森活!森林活用コンサルタント大成浩市(おおなりこういち)です。森の癒しツアー、田舎暮らしサポート、森林・林業について講演・執筆をしています。
メッセージ
はじめまして!
森林活用コンサルタントの大成浩市(おおなりこういち)です。
僕は森と出会い、森と格闘して少し大人になれたと思います。
辛いとき悲しいとき、森はなにもいわないけれど答えを教えてくれました。
今、日本の森林は人に見捨てられ、汚されています。
そして人も、年間の自殺者が3万人を超え続けていることからもわかるように、瀕死の状態にあります。
僕の願いは、森と街が幸せな結婚をすることです。そして、人が輝き、日本の森林を誇りにできるようになってもらいたいのです。
さあ、森に行ってみましょう!
大成浩市(おおなりこういち)経歴
1969年、東大安田講堂陥落の年に生まれる。小学生の頃から旅行好き。小学校低学年から、夏休みに国鉄の周遊券を買ってもらって、全国を旅した。寝るのは、駅の待合室か、夜行列車の中。青函連絡船の待合室に一週間住んでいたこともある。
小学校高学年で太宰治にはまる。当然、生家のある津軽まで行った。高校のときは演劇部に入っていたが、もっぱらバイク(yamahaRZ250RR)をいじっていた。
学生のときは京都の山々を歩いた
何故か勉強はできたので、京都大学農学部に現役合格。農学部を志願した理由は、入れそうだったからで、森林に対する思い入れはまったくなかった。大学在学中は、家庭教師のアルバイトなどをして、お金を貯めてはせっせと海外旅行に行った。一番、影響を受けたのはネパール。アンナプルナの山々を何日もかけて歩いた。
カトマンズの街角で
森林組合の職員として測量しているところ
また、村おこしの試みとして、利賀村青年山村協力隊を提案。実現して、今でも数十人の若者が都会から村に移住するようになった。村にやってきた若者とバンド結成!イベントで披露
休みの日は山菜を採りに行ったり・・・
村でライブをしてました。
林業に携わることによって、その抱える根深い問題に関心を持つ。林業に関わらず、日本社会の問題なのだと思うが。
それを研究したいと思い、京都大学大学院農学研究科に入学。正しくは入院か・・・。研究成果としては、ヤンマーの学生懸賞論文で最優秀賞をとったり、学会発表、専門誌(山林、森林組合:雑誌の名前です(^^;)へ寄稿。
また、インターネットにも興味を持っていて1996年12月には、最初の自分のホームページ(Kon's Net-Forest)を作った。日本で最初の林業ホームページだった。ちなみに、Yahoo!JAPANができたのが1996年2月。今となっては、隔世の感がある。
そんな経験もあり、全国森林組合連合会主催のホームページ「N.W.森林いきいき(http://www.nw-mori.or.jp)」の掲示板案内役として、森林に携わる人々の情報交換につとめた。また、林業に就業したいという人に講演するなど、もっぱら林業を盛り上げる実践をしていた。
また、研究しつつも、何故かアフリカンポップス(リンガラ)のバンド「京都ランガランガ」のリードギタリストとして、日本中をツアーする。たのしい思いでだ。
食えない学生生活だったので 、アルバイトで某ディベロッパーに入ってた。提案力などが社長の眼にとまり、アルバイトながら企画開発部長になった。部下も多いときで10人近くいた。大規模商業施設建設の計画を任され、アメリカのショッピングモールなどを見て回ったり、計画作成に追われていた。
マラリアから回復!直後
大学院5年目に京都大学に助手として就職。しかし、調査でラオスに行きマラリアという重い感染症ににかかる。熱帯熱マラリアという悪性のマラリアで、一週間で10kgもダイエットした。死にかけた。
奇跡的に病気は治ったものの、その後も体調不良で仕事がなかなか手につかず鬱々とした日々を送り、退職せざるをえなくなる。おかげで、国家公務員だったのにリストラされるという希有な経験を得た。
現在は、クリエイティブ・アシスタント株式会社というインターネットサービスの会社を経営しながら、森林活用コンサルタントとして、またヒーラーとしても活動している。
夢は、日本を森林大国にすること。森と人を元気にしていくこと。