2012年09月30日 22時30分14秒 posted by uruseiblog

生命の科学 復習と応用編 VOL1後半

テーマ:ブログ

生命の科学 復習と応用編 VOL1後半



623 :John:2012/09/29(土) 22:37:25.91 ID:PaOrzeT/
>>619
物理法則を知る人間がいる前からも、
人類が滅んで物理法則を知る人がいなくなっても、
物理法則は存在します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

物理法則の全ては創造主が作り上げた法則の派生です。


私達が因と現象の接点として認識できている多くの諸法則が
数式で置き換えることが出来るような規則性を持っているからこそ


物理法則なるものが数式で示されては
そこに信憑性を感じる事にもなっているです。


しかし物理法則も実際は仮定に過ぎず、
近年多くの物理法則の誤りが指摘されていることも
有識者であればご存知かと思います。


創造主の見えない法則は、
私達が地球社会に現れる、遥か以前から存在し、
これからもこの宇宙のある限り存在し続けるはずです。


すべての現象を突き詰めてその原因を繰り返し求めて行った時に、


既存の知識では説明できない「なぜ?」という疑問をもつ事になるはずで、


そこにこそ偉大なる意志の存在を認識することになるはずです。


物理諸法則で表現できるような実態は
偶然出来上がったものではないと言うこと。


つまりそこには何かの意志が関わっているのだということです。


なぜに惑星は球体をしているのか?


それが惑星の原始が核として存在していた事に起因するとすれば、
今度はその核はどのようにして出来上がったのか?


と言う疑問が起きます。


なぜにその核はそこで惑星をかたどったのか?


その核に熱エネルギーを与えたものは一体どんな作用だったのか?


それ以前に宇宙空間の全てを作り上げている諸元素は
一体どのようにして出来上がったのか??


ビックバンと科学者はいいますが、
ではそのビックバンがおきたと言うことは
そこには爆発を可能にする法則が存在していたことにもなります。


爆発する事の出来る元素が存在していた事になります。


ではそれに点火をしたのは一体どんな力だったのか?


このように突き詰めれば
絶対に人知の理解の範疇を超えたものが存在するのです。


それは私達が三次元での認識器官としての心ばかりを使用していては
何時までたっても説明することは出来ない物です。


物理法則が存在しているのなら
その物理法則を作り上げたものは一体何なのか??


何もないところに、意志がないところに、
いきなり物理法則が生まれたと考える事に無理があります。


法則があるのであれば、その法則を秩序付けた意志が
そこには存在しているはずなのです。


その大いなる意識を私達は創造主として認識することになります。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11255542454.html
科学と言う名のもう一つの宗教


私達は三次元と四次元を同時に生きている。。


その事を理解できなければ
イエスキリストの教えもパウロの手紙の意味も、


そして私達が従うべき創造主の法も
認識することは出来ないはずです。


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648 :シモン・エピノイア ◆/bVPRrlaFM :2012/09/29(土) 23:23:56.57 ID:
   >>600
 3世紀頃の新プラトン主義者ポルフュリオスが
『キリスト者駁論』の中で責め、未だ誰もまともな反論が出来ていない
のがまさしくそれですよ。
神は最後の審判で自分の被造物を善悪に分け、最終的には善の支配する
完全な神の王国を築こうとしている。しかし、彼に言わせれば、
神ならば最初から完全なる王国を築くことができるはず。
 神がわざわざ不完全を創りながら、不完全を排そうとする意味は何か
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一番の間違えは、創造主は最後の審判など
初めから予定はしていないと言うことです。


イエスキリストの話の中で
地球規模での混乱と崩壊の話がありましたが
その部分だけが大きく取り上げられて


天国と地獄と言う私達への飴と鞭の概念とともに注目され


私達の理解を大きく妨害していると思います。


そして元々は”聖書外伝”といわれていた”黙示録”の奇妙な予言が
福音よりも興味を持って見つめられている事も
弊害のひとつだと思います。


私達は常に個々の肉体が崩壊するたびに
創造主の法よる審判を受けています。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11324048053.html
続・宇宙の法則 VOL2 輪廻と転生の法則


私が取り上げていたように本当の意味での最後の審判は
個々の人間の魂に対して、その肉体の崩壊と共に与えられる
転生の法則をさしていると思います。


そしてその時に私達は次の生の運命を
前世のカルマと照らして
与えられることになるはずです。


それは罰として与えられるのではなくて
学びが足りない分を経験として学ばせるための機会でもあるはずです。


創造主の目的は悪い事をした人間を罰する事ではなくて
皆を自分の法へと目覚めさせ、

その意に沿った生き方をさせる事だからです。


それが私が繰り返して説明している学習の機会となるのか、
魂の進化の機会となるのかは
その時の私達の意識しだいだと思います。


イエスの言っていた天国は
地球よりも魂の進化している人間達の社会への
記憶を持っての転生です。


一方私が頻繁に使用する不毛のローテーションは
同じこの社会の中での記憶を失っての転生でした。

(大量に死者が出れば転生は地球内では
補う事も出来ませんし、遠くの地球レベルの惑星での転生。


その時の生が最後の転生となる魂も
存在しているはずです。)


天国も地獄も霊的な場所としては存在しておらず
実際には私達の魂は途切れることなく
転生を続けていると言うのが生命の科学での知識です。
(魂が消えることもあるのは説明してきたとおりです)


そしてそれが私達が一番理解すべき
宇宙の法則の一部でもありました。


それが一度に多くの人間に対して適応されることになるのが

例えば文明の崩壊がもたらされるような大惨事になった場合であり


イエスキリストは、2000年前当時の人たちが
そのままの意識で生き続けていると


私達の文明が再び崩壊する可能性があることを指摘し
それについての警告をも発していたと受け止めるべきです。


最後の審判と言うイベントが待っていると
言っていた訳ではないはずです。


その時には確かに地球規模での最後の審判(転生の法則)
が適応される事になります。


個々の人間であれ、文明であれ
創造主の意識からかけ離れた存在は
その世界から排除されると言うのが創造主の見えない法則の側面でした。


つまり私達の社会がどんどんと創造主の意識からかけ離れると
創造主の見えない法に抵触し


地球規模での浄化作用が働くようなものだと
理解すればよいと思います。


それが負の想念の蔓延による物なのか
地球規模の周波数低下などに伴う異変のためなのかは判りません。


創造主が作り上げようとしているのは
最終的には完全なる調和を齎す社会であり
同時に期待しているのは創造物である私達の進化です。


創造主は万能なのですから
当初から私達に自由意志など与えなければ


創造主の分身は当初の予定通りの世界を
無駄なく作り上げることになります。


最初から結論が判っている状態でそれを作り上げると言うことは


機械的な無機的な工程を
ただ異常がないかだけを意識しながら
見守る製造過程と同じです。


創造主は最終的な状態をも予測できるのですし
後はそれを確認するだけとなります。


もしも創造主の目的が
完成したものを見たいと言う意志であれば


不完全な存在としての人間など作り上げずに
最初から自分の分身として完全なる存在を作り上げて
その存在が創造する社会を見つめることもできました。


でもそれでは自分が一から十まで直接手をだして
その意のままに世界を作り上げる行為にほかなりません。


自分の予想した事がそのまま実現するのを
確認する作業をするだけのようなものです。


出来上がった社会には調和があっても
創造主の分身は創造主の分身としての存在であり
新たな知性が生まれるわけでもないのです。


それよりも自分の創造物が当初の目的を達成するような
そんな世界を作り上げることの方が
より創造的ではないでしょうか。


私達に潜在的な能力を与えながら
一方では心と自由意志というものを与えたのは


私達が単なる創造主の分身としてのロボットと化さないため。


私達一人一人が進化の後に、
自分と言う意識を持った
創造主とは別の主体として存在させるために、


尚且つ創造主に限りなく近い存在として成長し
それ自体が神の究極の創造物となるように、


創造主はこの世界の仕組みをその高い思考の元で
作り上げたのだと思います。


単に宇宙空間というプラモデルを、
より美しく完成しようとしたのではなくて


それに携わっていた存在達が自分と同様の存在へと
進化する事をこそ創造主は求めていた。。。


創造主は単なる自分の分身では無い、
究極の創造物を作り上げている最中なのかもしれません。

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656 :シモン・エピノイア ◆/bVPRrlaFM :2012/09/29(土) 23:38:05.29 ID:
 >>650
 時空連続体?
 無意味な概念で現象に盲目になっているだけでしょうそれは(笑)
もっといえば、神はなぜ地獄を創ったのか。
神に離反したものを永遠に焼き滅ぼす苦痛の火。
神が最初から完全な神の国を築けるのであれば、
 地獄の存在は神の悪趣味以外でまったくもって理解不可能だ。


660 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 23:41:22.65 ID:
>>659
地獄は悪魔的存在が作ったのでは?
通常の神への道とは逆方向で基のコースに戻れない存在が行くとこだと思う。
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地獄など当初から存在してはいません。


それは人々を管理するために規則を守らせるための動機として与えられた
概念であると言うことは説明しました。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003292677.html
天国と地獄
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11003294416.html
天国と地獄 後編


悪いことをすれば地獄に行って永遠に苦しむと言われれば、
それを動機に行動を改善する人間が出てくるであろう事は
私達なら理解できるはずです。


「良い子にしていないとナマハゲがくるぞ」


「悪い子は鬼に食われるぞ」


つまりはそういうことです。


それを後生大事に述べ伝え
自分達の心の価値観で作り上げた想像をも合わせて


地獄を存在するものとして認識しているのが
私達の社会だと言うことです。


創造主の法則の下では地獄は必要ありません。


「創造主の意識からかけ離れた存在は
存在し続けることができない。」


そんな法則が存在しているからです。


創造物の魂を特別な場所に閉じ込める必要はないのです。


神の国は特別な場所に存在するのではない。


これがアダムスキーの話でもありました。


神が作り上げようとしたのが天国ならば、
それは創造主の意志の内側に存在している宇宙空間全てです。


その中で独自の進化を果たしながら成長していくのが私達で、
その全てに当初の予定のために必要なものが全て整えられている。


それを利用してその空間を天国にするも地獄にするも
私達次第だという話は昨日も取り上げました。


この社会を地獄にするも天国にするも私達次第で
心に囚われ目先の心地よさを求めているがゆえに
私達は自分達の社会を地獄にしているのです。

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658 :Sara:2012/09/29(土) 23:40:24.19 ID
>>656
神を人間の視点で理解しようとしても無理です。
人間の思考に収まるなら、それは神ではありません。

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まさにこの方の言うとおりで、


特定学問を究める事で得られる知識をもって理解できる事象を、
初等教育だけその学問を学んだだけでは
理解できないのと同じことです。


私達は創造主の法どころかその存在をも理解してはいません。


創造主の思考を人間の視点で理解しようとすることに
無理があるのだと思います。


私達が100%脳機能を稼動できるようになったその時には
もしかしたら創造主の意志を明確に理解できるのかもしれませんし
その姿も感じることになるのかもしれません。


しかし私達は創造主に対しての理解は幼稚園児程度の
知識しかないのだと思います。


自分の知識や知恵の範囲で何事をも理解しようとするから
他人をも正確に理解できないのが私達人間です。


まして器の小さな人間ほど、
他人をその思考の範囲で理解できると思い込んでいて


その狭い思考の範囲で認識するから、誤った理解しか出来ない。


自分が器が小さいことを認識できれば、
私達は自分達が何事も理解しきれてはいないという事を
認識できることになりますし


創造主のような理解の範囲を超えた存在をも、
認めることが出来るようになると思います。


知識も知恵も思考も足りない自分を
美化しては高く評価しているからこそ、
自分を万能で優秀だと勘違いしているからこそ、


自分が認識出来ることだけが全てであると
勘違いすることにもなるのです。


その事に気がつかないうちは
私達は何事も真の理解は出来ないのだとおもいます。

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669 :Sara:2012/09/29(土) 23:45:18.24 ID


グノ氏へ質問なのですが

霊的なものというのは、どこから来ているとお考えなのでしょうか?


675 :シモン・エピノイア ◆/bVPRrlaFM :2012/09/29(土) 23:51:23.24 ID
  >>669
  
「霊的なもの」って何です?
解釈を要する概念で共通認識に
至ることはできないと思いますが
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

霊的なものは四次元、そして想念に起源をおいていると言うのが
私達、生命の科学の理解者の認識です。


”霊的”なものという表現は
幽霊や霊界と言う話につながってくるので
”精神的”と置き換えておきます。


私達が精神的なものを認識してはそれを理解できないのは
精神的といわれる領域が、四次元と言う
私達が魂とテレパシーを使用して把握できる思考の世界であるためで、


それを三次元社会で肉体と言われる機能を司る
四つの感覚機関で認識しようとしているから。


”感覚”はそれを認識できる器官を
持ってしてでなければ認識できない。


私がいつも繰り返している話です。


そして”共通認識”というのは、先日取り上げたように
多くの人間が感覚器官を通じて同時に認識できる事が
その大前提となります。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11356040716.html
神を認識する魂と言う器官


精神的なものは”魂”と言う器官を使用しなければ
認識できないのですし、
私達のほとんどはそれを使用することも出来ません。


私達の社会では、精神領域や想念に関して共通認識を持つことは
難しいのです。


つまり実態として存在していても
それを多数の人間が認識する事で実証性があるとされるために


魂を使用できない私達は、視覚という誰もが使用できる
感覚器官での共通認識をもってそれを正しいと認識しているだけです。


私達が正しいとか存在すると認識できるのは
視覚を通して認識できる物ばかりになっているのは当たり前です。

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676 :神も仏も名無しさん:2012/09/29(土) 23:52:21.45 ID:
>>671
キリスト教は一元論だから仰る通り。


悪魔的存在は真っ当なコースにいた神的存在の離反から生じ、
離反から広義の意味での世界が二元論的に生成され、
その両輪で、広義の意味での世界が前進する。


私が知っている限りではそう理解をしています。
もちろん、キリスト教の意味でなく、悪魔的存在も最後はすべからく救われます


685 :神も仏も名無しさん:2012/09/30(日) 00:01:41.13 ID:
>>680

一元論、二元論は空間的か時間的かの違い。
人は時間の中で生きているので時間的に物事を捉える。
神は全てだから始まりと終わりを全て包み込んでいる。
その意味で神は善だけど、私達の視点から物事を語るとそこには矛盾が必ず出てくる。
なぜなら、言葉で捉えられない世界を強引に言語化してるから。
だから、結局は実際に体験するしかない。

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キリスト教が一元的かどうかは判りませんが
それが前提だとすればイエスの真意を理解できないのも頷けます。


私達は二元的に自分達の存在を認識しなければなりませんし

この宇宙の構造が既に二元的なのだと思います。


一つ目には従来の質的な二元論である
精神の領域と物質の領域と言う側面が現実に存在します。


私達が三次元と認識している世界と四次元と認識している世界です。


私もブログで繰り返し取り上げているように
私達は肉体を持って三次元社会を
精神=魂をもって四次元社会を生きている存在です。


見えるものに囚われて、閃きや印象という感覚を
認識できなくなっている私達は


それが魂からくる感覚であることが認識できなくなっていて
そのために三次元領域だけを意識しては生きている。


しかし現実には四次元領域が存在していて
時にはそれを無自覚に感じては


それを三次元の感覚器官で最認識しようとしては失敗し
再認識不能な出来事をオカルトや神秘現象とし続けています。


もう一つは三次元社会の中での二元論です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/day-20120529.html
日々進化する同志へ


太極図が闇と光の象徴する世界を
あらわしていると言いますが、


三次元での創造は、全てが対極にある存在の交わりによって
なされるのだとアダムスキーは触れていました。


光と闇、陰と陽、正と負、男と女、

そんな対極にある存在が創造を司っている。


電気にしても正極と負の極が交わることで生じるように、
子供が男と女によって作られるように


異なった二つの物の交わりの中にこそ
創造があると言うことです。


つまりこの三次元社会も二元的なものを
その根底に置いている事になります。


物理法則としての数学は1+1=2が真とされても


生命の領域では1+1=3ということにもなるのだと
アダムスキーが説明してくれていました。


異なったものが交わるところに
その両方の性質を持った別の物が生じると言うのがその説明で

子供の誕生はそれを一番容易に説明している事になります。


更に生命の科学では、精神領域と言われる
創造主の思考の領域である4次元を父なる存在の示す範囲としていて


一方、宇宙空間という、生命を生み出している世界を
母なる領域と認識する事にもなっています。


一人の創造主が二人の役目を果たしている??


私も良くわかりませんが
創造主は男性面と女性面を併せ持った存在として
天使達の世界では描かれていました。


それは女性的側面と男性的側面を兼ね備えた存在としてです。


もしかしたらそれぞれが三次元的側面と
四次元的側面を司っている意識なのかも知れませんし


創造主の存在自体が三次元で表現できるものではあり得ませんので
私達は長い進化の過程の中でその答えを見つけていけば良いのだと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私達は今二極化の流れの渦中に存在していると思います。


それは心に囚われエゴに流される生き方を選択するのか
それとも魂の存在を認識し父の元に帰るかの選択です。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11092572275.html
真訳聖書 VOL7


創造主の意志が齎した物なのか
地球の法則の信者の暴走のためなのかは判りませんが


私達の環境はそれを選択する事を
半ば強制される事態になっているのだと思います。


私達は生まれた時から地球の法則に従い
それを正しいと信じてこの人生を送ってきました。


その中で心に染み付いてしまったエゴや慣習は
そう簡単には消し去る事は出来ません。


その上に自由意志を持ちながらもその選択肢の中に
正しい指針が示されていないのですから


魂に目覚める事を選択し
創造主の意志に従う事は困難となります。


せっかく真理に触れる事があったとしても
今度は私達の心が楽をしたがり、


心地悪い価値観を拒否し
真理を受け止める事を妨害もするでしょう。


そんな環境の中でどんどんと創造主の意識からかけ離れる人間と
そんな人間達の生き方を見ていて疑問を感じる事の出来る人間とに
私達は別れていくことになると思います。


その大半はいうまでもなく、
広くて歩きやすい道から広い門へと進んでいくのです。


ただ、私達は、生命の科学、宇宙の法則
中にはイエスの奥義から真理の欠片へとたどり着いた人間です。


創造主の分身である魂のささやきに導かれた、
もしくは気がついた存在なのです。


今回の機会を逃すと魂を消す時まで
地球の法則に囚われる事になるかもしれない。。。


時にはそんな意識で自分を奮い立たせてでも
創造主の意識の分身である魂にしがみついて生きて行って欲しいです。


原因と結果の法則が、
私達の苦労や努力にきっと報いてくれると信じてです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11331426927.html
続・宇宙の法則 VOL9 ”因”なるもの


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11248386708.html
生命の科学の基礎講座 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11249461717.html
生命の科学基礎講座 VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11249462098.html
生命の科学基礎講座 VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11260739002.html
真の進化
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11259205375.html
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