2012年10月02日 22時30分36秒 posted by uruseiblog

生命の科学 復習・応用編 VOL3 カルマは解消できる?

テーマ:ブログ


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昼間の記事も読んでください。


今日の地震に関して少し触れてみました。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11369343853.html
HAARP再起動?

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攻撃の出力も強まっています。


トイレに駆け込んでは用を足しても
パソコンの前に戻ってくると次の薬品が膨らみだす。


すさまじい環境ですね。


昼間のHAARP関係の記事のこともあるのか
ユダヤメーソン系の工作員達がなにやら
気合が入っているようで(焦っている?)


掲示板では工作員自らの”過去の主張と異なった新ネタ”で
私を誹謗中傷始めました。


フリーメーソン?親米、HAARP利権関係?の
工作員の苦し紛れの新ネタを紹介しようと思ったのですが
反論するのも馬鹿馬鹿しいのでやめておきます。


この人間が、HAARPの関与と思われる地震発生時、


もしくはHAARPの動きが活発化したときに
私への誹謗中傷を強めるのは
そちらに視線を向けるための挑発かもしれませんが


その時期には毎回被害がひどくなるので
取り上げています。


皆さんご存知のように私が創価学会や朝鮮半島を批判していたのは事実です。


今でも加害行為を受けるとコメントすることもあります。


自分への嫌がらせや攻撃を認識していたのですから
自衛手段だとも認識していました。


ただ、それでは争いが争いを生むと考え、
それを抑えるようにしたら、今度はそれを煽る人間が現れた。


それが掲示板で活躍中の嘘つき工作員です。


おそらくはどこかの組織にもぐりこんでいる
フリーメーソンか隠れユダヤ教信者でしょう。


消えてしまったFC2時代の記事を引用しては嘘をつくことで
今度は自分の嘘がばれないと判断したようです。


おまけに自称被害者を自作自演もしくは
仲間と一緒になって演じては
私の被害者であることを隠蔽しようともしているように見えます。


FC2時代の記事も実は多数残っています。


予備サイトのこちらのGOO記事リンクの中や
http://blog.goo.ne.jp/morobosiataru04131222


予備サイトのヤプログには
FC2時代の記事を拾えたものを公開してあります
http://yaplog.jp/uruseiblog/2


工作員に煽られている新規の協力者達は
私に関してのその嘘話の真偽の証拠をその中から色々探すよりも


こちらの記事で首謀者工作員の人間性を把握したほうが
余計な時間を使わないですむと思います。


私の今の記事に興味ない方は
こちらの方が面白いと思いますよ。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11161645709.html
工作員への右ストレート前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11161647845.html
工作員への右ストレート後編
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-268.html
工作員語録 VOL1
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-270.html
工作員語録 VOL2
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-271.html
工作員語録 VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11185678410.html
工作員語録 VOL4 その1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11185706235.html
工作員語録 VOL4 その2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11208890562.html
工作員語録 VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245931302.html
工作員語録 VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245997888.html
工作員語録 VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11285549451.html
工作員語録 VOL8
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-300.html
工作員語録 VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11303496550.html
工作員語録VOL10
http://uruseiblog2.blog85.fc2.com/blog-entry-302.html
工作員語録VOL11
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11316534116.html
工作員語録VOL12
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11243472463.html
集団ストーカー工作員に負けるな
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11245823564.html
工作員の下ネタ工作
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11294912338.html
更に工作員記事二つ更新


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11305190372.html
国内のフリーメーソン八咫鳥情報
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11315680256.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL10
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11314793994.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL9
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11313903208.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL8
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11313108061.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL7
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11312265515.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL6
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11310597616.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL5
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11305786106.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL4
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11304132385.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL3 前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11304134054.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL3 後編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11303470370.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301681073.html
国内のフリーメーソンの実態?VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11301356551.html
サンヘドリンとフリーメーソン

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今日は私事が多い内容ですが
却って読みやすいかと思います。


296 :神も仏も名無しさん:2012/10/02(火) 16:09:44.73 ID:XVw0DBmi
>>285
大人なら、宗教戦争の歴史や中東の現状を直視して、宗教の弊害も考えなさい。

イエスを信じる者同士が、イエスを賛美し合うのは、
「議論」でなはく「オナニー」です。


科学者は、キリスト教徒であっても、
科学をやるときは、キリスト教は 捨てています。


科学は、徹頭徹尾、現実に対応するものであり、
現実から離脱 し切ったキリスト教など念頭にあったら、
現実の客観的観察は不可能になり、 そもそも科学は成立しなません。
科学は、神からの離脱の過程において成立した ものです。

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科学を神と分離したからこそ、三次元と四次元を分離したからこそ
私達は三次元の器官で四次元を認識できずに混乱している。


三次元も四次元も、つまりは私達が現実社会と呼んでいるものも
精神社会と呼んでいるものも
全てまとめて説明しているのが生命の科学。


そしてこれを使用して因なる見えないものまで把握しては
効果的な進化を果たしているのが天使達(スペースブラザーズ)だと
アダムスキーがこの社会に紹介してくれた事が、


私達を創造主の法へと誘導してくれるきっかけとなったわけです。


科学は”キリスト教”とは分離出来ても、
”創造主の法”とは分離できないことを認識できない限り

その発展にも限界が出てくることでしょう。


1960年代に、太陽系の兄弟達の科学力を学び利用しておいて
それを自分達の手柄だとしている人間達はどこまでも姑息です。

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まだ殆どの方が平和な世界の幻想の中に生きているようです。


地震や気象変動も彼らにとっては自然現象なのでしょうし
この社会の裏の実態をも把握してはいないのですから


認識しているのは視覚と聴覚と嗅覚と味覚から
与えられた情報なのでしょう。


日々暮らすことで精一杯にさせられて
余計な事を考えないように強制されているようなものでもありますし


中には頭が会社の仕事のことと
TVからの情報だけと言う人もいるのだと思います。


過酷な社会の中で、それは仕方ないことなのですが
誰かがこの社会の実態を知らせてあげて欲しいです。

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自分達の収集した情報である
社会の実態の一部だけを元に価値観を作り上げ、


思想や信仰という世界を信じて、
価値観の違いにこだわりその違いを批判しあっていても
この世は何も良くなりはしません。


まして自分の述べ伝えたいことがあるのなら
それを掲げて広報する事のほうが有意義だと思いますし
単なる分割を齎す論争は不毛だと思います。


創造主を感じている方であれば
今はいろんな意味での危機感を
この社会の中にこそ見つけることが出来るはずです。


私の感じている危機感は
「創造主を否定し人間を神聖化することにより、
人が創造主に取って代わること。」


そしてそれを今も画策中の人間達が存在していることです。


そんな人間達にとっては妄信的な思想は
一般市民を宗教から遠ざけるための打って付けの材料でしかないと思います。


妄信的な釈迦の信者がいれば
それは仏教を批判するために利用されますし


妄信的なクリスチャンがいれば
キリスト教を否定するために利用されます。


物質重視で三次元社会こそがすべてと誘導されつつあるこの社会の中で
論理的に説明できないことを受け入れて
それを信仰していることを認めることは、


創造主の存在を信じることは愚かだと誘導する風潮にさえ
繋がりかねないと思います。


折角、魂の囁きを感じているのが
宗教の信者なのですから、


地球の法則を完成させようとしている人間達の
印象操作には乗らないでほしい。


そして宗教同士の確執も
出来るものなら避けたほうが良いと思います。


今の私のように”理解する努力をして
それを表現するのは誤りではないはずです。


それはより真理に近いものへの誘導を意識しているからです。


私達は目くじら立てて教祖を美化したり
元々が強い存在である創造主を
無理やり擁護する必要はありません。


誰もが真理に近いと納得できるような指針を
提示し続ければ良いのだと思います。


勿論そのためにはまずは自分が深く理解しなければ
他人を説得する事も理解させることも叶わないと思います。


地球の法則(ユダヤ傀儡)は、相手を自分と同じステージに上がらせることで
そこで論理攻めでこちらを言い負かしてくるでしょう。


私達が認識しようとしている四次元に端を発する創造主の意識は、
三次元のみを司っている四つの器官では決して認識できません。


と言うことは多数の一般市民の目には
論争すればするほど宗教信者がオカルト信者に見えると言う
危険性もあることを指摘しておきたいです。


今、宗教に関わっている人達は
新たな信者を勧誘すること以前に


自分の信仰、創造主の理解を深めることと
真理を感じる事に勤めた方が良いのではないでしょうか。


私達がすべきは誤った価値観でこの社会が覆われることを
避けることであり、それ以前に自分の創造主への信仰
(創造主の意識を強く感じること)を強めること


そして少しでも自分の魂を進化へと誘導していくことです。


この社会の中での今後の流れを見れば、左脳にとらわれた人間が
宗教や創造主に価値を見出さなくなるであろうことが想像つくからです。


(携帯を使用しては脳機能を壊している可能性も指摘しておきます)


私達が左脳に囚われるようになれば、
もしくは思考能力を落とすこととなれば、


因の世界を知覚することは一段と困難になります。


共通認識が私達この社会の人間にとっての
”真理”の大前提となっている以上


共通認識が出来ない、
もしくは殆どの人間が感じることの出来ない事象は
”真理”として受け止めてもらうことは難しいのです。


それが判っているからこそ、
私は目で認識できないものでも、一番の根底から説明することで、


思考能力がある方には(例え今は左脳主義の人間であっても)
理解を促せるような記事を書くことを心がけています。


自分の思い込みをそのまま相手にぶつけるのではなくて、
どうすれば理解を求めることが出来るか。


福音、広報をする人間にとって大切な事ではないでしょうか。


私は自分なりに苦労しています。


他人を納得させることは容易ではないのです。


ただ、一方では誰もを納得させる事は出来ないと
開き直ることも大切かもしれません。


心のエゴがある限り、
不快な思いをしたくないと言う意識がある限り


私達は自分の価値観と照らして心を不快にするものは
なかなか認めようとはしないからです。


その不快な思いを受け止めてくれる人間こそが
私達の主張を理解してくれるのだと思います。

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今日は後半で私事に触れます。


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カルマ


業(ごう)とは、仏教の基本的概念である梵(karman) を意訳したもの。
サンスクリットの動詞の「クリ」の現在分詞である「カルマット」(karmat)
より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。


業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、
輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。


アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、
心の流れ(心相続)に付随するものとされた。
中国、日本の思想にも影響を与える。
「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。

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クリスチャンは聞きなれないかもしれませんが
仏教徒であれば誰もが耳にする”カルマ”なるものの存在。


これは、そのまま私が触れている
創造主の法の中の”転生の法則”へと関わってくる内容でもあります。


”原因と結果の法則”にもつながる話です。


私達が為した行為は何らかの形で結果、現象をもたらします。


そしてその行為をしたと言う事実は、
カルマという形で私達の真自我に残されていて


それが私達の生に、今度は見えない影響を与えると言うのが
仏教でも取り上げられている”カルマ”の内容だと思いますが、


これはそっくりそのまま
私達の学んでいる”生命の科学”につながっても来ます。


転生の法則に関して、私はそれを因果応報というよりは
創造主が私達を覚醒へと導くためのきっかけとしているのだと説明しました。


カルマと言えば、悪いカルマを想定し
そのことが私達のこの人生、もしくは次の人生において
報いを齎すと言った思想が存在しています。


しかし元々創造主は
私達に罰を与えようと言う意識を持っていないのですから

そこで私達に与えられるその宿命は罰ではありません。


それは私達が”学ぶための機会”に他ならないと思います。


自分が何かの業を為した時、
それは自分の意志の選択の結果です。


そしてその選択を齎したのは私達の知識や理解です。


もしも私達が十分な理解や知識を持っていれば
その状態で行うことになる業は、その結果万物に悪影響を
齎すようなものにはなりません。


私達が悪いカルマというものを生んだとすれば
それは私達の知恵や知識が足りなかった、


もしくは私達の精神が未熟だったために
正しくない行為を選択し実行したと言う話につながるはずです。


「その理解の足りなさを、その生、もしくは次の生において
自らの体験の中で学習させてあげますね。」


と言うのが創造主の意志だということです。


それを司っている”転生の法則”は
まさにそれに従った反応を示してくれることになると思います。


創造主の求めるものは、
結果的に私達を自分のような存在にすること。


悪い表現をすれば、自分の価値観を共有できる
存在へと誘導することです。


そのために、”私達が自由意志を持って
時には誤った選択をしては創造主の意識からかけ離れていくことを
その法則は防止する役目を果たしている”


と言えばわかりやすいかと思います。


以前にはこんな話を例として取り上げました。


お金と権力を持っていて、それをかさに着せては横暴を繰り返し、
権力弱者と貧乏人をいたぶっている人間がいたとしたら、


その人間がその行動をとるに至った原因としての
知識と知恵の足りない点は、


まず”貧乏人や弱者の気持ちを理解できていない”と言うこと。


更には”お金なる物や権力なるものに価値観を見出している”ことです。


その人間は創造主の求めている人間の姿からは
かけ離れていることになります。


もちろん其のままでは記憶を持っての転生など望めません。


そしてその人間に次の転生があるとすれば
(魂の消滅に至らない場合)


人間に対して改善を求める創造主の意識は、
その人間を覚醒(人として進むべき道を歩むためのスタート地点)
へと誘導することですから


そのために理解を求めようとします。


そのために必要な物は、知識もしくは経験ということになります。


その経験を積むための機会を
私達は転生の法則で与えられることになるはずです。


金持ちだったその人間は
次の生では貧乏な人間に生まれ変わり

貧しい人の気持ちを理解する機会を与えられる事になるかもしれません。


権力と言うもののおかしさを理解させるために、
次の生ではいくら頑張っても彼には権力は与えられないで
無力の人間の立場をいやと言うほど味わうことになるかもしれません。


その結果、彼はそこで学ぶのです。


これはカルマの法則と言われるものと
何も違いはないと思います。


ただ、受け止め方が”罰”ではなくて、

それは私達が創造主の求めているような人間へと
変わっていくために理解しなければならない課題なのです。


その課題を無事達成すれば、
私達はそれ相応の魂の進化を果たすことになるのだと思います。


そして一定の課題を消化した水準に達した人間は
覚醒を感じることになる。


つまりは”父の元へと帰る”事になるのだと思います。


アダムスキーも触れていましたが、
創造主が求めているものは私達の進化であり
私達が限りなく神に近づくことだと言う話でした。
(引用しようとしたのですがその箇所が見つからないのでまた後日)


私達、地球社会の人間はそんなことを認識できてはいませんし
それ以前に創造主の存在も創造主の法も理解できません。


しかし間違いなく天使達はそれを意識して
限りなく創造主に似ることを目的として


日々研究と勉強と経験から多くを学んでは魂の進化を続けているのです。


私達はまずはそのことに自覚しなければ、不毛のローテーション
今後は魂の崩壊へのローテーションへと、
この社会を導き続けることになってしまいます。


この社会で価値があるとされていることが
すべて創造主の意志と逆となれば、


この世に馴染むことは、記憶を失っての転生の繰り返す、
もしくは魂の消滅を齎すことになります。

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なぜにそんな話を取り上げたのかと言えば
私がカルマについて理解を深めた様な印象を感じたからです。


そのカルマなるものに関して、自分が受け止めるものと
他人に与えるものが同時に存在しているらしい事を、
先日自覚する機会がありました。


私は単に夢を見ただけなのですが、
その中で私は30年も前に体験した事に関して、


自分が心の中に無自覚の傷と
そして罪を同時に持っている事に自覚しました。


それは勿論、事件とか犯罪とかそんな大事ではなくて
自分の心が傷ついたとか他人を傷つけたと言う話ですが


それが自分にとってカルマとして残っているらしい事に
その時の夢の中で自覚したのです。


高校時代に中々普通の人が出来ないような体験をしたことがあります。


アニメや、漫画の中の主人公などが、下駄箱をあけた途端に、
中から女性からのラブレターがどっさり落ちてくる。。。


などと言う羨ましいエピソードを綴っているのを見ますが


私は下駄箱を空けた途端に、
そこに大量の不幸の手紙?ともいえる物を
目にする羽目になったことがあります。


それはある女性達からの悪口と批判と揶揄で続かれた
7~8通の手紙でした。


手紙の中では当時長髪だった私に髪の毛を切れと言うものや、
私の風貌を罵った物、その他悪口やからかいなどが混ざっていて
それを受け取った私は流石に落ち込みました。


ただ、実はそんな事態になったのには私にも原因がありました。


私が一番暗い人生を送った事を実感しているのは
実は高校時代です。


中学時代の知り合い達が希望の高校へと進学した中で
私は自分の希望通りの進学がかなわなかったこと、


更には中学時代の卒業式に出席したければ
髪の毛を切れといわれて自分で散発して失敗し、


結果、床屋で生まれて始めての望まぬスポーツ狩りを
する羽目になったと言う出来事があり、


暗い意識を引きずっての高校進学。


友人こそ恵まれていても自分の心は閉ざされてもいました。
(以前の親友と距離が開いていくという
寂しさをも感じていもいました)


学校の勉強も投げやりで、
時には試験で意図的に全科目を赤点になるように答案をつくりあげ、
答案用紙の裏に漫画を描いていたこともあります。


其のときはクラスでビリから二番目の成績でした。


女性と話す事を実は苦手としていた私は、
虚勢を張る事で硬派ぶって見せてもいました。


そんな態度で接したことが
結果的に特定の女性達の仲良し集団に
不快感を与えることになった。


原因は私にあったのだと思います。


ただ、私が不幸の手紙を送りつけられ、
黙っているような人間でなかったことが
今から考えれば災いしました。


私はその手紙を友人にも見せて
その上で学校にまで持ち込んで公開してやりました。


「誰が書いたものなのか?」


憶測は憶測を呼んで、
結果的にはその本人たちはひそかに特定され
揶揄されるに至った。


そんなことがありました。


私がもしも手紙を受け取った事で落ち込んでも、
そこでそのまま自分の心の中にしまいこんでいれば
そのカルマは起きなかったのだと思います。


それを自分の感情に任せて、怒りに任せて
他の人間に知らせ結果的には他人を批判する事になった。


私は報復行為を実行した事になるのだと思います。


それは正しい行いではなくてエゴの為せる業です。


その後、表立ってその女性徒達が
差別や虐めを受けたわけではありませんでしたが


結果的に延々と不快な思いをしたであろう事は想像もつきます。


そしてその体験は自分の心の中では
決して忘れ去れない体験として存在し続けていました。


先日なぜか丁度満月の夜に、
私は其の女生徒達の夢を見ました。


私が其の中のリーダー格の人間に謝っている夢です。


記憶では出てきた人間は一人だけ。


しかしイメージとしてはどこかで別の場所で
残りのメンバーが待機しているようなそんな意識を感じていました。


其の中でリーダーがそれを受け入れるような
(私にとって都合の良いような受け止め方ですが)
そんな応対をして私に言葉を発した時に


私の中から何か沸き起こってくる感覚を感じて、
次の瞬間に目が覚めました。


私は無自覚に持ち続けていた自分の傷と、
自分のカルマを其の時に軽減したという印象を受けました。


それが罪に対する懺悔のようなものなのか
それとも単なる私の思い込みなのかは判りませんが


自分が其の時に感じたものが
カルマの改善だと自分ではその時確信してもいたのです。


私達は自分が無自覚のうちに多くのカルマを背負っている。


それを実感したのも其の時でしたし、


もしかしたら自分が辿って来た人生を省みて
其の中での躓きに関して理解し


どうしてそうなったのかを分析して其の上で反省することで


私達が罪とかカルマと呼んでいるものが
改善されるのかも知れないと思いました。


勿論、これは私が勝手にそう感じたもので
アダムスキーや天使達が語ってくれたものではありません。


ただ、私達は自分の想像よりも
遥かに多くの罪やカルマを背負っていて


其の事に無自覚で生きているのではないかと
直感的に感じたのです。


創造主が転生の法則を通じて私達にカルマを負わす理由は
私達に学習の機会を与えることです。


それは罰を与えるためではありません。


そして学習が進むことで、
原因を認識し、それを理解し反省することで改善されるような
そんなカルマも存在しているのだと思います。


と言うことは正しく学ぶことで
其のカルマについては学習は不要になるのだと思います。


私はまだまだ多くの反省できる材料を持っていますし
それを自覚してもいます。


誰もが過去の罪を”反省しているつもりでいても、
其の反省には相手の立場の”理解”と、


そしてそのような行動を自分がとった事に対する
”原因の追求”が伴わなければいけないらしい事も気がつきました。


私の体験ではありますが
もしも興味ある方や共感できる方がいれば
実践することをお勧めしたいです。


これは単なる懺悔ではありません。


自分がとった行動を分析し認識する事と
それを心底反省すると言う、ある意味複雑な過程だと思います。


でも私達は其のことで物事に対する理解を深め
同じ行動を繰り返す事もなくなるのだと思います。


アダムスキーが言っていたように、
過ちを恐れて臆病になっては経験(学習)はつめません。


しかし同じ過ちを繰り返すのでは
学習をしたことにはならないのだと思います。


カルマの精算が可能なら、そしてそれが私達の魂の進化に
繋がっていくものであるならば


私達はそれを実践しなければならない。


今回は私が受け止めた、数少ない”印象”から学んだ内容を紹介しましたが、


私達が学ぶ対象は活字や言語だけではないと言うこと
未だ体験ない方もいつか是非体験して欲しいです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】


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P.S.


天国の話、イエスの奥義の話、そして今回のカルマの話は

転生の法則の詳細などは、


私が徐々に印象から価値観を作り上げ
自分なりの理解を深めた物の最たるものです。


「求めよ、そうすれば与えられる。」
これは魂からの印象としての知識や知恵の事だと思います。


ただ、”求めよ”と言われると
只管感情を込めて求め続けてしまいそうですが
それではいけないと思います。


発する想念は短く、勿論内に向かって求めるつもりで発し、
尚且つ残りは印象を求める(想念を捉えようとする)と言うのが
正しいのだと思います。


カルマの改善に関しては、
言いだしっぺの私がまずは実践して
効果を感じることが出来たらまた報告したいと思います。


もうひとつカルマになるのは
私達の無自覚の内の物事への執着でもあるようです。


後日機会があればコメントします。

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夢の不思議さは誰もが実感していると思います。


今、面と向かって体験している夢の演出には
夢の中独自の背景が存在していて、


自分はその事を認識しながら
今、目の前の夢の映像を眺めている。


表現がわかりにくいので具体的に例を挙げてみれば


私は現実社会では48歳の中年の親父ですが
夢の中では18歳の高校生を演じていて


そこでは自分は受験生であったり
勉強中であったりしていると言う意識を感じていたりするのです。


目の前で一人の女の子に頭を下げながらも、
そこには存在していないはずの他の人間達が
自分の事を遠くから見つめているという印象をも感じている。。


心が認識している記憶と価値観とは全くかけ離れた記憶と価値観を
自分の意識が持っていると言うのが


夢から目覚めたときに、
心と意識が切り替わっていることの証拠にもなりそうな気がします。


夢の中の自分の置かれている状況の背景と
現実の世界の背景が目を覚めた途端に切り替わる、


夢の達人達はそんな経験をしているかと思います。


精神(魂)であれば、あらゆる歳の私が存在しているのでしょうし
もしくはその時々の記憶を鮮明に持っているのかもしれません。


しかし私達の”心”の記憶は新しいものほど鮮明で、
新しい記憶が古い記憶を押しのけています。


だからこそ自分の置かれている状況認識が、
目を覚ますと切りかわるのかもしれません。


最近は自分と認識しながらも、
今の自分ではない自分の夢を見ることもあります。


出てくる人間達はその時しだいで
全く知らない人間達であったり学生時代の同級生であったり。。


夢って本当に不思議ですよね。


短期記憶を整理して長期記憶へと移行する。


それだけでなくて
時には私達の魂の意識が
アカシックレコードの中を駆け巡っている。。


そんな実態があるのではないでしょうか。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11232871797.html
天国(霊界)の謎が解けた


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