奏曲「ロマンス」を聴く。参議院選挙に落選してから2年間。すべてが終り、すべてがはじまる。そろそろヒゲを剃って事務所に向おう。


 目標を達成することができませんでした。すべて候補者の責任です。投票所に足を運んで板橋から日本を変える希望を「有田芳生」に託してくださったみなさんに申し訳ない気持ちでいっぱいです。この1年間支えてくださった民主党、社民党、東京生活者ネット、連合板橋、市民運動、民団青年会、北海道、静岡、京都からも駆けつけてくださったボランティアスタッフ、事務所のみなさん、そして家族にも心の底からお礼を申し上げます。これからのことはじっくり判断するつもりです。このブログもしばらくは不定期になるかもしれません。まずは生活再建を優先します。

コメント

お疲れさまでした。

とても、残念です。

しばらくは、体調回復っ♪

それからまた【とことん現場主義!】で、頑張ってください。
そして、明るい希望を持てる4年後を目指しましょうっ!!

どうか、11区から離れないでください!
私も、板橋区民でいますから(^^)

お疲れ様でした。私は、兵庫県ですので直接投票はできませんので、政党は、新党日本とかきました。今回こそ当選して頂きたいと思ってたので大変残念でした。ゆっくり静養されて次回是非また立ちあがってください。応援しています。

お疲れ様でした。しばらくは体調回復をはかってください。
奥様、息子さん、お嬢さんもお疲れ様でした。
小生、体調不振で、選挙戦中はなにもできなかったことをお詫びします。
それでも良い経験をさせていただきました。
一度ボランテイア達が集まった呑み会でも開きたいですね。

お疲れ様でした。
板橋は保守ではなかったのに、
残念でなりません。ビラもわたくしの家は
とても目に付く場所なので有田さんのを
2枚崖にはりました。崖の上の家なので三階の高さでした手もふりました。声もかけました。家族全員で有田さんを支持したのに残念でしかたありません。
自民候補は廻ってはきませんでした。
3500あまりで逆転できたのに。
自民手ごわしでした。
 お体を大切になさってくださいませ。

大変お疲れ様でした。
板橋区の成増に住んでおります。 選挙権のある我が家の全員が貴方に投票しました。
残念でした。
本当のことを言うと、選挙公報以上のことを知りません。以前TVに出ていらしたときの事を少し記憶しているくらいです。
でも応援していました。
息子いわく、もう少し成増近辺にも回数多くいらしていただきたかったとのこと。 

実は家人がある選挙に立候補して、落選したことがあります。
人生のなかで、本人にとっても私にとっても大きな出来事でした。

ゆっくり休養されて、どんな形にせよご意志を形にして地球上の一人でも多くの人がその尊厳を冒されることのない世界になるように、そのために日本が良き国になるために、再び立ち上がって下さることを祈念しております。

接戦は予想通りでしたが、結果が出た瞬間、とても混乱しました。

「世のため人のため」に奮闘されてきたのですから、全く理不尽としか言いようがありません。

時間が経って、口惜しさが込み上げてきました。

今後も、必要なときには駆け付けます。
よろしくお願いします。

千代田区在住ですので、比例で「新党日本」と書きました。
台風が接近しなければ、逆に2000票差で当選していたでしょう。
有田さんを必要とする国民がいます。来年度の参議院選挙に向けてゆきましょう。

『残念!』としかいえない。有田さんのような政治家らしからぬ政治家の誕生を期待していたわたしとしては。

とても残念でした。
僕の、『6・4緊急(鈴木恒夫)フォーラム』の仲間はブログや掲示板等で”新党日本””有田芳生”を「最後は、民主党だけでなく”連立友党”を勝たせよう!!」と応援してくれましたが、皆んな残念がっています。
せいぜい、田中代表の”冬柴・撃沈!”のみ快哉でした。

それにしても、相手側のポスターや玄関への「汚物」攻撃は品位を疑う凄まじいものでしたが、選挙戦最終盤での、”有田ネガティブ・キャンペーン”「参院で復活当選済み、衆院選を有田氏取止め」の撹乱情報は、票差からして効果があった、卑劣な仕掛け(「新党日本」潰しの謀略)だったと思っています。<ただ、それを事前に防げなかったのは残念でした。>

民主党板橋が必ずしも一枚岩でなかったことも事前に知っていましたが、「東京12区」での民主党都・区議員団の結束と小沢事務所のバックアップは”よもやの公明・太田代表の落選”をもぎ取った<選挙戦の何たるか>を考えさせてくれ、今後の教訓にして、来年の”政権交代の仕上げ”たる「参院選」に再度、挑戦してほしいと思います。

世界も、明治維新後初の”庶民革命”ともいえる「民主党連立政権」の行く末・期待を持って見守ってると思います。
どんなことがあれ、この”友愛”精神をもった政権を「新党日本」は支える側に立ち、瓦解させるあらゆる策謀、策動と闘ってほしい、そうである限り、僕も連帯して来年の参院選までネット仲間とともに応援致します。
<細川政権時の、旧社会の自民復活への裏切りは僕は今でも許しません。>

先ずは、お疲れ様でした

ちょっと相手が手ごわ過ぎましたネ
やはり「博文ゼミ」という、その地域での繋がり、しかも「子供を通して」を持っているヒトは強い
たぶん、他の選挙区だったら、有田さんは確実に勝てた!と思います

たぶん、今の「民主党」では、持たされた役割に対して、人材が不足していると思います
「代議士」で動くのと、それで無い場合とは、制約などが違ってくると思いますが、
田中代表と共に、サポートしてあげて下さい

日本を変えて行くために! ツ(^o^)シ

板橋在住の者で、週刊誌記者をしております。新聞記者出身の国会議員は多かれど、週刊誌畑の、それもフリーランスの方が国政の場に挑戦するとなれば、当然応援させていただきました。結果は悔やまれるものとなりましたが、何はともあれお疲れさまでした。
私事を少々。駆け出し記者の頃、地下鉄サリン事件が発生し、上九一色村に“兵隊”として送り込まれました。その際に、「有田芳生はなぜあんなに情報を持っているのか」と、先輩記者と話したのを思い出します。「ジャーナリストは仮の姿で、実は公安関係者だ」というのが、その時の結論でした(笑)。その取材力と分析力に、ただただ巨人を仰ぐがごとく、畏れ入った次第です。
田中代表はもちろん有田さんの取材・分析・表現力を厚く信頼していることでしょうが、民主党もぜひ今後の政権運営に有田さんの力を活用してもらいたいものです。新政権下での記者クラブ制度の存廃についても議論が始まっているようです。情報の開示、議決過程の透明化、ジャーナリズムとの距離感など、有田さんに首を突っ込んでほしい課題はたくさんあります。
これに懲りずに(なんて軽く言うのもどうかと思いますが)、これからも政治の世界にコミットし続けて下さい。週刊誌畑の後輩より、心からのエールを送らせていただきます。長々、失礼いたしました。

お疲れ様でした。いまはただ、ゆっくり休んでください。

あれだけの、得票数をとっていたにもかかわらず、悔しくてなりません。

有田さんは凄すぎます。

万感の想いがこみあげてきて
涙さえも出て参りません。

いつでも、どんなときにも、また行きます。

有田さんファミリーの一員として、ずっとずっと一緒にいさせてください。

わたしが歩んできた人生の中で、初めて出会いました。こんなに素晴らしい師匠。

有田さん
お疲れさまでした。
面識はありませんが、有田さんを応援していた一人です。惜敗、実に実に残念です。

過酷な選挙戦でしたでしょうから、今はゆっくり休んでください。

しかし、ゆっくり休んで、そしてまた立ってほしいと思います。政治は本当にタイミング、そして、有田さんのタイミングの時が、絶対に来ると思うからです。

有田さんの、決意が、気持が、満ちてきたときには、また、必ずお手伝いに参ります。

全力で。

有田 様

残念  この一言です。

早朝の上板橋駅で、何度も見かけ、最初は 「あっ、テレビの・・」 と思いました。
その後、何度か地元でご本人の姿を見かけておりました。
他の候補者のかたは(共産党の方以外)ご本人を見かけたことがありません。
今日、東京小選挙区の当選者が大勢出ているTV番組で11区の当選者が「勝てる自信があった」と堂々と言っているのをみて、くやしい思いを感じました。

上板橋に居を移してから、駅南口の広い空き地が気になり、ネットで情報を探していたときに、有田さんのHPに行き着き、一生懸命さが感じられました。
板橋の生活者の声の代弁者としても有田さんのことに注目しています。

地元密着のHPこれからの見ますので、たまにはUPしてくださいね。

北海道の支持者の方の言われるように、選挙は思っている以上に資金がいるものかもしれませんが、やっぱり私は有田さんにがんばってほしい。

2月に職を失いました。お給料が半年間払われなくて、解雇を受け入れたのです。それでも貯蓄をくずしながら国保と年金、住民税を毎月払い、子供の学費をなんとかしなければと、四苦八苦の生活です。今まで、仕事はあって当たり前であり、正社員でない人は努力が足りないと思っていました。でも、44歳の私は今では、書類選考であっさり落とされます。
辛いな、と思います。
自分が失業者になって初めて、職がないことの辛さを知りました。働きたくても働けない現状は本当にあるんだと、身をもって感じています。

人は、実際にその立場に立たなければわからないんだと思います。
根っこのことを分かってくれる政治家が増えればいいと思います。
そして、驕らないで会社員のようにしっかり働いてくれる政治家が日本には必要だと思います。

長々とすみません。
なんだか悔しくて、参議院議員になれるチャンスをけってまでがんばった有田さんをこれからも私は支持します。

なんだか、黙っていられなくてメールしてしまいました。すみません。

 有田さん、お疲れさまでした。ともにたたかったスタッフや協力者のみなさん、めげないでいきましょう。
 われわれはやることをやりました。やるところまでやりました。無風選挙区と言われた板橋自民党をあそこまで追いつめました。それは板橋区の政治風土に特筆される出来事でしょう。きっとこの後は誰かがそれを受け継いで花を咲かせてくれるでしょう。有田さんが立たなければ私たちには、有田さんにつながる今夏の出来事も貴重な経験もなかったということです。それこそ一人ひとりの富です。ありがとうございました。
 敗北は敗北ですが、それはすでに終わったことです。敗北の現在はもう過去の事です。それに固着していていいことは何もありません。内田樹さんが言うところの、現在に「居着かない」武道の技の極意が必要です。この現在を過去として追いやり、明日からの未来を想起し、その描いた未来からリールがするすると釣り糸をまくように、現在の自分が更新されていく(『東京ファイティングキッズ』63ページ)。
 コイズミ浮かれ選挙から4年。熱い政治の季節にとりあえずの決着が着きました。しかし、こんなに過剰に政治的エネルギーが求められたという事自体、ふつうではありません。もうすこし落ち着いて見まもれる日本の政治になってほしいです。

有田芳生副代表様
今まで日本共産党に投票していましたが2007年の参議院議員選挙時は比例代表で新党日本に投票致しました。
今回の衆議院議員選挙でも新党日本の前進を期待し比例代表で新党日本に投票致しました。有田副代表の僅差での結果と比例代表の新党日本の全得票数の参議院選挙時とのあまりの差にショックを受けました。今はお疲れさまでしたとしか掛ける言葉が見あたりません。 来年夏に参議院議員選挙があるようですがまた新党日本に投票したいです。 (携帯電話からの投稿のため文章体裁が見苦しくなってしまい申し訳ありません。)

お疲れ様でした。
投票させて頂いた者からすると本当に悔しいです。
大変嫌な言い方ですが自民、共産以外の方達の票が有田さんに入っていたらと悔しさでいっぱいです。
ほんの何千票、されど何千票。
なんか板橋区民が恥ずかしく思えます。
それでもまだ自民候補に入れるのか!!と・・・。

選挙ご苦労様でした。
派手にマスコミに露出することなしに
選挙運動をされるのは有田さんらしいと思いました。
今回は残念でしたがまたいつかチャンスはあると思います。

正直今回はまだ時期尚早のような気がし
ていたので次回のチャレンジが出来る
時まで爪を研いでおいて下さい。
今回の選挙運動は決して無駄にならないと思います。

お疲れ様でした。
わたしは共産支持ですが
今回は小選挙区は
有田さんに投票しました。
このブログなどでそのお人柄に
深く触れておりましたので
安心して投票できました。
ありがとうございました。

次の選挙に出るにしても
出ないにしても
それはご自身で決められれば
よろしいと思います。
政界に行かなくても
有田さんのできるお仕事は
たくさんありますから
ご活躍を期待しております。

お疲れさまでした。
遠く鹿児島から、TVを見ていて、信じられない気持ちでいっぱいでした。
何のお手伝いも出来ずすみません。

おめでとうございます。
有田さんの闘志が実ったと思います。
これからも頑張ってください。
応援してます。

お疲れさまでした。NHKのサイトで対立候補に当確が出たときはがっくりしました。政権交代の実現は結構ですが、東京11区の結果で「画竜点睛を欠く」という感じです。これは有田さんのせいというよりは、11区の有権者の意識や新党日本をめぐる客観情勢のせいですから仕方ありません。ゆっくり休んでから、このブログで次の考え方について教えてください。また、田中さんから得られる国会情報なども知らせていただければと思います。

広島からです。
かつて、あなたの著作を購入した、同世代のものです。

仕事と介護に明け暮れております。

広島では、例えば、衆院選3度目の挑戦で、与党大物を倒し、当選(民主党)された方も。雨の日も、風の日も、炎天下の夏も、ひとり街頭に立ち、自転車をこぎ続けておられたと、友人から聞きました。最初は、ほとんど誰からも見向きもされなかったと。その候補者は、最初の立候補から当選されるまでに30歳代から40歳代に。

山の向こう、道はあなたの前にまだ続いています。必ず。


 直接有田さんのお名前を書くことはできない地区に住んでおりますが、比例区では一票を投じさせていただきました。

 毎日のきめ細かで血の通った活動のブログをずっと拝見するにつけ、今回こそはと勝利を確信していただけに、ただただ残念で仕方なく、気落ちしております。しかもこんなに僅差で…。

 直接有田さんの演説を聞かせていただく機会は残念ながらございませんでしたが、政見放送で「とことん現場主義!」とご活動の様子のVTRも拝見し、有田さんのような方こそ今の政治に必要だと強く思ってきた者です。

 今回の結果はつらすぎますが、3度目の正直という言葉もございます。どうかどうか、次の機会にまた挑戦してくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

有田さん、選挙戦お疲れ様でした。

支援者の方が、わざわざ車まで、来てくださり、握手をしてくださったこと、「頑張って」「日本を変えましょう」「期待してます」「有田さんに入れたから」などのお声を数え切れないくらい、頂いたこと。
そして、くまき都議や区議の皆様が、まるでご自分の選挙のように熱心に応援してくださったこと。
スタッフの皆様の当選にかける熱意。
同じ内容でも、毎回、熱意と心がこもった有田さんの力強い演説を拝聴できたこと。
これ以上に素晴らしい選挙戦は2度と経験できないと確信しております。
改めてそのメンバーとして活動させていただいたことに感謝申し上げます。

相手候補の「組織票」に、負けてしまいましたが、有田さんの票は、気持ちがこもったとても重く、そして、暖かいものだったと思います。数の何十倍、何百倍もの価値があると思います。

北海道の小野さんも書かれていらっしゃいますが、有田さんのように、何があっても芯がぶれない強く、真摯な姿勢の政治家こそが日本には絶対に必要だと思っております。

是非、板橋で活動を続けて頂き、4年後の選挙にも立っていただきたいと心から思います。

有田さんにしかできないことが沢山ありますから。

倉上 麻希

まさに死力を尽くした戦いだったかと思います。
本当におつかれさまでした。

有田副代表
とにかくお疲れ様です。
これだけ僅差だと、短期間の北海道からのボランティアとはいえ、こちらが責任を感じてしまいます。
有田副代表のようなタイプ(失礼ですが、派手なタイプではない)、そして真摯な政治家が必要と今も思っております。
今は休息が必要と存じますが、そして資金面等の問題も出てくると存じますが、次の国政にチャレンジして、と無責任に発言してしまいます。
街宣車にのって、板橋区民のみなさんのありがたいエール、忘れることはできません。
後援会の皆様、御家族の皆様、ありがとうございました。
長瀬区議をはじめ民主党のみなさまありがとうございました。
私は確信しますよ、良心は結果をいつか必ず呼ぶと。
夢はあきらめたときが終わりでございます。

北海道から 小野

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